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Di. 18. Dez. 2018

『Die Dreigroschenoper(三文オペラ)』© David Baltzer女優 原サチコ - ドイツで舞台に立つ、私の存在自体が前衛 

「ドイツ人の、ドイツ人による、ドイツ人のための演劇」を地で行くドイツ演劇界にあって、異質な存在感を放つ女優、原サチコ。鬼才、偉才と呼ばれる演出家たちに見出され、次々に重要な役を演じてきた日本人女優のドイツでの演劇人生を辿ってみよう。カタコトのドイツ語を話す外国人が舞台に上がる、この決して一筋縄ではいかない目標を支えたものとは、何だったのだろうか。(編集部:高橋 萌)

HARA SACHIKO
1964年11月28日生まれ。東京都町田市出身。上智大学外国語学部ドイツ語学科卒。1984年、演劇舎蟷螂で演劇に足を踏み入れ、劇団ロマンチカで名を上げる。1999年、渡辺和子演出「NARAYAMA」のベルリン公演への出演のため渡独。クリストフ・シュリンゲンジーフとの出会いをきっかけにドイツに留まることを決意。2004年から5年間、オーストリア国立ウィーン・ブルク劇場の専属俳優を務め、その後2009年にドイツのハノーファー州立劇場へ移籍。2012年からはケルン市立劇場で専属俳優として活動している。2013年夏、ハンブルク・ドイツ劇場の専属俳優となる。

インタビュー当日、「日本ではアングラ小劇場で活躍し、テレビドラマ出演など活動の場を広げるも、前衛的な演劇を求めてドイツに飛び立った女優……」と、プロフィールの要点を確認しながら、どんなぶっ飛んだ女性がやってくるのかと、ちょっと身構えながらその到着を待っていた。そこへ現れた原さんは、筆者の期待(?)を一見裏切り、その上を行っていた。どういうことかと言うと、「女優」だったのである。舞台で過激に演じても、日常では別の顔。ほんわかと柔らかい笑みを浮かべながら、激動のドイツ生活をさらりと語る。

絶対にクリストフ・シュリンゲンジーフと仕事がしたい

小劇場ブームに沸いた1990年代、劇団ロマンチカの看板女優として人気を集め、舞台にドラマにラジオにと活躍し、日本でのキャリアを着実に積んでいた中、突然ドイツに拠点を移した。

いい人に恵まれて、とても充実した活動をさせていただいていました。でも、私が演劇のキャリアを積んだのは、もともと小劇場。私が芝居に携わったのは、前衛をやりたい、今までになかったお芝居を追及したいという思いからだったんです。それをずっと探していました。そこで見付けたのが、映画監督で舞台演出家のクリストフ・シュリンゲンジーフ。彼の映画を観て、ピンと来ました。私の根底にあるアングラの血が騒いだというか、とにかく絶対に彼と仕事をしたい! そう思うようになったんです。

35歳で、海外初挑戦

そんな時、新国立劇場で出演した『羅生門』の演出家・渡辺和子さんがベルリンでの仕事を控えていて、そこに出演する機会に恵まれたんです。1カ月のベルリン滞在中、口を開けば「クリストフ・シュリンゲンジーフをご存知ですか? 彼に会いたいんです!」と、ラブコール。同じベルリンにいるのなら、会わずに帰れないという気持ちでした。

その熱意が奏功し、共演者がシュリンゲンジーフ氏のアシスタントをしている友人を紹介してくれると、事態は急展開。同氏のオーディションを受け、夢にまで見た演出家から、「一緒に仕事をしよう」とオファーを受ける。

これは運命だって思いました。その時点で、35歳。でも当時、彼と仕事をすることが私の夢だったんです。東京での仕事を全部白紙にして、「ドイツに行くのでできません」って。本当に迷惑をかけたと思います。最初は皆、唖然としてましたけど、事務所の社長も「謝って許されるところには全部謝って、頑張ってきなさい」って温かく送り出してくれました。私ね、海外に行ってみたいなと思っている方には、何歳からでも遅くないのよって伝えたい……。

『Der Abend aller Tage(地球最後の日)』 © David Baltzer
『Der Abend aller Tage(地球最後の日)』

ドイツ人の、ドイツ人による、ドイツ人のための劇場での苦悩

シュリンゲンジーフ氏との最初の仕事は、1カ月半の間に16の劇場を巡るツアー。その間、劇場で出会った観客や関係者の中に、アジア人が1人もいないことに気が付いた。

だったら私にも、チャンスがあるかもって思ったんです。街の中では東洋人も珍しくないのに、劇場の中には東洋人がいない。そこに私が存在すること、それ自体が新しく、それ自体が前衛なのではないか、そんな気がしてきたんです。クリストフも、これからも一緒にやろうって言ってくれたし、ちょうどそのとき、クリストフのツアーのスタッフと結婚しようと、そういうことにもなっていて……。それで、クリストフと一緒に仕事をしながら、ドイツで役者としてやっていこう、そんな風に夢見ちゃったんですよ。

しかし、2001年に本格的にドイツへ拠点を移した原さんを待ち受けていたのは、「暗黒の時代」だった。「きっと原サチコという俳優の需要があるはず」という期待は裏切られ、全く仕事が来ない。子どもが生まれたことから、子育てに奮闘する日々。

クリストフは私を受け入れてくれたけど、ほかの演出家、劇場は、外国人を受け入れる感じじゃない。入り込む隙間が見えなかったんです。そのうち、主婦として家に落ち着いてしまったら、もう役者として復活できないんじゃないかと不安でした。ベルリンに来て、俳優が有り余っている現実を目の当たりにしたショックも大きかったです。

限られたチャンスを掴み、精一杯演じる中で、原サチコという役者の魅力を引き出す、新たな演出家との出会いがあった。ニコラス・シュテーマンその人だ。ハノーファー州立劇場で彼が演出する「三文オペラ」でポリー役を射止めたのだ。この三文オペラは、結局足掛け10年演じる当たり役となる。

『Die Dreigroschenoper(三文オペラ)』
『Die Dreigroschenoper(三文オペラ)』 

ウィーンのブルク劇場で開花

徐々に脚光を浴び始めた原さんだったが、2004年には離婚を決意。息子と2人の生活を支える必要に迫られた。そんな彼女を救ったのが、シュリンゲンジーフとシュテーマン、2人の演出家だった。彼らが新作を予定していたウィーン・ブルク劇場に専属俳優として推薦してくれたのだ。

ドイツ語も流暢じゃないし、まずはお試しで1年だけという契約。でも、私にしたら、ここで何年かは働かせてもらわなくちゃ生活できないわけですから、そりゃもう毎作、命懸けでやりました。

すると、彼女を推薦した2人以外からも次々と声が掛かるように。結局、ウィーンで5年を過ごし、合計16作品に出演した。

途切れることなく、色々な作品に出させていただきました。稽古が忙しくて、初日の公演の打ち上げでも、「明日稽古だから、あんまり飲めないんだよね」なんて。ベルリン時代に夢見ていたセリフです(笑)。

ここでも、出会いに恵まれた。中でも演出家ルネ・ポレシュは、原さんの外国人としての内面の葛藤をもとにセリフを紡いだ。演じることを越えた、本音を舞台で発する機会を得て、原さんはドイツの舞台に立つ自分自身と、もう一度向き合うことができたという。

日本とドイツを繋ぐ伝書鳩として

『Kein Licht(光のない)』
『Kein Licht(光のない)』 

2009年、ウィーン・ブルク劇場のインテンダント交替に伴い、原さんもウィーンを去ることとなった。再びドイツで挑戦したいという想いを抱いていた彼女が次に掴んだのは、ハノーファー州立劇場の専属俳優の座。ハノーファーに新任するインテンダントが、息子の幼稚園の父兄仲間だったというから、原さんの人脈には脱帽する。

ハノーファーと広島が姉妹都市なんですが、これがなかなか知られていなくて、しかも、まだ人は住んでいるの? なんて聞いてくるんですよ。まずはハノーファーで広島の演劇作品をやろうと、井上ひさしさんの「少年口伝隊1945」をドイツ人と共同翻訳して上演しました。でも、それだけでは不十分、今の広島の姿も伝えなくてはと、2010年から始めたのが、「ヒロシマ・サロン」というイベントです。2011年3月11日の東日本大震災以降は、どうしても福島のことに興味が向きましたので、内容を変更し、私も福島に住む人の声を聞きに取材に行きました。

ヒロシマ・サロンを始めたことで、ドイツにいる日本人として、やるべきことを見付けました。やらなくてもいいかもしれないんですけどね。ただ、日本で今、何が起きてるのかを、伝書鳩のように伝えたい。問題意識のある方々だけじゃなく、コスプレやマンガを通して日本を好きになってくれた若い人たちにも、一緒に考えてほしいなという想いでサロンを開いています。

信念を持って

原さんが、ドイツに拠点を移すことを決意した頃に描いていた目標は、ほぼ達成したのではないだろうか?

お芝居ができている、しかも毎作私のことを面白く、効果的に使ってくれる演出家と仕事ができていることはありがたいですね。ただ、2010年8月21日、クリストフが肺がんで亡くなったんです。あれほど偉大な前衛芸術家には私の人生で、あと1人会えるかどうか。もっともっと彼と一緒に色々なこと、やりたかったな。でも、私が生きている限りは、思いっきり前衛(演劇)をやろう。今までの常識に囚われないで、自分をめいっぱい使ってやろうって思っています。夢の実現に大切なことは、信念を持つこと。そして、それを言葉に出すことだと思います。

最後に、野暮な質問とは思いつつ聞いてみた。「生活のためにほかの仕事をしようと思ったことはないんですか?」原さんは、「ほかに、何もできないんです」と困った顔をした。女であることと同じくらい、運命的に「女優」なんだと感じた。「舞台での存在自体が前衛」、と自分の役を遮二無二演じる。そんな彼女の舞台を観に、私たち日本人がドイツの劇場に足を踏み入れたら、彼女の目指す前衛作品の一部になれそうな気がする。


Information

DIE TROERINNEN(トロイアの女たち)
2013年1月11日(金)から 不定期公演

ギリシャ三大悲劇詩人の1人、エウリピデスの代表作と言われる「トロイアの女たち」。国家単位の戦争に人生を翻弄されるトロイアの女のうちの1人を原さんが演じる。

GABE / GIFT(ギフト)
2013年3月7日(木)から 不定期公演

Der Abend aller Tage(地球最後の日)
出演中。公演は不定期。

SCHAUSPIEL KÖLN
IN DER EXPO XXI Gladbacher Wall 5, 50670 Köln
TEL: 0221-221 28400
www.schauspielkoeln.de

ハノーファー州立劇場でも『Der Silbersee(ジルバー湖)』、『Kollateralschlager』に出演中。

 
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