Hanacell

ドイツで最も愛されている日本人
香川真司選手

Shinji Kagawa

いま、ドイツで一番有名な日本人、それは疑いようもなくShinji Kagawaである。彼はドイツのサッカー史に確固と名を刻み、ボルシア・ドルトムントのファンはもちろん、ドイツサッカー好きが集まれば、みんなで「カーガーワーシンジー♪」のチャントを合唱できるほど。いつも絶好調だったわけではない。しかし、スタジアムを湧き立たせる凄まじい引力とある種の説得力を持った彼のプレーは、一度見たら忘れられない。2月某日、気温が氷点下に下がった極寒のドルトムントで、私たち取材班はそのスーパーヒーローを目撃した。今回の単独インタビュー取材では、彼がドイツで愛される理由を探る。
(Text&Interview:Megumi Takahashi / i-mim.de, Photos: C.Y.Kervin)

ブンデスリーガ二連覇、プレミアリーグ優勝、アジア選手権優勝、日本代表の10番、昨年ついにブンデスリーガ日本人最多ゴール数も更新(41ゴール)し、控えめに言って日本サッカー界の生きる伝説である。

ピッチ上で躍動する彼の姿は、スタジアムの観客席から何度も見てきた。しかし、同じ目線に立つ「香川真司」を目の前にした印象は、「めっちゃカッコイイ!」だった。浮き足立って申し訳ない。私服で登場した29歳の彼は、無邪気なサッカー少年ではなく、紳士的な大人の男性だったのだ。取材や撮影は、慣れてきたけど得意ではない、と本人は言う。しかし、静かに発せられる言葉は、しなやかな芯の強さを持つ。

どんな時も同じ気持ちで

香川真司がいかに日本、ドイツ、世界から注目されている選手であるかを証明するのに苦労はない。身近なところでは、ツイッターに約150万人、インスタグラムに120万人、フェイスブックで293万人のフォロワーを擁している。リアルな世界でも、バーチャルな世界でも絶大な影響力を持つ彼は、他者から絶えず寄せられる「期待」とどう向き合っているのだろうか。

あまり「期待」っていう言葉は使わないかな。でもまず、他者からの期待については全然気にしていないですね。もちろん、期待もあれば、逆に「期待されない」ということもあるわけで。ましてや結果が出なければ批評を受ける世界、メディアの報道も含め、そこはもう人それぞれ感じ方が違うものだと割り切っています。もちろん、メディアの皆さんが盛り上げてくれたり、ファンの皆さんに応援いただいて、ポジティブな期待を感じながらプレーできることは嬉しいことだと思っています。

1989年、兵庫県神戸市に生まれ、4歳からサッカーにはまっている。地元のユースクラブを経て、中学に進学する12歳の時に宮城県仙台市にあるFCみやぎバルセロナへのサッカー留学を決意。そこで個の能力を伸ばし、2006年セレッソ大阪に移籍して16歳でJリーガーに。高校卒業前の選手とプロ契約を結ぶというこの異例のスカウトが、若き日の香川に寄せられた期待の高さを物語っているが、本人は「子供の頃から飛び抜けた才能を持っていたわけじゃない」と言う。

別にそこまで自分自身に期待していることはありません。本当に、日頃の積み重ねというか。その日やるべきことを、試合でできることを、自分自身のストロングポイントを発揮するために日々取り組むだけだと思っているので……。

やっぱりサッカーは、すべてが上手くいくスポーツではなく、ミスがほとんどのスポーツなので、自分自身に対して変な期待感を持つのはあまり良くないことかな。一つ一つのプレーに対して失望したり、責めるのではなくて、どんなプレーに対しても同じ気持ちでやり続けないと。サッカーは90分間のスポーツで、前半と後半があり、試合の流れがあり、勝っている時間帯があり、負けている場面があり、刻一刻と状況が変わってくる。だから、どんな状況にも対応できるようにと、そういう準備をしています。

2010年、セレッソ大阪の象徴である背番号8番を背負っていた香川は、ブンデスリーガ1部のボルシア・ドルトムント(BVB)からのオファーを受け、育成補償金35万ユーロ(約4000万円)で移籍。そこからユルゲン・クロップ監督の下で、リーグ二連覇。2011年にはリーグ戦とドイツポカールのW優勝というBVBの歴史に残る快挙を成し遂げ、2012年に英国プレミアリーグの名門中の名門マンチェスター・ユナイテッド(マンU)に移籍した。移籍金は約16億円と報じられ、このシンデレラストーリーにドイツのチームは一層、日本人選手の獲得に力を入れることとなった。

英国に渡り、マンUに在籍していた間もドイツ国内では常に「香川待望論」が渦巻いていた。「どれだけ愛されているんだ香川真司……!」と、香川がドイツに刻んだ歴史の意味を、彼がドイツを旅立った後に再認識することとなった。

彼の実力を信じるクロップ監督とスポーツディレクターのミヒャエル・ツォルク、サポーターたちの想いが届き、再びShinji Kagawaがドイツに帰還したのが2014年のこと。昨年は、2020年までの契約延長が発表され、香川とBVBの特別な関係はこれからも続く。

香川真司

自分に起こることには、必ず意味がある

「挫折をしたことがない」と香川は言う。彼の半生はしかし、良くも悪くも半端なく振り幅の大きいものであったはずだ。19歳で初召集され、中心選手となった日本代表でも。プロの選手として平常心を保つため、彼の心の中ではどのような気持ちの整理が行われているのか。

「失敗したシーズン」とか「上手くいっていなかった」とか、そういうことを言われがちなんですけど、そういうものもすべて自分の経験ですし、自分に返ってくるものなので、いくら上手くいかないシーズンがあったとしても、そのシーズンがあったからこそ、今の自分がいると思っています。その過程で、「挫折」したと(周囲からは)言われることもあるかもしれない、でも結果論として、今こうやってその経験がプラスアルファとなって自分に返ってきているので、意味のないことは絶対にないです。自分に起こることには、必ず意味があるし、そういうものをどう未来に繋げていくかという前向きな考え方は、確実に必要なのかなと思います。

もちろん、僕自身も落ち込むことも、思うようにいかなくて悩むこともたくさんある。でも、それを投げ出してしまえば終わりですし、どんなに紆余曲折しながらでもやり続けることに意味があると思っています。そうすることで、答えっていうのも少なからず見えてくることもあるので。諦めないことが大事なんじゃないかなって思っています。

香川真司

ドイツ、欧州は僕にとって最高の環境

それにしても、ドラマを生む男である。ブンデスリーガで最も熾烈なライバル関係にある、ボルシア・ドルトムント対シャルケ04のレヴィアーダービーという大舞台。香川はこれまで、ダービー戦9試合に出場し、通算4ゴールを記録。ダービーヒーローとして見せる香川のプレーは、BVBサポーターの心を鷲掴みにして離さない。

特にドルトムントへの移籍から間もない2010年9月19日のシャルケ戦では、いきなり2ゴールを挙げる活躍を見せ、大げさでなく香川フィーバーが発生した。香川自身もこの試合を、「運命を変えてくれた一戦」と振り返っている。ドイツで、すでに一つの夢を叶えたと言えるのではないだろうか。

もちろん、欧州でプレーすることが昔から自分の夢でもあったので、そういう意味では、夢は叶ったんじゃないかなと思っています。

おそらく、住み慣れた場所で、友だちがいて、食事や言葉に不自由しない、そういう場所が生活する上ではベストなのかもしれません。でも、サッカー選手としては、サッカーの本場である欧州を目指したい。日本でプレーしている中で感じられるものと、欧州で感じられるものとでは幅が違いますし、日本では掴めないものがあります。

ましてや、外国人としてチームに入り、周囲には日本人もいない、そこで自分の評価を自分で高めていかなきゃいけない、そういうことをどうにか達成していく日々。少しでも達成できた時の嬉しさが自分自身を一人の人間としてさらに強くしてくれると思います。本当にやりがいしかないですし、サッカーのレベルを含めて、ここはサッカー選手としての僕にとって最高の環境。成長し、もっと上に行くために、なくてはならない環境だと思っています。

いずれにしても、厳しい環境であることは間違いなくて、サッカー選手というジャンルを問わず、欧州を始め世界中で生活している方、皆さんのことをリスペクトしています。

まだまだ上を目指すサッカー選手として、欧州と日本の一番の違いは、歴史が育んだ文化としてのサッカーが根付いているかどうかだと香川は感じている。

欧州に来て、サッカーが一つの文化として成り立っているんだなということを、肌で感じます。ここでは、サッカーやスポーツが生活の一部になっている人が本当に多くて、週末になればユニフォームを着た人たちが街に溢れ、スタジアムに来て、自分たちが生まれ育ったチームを応援しています。それがもう、代々受け継がれていく。おじいさん、おばあさん、お父さんから子供に。そんな風に良いサイクルで回って、文化として成り立っているので、サッカーの与える影響力は凄まじいです。それくらいの影響力を持ち得るスポーツなんだということを、改めて認識しました。

だから、日本のサッカーも、それくらいの影響力を持って欲しいと思っています。ただ、プロ化してからまだやっと四半世紀という現状を考えれば、いきなり欧州のように文化として根付くのは、それこそ不可能に近い。やはり地道な努力と、あとは、選手がどんどん世界に出ていって、日本サッカーのグローバル化を進め、世界というものに焦点を当てて活躍できるようになっていければ、日本でもサッカーの価値がどんどん上がっていくんじゃないかなと思います。

香川が2010年にドルトムントへの移籍を決めた理由の一つが、BVBが誇る「黄色い壁(南スタンド)」の存在だったという。初めてピッチ上から黄色い壁を見た時の印象について語ってもらうと、目が輝きを増した。

すごく圧倒されました。そして、それは何も初めての時だけのことではなくて、まったく見慣れることはありません。試合をやるたびに、素晴らしいサポーターと雰囲気を生み出してくれるスタジアムだなと感じています。

やっぱりね、サポーター無くして、これだけの歴史は生まれてこないんですよ。彼らのつくるスタジアムの雰囲気、応援があるからこそ、素晴らしい試合が生まれる。黄色い壁の前に立つ時は、本当にサポーターあってのチームなんだなっていうことを再確認できる瞬間でもあり、サッカー選手として幸せだなと思います。

1909年に創設されたボルシア・ドルトムントの100年以上の歴史で、ブンデスリーガ制覇は8度、ドイツポカール優勝が4度。そのうちリーグ優勝2回、ポカール優勝2回に香川は貢献した。

昨年はドイツポカールで久しぶりに優勝して、やはり素晴らしいものだなと感じ入りました。リーグ連覇して、ポカールも優勝してW優勝した2011/12年。あの頃、僕たちはまだまだ若くて、加入してから2年連続で優勝できてしまった。逆に言ったら、あんまり苦労もせずに勝ち取れたものだった。

でも、それから自分自身のキャリアを積んで行く中で、優勝する、勝ち続けることの難しさを経験して、あの時の二連覇の価値というものが、今さらに、年が経てば経つほどに、感じられる部分があります。やっぱり、すごいことを僕らはやり遂げたんだなと。もちろん、まだまだ現役なので、そこまで浸るつもりはないですけど(笑)。だからこそ、もう一度チャレンジしたいです。

浸りすぎてはいけないかもしれないが、ブンデスリーガの歴史をまとめた一冊『50 JAHRE BUNDESLIGA 1963-2013』の2011/12年のページからも、一言引用したい。

Die Titelstory des BVB wär nicht
komplett ohne Shinji Kagawa.
by Carsten Germann

香川真司なくして、
BVBの連覇は成し得なかっただろう

香川真司から発せられる言葉は、想像していた以上に自然体でシンプルだ。しかしその裏には、2017年の欧州CLモナコ戦直前の選手バス襲撃事件があり、度重なる監督の交代とポジション争いがあり、今年のW杯出場の有無があると思うと、計り知れないものを感じ、ひれ伏したくなる。飽くなき挑戦者、それが香川真司の真髄だった。

あっという間に取材の持ち時間をオーバーし、直接伝えられなかったので、この場をお借りして香川選手に「ありがとう!」と伝えたい。

彼は、私たちに夢を見せてくれた。ドルトムントでの優勝パレードに参加した日、日本人はみんな「香川の兄弟姉妹か?お父さんか?」とジョークを飛ばすドルトムントサポーターに暖かく迎え入れられ、香川チャントを歌いながら肩を組み合った。黄色と黒とビール臭さに埋もれながら、サッカーは人を繋ぐことに長けたスポーツだと知り、筆者は大げさでなく、世界平和の夢を見た。

サポーターはスタジアムに何を見に来ているのか。勝ち負けだけでは計れない人生の不条理と喜びがそこにはあり、観衆は選手たちに夢を託す。香川真司はその夢のきらめきを見せるプレーヤーだ。ドイツで日本で世界中で彼が愛される理由もきっとそこにあるに違いない。

※敬称は省略させていただいています。

 
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