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Fr. 19. Okt. 2018

時速250kmで夢を追い駆ける。遠藤卓実 オートバイ・ロードレースライダー

ドイツの伝統あるロードレース、ヤマハR6・ダンロップ・カップ(以下、ヤマハカップ)に、日本人として初のフル参戦を果たし、今現在も戦い(レース)の最中にいる遠藤卓実さん。ロードレースに掛ける思いと、ドイツでの挑戦について語っていただいた。(編集部:高橋 萌)


TAKUMI ENDO
Takumi Endo1984年6月7日、新潟県新潟市に生まれる。2004年にロードレースデビュー。その年、SUGOロードレース選手権ST600クラスでシリーズランキング2位(優勝1回、2位3回)。翌年、国際ライダーに自動昇格。2006~08年、全日本ロードレース選手権GP250クラスにフル出場。2008年ロードレース世界選手権(Moto GP)の日本GP/250ccにワイルドカード参戦。2009年からドイツのヤマハR6・ダンロップ・カップに参戦。2010年、同カップの開幕戦で3位入賞、表彰台に上る。
http://roadrace.jp

必然だったドイツへの挑戦

まず、日本を飛び出してきた経緯を伺うと、思いがけない言葉が返ってきた。

「自分への挑戦です。メーカーに雇われているわけではないので、自分でスポンサーを探して、目標金額を集めてドイツに飛んで、それでレースを戦っています」

F1に代表されるように、モータースポーツ界は華やかな世界なんだろうと想像していたため、日本でトップクラスのライダーが自力でスポンサーを探し、道を切り開いているなんて、にわかには信じられなかった。

「正直な話、2008年シーズン、全日本選手権を最後まで戦った後は金銭面で非常に厳しい状況で、2009年は日本では続けられない……そう考えていた矢先、お世話になっている人が良いお話を持ってきてくれたんです」

それが、ヤマハカップへの誘い。とはいえ、全日本選手権に出場するのとドイツでレースに出るのとでは、全く条件が違う。住むところも変われば、言葉も違う。資金面でも問題は山積み。しかも、行くとなったら出発は2カ月後と迫っている。さぁ、どうする?!

「せっかく、自分のところに来たチャンス。しかも自分の目標としているところに行けるということで、二つ返事で『はい。やります!』って言っちゃったんです」

「チャンスの神様の前髪」を逃す遠藤さんではなかった。日本に残っていたらライダーとしての2009年はなく、辞めていたかもしれないと、当時を振り返る。こうして、それまで海外と言えば佐渡島に行ったことがあるだけという新潟男児はドイツに旅立ち、ロードレースの本場で挑戦を始めた。

愛用のワゴン
オートバイを運ぶため、日本から船便を使って
ドイツに持って来た愛用のワゴン。
ドイツで右ハンドルの車はかなり注目を集める

人の力を超えたスピードの中から感動を伝えたい

超高速でオートバイを走らせるライダー。エクストリームスポーツとは言わないまでも、常に危険と隣り合わせであることに変わりはない。なぜ、ライダーの道を選んだのだろうか。

「小さい頃から『機械』が好きで、ゴミ収集車が回収に来るとその複雑な動きに見入ってしまうほど。その機械好きの延長で、オートバイにも興味を持つようになりました。若い頃にオートバイに乗っていたという父や、オートバイに乗り始めていた兄の影響も大きかったです」

いつかは自分も!と願う少年は、テレビに映るスポーツとしてのオートバイにも興味を持ち始める。世界の舞台で活躍している日本人ライダーの姿は鮮烈で、強い憧れが生まれた。

「新潟市の間瀬サーキットへ見学に行ったとき、たまたま全日本選手権に出場しているライダーが練習していたんです。それを見たときに体がしびれて、感動して、僕もライダーになろうって、そう思いました」

初めて目の前で見たプロの実力に圧倒されつつも、オートバイで一生懸命に走る姿がこんなにも見る人に感動を与えるものなんだという事実に興奮した。好きなオートバイで走る、それによって人に感動を与えられる存在に自分もなりたい。「ライダーになって全日本選手権で良い成績を出し、世界選手権に出場する。そして、ヨーロッパのサーキットで走る」という、高校生だった遠藤さんの目標が定まった。その後、本格的なトレーニングを開始し、20歳を迎えた2004年、初レースに臨んだ。

「初めて出場した公式戦で、いきなり2位になったんですよ。びっくりしました」

その勢いは止まらず、翌年には全日本選手権に出場するまでに急成長した。全日本選手権では厳しい戦いが続いたが、2008年には世界選手権にスポット参戦を果たす。ライダーを目指した頃の目標が次々に達成されていく。ここまで来れた秘訣は?

「転んでも、怪我しても、その度に立ち上がって楽しんでいるから」

ドイツ参戦、波乱の幕開け

2009年4月、渡独したばかりの遠藤さんの新天地での挑戦が始まった。しかし……

「最悪のスタートでしたね。サーキットって、1つとして同じコースがないんです。だから走り込まないと速く走れない。ところが、2009年のレースはすべてがぶっつけ本番。初めてのコースで右に曲がるか、左に曲がるかを覚えながら走っていたので、もう散々な結果でした」

開幕戦、ドイツでの初レースは1周目で転倒。2戦目は多重クラッシュに巻き込まれ、スタートすらできなかった。隣で転倒したライダーの1人は命を落としていた。状況は最悪だが、この事故を通して「生かされている」と実感した。

「まだまだ走り続けろってことなんだ。絶対に諦めてはいけないという、宿命のようなものを感じました」

1人でレースに臨むということは、テントの設営もマシンのメンテナンスも、すべてを自分で管理するということ。とはいえ、オートバイの移動など人手が必要なこともある。そんなときは周囲に、「Bitte! Bitte!!」と、覚えたてのドイツ語を駆使して協力を仰ぐ。そんなライダーの存在に、「ワンマンショー」「クレイジー・ジャパニーズ」と騒ぎ立てる者もいた。

「注目が集まるのは、僕にとっては嬉しいこと。お前らとこれだけ条件が違う中で、お前らに勝ってやるから見てろよっていう気持ちが強かった。現実は甘くなかったですけど(笑)」

逆境の中も、あくまでポジティブに、自分の力を信じて迎えた第3戦で、念願の完走を果たした。続く第4戦では15位以内に食い込み、初めてポイントを獲得しただけでなく、第2レースでは順位を8位に上げた。この頃からようやく周りから「ライダー」として認められるようになった。

「いつの間にか、周りには温かい仲間が増えていました。特にドイツ・ヤマハの森本社長。オートバイのメンテナンスの面で協力を得ている伊集院さん。アパートの大家であり、ドイツでのレース経験もある先輩ライダーの川崎さん。アルバイトでお世話になっている加賀屋(レストラン)の加賀さん。そして同じ新潟出身で、強力な協力者でもある、なにわ(レストラン)の小林さん。彼らは良き理解者であり、デュッセルドルフの親父と呼ばせていただいています」

ドイツ・ヤマハの森本社長
遠藤さんがドイツの父と慕う、ドイツ・ヤマハの森本社長。
「バレンティーノ・ロッシに次いで尊敬するライダー」と、
人間性に信頼を寄せる

3位入賞
2010年4月25日、Eurospeedway Lausitzにて、3位入賞

守られた約束

2010年シーズン、開幕戦で3位に入賞した遠藤さんは表彰台に上り、歓喜の中にいた。隣には、この勝利を心から分かち合える仲間スヴェン・ベニンさん。お互いの約束を果たした上での最高の結果だった。その約束とは……

2009年の最終戦は、表彰台を掴めそうで掴めなかった前戦の悔しさが残る中で迎えた。ところが決勝がスタートして1周目、事故が起きてレースが止められてしまった。

「僕がドイツのレースに参加し始めた当初から積極的に協力してくれたドイツ人がいるんです。スヴェンっていうライダーで、彼は『困ってるんだろ、手伝ってやるからいつでも言え』って、いつも手伝ってくれました」

スヴェンさんはヤマハカップに10年来参戦し、何度も表彰台に上っているベテランのライダー。その彼が多重クラッシュに巻き込まれ、大怪我を負ってしまったのだ。

「実は彼、2009年の第4戦目くらいで、今年でレース辞めるって言ってたんです。引退して、来年はお前のメカニックをやりたい、一緒にチャンピオンを目指そうって約束してくれたんですよ。それなのに、事故が起きてしまった」

骨盤を骨折し、足も動かない状態。下半身不随の不安もあったが、奇跡的に神経は残っていた。シーズンが終わり、日本に帰る前に遠藤さんはスヴェンさんのお見舞いに行った。

「必ずドイツに帰ってくる。厳しいけど、またお金集めて帰ってくるから、だからお前も来年の開幕までに治しておけよ! ……そう約束して、千羽鶴をプレゼントしました」

必死にスポンサーを集めて、今年の4月、再びヤマハカップに戻ってきた遠藤さんがサーキットで目にしたのは、松葉杖をつきながら自力で歩いているスヴェンさんの姿だった。彼は用意していたオフィスチェアーに座り、遠藤さんのオートバイのメンテナンスを当たり前のように始める。

「すごく嬉しかったですね。涙が出そうでした。彼も、約束を守ってくれた」

2009年は1人だった。でも、今はスヴェンさんとその家族が一緒に戦っている。

「自分が勝ちたいから走るし、彼らが一緒に戦ってくれるから、勝ちたい。1人でやっているときとは全然違います。今年は優勝しないと帰れません!」

スヴェンさんと
スヴェンさん(写真右)と、勝利を喜ぶ遠藤さん

冷静と情熱の間から掴む未来

2010年は、残すところあと3レース。現在、シリーズランキング5位。

「まだまだ、チャンスはあります。今年チャンピオンになって、来年はトップカテゴリで走る。それが今年の目標です」

ドイツ選手権、世界選手権と、まだまだ上の世界がある。上を目指しながら、「両目」で先を見る。1つの可能性がなくなったとき、何も考えていないと取り残されるのは自分。「片目で自分の行き先を見据えながら、もう片方の目で自分の足下を見ておけよ」という、森本社長からの言葉が常に頭の片隅にある。それは、レースでも同じこと。

「レースって、ちょうど、冷静と情熱の間にいるのがベストで、がむしゃらにやって勝てるわけではない。攻め過ぎたら転倒する、でも、アドレナリン出して攻めて行かないと抜かれる。どっちが多くてもだめなんです。だから、常に自分のメンタルな部分と戦っています」

0.001秒が勝敗を分ける世界。マシンが生み出す暴力的なほどのスピードを操るライダーは、人間の限界に挑戦し続けている。だからこそ見る者に感動を与えるし、面白い。

「単身、日本から日本魂を持ってきて挑戦を続けています。僕の生き様をサーキットで見てください!!」

自分を信じ、邁進する姿はその覚悟の深さゆえか、力強い。遠藤さんの人生を掛けた戦いを応援しに、サーキットに行ってみよう!


今後のレース予定
第6戦 2010年8月1日(日) Schleiz(ドイツ)
第7戦 2010年8月22日(日) Assen(オランダ)
第8戦 2010年9月19日(日) Hockenheim(ドイツ)

レースの詳細、選手情報については、ヤマハR6・ダンロップ・カップ公式HPをご参照ください。
http://yamaha-cup.de

 
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