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Di. 19. Jun. 2018

保存版!ドイツの乳製品事典

ドイツといえば、ビールにソーセージ、そしてじゃがいも!
たかが「いも」と侮ることなかれ。その多様性、歴史、
そしてドイツの食文化に深く根ざす底力!!
ドイツのじゃがいもをさまざまな角度から存分に味わいましょう。
(ドイツニュースダイジェスト編集部) 

じゃがいもがドイツ人の
「国民的」食物となるまで

ドイツがじゃがいもの名産地となり、「ドイツ=じゃがいも」というイメージが定着したのは、実はそんなに昔の話ではない。約300年前にドイツに入ってきたじゃがいもが、ドイツの国家的危機を救い、国民的ソウルフードとなるまでの道のりを、西洋史学と食文化を専門としている京都橘大学の南 直人教授と一緒に振り返ってみよう。

南 直人 Naoto Minami南 直人 Naoto Minami 専門は西洋史学、食文化研究。博士(文学)。京都橘大学文学部教授(2005年~現在)。主な業績:『<食>から読み解くドイツ近代史』(ミネルヴァ書房)、『世界の食文化⑱ドイツ』(農山漁村文化協会)、『医療の社会史-生・老・病・死』/「母乳が政治性を帯びるとき-世紀転換期ドイツにおける乳児保護の実態と言説」、ポール・フリードマン編『世界 食事の歴史-先史から現代まで』(東洋書林、監訳)、『ヨーロッパの舌はどう変わったか-十九世紀食卓革命』(講談社)ほか。

じゃがいもがドイツ人の「国民的」食物となるまで illustration by Maki Shimizu

日本を代表する「すし」の源流が東南アジアであるように、ある国を代表する料理が遠く離れた外国にその起源を持つということがしばしばある。ドイツのじゃがいも料理もそれに当てはまるといえる。アンデス山地からはるばる海を越えてヨーロッパにやってきたじゃがいもは、数世紀かけてここドイツの地に定着し、ドイツ人にとってアイデンティティーを感じさせる存在となった。しかしそのプロセスは決して平坦なものとはいえない。

じゃがいもがヨーロッパではじめて食用とされたのは、16世紀末のスペインであるとされる。ドイツではというと、食の歴史研究のパイオニアである故トイテベルク教授によれば、じゃがいもが食用として導入されたのは17世紀末から18世紀初頭のことで、場所はプファルツおよびフォークトラント地方に限定されていたらしい。いわば山がちの僻地である。そしてそこからはなかなか広まらなかった。じゃがいもが敬遠された理由はさまざまあげられるが、要するになじみのない奇異な作物だったことが大きい。

しかし18世紀末頃になると、ようやくドイツ各地でじゃがいもが栽培されるようになる。この理由もまたさまざまであり、エピソードめいた話が数多くある。筆者としては、この時期におけるじゃがいもの普及には、直接的物質的要因と間接的精神的要因の二つが特に大きな役割を演じたと考えたい。前者は飢饉と食料不足である。18世紀は人口増や寒冷化を背景に食料供給がひっ迫した時代であり、特に1770年代初めには穀物生産が壊滅的打撃を受け深刻な飢饉が生じた。しかしじゃがいもはそうした悪影響を免れたため、生産が急速に拡大したのである。

後者の要因としてあげられるのが、じゃがいもについての知識の普及であり、そこではとりわけ民衆啓蒙主義者達が重要な役割を演じた。じゃがいもに対する民衆の偏見を彼らが徐々に取り除いていったのである。たとえば、代表的な民衆啓蒙家としてルドルフ・ツァハリアス・ベッカー(1752-1822)という人物がいる。彼が1788年に著した『農民のための生活の手引き』という文献は、生活改善のための実用的知識を農民に広めることを目的として書かれ、当時一大ベストセラーとなったものだが、この中ではじゃがいもも一節を割り当てられ、多収穫であることやさまざまな食べ方があることなどが紹介されている。フリードリヒ大王(在位1740-1786)がじゃがいもを奨励したこと(Kartoffelbefehl=じゃがいも令)がしばしば喧伝されるが、上からの命令で一挙にじゃがいも栽培が広がったとは考えにくい。むしろこうした民衆に近いローカルな知識人達の地道な活動をもっと評価すべきであろう。

じゃがいもがドイツ人の「国民的」食物となるまで illustration by Maki Shimizu

19世紀になるとじゃがいもの栽培は順調に拡大していった。世紀中葉までのドイツでは人口の急増の下で食料不足がいまだに続いていたため、人口扶養力の大きいじゃがいもは食料としての重要性を高めていった。世紀後半になると栽培面積はますます拡大し、収穫量でみれば他の穀物を次第に圧倒するようになる。そして19世紀末頃には、ドイツは世界最大のじゃがいも生産国となったのである。

それに伴い、消費面でもじゃがいもはドイツ人の食生活に定着し、食物としての地位を確立していく。もともと救荒作物として普及したという経緯から、じゃがいもには貧民食というイメージがあったが、19世紀を通じてそれが次第に払拭され、市民層などにも受け入れられていくのである。トイテベルク教授と並んでドイツの食の歴史研究のパイオニアである故ヴィーゲルマン教授が、有名なダヴィディスの料理書などの分析を通じて、そうした様子を具体的な献立のレベルから明らかにしている。紙幅の関係で詳しくは紹介できないが、ブラートカルトッフェルン、ライベクーヘン、ポメスフリットなど、おなじみのじゃがいも料理が必ず料理書に登場するようになり、19世紀末には日常食としてだけでなく、祝祭時の豪華な料理の中にもじゃがいもが堂々と取り入れられるまでになった。じゃがいもは晴れてドイツ人の「国民的」食物として認められたといえよう。

ただし「国民的」とはいっても、じゃがいもの受容については地域差の問題を指摘しておかねばならない。じゃがいもの消費に関して社会層の差は縮まったが、地域間の差はなかなか縮まらなかった。具体的にいえばマイン川の線で大きく南北に分かれ、南側はじゃがいもの消費量は相対的に少なかった。もっとも、ドイツの食文化の南北差はじゃがいもに限ったことではなく、小麦とライ麦の比率やミルクの消費量などいくつもの例が挙げられる。ステレオタイプの「国民」イメージは一皮めくると容易に覆されるのである。

 
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