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10年に一度村人たちが演じるオーバーアマガウ「キリスト受難劇」

ペストの時代からコロナ禍の現代へ10年に一度村人たちが演じるオーバーアマガウ「キリスト受難劇」

新型コロナウイルスのパンデミックが宣言された2020年、バイエルン州の小さな村で予定されていた重要な行事が中止となった。約400年前にペストが流行して以来、この村で10年に一度上演されてきた「キリスト受難劇」(Passionsspiele)である。2年の延期を経て、ついに今年5月から開催される運びとなった。コロナ禍を生きる私たちにとって、このキリスト受難劇はどのような意味を持っているのだろうか。バイエルン州オーバーアマガウを訪ねた。(取材・文:見市知、取材協力:ドイツ観光局、森本智子)

迫力満点のイエス・キリストの磔刑(たっけい)シーン迫力満点のイエス・キリストの磔刑(たっけい)シーン

村人が神に立てた誓い

オーバーアマガウは、バイエルン州のガルミッシュ=パルテンキルヒェン郡にあるのどかな村オーバーアマガウは、バイエルン州のガルミッシュ=パルテンキルヒェン郡にあるのどかな村

400年にわたってキリスト受難劇が演じられ続けてきた村、オーバーアマガウの人口は約5400人。美しいアルプスの山並みを背景にした絵本のような風景が広がるこの村は、木彫り細工の手工業の伝統が息づいている。かつて多くの人が読み書きができなかった時代、そして聖書がまだラテン語で書かれていた時代に、この村で造られるキリスト像やマリア像、聖書の場面をかたどった彫像は、人々のよすがだった。この地方の家々に描かれている伝統的なフレスコ画も、雄弁に聖書の物語を語っている。

そんなオーバーアマガウのキリスト受難劇は、次のようなナレーションで幕を開ける。「1632年、この村にペストがもたらされた。大いなる苦しみと恐怖を生み出したこの病に対して、村の代表たちは神に誓いを立てて10年に1回、キリストの十字架の悲劇を演じることを決めた。それ以来、この村からは一人も死者が出なかった」

この受難劇の特異なところは、舞台に立つ全ての俳優が村人であること。舞台に立つ資格を得るためには、「この村で生まれたこと」か「この村に20年以上住んでいること」が条件だ。以前はカトリック教徒であることなども条件に入っていたが、今ではこれは撤廃されている。

アルプスの山並みを背景に、建物に描かれた美しいフレスコ画が映えるアルプスの山並みを背景に、建物に描かれた美しいフレスコ画が映える

今年舞台に立った村人の数は、子どもたちも合わせて約1800人。これは村人の3人に1人に当たる。10年に1回の重要行事のため、全ての出演者は日程をやりくりし、大学を休学したり会社の勤務時間を減らしたりしてもらうのだそうだ。

イエス役に選ばれる条件は?

今回ダブルキャストでイエス・キリストを演じたフレデリック・マイエットさんにお話を聞いた。1980年にオーバーアマガウの木彫り職人の家に生まれたマイエットさん。普段はミュンヘンの劇場に勤めており、プレスを担当している。2010年にもイエス役を演じており、私生活では2児の父親だ。

実はこの村には、10年に一度の受難劇だけではなく、毎年夏に村人総出でさまざまな演劇を演じる伝統がある。子どもたちも6歳くらいから舞台に立って演劇に親しむので、もはや演劇をすることが生活の一部になっているという。

今回2度目の大役を務めるマイエットさんに、イエス役に選ばれる条件を伺った。「演技力があって、外見がイエス・キリストのイメージに合っていることくらいではないかと思います。特別すぐれた模範的な人間である必要はないし、信仰も問われません」

配役が決まると受難劇のリハーサルの一環で、主要な役を演じる俳優たちは10日間イスラエルを訪れる機会があるそう。そこで彼らは聖地エルサレムを直に見て、イエス・キリストについて深く考察し、役作りを深めていく。「イエスは傑出した人物で、新しい思想をこの世にもたらしました。『あなたの隣人を自分を愛するように愛しなさい』という言葉を、もし全ての人が実践できたならば、この世はもっと良い場所になるはずです」

現代における受難劇の意味

受難劇の脚本は時代とともに改編が加えられ、現代ではよりイエスの人間性に焦点を当てた演出になっている。「人間が持つごくありふれた喜怒哀楽の感情や葛藤、肉体の限界や弱さをイエスも持っていたのだということを伝えたい」とマイエットさんは語る。

受難劇冒頭。イエス・キリストがエルサレムに入城する場面受難劇冒頭。イエス・キリストがエルサレムに入城する場面

受難劇は二部構成で、上映時間は計5時間。演劇の場面の合間に歌唱シーンが入り、舞台美術が入れ替わり、壮大なスケールで物語は進んでいく。舞台上にはロバをはじめ、ハトやウマ、ラクダまで本物の動物たちが登場し、彼らも物語の一部として見事な役割を演じている。そして何より、舞台に立つ村人たちが「演じている」ことを忘れさせるような自然さで、演劇というよりは本当に聖書の場面を目撃しているような、リアルな空間がそこに現れる。

大工の子としてこの世に生を受け、真理と愛の言葉を伝え、多くの人に救いをもたらしたイエス。しかし、時の権力者やユダヤ教を信仰する人々から受け入れられず、最後は十字架上で惨殺されてしまう。しかし彼の死後、その言葉と精神は世界中に広まり、欧米社会の精神的基盤を形作った。

マイエットさんは、現代において受難劇を演じ続けることの意味を、このように説明してくれた。「イエスは教会の権威を批判し、神の愛を説きました。戦争や貧困、病気……私たちは今もこれらの問題に直面していますが、その答えはイエスの言葉の中に全て入っているのです。これは信仰の有無や宗派の違いを超えて、全ての人が聞くべきメッセージだと思います」

「これからの400年もこの受難劇は演じられ続けるでしょう」とマイエットさん。村人たちによって紡がれ続ける伝統を、ぜひ自分の目で観に行ってみてはいかがだろうか。

劇場は舞台部分がオープンエアーになっている劇場は舞台部分がオープンエアーになっている

基本情報

■ 上演期間
2022年5月14日(土)~10月2日(日) ※月曜・水曜は休演

■ 上映時間(二部構成)
5月14日(土)~8月14日(日)
1部:14:30~17:00 2部:20:00~22:30

8月16日(火)~10月2日(日)
1部:13:30~16:00 2部:19:00~21:30
■ 上演場所
Passionstheater Oberammergau
Othmar-Weis-Str. 1, 82487 Oberammergau

■ 公式ホームページ
www.passionsspiele-oberammergau.de

受難劇を観に行きたい!鑑賞のためのQ&A

Q 受難劇はドイツ語で上演される?

ドイツ語のみの上演で、外国語字幕はなし。演出家による約30分の無料解説(毎日10:30~英語、11:15~ドイツ語)がある。シナリオはドイツ語、英語、スペイン語、フランス語版が購入できる。

Q 今からでもチケットは購入できる?

チケットは引き続き販売中(7月11日現在)。上演期間中は、現地の宿泊の空きが少なくなっているが、宿泊とセットになったチケットもある。詳しくは公式ホームページをチェック!

Q 聖書の知識はあった方がいい?

あった方がより深く受難劇を理解できる。特に新約聖書の『ヨハネによる福音書』を読んでおくと、ストーリーを追いやすくなるのでおすすめ。また、映画「パッション」や「ジーザス・クライスト・スーパースター」などを事前にチェックしておくのも◎。

Q 現地までのアクセスは?

鉄道のローカル線を乗り継いで行けばミュンヘンから2時間、アウクスブルクからは3時間程度。なお上演期間中は、特別許可がない場合は車でオーバーアマガウの中心部には入れない。少し離れた場所に駐車場があるため、そこからシャトルバスで移動する。

最終更新 Dienstag, 19 Juli 2022 11:58
 

ドイツに足跡を残した森鴎外

森鴎外没後100年ドイツに足跡を残した森鴎外

2022年7月9日で、明治時代を代表する文豪・森鴎外がこの世を去ってちょうど100年になる。文学者としてだけではなく、軍医や評論家としても活躍してきた鴎外。その功績の裏には、ドイツでの留学経験があった。そんなドイツに足跡を残した鴎外をこの地で長く広めてきた人物がいる。ベルリン森鴎外記念館を立ち上げた一人、ベアーテ・ヴォンデさんだ。不思議と鴎外の生き方とも重なる人生を歩んできたヴォンデさんに、そのエピソードと鴎外の魅力をお話いただいた。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部、インタビュー:中村真人)

1916年に撮影された森鴎外1916年に撮影された森鴎外

森鴎外ってどんな人?

1862年、森鴎外(本名:林太郎)は津和野藩(現島根県鹿足郡津和野町)の典医だった森家の長男として生まれた。10歳のときに父と一緒に上京すると、ドイツ語を学び始めた。その後、最年少で東京医学校予科(現東京大学)に入学し、1881年に卒業する。軍医となった鴎外は、軍における衛生学の研究のため、1884~1888年にドイツへ留学した。ライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンの4都市をまわり、ベルリンでは細菌学者のロベルト・コッホのもとで学んでいる。

帰国から1894年に開戦する日清戦争までの6年間は、軍医および作家として熱心に活動。『舞姫』をはじめとしたドイツ三部作が世に送り出されたのも、この頃のことである。1889年には一人目の妻・赤松登志子と結婚して子を授かったものの、すぐに離別した。そして、日清戦争の勃発により、鴎外は軍医として朝鮮、満州、台湾へと赴いた。

帰国後は、1902年に二番目の妻・荒木志げと結婚。日露戦争(1904~1905年)が終わると、1907年に軍医としての最高職である陸軍軍医総監・陸軍医務局長に任命される。日本軍に腸チフスのワクチンを導入し、かっけ病調査会を設立するなど貢献した。一方で、医務局長になったのを機に文学活動を全面的に再開させ、翻訳や現代小説を次々に発表。1912年、明治天皇が崩御し、乃木将軍の殉死をきっかけに歴史小説に転換した。

1916年には陸軍を退職したが、翌年には宮内省帝室博物館総長兼図書頭となった。晩年は史伝の執筆に取り組み、1922年7月9日、萎縮腎と肺結核により60歳でその生涯を閉じた。

参考:ベルリン森鴎外記念館ホームページ、国立国会図書館「近代日本人の肖像」

Interviewわたしと鴎外の人生

もともと森鴎外には興味を持っていなかったというベアーテ・ヴォンデさん。しかし、その人生は不思議と鴎外とリンクする部分があった。その共通点をたどりながら、鴎外の魅力を深掘りする。

お話を聞いた方

ベアーテ・ヴォンデさん

ベアーテ・ヴォンデさん
Beate Wonde

ベルリン森鴎外記念館元副館長兼キュレーター。ブランデンブルク州グーベン出身。現在はフリーランスでキュレーションを担当するほか、講演会出演などで各地を飛び回っている。ヴォンデさんが企画した鈴鹿墨の展覧会「The making of: Suzukazumi」が、バイエルン州ヴュルツブルクのシーボルト博物館で10月16日(日)まで開催中。
https://beatewonde.de

鴎外が生きたベルリンの街で

ベアーテ・ヴォンデさんから待ち合わせ場所に指定されたのは、ハッケシャー・マルクト駅から近いモンビジュウ・ホテルだった。『舞姫』で主人公の太田豊太郎の下宿先として描かれている「モンビシュウ街」と重なる。路面電車の音が響くなか、ヴォンデさんが鴎外の生きた時代のベルリンに誘う話をしてくれた。

「モンビシュウ街」はMonbijoustraßeと訳されることが多いのですが、あの向こうに「モンビジュウ通り」ができたのは鴎外が帰国した1904年になってからなので、このモンビジュウ広場(Monbijouplatz)がモデルになっていると見るべきでしょう。ではなぜ鴎外はこの広場を太田豊太郎の住まいとして選んだのか。実はここ、ベルリンでの鴎外の三つ目の下宿先からほど近く、広場の3番地にはシュプリンガー出版社があり、1階は直営の書店だったのです。鴎外文庫(東京大学附属図書館にある鴎外の蔵書)には彼が所蔵していたこの出版社の本が2冊あります。どちらも郵便、電灯といった技術に関する本。鴎外は鉄道、車、飛行機といった科学技術と人間の関係に深い興味を抱いていました。これもまた一つの興味深いテーマです。こうして現場に立って、当時の地図を開くと、『舞姫』の印象もちょっと変わってくると思いませんか。

20世紀初頭のモンビジュウ広場20世紀初頭のモンビジュウ広場

東ドイツ時代、ブランデンブルク州のグーベンに生まれ育ったヴォンデさんは、1973年にベルリン・フンボルト大学に入学した。「私はど田舎出身の椋鳥(むくどり)だったので、外の世界を知ろうと外国語を何か勉強しようと思いました」。くしくも、東独と日本の国交が樹立したこの年、彼女が選んだのは日本学、そして演劇だった。

急に日本からお客さんがやって来て、でも日本語ができるのは数人だけ。それで私も1年時からバスツアーのガイドなどに駆り出されました。「これがテレビ塔、あちらが外務省です」と、まだこのぐらいしか話せない頃です。でも、何かを伝えたいというミッションの意識はとても強く、私とベルント先生、学生たちみんなが高い意識を共有していました。

ユルゲン・ベルント(1933〜1993)は当時フンボルト大学日本学科の教授で、彼との出会いはヴォンデさんにとって運命的といえるものだった。このベルント教授が後にベルリン森鴎外記念館を設立することになるのだが、時の針はヴォンデさんが学生だった頃からさらに10年ほどさかのぼる。鴎外の生誕100年に当たる1962年から65年ごろにかけて、日本では「鴎外ルネサンス」と呼ばれる動きがあった。研究が活発になり、ゆかりの地の東京都文京区に鴎外記念室(現在の文京区立森鴎外記念館の前身)が設立された。その頃、東ベルリンに滞在していたのが哲学者、評論家の篠原正瑛(1912〜2001)だった。

ベルント先生は若い頃から翻訳活動も熱心で、ちょうど東京五輪の頃、東ベルリンに滞在していた篠原さんと一緒に夏目漱石の『坊ちゃん』(ドイツ語名:Der Tor aus Tokio)をドイツ語に翻訳しました。篠原さんは鴎外ファンでもあり、『独逸日記』に出てくる場所を歩いて、どこに何が残っているかをつぶさに調べたのです。すると、鴎外のベルリンでの最初の下宿先だったルイーゼン通りとマリーエン通りの角の建物が戦災を免れて残っていた。「これは両国にとっての文化遺産」と考えた2人は、ドイツと日本の両方から働きかけ、それにより1966年に記念プレートが設置されました。その頃、ベルント先生は『舞姫』の翻訳も始めました。私の大学時代、先生とコーヒーを飲んでいたら、「いつか鴎外の記念館を作りたい」とおっしゃっていたことを覚えています。

もっとも、ヴォンデさんは「当時私が興味を持っていたのは鴎外ではなく、演劇でした」ときっぱり言う。当時、東独と日本の文化、経済交流は極めて活発で、刺激には事欠かなかった。フンボルト大学を卒業後の1979年から1年半、文部省奨学生として早稲田大学に留学する機会に恵まれた。この異文化体験は、ヴォンデさんにとって重要な意味を持つことになる。

鴎外の時代、一般の日本人が外国に行けなかったように、東ドイツ時代も、西側の外国に行くというのは特権的なことでした。だから、その経験を東ドイツ社会に還元することは、私たちの義務だと捉えていました。この点で鴎外と私は、共通します。鴎外が『独逸日記』を書いたように、私も毎週最低20〜30枚の手紙を書いていました。私が東独の友だちに手紙を送ると、皆で集まってそれを読んだそうです。今日は何を食べて、何を読んだか。外国の匂いや日常生活を伝えようと必死でした。何をやっても日記を書き、メモを取らなくてはという情熱がありました。それが自分に還かえってきて、道になるのです。

夜中に芝居が終わると、その後おでんをつくったり、お酒を飲んだり、朝帰りしたりと……。この日本での経験は私の泉になりました。鴎外もそうでしょう。4年間のドイツ留学時代は、彼の後の活動の全ての土台となりました。

今はお金さえあれば日本に行ける時代ですが、私が学生だったときは5年間ドイツで日本語を勉強して、日本に着いてからようやく日本語が分かる。鴎外は10歳からドイツ語を学んでいました。船でマルセイユに渡り、ケルンの駅に列車が到着したときに彼はやっとドイツ語を理解するのですが、その気持ちはよく分かります。

ミュンヘンに留学していた時の森鴎外(後方左から2番目)ミュンヘンに留学していた時の森鴎外(後方左から2番目)

森鴎外記念館の職員としてスタート!

1981年にベルリンに戻った後、大学で日本演劇の講師になる予定だった。しかし、講師のポストそのものがカットされてしまう。その頃、ベルリン森鴎外記念館のオープンが近づいていた。恩師のベルント教授から「しばらく働いてみないか」と誘われたこともあり、心が動かされた。1984年10月12日、鴎外のドイツ留学100周年に合わせて、森家や鴎外記念室の代表者も招いて盛大なオープニング式典が行われた。ヴォンデさんはフンボルト大学附属の記念館唯一の常勤職員となる。

ちょうど日本留学から帰ってからこの仕事を始めたこともあり、鴎外のドイツ留学が記念館での私の最初の研究テーマになりました。鴎外は私の「初恋」ではなく、「見合い結婚」のようにして始まりましたが、歳を取るにつれ鴎外がどんどん面白くなってきたのです。私が50歳になったとき、鴎外が50歳で書いた作品に夢中になりました。

1989年にベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツがあっという間に統一した。大学も含め社会システムが劇的に変わり、森鴎外記念館の存続も先行き不透明となる。その一方、壁が開いて日本から記念館を訪れる人の数は激増した。

壁崩壊後、多くの日本人観光客がベルリンにやって来て、壁跡と合わせて、記念館を見学に訪れるようになったのです。あの当時、年間8000人ぐらいの訪問者のほとんどが日本人だったと思います。記念館の前にバスの停留場があるほどでした。

ヴォンデさんは2020年5月に定年で退職するまで、森鴎外記念館副館長兼キュレーターを長きにわたって務めた。展覧会や講演会の企画展示も、彼女にとって大きなやりがいになったという。

私は学者ではないですし、一つのことを掘り下げるよりもいろいろなことに興味がある。木の幹よりも枝なんですね。これまで日本語を習い、演劇を専攻し、文学は常に私の中心。歴史の調査にも興味がある。それらの希望を全て実現できるのが森鴎外記念館でした。例えば、鈴鹿墨がどうやって作られるかとか、日本のマンホールのデザインをテーマにした展覧会をやったこともあります。スペースは狭いけれど、あちこちにネットワークを張って、次はどんな展覧会をやろうかと考えるのは楽しかったです。ドイツの文学ネットワークや博物館の世界でも森鴎外記念館はすでによく知られています。

鴎外の生きざまに自身を重ね合わせて

軍服に身を包む森鴎外(1899年撮影)軍服に身を包む森鴎外(1899年撮影)

多岐にわたる活動を、ヴォンデさんは鴎外とも重ね合わせる。熱く語るその話からは、鴎外という人のもつ驚くべき多面性と卓越した啓蒙者としての顔が見えてくる。

鴎外は軍医が本職でしたが、隣には常に別の世界がありました。文化的、思想的な世界です。両方あると、いつでもどこかに逃げることができます。彼は軍医の仕事をこなしつつ、文学に勤しみ、本職でない方で有名になりましたよね。実際、今も生きた存在であり続けているのは文学のおかげだと思います。

鴎外は初めて腸チフスのワクチンを行ったり、最初の衛生雑誌を出したり、医学者として良いことをたくさんやっています。同性愛や性教育についても書いており、私はまだ研究したいテーマがいっぱいありますよ。鴎外のすごいところの一つは、同じ問題について専門家同志のために学術的に書くと同時に、一般の人にも分かるように適切な言葉で伝えられたこと。例えば、牛乳を飲んだら健康に良いか悪いかを衛生雑誌で学問的な記事を書き、同時に読売新聞に誰でも分かる記事を寄稿したのです。

今のコロナ時代を鴎外はどう考えたかなと思います。彼の時代にはかっけの問題がありましたが、未知の病気の究明には数十年かかることもあります。後からこれはダメ、あれは間違いだったと言うのは簡単ですが、もっと過程を見るべきだと思います。もし鴎外が1日だけ今の時代に遊びに来ることができるなら、聞いてみたいことがたくさんありますね。

コロナ禍直前の2020年1月、ヴォンデさんが森鴎外記念館で最後に企画したのは書道展「百折不回(ひゃくせつふかい)」。「何度失敗しても諦めないこと」という鴎外の言葉は、そのままヴォンデさんの生きてきた道ともどこかで重なり合う。記念館の母体であるフンボルト大学への感謝をこう語った。

森鴎外記念館が設立されたときはどこに属するのかはっきりしておらず、ベルリン市の施設になる可能性もありました。もともとベルント先生のヴィジョンとイニシアティブで始まり、先生自身も日本文学の翻訳者だったので、やはり大学に残した方がいいのではないかとなりました。この記念館は再来年(2024年)に設立40周年を迎えます。何度か存続の危機はありましたが、フンボルト大学がお金を出し続けてくれていることに感謝しなければなりません。外国の文学者のための施設にずっと予算を出し続けていて、ドイツ語と日本語の2カ国語で展示している。すごいことだと思いますよ。

そして、森鴎外記念館を訪問された多くの方々との交流も私の財産です。ここでは誰が入口のベルを鳴らすか分かりません(笑)。鴎外研究者から若い旅行者まで、実に多種多様な方から質問を受けました。「鴎外はチョコレートが好きだった」という話を聞いて自分で調べてみたり、その場で答えられないときは後で手紙を書いてお返事をしたり……。互いに影響し合い、学び合う。それは私の研究の刺激になりました。

2011年6月、天皇陛下(当時皇太子)がベルリン森鴎外記念館を訪れた際、ヴォンデさんが案内役を務めた2011年6月、天皇陛下(当時皇太子)がベルリン森鴎外記念館を訪れた際、ヴォンデさんが案内役を務めた

「ベルリン森鴎外記念館は全ての森鴎外記念館のお姉さんです」とヴォンデさんはユーモアを込めて語る。ゆかりの地である文京区立森鴎外記念館(2012年開館)、津和野の森鴎外記念館(1995年開館)よりも古い。まず外国で森鴎外記念館が生まれ、鴎外の母国での活動に刺激を与えた。ヴォンデさんは日本の森鴎外記念館でも講演を行うなど、「互いに影響し合い、学び合う」関係は今も続いている。2021年秋、そんなヴォンデさんに日本政府から旭日双光章が授与された。「ドイツにおける日本文化の紹介および日本・ドイツ間の相互理解の促進に寄与」したというのが受章理由だった。

ちょうど実家のあるグーベンに滞在中、日本大使館から連絡が届きました。グーベンは国境の町で、ナイセ川の対岸はもうポーランドです。子ども時代に立っていた原点といえる場所で受章の知らせを受けたのはうれしかったですね。私の遠くへの憧れはここから始まったからです。当時、小学校に行くため毎日鉄道の踏切を越えなければなりませんでした。貨物列車やワルシャワ行きの列車を眺めながら、あの先にはどういう世界があるのかと思いを巡らせました。境界を超えて、遠くに行きたい……。

鴎外というペンネームはカモメから取られていますよね。「おりがあっても外に出ることができる。それを助けるのは精神世界である」とは、鴎外からの最も重要なメッセージだと思います。鴎外を通じて、数多くのユニークな経験ができたことに私は感謝しています。

Info

ベルリン森鴎外記念館

ベルリン森鴎外記念館
Mori-Ôgai-Gedenkstätte

鴎外がベルリンで最初に住んだアパートと同じ建物内にある記念館。常設展のパネルには白木や和紙が使われ、鴎外の文学とその多面性を紹介している(日独併記)。19世紀当時の下宿の内装を再現した部屋も。没後100年を記念して7月14日(木)の記念式典を皮切りに、さまざまなイベントを企画中。詳しくはホームページへ。

オープン:火・水・金12:00~16:00、木12:00~18:00
住所:Luisenstr. 39, 10117 Berlin
URL:http://u.hu-berlin.de/ogai

ヴォンデさんおすすめ鴎外作品5選

「鴎外の古い文体のテキストを読むのは時に苦労します。でも、何回読んだ作品でも視点を変えて読むことで、彼の作品からはいつも新しい見方を得られるのです」とヴォンデさん。鴎外の多彩な作品の中から、おすすめの5作品を選んでいただいた。

1.『妄想』(1911年)

鴎外の没後100年の機会にまずおすすめしたいのが、50歳の鴎外が自身の人生を振り返って書いた『妄想』という短編作品です。ベルリン時代についての印象的な記述もあります。

2.『高瀬舟』(1916年)

高瀬川を下る船に、役人と弟を殺して遠島に送られる男が乗っています。役人は地位と金を手にしていますが、内面的には幸福ではありません。一方、愛する弟のために、病気で苦しむ彼の自死を助けてしまった男は、とても幸せそうに見えます。この作品はよく安楽死問題と結び付けられますが、私にとっては幸福とは何かを問いかけてくる大好きな作品です。

3.『じいさんばあさん』(1915年)

ある仲睦まじい夫婦がいました。子どもにも恵まれますが、夫は傷害罪を犯して左遷されてしまいます。実に37年ぶりにこの夫婦は再会するのですが、最初の頃と変わらない愛を持ち続けており、すっかり歳を取った2人の互いへの接し方がすてきです。男女平等の観点からも優れた作品だと思います。

4.『大発見』(1909年)

鴎外のユーモアに出会いたかったら『大発見』を読むべきです。なんと「ヨーロッパの人びとは鼻をほじるのか」が主題で、鴎外がドイツ滞在中に直面した問題が大真面目に論じられます。

5.『花子』(1910年)

哲学や人種の違い、さらに「日本人女性の美とは何か」という主題を語るため彫刻家のロダンを登場させるなど、短い中に多くの要素を盛り込んだ卓越した作品です。鴎外はベルリンの日刊紙の小記事からヒントを得て、この短編を一気に書き上げました。


『ちくま日本文学017 森鴎外』

『ちくま日本文学017 森鴎外』
著者:森鴎外
発売元:筑摩書房

『妄想』、『高瀬舟』、『じいさんばあさん』、『大発見』が収録された森鴎外の短編集。

最終更新 Mittwoch, 03 August 2022 09:13
 

この夏はドイツの海へ出かけよう

ドイツにだってビーチはある!この夏はドイツの海へ出かけよう

ドイツの水辺と聞いて、まず思い浮かぶのは河川や湖。真夏といえどもギラギラと太陽が照り付けることが少ないこの国にいると、南方の海への憧れが強くなりがちだが、ドイツにも魅力的なビーチが存在する。北海もバルト海も、北部ではあるものの、実は夏季には晴れの日が多い温暖なリゾート地。コロナ規制も解除され、いよいよ旅行シーズン本番に向けて、そんなドイツの海の魅力をたっぷり紹介する。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:本誌979号「この夏、北海・バルト海へ」、www.nordseetourismus.dewww.ostsee-schleswig-holstein.de

この夏はドイツの海へ出かけよう

Nordsee北海

北海

ノルウェー、デンマーク、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、英国の島々に囲まれた海。ドイツ国内の北海沿岸地域は、ニーダーザクセン州とシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州にまたがり、海岸の長さは約1300キロメートルに及ぶ。北海を象徴する光景は、フリースラント地方の干潟。1990年代までは、ドイツから北海へ出て、北欧諸国との国境地帯の非関税ゾーンで食品やタバコ、蒸留酒、香水などを買う「Butterfahrt」(バター航海)というツーリズムが行われていた。

北海のおすすめビーチ

Syltズュルト島

ズュルト島

スイスの人気作家クリスティアン・クラハトのデビュー作 『Faserland』(1995)の舞台となった北フリースラント地方最大にしてドイツ最北端の島。錨(いかり)型の特徴的な形で、東側には干潟があり、西側の砂浜は38キロメートルにも及ぶ。延々と続く海岸に点在する無数のシュトラントコルプはこの島の風物詩。
www.sylt-tourismus.de

Borkumボルクム島

ボルクム島

湾流が温風を運び込んでくるため、1年を通して晴れの日が多く、温暖な気候が特徴の島。26キロメートルに及ぶボルクムの海岸はのんびりと散歩するのにぴったり。ミネラルたっぷりの潮風で新陳代謝を促し、リフレッシュできる。海水のパワーを利用したタラソテラピーを体験できる施設も充実。
www.borkum.de

Cuxhavenクックスハーフェン

クックスハーフェン

エルベ川河口にある街で、北部で話される低地ドイツ語では「Cuxhoben」(クックスホーベン)と呼ばれる。海水浴はもちろん、裸足で干潟を歩いたり、海岸で馬車に乗ったり、温水プールで泳いだりと、年間を通して楽しめるスポット。漁業が盛んな街なので、ハンブルクの台所にもなっている。
http://tourismus.cuxhaven.de

そのほかの見どころ

Leuchtturm Arngastアルンガスト灯台

アルンガスト灯台

赤と白に塗られた灯台は、海辺の光景に欠かせないものの一つ。ヤーデブーゼン(Jadebusen)の入り江の中洲に立つアルンガスト灯台は、1910年にヴィルヘルムスハーフェン一帯を照らすために建造された。北海で最も伝統のある灯台として、文化財建造物にも指定されている。

Wattenmeerワッデン海

ワッデン海

オランダ、デンマーク、ドイツの三カ国にまたがる水域と湿原。北欧でも希少な動物・鳥類・植物相の豊かな生息地として、2009年に世界自然遺産に登録された。ドイツ国内ではニーダーザクセン、ハンブルク、シュレスヴィヒ=ホルシュタインの3州が、当該地域を国立公園に指定して管理している。
www.nationalpark-wattenmeer.de

Deutsches Auswandererhaus Bremerhavenブレーマーハーフェンの国外移住者博物館

ブレーマーハーフェンの国外移住者博物館

海上交易といえば、物流に焦点が当てられがちだが、海辺は人が出入りする場所でもある。ブレーマーハーフェンは、大航海時代から1890年までに約1200万人が米国へ旅立った起点。この国外移住者博物館では、各移住者の家族構成から渡米の理由、名前の由来まで、その歴史をたどることができる。
www.dah-bremerhaven.de

Ostseeバルト海

リューゲン島

スカンジナビア諸島に囲まれた海洋で、ドイツのバルト海沿岸地域はメクレンブルク=フォアポンメルン州とシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州にまたがり、海岸の長さは2247キロメートル。西海岸には、バルト海が現在の地形になったとされる、氷河期における氷河の衝突の跡が氷堆積などの形で残っている。この地域で、造船業と並んで最も盛んな産業は観光業。特に7〜8月は1年で最も多くの旅行者でにぎわう。シリヤラインやステナラインなどのバルト海クルーズも好評を得ている。

バルト海のおすすめビーチ

Rügenリューゲン島

リューゲン島

935キロ平方メートルに上るドイツ最大の島。ドイツ本土の街シュトラールズントと橋で結ばれており、フェリーで渡ることも可能。富裕層が集まる高級リゾート地としても有名で、島を囲む約60キロメートルの海岸には、ヌーディストビーチ(FKK)や、犬を連れて入れる場所、ビーチスポーツができる場所などが点在している。
www.ruegen.de

Fehmarnフェーマルン島

フェーマルン島

20世紀を代表する表現主義画家のエルンスト=ルートヴィヒ・キルヒナーが毎年夏に訪れ、「地上の楽園」と褒め称えたといわれる島。国内で最も日照時間が長い場所の一つで、太陽の光が肥沃(ひよく)なバルト海に輝く様子から、1580年にはデンマーク王フリードリヒ2世から青地に金の王冠をあしらった封建旗を与えられた。
www.fehmarn.de

Kellenhusenケレンフーゼン

ケレンフーゼン

リューベック湾にあるケレンフーゼンは、海辺には人工の海水浴施設が完備されており、気軽にビーチを楽しみたいという人や、家族連れにもぴったり。海に背を向ければ、そこには586ヘクタールの広大な森が広がる。ビーチでひと泳ぎした後に、のんびりと自然散策を満喫するのもおすすめ。
www.kellenhusen.de

そのほかの見どころ

Leuchtturm Bastorfバストルフ灯台

バストルフ灯台

レーリック(Rerik)とキュールングスボルン(Kühlungsborn)という街の中間に位置する、バルト海沿岸にある七つの灯台の中で最も高い場所に立つ灯台。高さ20.8メートルのレンガ造りの灯台の展望台からは、天気の良い日にはフェーマルン島や、はるかデンマークの島々までが見渡せる。

OZEANEUM Stralsundシュトラールズントのオツェアネウム

シュトラールズントのオツェアネウム

海洋博物館と水族館が一緒になったオツェアネウムは、2010年に欧州最優秀美術館賞を受賞したシュトラールズントの人気スポット。北海とバルト海、北大西洋をテーマにした常設展のほか、さまざまな魚や甲殻類、ペンギンなど海の仲間たちに会える。展示ホールに吊るされた等身大のシロナガスクジラの模型は圧巻だ。
www.ozeaneum.de

HANSA-PARK Sierksdorfハンザ・パーク・ジールクスドルフ

ハンザ・パーク・ジールクスドルフ

広大な海を眼前に、潮風を感じながら絶叫マシーンに乗って大はしゃぎ!リューベックの入り江に広がる約46ヘクタールのテーマパークには、大人も子どもも楽しめる計70のアトラクションのほか、季節ごとに花木が植え替えられる庭園も。パレードやサーカスなどのプログラムも充実している。
www.hansapark.de

ドイツのビーチをもっと楽しむ海辺での過ごし方

休暇の目的地を海にするからには、海辺ならではの滞在を満喫したいもの。どこに泊まるか、何をして遊ぶか、何を食べるか……。ドイツのビーチをもっと楽しむためのヒントを伝授する。

ビーチで見かけるあの椅子

泊まる

Strandkorb(シュトラントコルプ、「浜辺の籠」の意)は、ドイツのビーチで必ず見かける独特な椅子。砂浜にいくつも並べられ、各々がくつろいでいる様子は夏の風物詩でもある。1882年にロストックの籠細工職人がリュウマチを患っていた女性のために作ったのがはじまり。柳の枝で編まれたシュトラントコルプは、彼女を浜辺の強い風と日差しから守ったという。その後瞬く間に人気となり、ドイツの海辺に欠かせない存在となった。ビーチによってはオンライン予約もできるので、ぜひ海へ出かけるときは利用してみよう!

泊まる

泊まる

旅の宿泊施設といえばホテルが定番だけれど、ハイシーズンは早めの予約が必須。長期間滞在する場合はペンションやバンガロー(Bungalow)、貸し別荘(Ferienwohnung / Ferienhäuser)などを利用するという手もある。予約のストレスを避けたいという人は、キャンピングカーを借りて行くのもおすすめ。北海・バルト海の海辺にも、車を止めて車内で寝泊まりできるキャンプ場(Campingplatz)が数多く存在するので、事前に目的地付近の適した場所を調べておこう。

泊まる

貸し別荘の検索サイト
www.traum-ferienwohnungen.de
www.strandurlaub-nordsee.com(北海)
www.ostsee-strandurlaub.net(バルト海)

キャンプ場の検索サイト
www.camping.info

食べる

食べる

ニシンのマリネのサンドイッチ

北海・バルト海地域で味わいたいのは、もちろん豊富な海の幸! 生ガキやカレイのフライ、ニシンのマリネのサンドイッチなどに加え、タラの幼魚やコイなども。伝統的な料理を試すなら、「 Schnüsch」はいかがだろうか。これはドイツ北部で夏に食べられる定番料理で、ジャガイモ、豆、グリンピース、ニンジン、クリームソースを基本に、タマネギやベーコン、ハム、若ニシンなど、地方によって異なる食材が入った煮込みスープだ。この地域に定住したゲルマン人によって食されていたことに起源を持つという。肉料理なら、特にリューゲン島の人々に親しまれている「Königsberger Klopse」(仔牛と豚のひき肉を使った肉団子のホワイトソースがけ)がおすすめ。ほかにも生クリームをたっぷり載せたラム酒入りのココア「Tote Tante」や、小さな丸い焼き菓子の「Futjes」、梅ムースと生クリームをパイ生地で包んだ「Friesentorte」など、デザートも思う存分楽しんで。

遊ぶ

遊ぶ

宿泊場所が決まったら、滞在中の遊びの計画もお忘れなく。ジェットスキーにウィンドサーフィン、スキューバダイビング、スノーケリング、ボート、ヨット…… 海でのバカンスの醍醐味の一つは、思う存分ウォータースポーツを楽しめること。ヨットはさまざまな種類のものがチャーター可能。ドイツの海でヨットに乗る体験は、生涯の思い出に残るはず。ほかにも干潟を散策したり、馬車に乗ったりと、海辺ならではのアクティビティーを満喫しよう。さらに旧市街地で美しい建築物を眺めたり、博物館で歴史を学んだりと、その島特有の歴史や文化に触れるのもおすすめ。

北海・バルト海の夏のイベント

北海

Wattolümpiade in Brunsbüttel泥オリンピック

泥オリンピック

干潟で泥んこ遊びをする風習がある北海のブルンスビュッテルで、「汚いスポーツは健全なこと」をモットーに2004年から毎年開かれている泥オリンピック。オリンピックという名が付くだけあって、本格的なスポーツ大会として定着しており、泥まみれになりながらハンドボールやサッカー、バレー、そりレース(干潟で使う木のそりを押して走る)など、真剣勝負が繰り広げられる。参加者はもちろん、観客も一体となって大いに盛り上がる大会だ。

2024年8月17日(土)
www.wattoluempia.de

北海

Husumer Hafentageフーズム港祭

フーズム港祭

今年で40周年を迎えるフーズム港祭。5日間の祭りの会期中、絵のように美しいフーズムの港を背景に、ポップスからロック、マーチングバンドや北ドイツの民族音楽まで、さまざまなスタイルのバンドの生演奏が披露される。街中が陽気な音楽で満たされるとともに、ストリートフードの屋台や観覧車、街中のツアー、港での綱引きなどのアクティビティーも満載。地元の人々も観光客も思いっきり楽しめる内容となっている。

2023年8月9日(水)~13日(日)
www.husum-tourismus.de

バルト海

Kieler Wocheキーラー・ヴォッヘ

キーラー・ヴォッヘ

シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州の州都キールで毎年1週間にわたって開かれる北欧地域最大の夏祭り。その起源は1882年に当地で開催されたセーリングレガッタといわれ、今なおセーリングはこの祭りの最大のハイライトだ。世界各国から約4000人のヨット操縦者が集まり、その腕を競う姿は壮観。花火や音楽ライブなどのプログラムが、お祭りムードをさらに盛り上げる。

2023年6月17日(土)~25日(日)
www.kieler-woche.de

バルト海

Hanse Sail Rostockハンゼ・セイル・ロストック

ハンゼ・セイル・ロストック

ハンザ時代の興隆の名残りを今に伝えるロストックで行われる世界最大級の帆船祭り。最新の大型帆船から現在では使われていない旧型帆船まで、約200隻の帆船が一同にバルト海上を帆走する。ハイライトは、ドイツで最も美しいセーリングエリアであるヴァーネミュンデで行われる伝統的な帆船「スクーナー」のレガッタ。観客が実際に乗って操縦できる体験プログラムも。約4キロの遊歩道では、バルト海地域の伝統工芸品や郷土料理を売る屋台のほか、移動遊園地も出現する。

2022年8月10日(木)~13日(日)
www.hansesail.com

バルト海の住人にインタビューフェーマルン島での生活はどうですか?

ここまでドイツの島の魅力をたっぷり紹介してきたが、実際のところ、島での暮らしはどのようなものだろうか?ライプツィヒからバルト海のフェーマルン島(p9)に移住して約1年のフィル・ベッカーさんに、島暮らしの魅力や都市生活との違いを聞いた。

お話を聞いた方

フィル・ベッカーさん

フィル・ベッカーさん
Phil Becker

島暮らし歴1年。仕事・プライベート共に、大好きなカイトサーフィンを満喫中。

Q1. 移住したきっかけは?

フェーマルン島に住み始めたのは転職がきっかけです。現在働いているのは、カイトサーフィン用品を扱う会社。インターナショナルに展開しているブランドですが、その拠点がフェーマルン島にあり、カイトサーフィン用品に関わるサービスや修理の提供、技術的な問題についてのお客様へのアドバイスなどを行っています。もともとカイトサーフィンが趣味で、さらにこのブランドの大ファンだったこともあり、この会社のウェブサイトで求人を見つけました。この仕事がなければ、フェーマルン島に引っ越すことはなかったと思います。

Q2. 都市と島での生活には、どんな違いがありますか?

まず、ライプツィヒに住んでいた時よりも自由な時間が増えました。自然の中にいつでも身を置くことができるし、森や湖へ行くために電車や車に乗る必要がありません。大好きなカイトサーフィンも、都市に暮らしていた時よりもずっと簡単に、そして頻繁に練習することができるようになりました。またフェーマルンのような小さな島では、皆が顔見知りです。もしご近所さんに赤ちゃんが産まれたら、3日後には島中に知れ渡っていますよ。

Q3. 島での生活で、大変なことはありますか?

唯一苦労しているのは、冬の時間です。多くの人でにぎわう夏に比べて、シーズンオフ中はほとんどの施設が閉まるため訪れる人も少なく、厳しい冬がやってきます。あとは、ほかの都市に住むパートナーや友人と会いたいとき、それなりに移動に時間がかかってしまうことも難点の一つです。

Q4. 都市と島では、どちらが生活費がかかりますか?

街中に住むよりも日常生活で必要になるお金は多いと感じます。例えば、都市に住んでいたときは車を持つ必要がありませんでしたが、田舎では車がないと大変です。フェーマルン島では、ガソリン価格は平均して1リットル当たり10〜15セントくらい高く、車の管理や維持にもお金がかかります。またレストランやスナックバーの価格帯も、街中よりも高いと思います。

Q5. 買い物に困ることはありませんか?

スーパーマーケットや市場、ドラッグストアなどがありますし、日常生活に必要なものは何でも買えます。一方で、洋服などのショッピングの機会はやや限られており、チェーン店や大きなショッピングセンターなど、全てがそろっているわけではありません。そんなときは車で買い物に行くか、特別なものが必要な場合はインターネットで注文することにしています。

Q6. 週末は何をして過ごしていますか?

週末はパートナーや友人と過ごすか、風がある日は水上でカイトサーフィンをします。フェーマルン島には、自分の趣味を思いっきり楽しめるビーチがたくさんあってうれしいです。また月に1〜2回程度は、島を離れて街へと出かけます。久しぶりに街を訪れると、インビス(軽食店)やクナイペ(居酒屋)が充実している都市を懐かしく思いますね。

Q7. 移住して約1年、フェーマルン島の魅力は?

フェーマルン島での生活は、とても牧歌的で静かです。夏になると、島にはたくさんの花が咲き、畑は菜の花の緑や黄色で染まります。暖かくなってくると、夏の期間中には多くの観光客が訪れますし、おいしいフィッシュサンドも忘れてはいけません。なんといっても新鮮な空気と太陽光のおかげで、いつでもポジティブな気持ちになることができます。太陽の光を浴びて、気分が良くならない人はいないのではないでしょうか?

最終更新 Dienstag, 23 Mai 2023 17:03
 

ビールで味わうドイツ旅

連載「旅ールのススメ」からピックアップ!ビールで味わうドイツ旅

2017年から続く本誌の人気連載「旅ールのススメ」では、ビアジャーナリストのコウゴアヤコさんのナビゲートのもと、毎回おいしいビールを求めてドイツ各地での旅が楽しめる。本特集では、そんな過去の連載の中から、おすすめのご当地ビールを現地の見どころと共に一挙ご紹介。さらにコウゴさん自身のライフワークである「旅ール」との出会いについても語ってもらった。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部、監修:コウゴアヤコ)

参考:旅ールのススメ

ビールで味わうドイツ旅

お話を聞いた方

コウゴ アヤコ

Ayako Kogoコウゴ アヤコ

1978年東京生まれ。杏林大学保健学部卒業。ビール好きが高じて2008年から1年半、ミュンヘンで暮らす。旅とビールを組み合わせた「旅ール」(タビール)をライフワークに世界各国の醸造所や酒場を旅する。ビアジャーナリストとして『ビール王国』(ワイン王国)、『ビールの図鑑』(マイナビ)、『Coralway』(日本トランスオーシャン機内誌)など、さまざまなメディアで執筆。
http://www.jbja.jp/archives/author/kogo

「旅ールのススメ」から厳選!ドイツビール12種

ビールで味わうドイツ旅

デュッセルドルフ

鮮度が命!の「古くて新しい」ビール❶ アルトビア Altbier種類:エール

アルトビア Altbier

ライン河畔に位置するデュッセルドルフは、日系企業や和食レストランが多い「リトルトーキョー」としても有名。旧市街地には居酒屋やバーが軒を連ね、「世界一長いバーカウンター」と呼ばれる。ぜひ飲みたいのが、地ビールのアルトビア。アルト(Alt)とは「古い」という意味で、これは当時新しいスタイルだった下面発酵ビールに対し、伝統的な上面発酵で造られていることから。赤みを帯びた褐色で、引き締まったホップの苦味にカラメルモルトの香ばしい甘さが特徴。

鮮度が命のアルトビールは、居酒屋では小ぶりな円筒型グラスで提供される。飲み干してテーブルに置くと「おかわり」の合図になり、コースターでグラスに蓋をするまで延々とビールが来る。旧市街の中でも人気の酒場が「Zum Uerige」。酒場の建物内で醸造された、新鮮なアルトビールが飲める。

おすすめの醸造所&ビール

Uerige Alt

Uerige Alt
Uerige Obergärige
Hausbrauerei(ユーリゲ醸造所)
創業年:1862年
住所:Berger Str. 1, 40213 Düsseldorf
www.uerige.de

ケルン

大聖堂の街に相応しい上品なビール❷ ケルシュ Kölsch種類:エール

ケルシュ Kölsch

ケルシュは、伝統と品質を守る「ケルシュ協約」に調印しているケルン近郊の醸造所で造られたビール。薄い黄金色と純白のきめ細かい泡が特徴で、フルーティーな香りの上面発酵酵母を使用し、すっきりとした口当たりに仕上がる低温長期熟成で造られる。お店では、シュタンゲと呼ばれる200ミリリットルの細いグラスに注がれる。グラスが空になると新しいビールが提供される「椀子ビール」方式は、アルトビールと同じ。

世界最大のゴシック建築であり、街のシンボルでもあるケルン大聖堂の周囲には、ケルシュの醸造所直営店が数多くあるので、ケルシュのはしごビールにぴったり。「Früh Kölsch」もその一つで、ロゴに記された三つの王冠はケルン大聖堂の聖遺物、東方三博士を示す。大聖堂のすぐ横にある直営店は多くの人でにぎわっている。

おすすめの醸造所&ビール

Früh Kölsch

Früh Kölsch
Cölner Hofbräu P. Josef Früh KG(ケルナー・ホフブロイ・P. ヨーゼフ・フリュー)
創業年:1904年
住所:Robert-Bosch-Str. 15, 50769 Köln
www.frueh.de

フライジング

小麦を使った南ドイツ発祥のビール❸ ヴァイツェン/ヴァイスビア Weizen / Weißbier種類:エール

ヴァイツェン/ヴァイスビア Weizen / Weißbier

ミュンヘン空港から北へ車で15分、フライジングにあるヴァイエンシュテファン醸造所は、現存する世界最古の醸造所。聖コルビニアンが725年に建てた修道院が始まりで、1040年にはここで造ったビールを巡礼者にふるまったという記録も。「修道院でビール醸造」とは意外に思えるかもしれないが、当時の欧州は衛生状態が悪く、ビールは水を一度煮沸して造るため、安全な飲み物として重宝されていた。

醸造所が建つ小高い丘は、手入れされた草花がしげる美しい場所。敷地内にはミュンヘン工科大学の醸造学科も置かれ、最先端の教育や研究が行われている。「Hefeweißbier」は、小麦の麦芽を使用し、酵母をろ過せず瓶内に残したビール。白く濁ったオレンジ色で、苦味は弱く、熟したバナナのようなフルーティーな味わいが広がる。

おすすめの醸造所&ビール

Hefeweißbier

Hefeweißbier
Bayerische Staatsbrauerei Weihenstephan(バイエルン州立ヴァイエンシュテファン醸造所)
創業年:1040年
住所:Alte Akademie 2, 85354 Freising
www.weihenstephaner.de

ミュンヘン

ビール醸造の近代化に寄与したお祭りビール❹ オクトーバーフェストビア Oktoberfestbier種類:ラガー

オクトーバーフェストビア Oktoberfestbier

1810年から続く世界最大のビール祭り「オクトーバーフェスト」。広大な敷地内に巨大ビールテントが並び、初日と2日目にはビールたるを積み込んだ馬車と共にパレードが行われる。ここで提供されるメルツェンビールは、醸造シーズン最後の3月(März、メルツ)に仕込まれ、次の醸造シーズンを迎えるオクトーバーフェストで飲み切る習慣があったことから、オクトーバーフェストビアとも呼ばれる。

このメルツェンの品質向上とビール醸造の近代化に貢献した人物が、シュパーテン醸造所のガブリエル・ゼートルマイル2世。芳醇(ほうじゅん)な香りに仕上がるウィーン麦芽で造ったメルツェンは多くの醸造所の手本となったほか、当時開発されたばかりのアンモニア式冷凍機をビール造りに応用した。お祭りではマース(Maß)と呼ばれる1リットルジョッキで提供される。

おすすめの醸造所&ビール

Spaten Oktoberfestbier

Spaten Oktoberfestbier
Spaten-Franziskaner-Bräu GmbH(シュパーテン・フランチスカーナ醸造所)
創業年:1397年
住所:Marsstr. 46-48, 80335 München
https://spatenbraeu.de

ミュンヘン

「液体のパン」と呼ばれた高アルコールビール❺ ドッペルボック Doppelbock種類:ラガー

ドッペルボック Doppelbock

中世のころ、修道士たちはカトリック復活祭までの四旬節に断食の習慣があったが、液体の摂取なら許されていたことから、栄養が取れるように麦芽のエキス濃度を高め、アルコール度数も高いドッペルボックを飲むようになった。これが1780年に聖フランシスコ会(パウラナー)によって一般にも販売されると、たちまち大人気に。ラテン語で救世主を意味する「Salvator」と名付けられたこのビールに倣い、ほかの醸造所でも「~ ator」と名の付いたドッペルボックが造られた。

毎年3月中旬〜4月上旬には、パウラナー醸造所併設の巨大なホールで「Starkbierfest」を開催。民族音楽が鳴り響くホールで、アルコール度数が高いドッペルボックが提供される。カラメルのような香ばしさと複雑な甘みを味わい、酔いが回って愉快な気分に。

おすすめの醸造所&ビール

Salvator

Salvator
Paulaner Brauerei Gruppe GmbH & Co. KGaA(パウラナー醸造所)
創業年:1634年
住所:Ohlmüllerstr. 42, 81541 München
www.paulaner.comwww.hofbraeumuenchen.de

レーゲンスブルク

黄金色に輝く優しいビール❻ ヘレス Helles種類:ラガー

ヘレス Helles

レーゲンスブルクはローマ時代から続くドナウ河畔の古都で、美しい旧市街地は世界文化遺産にも登録されている。ドナウ川に架かる12世紀に建てられたドイツ最古の石橋を渡り切ったところにあるのが、聖カタリーナ施療院財団が運営するシュピタール醸造所。この施療院は司教とレーゲンスブルク市民によって、病人や老人など助けを必要とする人々のために創立され、ビール醸造は1226年から行われている。現在でも醸造所の奥に礼拝堂と老人ホームがあり、併設のビアガーデンでくつろぐことができる。醸造所がわが庭にある老後生活とはうらやましい限り……。

ここで造られている「Spital Helles」は、麦の香ばしさと甘さが心地よいビール。ホップの苦みは低く、すーっと体に染み込むような優しさがある。太陽の下、ゴクゴクと飲み干したくなる。

おすすめの醸造所&ビール

Spital Helles

Spital Helles
Spitalbrauerei Regensburg(シュピタール醸造所)
創業年:1226年
住所:Am Brückenfuß 1-3, 93059 Regensburg
www.spitalbrauerei.de

ヴェルテンブルク

「暗い」けれど重くないシャープなビール❼ デュンケル Dunkel種類:ラガー

デュンケル Dunkel

ヴェルテンブルク修道院付属醸造所は、南ドイツの自然に囲まれた秘境の地にある。春から秋にかけては、ケールハイムの街からドナウ川を上るクルーズ船が就航しており、40分ほどでこの修道院に到着できる。修道院の創立は600年頃。バロック様式の教会は18世紀の名匠アッサム兄弟によるもので、兄弟の名を冠したビールも。中庭のビアガーデンでは、南ドイツの伝統料理と新鮮なビールを楽しめる。

多くの人が注文する「Barock Dunkel」は、修道院に古くから伝わるレシピに基づいて造られる。デュンケルは「暗い」、「濃い」の意味。濃色から「重いビール」と思いきや、下面発酵、低温熟成で造られるためシャープで軽やか。ロースト麦芽由来のチョコレートのような香ばしい風味とホップの爽やかな苦味が調和し、すっきりと口当たりが良い。

おすすめの醸造所&ビール

Barock Dunkel

Barock Dunkel
Klosterbrauerei Weltenburg GmbH(クロスター・ヴェルテンブルク醸造所)
創業年:1050年
住所:Asamstr. 32, 93309 Kelheim
www.weltenburger.de

バンベルク

世界遺産の街が生んだ薫製ビール❽ ラオホ Rauch種類:ラガー

ラオホ Rauch

ラオホ(Rauch)がドイツ語で煙を意味する通り、薫製ビール(Rauchbier)は強烈な薫製香が漂う。このビールが造られているバンベルクの街は、中世の街並みが残る旧市街地の景観が美しく、世界文化遺産にも登録されている。バンベルクのあるフランケン地方は、良質なホップと大麦が収穫されるビールの銘醸地。

この街で1678年からビール造りをしているヘラー醸造所では、麦芽を焙煎する際、ブナを燃える炎の上に直接さらして乾燥させている。ブナの木はフランケン地方で伐採し、3年間寝かせたものを使用。これによりビールに独特の薫製香が付く。焦げたトーストや深いりのナッツのような香ばしさと苦味が口いっぱいに広がる。好き嫌いが分かれるが、飲み進めるうちにはまってしまう人も多い。スモークしたチーズやベーコンなどとも相性抜群。

おすすめの醸造所&ビール

Schlenkerla Rauchbier - Märzen

Schlenkerla Rauchbier - Märzen
Heller Bräu(ヘラー醸造所)
創業年:1678年
住所:Dominikanerstr. 6, 96049 Bamberg
www.schlenkerla.de

アインベック

マルティン・ルターのお気に入りビール❾ ボック Bock種類:ラガー

ボック Bock

ニーダーザクセン州南部の都市アインベックはハンザ同盟都市として栄えた街。古くから市民による自家醸造が盛んに行われ、アインベックのビールは高品質で知られていた。南はミュンヘンやインスブルック、北はロシアやスウェーデンにも輸出されていたという。寒い時期に好んで飲まれる高アルコールビール「ボック」は、「アインベック」がミュンヘンで訛ったものともいわれる。アインベックは、宗教改革をけん引したマルティン・ルターの大のお気に入りだったことでも有名。議会に呼び出されたルターは、異端者として処罰されかねない事態にあったが、アインベックを飲んで自分を奮い立たせたという。

「AinpöckischBier」は伝統的なレシピで造られたボックビール。ホップのグラッシーな苦さとアルコールの温かさが舌の上にどっしりと残る。

おすすめの醸造所&ビール

Ainpöckisch Bier

Ainpöckisch Bier
Einbecker Brauhaus AG(アインベッカー醸造所)
創業年:1378年
住所:Papenstr. 4-7, 37574 Einbeck
www.einbecker.de

ライプツィヒ

ゲーテの晩年を支えた黒ビール❿ シュヴァルツ Schwarz種類:ラガー

シュヴァルツ Schwarz

ライプツィヒは学問と芸術の街。街の中心にあるライプツィヒ大学では詩人ゲーテや哲学者ニーチェなどが学び、音楽ではバッハやシューマンらにゆかりが深い。ゲーテは晩年、ビールを好み、友人が書簡に「ゲーテはビールとゼンメル(丸いパン)で生きている。召使いにケストリッツァーの黒ビールか、茶褐色のビールを注文するだけなのだ」と書き残しているほど。このケストリッツァーは、ライプツィヒの南東5キロに位置するバート・ケストリッツ村にある醸造所で造られる。

艶やかな黒ビールで漆器を連想させ、ロースト麦芽由来のビターチョコレートのようなほろ苦さと上品な甘みがあり、口当たりはシャープ。ゲーテが学生時代に通い、代表作『ファウスト』のインスピレーションを得たライプツィヒの酒場、Auerbachs Kellerで歴史と共に味わって。

おすすめの醸造所&ビール

Köstritzer Schwarzbier

Köstritzer Schwarzbier
Köstlitzer Schwarzbierbrauerei GmbH(ケストリッツァー醸造所)
創業年:1543年
住所:Heinrich-Schütz-Str. 16, 07586 Bad Köstritz, Thuringen
www.koestritzer.de

ベルリン

「時間」が味に深みを与えるビール⓫ ベルリナーヴァイセ Berlinerweiße種類:エール

ベルリナーヴァイセ Berlinerweiße

ベルリナーヴァイセは、ビール酵母だけでなく乳酸菌や野生酵母によって発酵させるビールで、ベルリンで醸造されたものだけが名乗ることができる。複雑な香りとレモンのような酸味が特徴で19世紀には人気を博したが、人々の趣向の変化により、第二次世界大戦後に残ったのは2社のみに。そんな失われたベルリン独自のビール文化を取り戻すべく、2016年にベルリナーヴァイセ専門の醸造所として誕生したのがシュネーオイレ醸造所。

雪のように白いシロフクロウ(Schneeeule)のイラストと、「e」が三つ連なる醸造名が目印だ。創業者のウルリケ・ゲンツ氏は、「本物の味」を忠実に再現するため、60年ものにもなるボトルから酵母を取り出して培養した。この古い特別な酵母株によって、ビールをグラスに注ぐその瞬間まで瓶の中で発酵と熟成が続く。

おすすめの醸造所&ビール

Schneeeule Kennedy

Schneeeule Kennedy
Schneeeule Brauerei GmbH(シュネーオイレ醸造所)
創業年:2016年
住所:Edinburger Str. 59, 13349 Berlin
https://schneeeule.myshopify.com

ブレーメン

ドイツを代表する圧倒的な人気ビール⓬ ピルスナー Pilsner種類:ラガー

ピルスナー Pilsner

ハンザ同盟都市としてハンブルクに次ぐ港街として栄えたブレーメンには、その繁栄を物語る美しい建物が数多く残る。グリム童話ゆかりの地を結ぶメルヘン街道の終着地でもあり、市庁舎脇には「ブレーメンの音楽隊」の像が立つ。街のもう一つの名物、ベックスの前身となる醸造所Kaiserbrauerei Beck&May o.H.G.は、1873年に創業。すぐにブレーメンを代表する醸造所へと成長したが、経営者も社名も次々と変わり、2016年に業界2位の英国SABミラーを買収してビール飲料の世界シェア3割を占めるまでに。

世界90カ国以上で飲まれるドイツを代表する銘柄へと飛躍した。BECK'S Pilsは、ドイツでも圧倒的な人気を誇るピルスナー。ホップの爽快な苦みと炭酸がしっかりと感じられ、カラカラに乾いた喉にゴクゴクと流し込みたくなる。

おすすめの醸造所&ビール

BECK'S Pils

BECK'S Pils
Brauerei Beck & Co(ベックス醸造所)
創業年:1873年
住所:Beck’s und Haake- Beck Besucherzentrum Am Deich 18/19, 28199 Bremen
https://becks.de

「旅ール」を楽しむための豆知識

ビールの種類は大きく分けて3つ

❶下面発酵ビール(ラガー)

5度程度の低温で発酵させるビール。最終段階で酵母がタンクの底に沈むことから、この名称になった。すっきりと爽やかでシャープな飲み心地が特徴。

❷上面発酵ビール(エール)

15〜25度の高温で発酵させるビール。発酵中に酵母が浮上し、上面に酵母の層ができることからこう呼ばれる。フルーティーで華やかな香り。

❸自然発酵ビール

培養した酵母を使用せず、空気中に存在する野生酵母の力を利用して発酵させるビール。主にベルギーで製造されている。

「ビール純粋令」って?

ビール純粋令(Reinheitsgebot)は、1516年4月23日にバイエルン公国ヴィルヘルム4世が制定した法律。南ドイツのインゴルシュタットで公布され、ビールの品質を保証するために原料を「麦芽、ホップ、水」(1551年には原料に「酵母」が追加)に限定した。

もともとビール純粋令の狙いは、パンを焼くための小麦が不足しがちであったためビールに使わせないこと、小麦ビールの醸造権を独占することにあった。また当時、北ドイツのアインベック(p10)が評判で、一方のバイエルンでは不純物が入ったビールが横行。純粋令によってそれらを一掃し、バイエルンのビールの品質が格段に向上したのだ。1919年、バイエルン公国はワイマール共和国に組み込まれる条件の一つに、ドイツ全体でビール純粋令を採択することを挙げた。これにより、純粋令はドイツ全土で順守されるようになった。

現在もビール純粋令は、ドイツ国内の醸造者や消費者から支持されている。四つの原料しか使用しないが、組み合わせや醸造の方法を変えることで、多種多様なビールが生み出される。近年では、品種改良によってメロンやかんきつ類などフルーティーな香りのホップも誕生。ビール純粋令の伝統にのっとりつつ、醸造家たちの豊かなアイデアと絶え間ぬ努力によって、質の高いドイツビールのブランドが維持されているのだ。

ビール純粋例を制定したバイエルン公国ヴィルヘルム4世。ビール純粋令は、ドイツがビール大国となる大きな契機となったビール純粋例を制定したバイエルン公国ヴィルヘルム4世。ビール純粋令は、ドイツがビール大国となる大きな契機となった

参考:本誌1024号「ビール小話:500周年のビール純粋令」

ビールと料理のペアリング

皆さんが好きなビールのおつまみは?「 ドイツビールにはソーセージ」のイメージが強いかもしれないが、世界中には140種類以上のビアスタイルがあり、味わいもさまざま。どんな食べ物にどんなビールが合うか、ペアリングに挑戦してみよう。

❶ ビールの誕生した国・地域と、料理を合わせる

ビールにはそれぞれ発祥の地があり、その土地の水や風土がビールのキャラクターを作っている。それは料理も同じ。ドイツのピルスナーやヴァイツェンには、ドイツ生まれのソーセージやザワークラウト、プレッツェルがよく合う。旅先のレストランで、ぜひその土地の伝統料理と地ビールを一緒にいただこう。

❷ ビールの色と料理の色を合わせる

ビールの色は、麦芽をローストした時の色によって決まる。色の濃いビールはそれだけロースト香が強いので、焦げ目のついた食べ物や、色の濃い食べ物と合わせてみよう。デュンケルにはシュヴァイネブラーテン(ドイツ風ローストポーク)、アルトにはタレの焼き鳥など、濃い色のビール特有の麦芽の甘味が甘辛いソースと相性ぴったり。ピルスナーならジャガイモ、ヴァイツェンには白ソーセージやシュパーゲルとご一緒に。

❸ 味の相関関係で合わせる

上級編としては、「味の相関関係」を考えてのペアリング。例えば、苦いものに甘いもの(エスプレッソに砂糖)、甘いものに塩気(スイカに塩)といった具合に、味同士の関係性をビールと料理に当てはめてみる。以下の表を参考に、ぜひお気に入りの組み合わせを見つけてみて。

ペアリングの例

  • 酸味×塩味(塩レモンの法則):ゴーゼ×塩焼き鳥
  • 甘味×苦味(コーヒーに砂糖の法則):ドッペルボック× チョコレートケーキ
  • 甘味×酸味(蜂蜜レモンの法則):シュヴァルツ×トマト煮込み
  • 苦味×旨味(味の増幅):ピルスナー×おでん、デュンケル× ハードチーズ
  • 甘味×辛味(和らげ効果):デュンケル×麻婆豆腐
  • スパイシー× スパイシー(香辛料を補う):ヴァイツェン×鶏のハーブ焼き

参考:本誌1018号「ビール小話:ビールと料理のペアリング」

コウゴさんに聞く「旅ール」の楽しみ方ビールに旅をさせない自分から会いに行くのが旅ール

これまでドイツ各地の醸造所を切り口に、ビールのおいしさをはじめ、その土地の歴史や文化など、さまざまな魅力を紹介してくださったコウゴさん。旅とビールを組み合わせた「旅ール」はどのように生まれたのか?そのルーツと共に、旅ールの楽しみ方についてご寄稿いただいた。(文、写真:コウゴアヤコ)

南ドイツでは冬が終わると同時に、公園や広場に椅子とテーブルが並べられビアガーデンがオープンする南ドイツでは冬が終わると同時に、公園や広場に椅子とテーブルが並べられビアガーデンがオープンする

「旅ール」はこうして生まれた

ドイツ人に「どのビールが一番おいしいか」を聞くと、必ず返ってくる言葉があります。「そりゃ、自分の街のビールが一番さ!」。ドイツには街ごとに醸造所があり、みんな自分の街のビールを誇りに思っている。それって、すてきなことだと思いませんか?

何といってもビールは出来立てが一番ですから、ビールに旅をさせず、自分から会いに出かけましょう。醸造所直営の酒場で「グビグビ、プハーっ」とおいしそうに飲み干せば、地元の人が満面の笑みで声をかけてきてくれます。

私が旅とビールを結び付けるようになったのは、バックパッカーとして訪れたベルギーの首都ブリュッセルでのことでした。世界遺産にも認定されているきらびやかな広場グランプラスで、ブリュッセル固有の野生酵母を使った甘酸っぱいビールを口に含んだ瞬間、五感がビビビッと刺激され、自分も歴史に溶け込んだような気分になったのです。

グランプラスを囲むネオゴシック様式の豪華な建築物は、ビール博物館や観光案内所、カフェとして使われているグランプラスを囲むネオゴシック様式の豪華な建築物は、ビール博物館や観光案内所、カフェとして使われている

ビールを通して歴史や文化に触れる

欧州は醸造所の歴史が古く、どこもストーリー性がありますよね。例えば、現存するドイツ最古の醸造所はミュンヘン郊外にあるヴァイエンシュテファン醸造所といわれていて、1040年にはすでにその存在が確認されています。日本だと平安時代です!

天災や戦争などで幾度も閉鎖の危機にさらされながらも、努力の末に現在に受け継がれてきた一杯のビール。昔の人からのバトンをもらっているかのようです。何百年も前の旅人も、私たちと同じようにビールを楽しんだのでしょう。

また、デュッセルドルフにある酒場「Zum Schiffchen」には、ナポレオンが座ったという席があります。当時の店主はどんな気持ちでナポレオンを迎えたのかしら。旅ールは距離(横軸)だけでなく、時間(縦軸)も探求できるという究極のツールなのです。そうやってビールを探求することで、私は街の文化や人々に敬意を払うようになりました。

「Zum Schiffchen」にて、1811年にナポレオンが座った場所「Zum Schiffchen」にて、1811年にナポレオンが座った場所

自分の世界を広げてくれる「旅ール」

さらに、仕事関係ではない友だちができるのも旅ールの「効能」の一つです。各地で開催されるビールイベントやビール醸造所を巡るようになると、そのたびに顔見知りが増えたり、醸造家の人たちと仲良くなったりと、どんどん縁がつながっていきます。

州立ホフブロイ醸造所直営レストランにて。民族音楽が演奏されてお祭り気分!州立ホフブロイ醸造所直営レストランにて。民族音楽が演奏されてお祭り気分!

お気に入りの醸造所を見つけてしまえばもう「沼」です(笑)。季節ごとの限定ビールの発売やビールイベントの開催を、指折り数えて待つようになります。

ビールに会いにいく「旅ール」は、あなたの世界をさらに広げてくれるかもしれません。次の休日はドイツニュースダイジェストを持って、ぜひビールに会いに旅に出ませんか?

コウゴさんが選ぶドイツでの思い出「旅ール」

レーゲンスブルク古き良き田舎町の小規模醸造所

ドイツのビール文化の根幹を支えているのは、田舎に古くからある家族経営の小規模醸造所だと私は考えます。それを実感したのは、レーゲンスブルク郊外のラーバー村にあるミヒャエル・プランク醸造所(Privatbrauerei Michael Plank)でのこと。1617年の創業以来、代々長男がミヒャエル・プランクの名前と共に醸造所を世襲し、現当主で16代目です!直営のガストホフとビアガーデンには村の人たちが自然に集まっておしゃべりをしていて、まるで公共のリビングルームのよう。

親日の人が多く、すぐに笑顔を向けてくれました。ローカルな醸造所ながら、世界的なビアコンペで何度も受賞しており、ドイツビールの基盤の強さを感じました。

ガストホフの壁一面に飾られたビアコンペの賞状は今も増え続けている。田舎では、穏やかな時間と人の温かさが最高のおもてなしガストホフの壁一面に飾られたビアコンペの賞状は今も増え続けている。田舎では、穏やかな時間と人の温かさが最高のおもてなし

ベルリンクラフトビールの飲み歩き

世界的に流行しているクラフトビール。ドイツでもベルリンやハンブルク、ミュンヘンを中心に次々と醸造所がオープンしています。なかでもベルリンにあるレムケ醸造所(Brauhaus Lemke)はそのリーダー的存在。

ハッケシェ・ヘーフェに近いSバーン高架下にある醸造所併設のレストランでいただく樽熟成ビールの豊潤なこと!食事とのペアリングを楽しむなら、クロイツベルク地区でガストロノミーを併設するベルロ醸造所(BRLOBrwhouse)へ。ベルリンには伝統的なベルリナーヴァイセを復刻させたシュネーオイレ醸造所(Schneeeule Brauerei)や、同社が手掛けるクラフトブランド「アナログビア」(Analog.Bier)など、飲みたいものがありすぎて困っちゃう。はしご酒がテッパンです!

クラフトビールとは米国の西海岸に端を発する。ドイツでは2010年以降の潮流クラフトビールとは米国の西海岸に端を発する。ドイツでは2010年以降の潮流

最終更新 Donnerstag, 29 September 2022 08:35
 

アンティークマーケットに出かけよう!

ドイツで「古き良きもの」との一期一会を求めてアンティークマーケットに出かけよう!

ドイツ各地で開催されているアンティークマーケットでは、何十年何百年もの時間を生きてきた食器や洋服、花瓶や小物などの古道具と出会うことができる。特集では、のみの市の歴史をはじめ、ドイツ各地のおすすめマーケット、さらに普段使いしやすいドイツのアンティークなど、その魅力をたっぷりご紹介。ドイツの味わい深い古道具を探しに、アンティークマーケットへと出かけてみては? (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

アンティークマーケットの起源は?

アンティークマーケットの始まりは、中世末期のフランスとする説が有名だ。当時、中流から上流階級の人々は豪華な服や家具、食器などを使って暮らしていたが、流行が過ぎたり飽きたりするとそれらを捨てていた。商人たちは、この富裕層が捨てたものを回収して庶民向けに販売するように。しかし当時は衛生状態が悪く、捨てられた洋服などからノミ(Floh)が見つかることも少なくなかったことから、「のみの市」(Flohmarkt)という名前が付いたという説がある。その後1890年ごろにパリで、いわゆる今のような形でのみの市が開催されるようになった。

ドイツで最初に開かれたのみの市は、1967年にハノーファーの旧市街地で行われたAltstadtflohmarkt am Hohen Uferで、現在もライネ川のほとりで毎週土曜日に開催されている。さらにその数年後には、ドイツのほとんどの大都市でのみの市が開かれるようになった。ドイツは各地域によって風土や文化が異なるため、マーケットで見られる商品のラインアップが微妙に異なるのが特徴。特にベルリンやライプツィヒ、ドレスデンなどでは旧東ドイツ(DDR)時代の製品が多く見られ、アンティーク好きの間でも人気が高い。

ドイツ語の「Flohmarkt」(のみの市)もしくは「Trödelmarkt」(がらくた市)は、アンティークから手作り雑貨、ジャンク品まで、いわゆる何でもありのマーケットのことを指すことが多いが、それ以外にもコレクターや専門家のための特別なマーケットが開催されている。例えば「Antikmarkt」(アンティークマーケット)や「Briefmarken- / Münzbörsen」(切手/コインのマーケット)、「Computer- / Musikbaser」(コンピューター/音楽のマーケット)、さらに子ども向けの特別なのみの市なども。以下ではその中でも、特にドイツのアンティークが手に入りやすいマーケットを紹介しよう。

参考:flohmarkt-termine.net「Geschichte Flohmarkt」、ARD Planet wissen「Geschichte der Flohmärkte」

一度は行ってみたい!ドイツのおすすめアンティークマーケット

ベルリンマウアーパークののみの市
Flohmarkt im Mauerpark

ベルリンでは週末になると、あちこちで個性豊かなマーケットが開かれる。最も規模が大きいのはマウアーパークで開かれるのみの市。古着や食器、家具をはじめ、手作り雑貨やがらくたなどが山のように並ぶ。国際色豊かな屋台やストリートミュージシャンも多く、ベルリンらしい雰囲気が楽しめる。ここからほど近いアルコナプラッツのマーケットや、オスト駅前で開かれるアンティークマーケット、6月17日通りマーケットなど、数件はしごするのも◎。
www.flohmarktimmauerpark.de

ライプツィヒアグラ・アンティークマルクト
Agra Antikmarkt

ライプツィヒ南東部で毎月最後の週末に開催される「アグラ・アンティークマルクト」は、アンティークに特化したマーケットとしては欧州最大規模を誇る。約90ヘクタールの広大な敷地内には二つの大きなホールがあり、毎回1000以上の出店者が参加している。商品は中古品のみに限られており、新しい製品を売ることは禁止。王朝時代、アールデコ様式、旧東ドイツ製品など、さまざまな時代の家具や製品が所狭しと並んでいる。
www.abuha.de

ニュルンベルクトレンペルマルクト
Trempelmarkt

ニュルンベルクといえば、ドイツ三大クリスマスマーケットの一つが行われる場所だが、この美しい旧市街地では毎年5月と9月に2日間ずつ(金曜・土曜)、盛大なアンティークマーケットが開かれている。約4000のディーラーが集まり、中央広場だけでなく街の至る所にスタンドが立つ。金曜日は24時まで開催されるため、美しくライトアップされたニュルンベルクの街を背景に、ほかでは味わえない特別な買い物を楽しめる。今年は5月13~14日、9月9~10日に開催予定!
www.nuernberg.de/internet/marktamt/trempel.html

アンティークマーケットで見つかる!日常で使えるドイツの古道具

アンティークマーケットに所狭しと並ぶ数々の商品……感性の赴くままに回るのも楽しいけれど、何を買っていいか迷う人も多いかもしれない。ここでは東京でドイツ古道具「doremifa」を営む伊藤夏実さんにナビゲートいただき、比較的手に取りやすく生活になじみやすいドイツの古道具をご紹介。自分で買ったお気に入りのアンティークを、ぜひ暮らしに取り入れてみよう。
写真提供:doremifa

お話を聞いた人

伊藤 夏実さん

伊藤 夏実さん Natsumi Ito

ベルリン留学中にドイツのアンティークと出会い、現在は東京都台東区鳥越にてドイツ古道具店「doremifa」を営んでいる。これまでに買い付けのため、ドイツをはじめ欧州各地のさまざまなマーケットを訪れる。特に好きなアンティークは「銀化したガラスびん」。

素朴な表情が愛らしいヴィンテージのぬいぐるみ

ヴィンテージのぬいぐるみ

ぬいぐるみといえば今やふわふわが主流ですが、古いものだと「木毛(もくもう)」という木から出る長いかんなくずが詰め物になっていて、触り心地も硬めで独特の風合いがあります。特にDDR時代に作られたテディベアは、頭でっかちで手足がずどんとしていて、シンプルな表情がたまりません。またシュタイフ社のヴィンテージのぬいぐるみは全体的に値段も高めですが、たまにお手頃価格の掘り出しものが見つかることもあるので、ぜひ探してみてください。

芸術性の高いイラストに注目博物画

博物画

「博物画」は動植物や鉱物などを詳細に記録したイラストで、もともと16世紀の欧州で博物学とともに発展し、学校などでも使われていました。動物や昆虫の図解など、なかにはデザイン的にぎょっとするものもありますが、どれも独特の面白さがあります。芸術性が高く美しいイラストなので、額に入れて部屋に飾るのもいいですね。

食卓を美しく彩るヴィンテージのカトラリー

ヴィンテージのカトラリー

シルバーのカトラリーは食卓での存在感抜群。特に人気なのが、持ち手部分にバラの花があしらわれた「ヒルデスハイムローズ」のシリーズです。ドイツ北部のヒルデスハイムの大聖堂に咲くバラをモチーフに、1920年代ごろから造られているのですが、年代によって製造方法やシルバーの純度、バラのデザインが微妙に異なります。日本の方からは、装飾が華やかなトングも人気が高いです。

レトロで凝ったデザインが美しい陶器・ガラスの食器

陶器・ガラスの食器

旧東ドイツで造られていた食器は、裏側に「DDR」もしくは「GDR」と書かれているのが目印です。DDR陶器の代表格の一つである「Colditz」は、デザインが素朴で優しい感じのものが多く、日本人の生活にもなじみやすいと思います。ガラスのお皿では、こちらもDDRで造られていた「Olbernhau」(写真)のものが一押し。薄いガラスに凝ったレトロな模様が描かれていて、個人的にはマーケットで見つけるとテンションが上がる品の一つですね。

レトロキッチュなザ・DDR製品DDRの洋服ハンガー

DDRの洋服ハンガー

DDR時代に一般家庭でよく使われていたハンガーで、肩の部分がレトロキッチュな柄で覆われている「ザ・DDR」な商品です。布や毛糸で包まれたもの以外にも、ビニールでコーティングされたものもあり、洋服を掛けるとぐっと雰囲気が出ます。木製のハンガーも素朴でいいですよ。

夜のひとときに温かい光をキャンドルスタンド

キャンドルスタンド

ドイツでは、夕食の時に毎晩キャンドルに火をともすという人や、カフェや居酒屋で夜になるとキャンドルに火を付けてくれるお店などが多く、ろうそく文化が生活に根付いていると感じます。それもあってか、マーケットで見かける燭台のデザインはバリエーション豊か。アドベント用のものや、ろうそくを上げ下げできるものなど、選びがいがあります。小さいものもすてきですが、受け皿が広いキャンドルスタンドだと、ろうがテーブルに垂れなくて実用的です。

当時の生活文化が垣間見える昔の写真&カード

昔の写真&カード

紙ものといえば昔の雑誌や絵本などが定番ですが、アンティークマーケットでは古い写真アルバムやフィルムなどもよく見かけます。当時の生活の様子なども分かるので、ドイツの歴史に興味がある人におすすめです。また昔の結婚式の招待状や、堅信式(小児洗礼を受けた人が、12~13歳ごろに自身で信仰を表明する儀式)のカードなどは、エンボスや箔はく押し加工のぜいたくな作りになっていて、紙製品が好きな人には面白いと思います。

お気に入りを発掘しようヴィンテージのアクセサリー&ボタン

ヴィンテージのアクセサリー&ボタン

ヴィンテージのアクセサリーは、ぐちゃっと山のように積まれた中から、よくよく探すとかわいらしいものを発掘できることが多々あります。個人的には植物や動物がモチーフになっているものが好きです。古いブローチの場合、もともと溶接されていた金具が外れてしまっていると直すのが難しいので買う時にチェックしましょう。また、ガラスボタンは1個売りだけでなく、1枚のシートにたくさん付いて売られているものも。洋服のボタンを付け替えたり、ボタンを使ってアクセサリーを作ったりと、生活に取り入れやすいのがいいですね。

古びた輝きがくせになる銀化したガラスびん

銀化したガラスびん

古いガラスびんを見つけたら、太陽にかざしてみてください。ガラスの表面に雲うんも母状の薄い膜が何層にも形成されていて、プリズムのように光を乱反射してきらめきます! これは ガラスが砂や土に埋まっている間に、土中の鉄、銅、マグネシウムなどと化学変化を起こしたもので、「銀化(ぎんか)」と呼ばれます。銀化したガラスびんの魅力は、やっぱり時間の経過が一目瞭然なところ。花瓶やルームフレグランスとして使うのも良いですが、銀化している部分は水に濡れると見えなくなるので、内側が銀化しているびんにドライフラワーを生けるのもおすすめです。

銀化した表面銀化した表面

いざアンティークマーケットへ押さえておくべき3つの心得

1. 現金は必須

多くのスタンドではカードでの支払いを受け付けていないため、マーケットへ出かける際は現金を用意しましょう。また高額紙幣だと店舗によってはお釣りが無いと言われることもあるので、5~20ユーロ札を用意しておくと無難です。ほとんどのマーケットでトイレが有料なので小銭もあるとベター。盗難やスリなどにも注意しましょう。

2. 梱こんぽう包材を持参する

基本的に、マーケットで購入したものは梱包などせずにそのまま手渡されます。そのため特に陶器やガラス製品などを買いたい人は、新聞紙などの梱包材を用意していくと良いでしょう。アンティークは年季が入っている分、もろくなってしまっていることもあるので、壊さずに持ち帰れるように工夫を。

3. 値段交渉も楽しむ!

マーケットでは値段の交渉も醍醐味(だいごみ)の一つ。全ての商品に決まった値段が付いているわけではないので、まずは「自分がこれをいくらで買いたいか」を考えてみましょう。その上で値段を尋ねてみて、あまりに値段がかけ離れていたら諦められるし、少し予想より高いようであれば交渉の余地あり。あまりしつこく交渉すると嫌な顔をされることもありますが、多くのディーラーさんは、値下げ交渉される前提で値段を伝えてくるので、勇気を出して提案してみましょう。まとめ買いする場合は、値下げ交渉のチャンス!

アンティークマーケットで使えるドイツ語

  • ● Was kostet das?
  • これはいくらですか?
  • ● Das ist viel zu teuer!
  • 値段が高すぎます!
  • ● Können Sie mit dem Preis ein wenig runtergehen?
  • 少し安くしてもらえませんか?
  • ● Wie wäre es mit +(金額)?
  • (金額)でどうですか?
  • ● Ich nehme es.
  • これを買います。

ドイツ古道具店「doremifa」の店主が語るドイツのアンティークに魅せられて

ここまでアンティークマーケットを案内してくれた伊藤さんは、自他共に認めるアンティークファン。東京で経営するドイツ古道具店「doremifa」では、欧州で買い付けた商品のほか、ドイツのアンティークから着想を得たオリジナル商品も販売している。最後に、そんな伊藤さんからドイツアンティークの魅力を聞いた。
写真提供:doremifa

店内にある伊藤さんの宝物コーナー(非売品)

アンティークに興味を持ったきっかけは?

伊藤さんがアンティークと出会ったのは、ベルリンに留学していたころのこと。「ベルリンに住み始めたころ、ドイツでは日曜日にスーパーや小売店など、ほとんどのお店が閉まっていることに驚きました。『みんな、一体何をして過ごしているのだろう?』と思いながら日曜日に散歩をしていたら、たまたまマウアーパークに行きついて。そこで開催されているのみの市がとてもにぎわっていて、面白いなと思ったのが始まりです」。

また、当時伊藤さんが住んでいた家のオーナーも、のみの市で購入したDDR製のポットを大切に使っていたという。「『これはのみの市で買ったのよ。すてきでしょ』と言いながら、普段使いしているのがとても印象的で。生活の中でのこうした古道具の在り方がとてもいいなと思いました」。

doremifa店主の宝物コーナー

そこから週末になると、さまざまなマーケットを回るようになり、アンティークの魅力にどんどんはまっていったという伊藤さん。日本への帰国を決めたころには、本格的に商売としてドイツ古道具店をやろうと思い至り、ベルリン以外にもライプツィヒやドレスデン、さらにブリュッセルなど、欧州のさまざまなマーケットで買い付けを行った。

そして伊藤さんは現在、東京でドイツ古道具店「doremifa」を営んでいる。コロナ禍以前は買い付けのために年に数回ドイツを訪れていたといい、店内に所狭しと並べられたアンティークの数々はまさにドイツのマーケットをほうふつとさせる。「お店には私の宝物たちを並べた『非売品ゾーン』があります(笑)。古い図版やお皿、貝殻などを並べたりしていますが、特に好きなのは、猛烈に銀化したガラスびん。黒っぽいけれど全面が虹色に銀化していて、ベルリンのマーケットで見つけた時はときめきました」。

店内にある伊藤さんの宝物コーナー(非売品)店内にある伊藤さんの宝物コーナー(非売品)

アンティークへの愛が詰まったオリジナル商品も

さらに伊藤さんは、学生時代に彫刻を学んだ経歴の持ち主。アンティークへの愛情とものづくりの技術を掛け合わせて、これまでにさまざまなオリジナル商品を生み出している。

その一つが、ドールヘッド付きのガラスびんだ。頭部の人形は、20世紀初期のドイツで造られていた「チャイナヘッドドール」と呼ばれる頭と手足が陶器、胴体が布でできたもの。しかし壊れやすく、マーケットで見つけるドールは割れていたり、頭部だけになったものがほとんど。「それをびんのディーラーさんが、インクびんのふたに取り付けてリメイクしていました。独特の組み合わせに一目ぼれしたのですが数自体が少ないので、割れたドールを買って自分でも作るようになりました」。

チャイナヘッドドールは、細長い眉にきゅっと結ばれた口元、ほんのり頬を染めた優しげな表情が魅力チャイナヘッドドールは、細長い眉にきゅっと結ばれた口元、 ほんのり頬を染めた優しげな表情が魅力

もう一つは、ウサギとリスのミツロウキャンドル。「クリスマスにベルリンのデザイナーズマーケットに行った時、ウサギのチョコレート型を使って作ったキャンドルを売っている人がいて。そこから着想を得たのですが、家にあったチョコレート型だと安定しなかったので自分で型を作りました。それに溶かしたミツロウを流し込んで一つひとつ作っています」。

ウサギのキャンドルは、ドイツの画家アルブレヒト・デューラーの「野うさぎ」(1502年)を参考に、伊藤さんが原型を彫ったウサギのキャンドルは、ドイツの画家アルブレヒト・デューラーの「野うさぎ」(1502年)を参考に、伊藤さんが原型を彫った

ドイツのアンティークの魅力と共に、古いものを大切にする文化や、日々の生活を楽しくさせるヒントを教えてくれた伊藤さん。アンティークマーケットでの古き良きものたちとの一期一会の出会いを、これからも多くの人に届けてくれるだろう。

ドイツ古道具 doremifa

ドイツ古道具 doremifa

東京都台東区鳥越1-17-3
水:14:00-18:00、金~日:12:00-18:00
Instagram:@doremifatorigoe

最終更新 Dienstag, 10 Mai 2022 14:13
 

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