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©Sae Esashi

年末年始の音楽の贈り物  中村 真人

毎年12月半ばになると、新聞の文芸欄の一面にCD案内が掲載される。その年の推薦盤を選者数人がプレゼント用に紹介するというものだが、私は毎年このコーナーを楽しみにしている。CD 選びの参考になるだけでなく、選者の機知が感じられるからだ。例えば、ベルリナー・ツァイトゥング紙ではこんな風にカテゴライズされている。「年間ベストCD」「教養ある叔母のためのCD」「悪い甥のためのCD」「幸運をもたらすCD」・・・・・・。これを眺めていると、今年も1年無事に終わったことへの感謝と、来るべき年への希望を込めて、親しい人や自分自身のためにどれか1 枚選んでみたくなる。「贈り物としての音楽」を強く実感する季節である。

ドイツでも稀な厳しい寒さが続く。こんな冬の季節の音楽となると、大学時代に受講していた池田香世子さんのドイツ語の授業を時々思い出す。モーツァルトのオペラ《魔笛》のテキストを半年間かけて訳していくという授業だった。受講者は確か10人もいなかったが、それだけにアットホームな雰囲気があり、授業の後にみんなでカフェに行くこともあった。池田さんが、ベストセラー小説『ソフィーの世界』や映画『ベルリン・天使の詩』の字幕を担当した著名な翻訳家であることは知っていたが、実はジャンルを問わず相当な音楽愛好家でもあった。時々授業から脱線して、「実は私、ドイツに留学していたとき、よく車を運転して指揮者のチェリビダッケの追っかけをしていたのよ」といった意外な思い出話を聞くのは楽しかった。12 月に入った頃だったと思うが、池田さんがふとこんなことをおっしゃった。「ドイツの冬というのは本当に長くて厳しいの。でも、だからこそ人は劇場に足を運ぶのだと思うわ。映画『アマデウス』にもそういうシーンがあるけれど、劇場のシャンデリアのきらびやかさは本当に格別なのよね」。

大学卒業後、本場の音楽に思い切り浸りたくてベルリンにやって来た1年目、池田先生のあの言葉を本当に実感することになったのが年末年始の季節だった。日が落ちるのがみるみる早くなる、どこか陰鬱な11月が終わり、アドヴェントの季節になると、コンサートホールに、教会に、音楽があふれるようになる。日本だと「第9」一色に染まるが、ドイツでは例えば《クリスマス・オラトリオ》を筆頭に、《メサイヤ》、オペラ《ヘンゼルとグレーテル》、《くるみ割り人形》、胸躍るリズムのバロック音楽等々・・・・・・。寒く暗いこの時期、温かさに満ちた音に人は幸せを感じ、つかの間かもしれないが、憂鬱な気分から解き放たれる。そんな中に《魔笛》もあった。ドイツ全土の伝統というわけではないようだが、ベルリン州立歌劇場では毎年この時期、必ず《魔笛》を上演している。子ども連れのお客さんが多いのもこの季節の特徴だ。私の知人は、最近小さな息子がパパゲーノとパパゲーナが結ばれる場面で、2人に飛びつくエキストラの役をもらい大喜びしているのだと、嬉しそうに話してくれた。19世紀の建築家シンケルの舞台画が元になった、ブルーを基調とした美しくも楽しい舞台を見ていると、池田先生のチャーミングな日本語訳で息を吹き込まれたパパゲーノがいきいきと脳裏に蘇ってくる。素朴で愛が詰まったこの音楽も、モーツァルトから私たちへのかけがえのない贈り物だ。

おいら鳥刺しいつでも愉快 ごきげんハイサホプサッサ
おいら鳥刺しこの国じゃ どなたさんにも知れた顔
娘捕る網あったらなあ 片っ端から捕まえて 
みんな篭に入れちまう 娘はみんなおいらのものさ
(池田香世子訳)

音楽に彩られたクリスマスが終わると、家族と過ごしていた人々が続々と住む場所に戻って来る。クリスマスは家族と、大晦日は友達や恋人と過ごすというのが、こちらの定番のようだ。大晦日のコンサートは開演時間がおおむね早い。有名なベルリン・フィルのジルベスターコンサートは17時15分から。聴衆もオーケストラのメンバーも、コンサートが終わってから友達と落ち合い、祝う時間はたっぷり残されている。日本に比べると演奏頻度はずっと少ないが、この日は大都市ならどこかのオーケストラが世の平和への願いも込めてベートーヴェンの「第9」を演奏している。自宅でパーティーをする人もいれば、ブランデンブルク門やダンスホールへと繰り出す人も。日付が変わった瞬間、シャンパンかゼクトで乾杯!

©Sae Esashi

1月1日のコンサートといえば、世界中にテレビ中継されるウィーン・フィルのニューイヤーコンサートが何と言っても有名だ。だが、私はベルリンの音楽好きで、このコンサートを毎年欠かさず見ているという人になぜか出会ったことがない。「あのあまりに豪華絢爛な雰囲気が、ちょっとねえ。それにウィーンとベルリンはライバル関係にあるから」という生粋のベルリンっ子のおばさんの言葉の真偽はともかく、11時開演という時間にも理由がありそうだ。遅くまでパーティーをしていた人々の多くは、まだ夢の最中にあり、前夜に散乱したゴミを片付ける清掃車の姿がようやく街角から消えた頃。日本で中継が始まる19時という絶妙な時間を思うと、あれはまさに極東のファンへ向けた贈り物ではないかという気さえしてしまう。

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを一生のうちに一度でも生で聴ける人は相当限られているが、自宅で新年最初に聴くCD を選ぶのは、音楽好きにとって結構大きな楽しみだったりする。2011年のクラシック音楽シーンを彩るのは、没後100年のグスタフ・マーラーだろうか、それとも生誕200年のフランツ・リスト?

先のベルリナー・ツァイトゥング紙のCD紹介では、「年間ベストCD」の中にルネ・ヤーコプス指揮ベルリン古楽アカデミーの《魔笛》が選ばれていた。今年最初の1枚はこれにしようと思う。

2011年が皆様にとって、愛と喜びにあふれた、そして音との出会いに満ちた年でありますように。

2010年12月20日 ベルリンにて

中村真人(なかむら まさと) 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。現在はフリーのライター。著書に 『素顔のベルリン』(ダイヤモンド社)。ブログ「ベルリン中央駅」http://berlinhbf.exblog.jp

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