Hanacell
Julia Vahjen ユリア・ファーイェン

伝統衣装のエッセンスを
織り込む仕立職人
Gewandmeisterin

大変なエネルギーが 必要だったけれど、
店を持ったことは 大きな一歩だった。

今回の仕事人
Julia Vahjen ユリア・ファーイェン
ゲヴァントマイステリン(Gewandmeisterin=舞台衣装の仕立職人)。ドイツ各地の劇場などで修業しながらゲヴァントマイステリンの資格を取得。ブラウンシュヴァイクの州立劇場に勤めた後、退職して個人のアトリエを立ち上げ、活動の幅を広げている。現代のファッションに伝統衣装の要素を取り入れた個性的な服作りを目指している。

ハンブルクには、クリエイターが集まっている地域がいくつかある。ザンクト・ゲオルク地区もその1つ。その中心となっているのが、アーティストやデザイナー、職人たちの集合アトリエハウス「コッペル66」だ。ここに、 ゲヴァントマイステリン、ユリア・ファーイェン(34)の店がある。ゲヴァントマイスターは、通常の仕立業に加え、歴史的衣装の仕立もこなさなければならない。日本で言うなら、和裁と洋裁の両方をこなす仕立職人のような存在。日本では和服にまだまだ活躍の場があるが、欧州の伝統衣装に出番があるのは、舞台や映像の世界くらいだ。そんな中、ユリアは伝統衣装の要素を現代の衣服に取り入れようとしている。

実習生時代に偶然、演劇衣装の世界へ

ユリアが初めて裁縫の真似事をしたのは8歳のとき。人形のブラウスをはさみで切ってボタンをつけ、脱ぎ着ができるようにした。学校では、裁縫の授業が大好きだった。当時は、母親の多くがまだ子ども服を手作りしていた時代。ユリアの母親も例外ではなく、学校で習えなかったミシンは、母親に教えてもらったという。  

彼女は、最初からゲヴァントマイステリンを目指したわけではなかった。アビトゥア取得後、クラスメートが皆、大学へ進学するのを横目に、自分は何か手に職をつけようと思い、木工職人(Tischlerin)の修業を始めた。しかし、まもなく自分には向かないとわかり、ほかの実習生のポストを探すことに。偶然見付けたのが、ブレーメン市立劇場のオペラ座の衣装係の仕事だった。3カ月の実習期間後、運良く同市のミュージカル劇場で衣装係の職を得た。ユリアが舞台衣装のプロになろうと決意したのは、ここで働いているときだった。

ドイツ唯一のゲヴァントマイスターシューレで学ぶ

共同アトリエ兼店舗
店舗外観。現在は帽子デザイナーの
テレザ・ガシュラーさんとの共同アトリエ兼店舗。
ディスプレーは2人の作品のコンビネーション

ユリアはまず、ゲッティンゲン・ドイツ劇場で修業しながら、専門学校で仕立を学んだ。その後、マイスターの資格を取得する場合はゲゼレ(職人)期間を経てマイスターシューレに行くことになる。ゲヴァントマイスターシューレに入学する場合は、ゲゼレ期間は劇場で働くことが条件となる。ユリアはハンブルクのオペラ座でゲゼレとして働き、国立のゲヴァントマイスターシューレに入学した。ドイツではハンブルクにしかない学校で、全国から学生が集まっていた。  

ゲヴァントマイスターを目指す場合は、通常の仕立職人の技術に加え、歴史的な衣装制作も学ぶ。課題は主に宮廷衣装の製作。例えば、ロココ時代のコルセットやコスチュームなどを再現しなければならない。大量の布を使用する宮廷衣装の構造は非常に複雑だ。こういった歴史的な衣装を作る場合は資料を参考に、まずフィグリーネ(Figurine)、つまり基本モデルを製作し、そのモデル通りに衣装を縫う。このほか、舞台衣装製作に欠かせない、布を古く見せる加工技術や染色・彩色技術なども学ぶ。ユリアにとって、天職とも思える仕事の技術習得は面白く、苦労はなかったと言う。  

「でもね、ゲヴァントマイスターという職業はそれほど知られていない上、就職先は劇場だけ。ハンブルクのような大都市でも劇場は数えるほどしかなく、1つの劇場に勤めるゲヴァントマイスターは2人程度。それほど狭き門なのよ」。それほどの難関ではあったが、彼女はマイスター資格を取得後、ブラウンシュヴァイクの州立劇場に就職することができた。ところが、憧れの職場で直面した現実は、理想とはかけ離れていた。「現場では、先輩に言われた通りのことしかさせてもらえず、どんな小さな冒険も許されなかった。ただただ息苦しかった」。そう彼女は言う。確かにゲヴァントマイスターには創造性は要求されない。それは衣装デザイナーの領域だ。  

「もし職場に少しでも自由な発想を受け入れる雰囲気があれば、今もそこで働いていたはず」。しかし、彼女はまもなく独立を決意した。「いつか独立したいというぼんやりとした夢もあったけど、自信がなかったから就職したのね。でも、職場に馴染めなかったことで独立するきっかけができたわけだから、これで良かったのよ」。そう彼女は言う。

恐る恐る踏み出した独立へのステップ

当初、独立することには戸惑いもあった。世間に仕立屋は多いし、仕立てなくても服など、どこにでも売っている。生計を立てるのは相当大変だろうと思ったのだ。劇場勤務を辞め、自宅にアトリエを構えて細々と注文仕事をこなしていた最初の1年間は、独立の厳しさを味わった。しかし彼女は、労働局から支援金を得て、地道に準備を進めた。ホームページを製作し、帳簿の付け方も学んだ。  

この時期、自宅にこもって仕事をするだけでは外の世界との繋がりが持てず、仕事に発展性がないことを悟った。やはり外に開かれたアトリエやショーウインドーを持って未知の顧客との接点を作るべきと考え、場所探しに奔走し、ようやく見付けたのが現在のアトリエ兼店舗だ。「店を持ったことは大きな一歩だった。でも自宅と店舗、両方の家賃を払わなければならないし、お客様が試着できるよう自分のコレクションをデザインし、たくさん縫わなければならなかったし。大変なエネルギーが必要だった」。現在は帽子デザイナーとアトリエをシェアし、お互い助け合いながら店を経営している。  

「今はまだ、来る仕事は拒まず、何にでも挑戦する準備期間だと思っているの。だから仕事の内容は実にさまざま。婚礼衣装の仕立もやるし、舞台衣装も、衣装単位で注文が入ることがある。劇場で働いていた頃と違うのは、100%自分の責任で仕事ができること、そして自分のアイデアを製作に反映できること。この自由はとても大きいわ」。  ユリアの尽きないアイデアは、彼女のコレクションに溢れんばかりに表現されている。グリュンダーツァイトと呼ばれる産業化時代(19世紀後半)や1940~50年代の服装が大好きという彼女の服には精巧で確かな技術、伝統衣装を学んだ経験が活きた独自のテイストが感じられる。これからの活動はますます楽しみだ。

Julia Vahjen
Haus für Kunst und Handwerk, Atelier 2.OG
Koppel 66, 20099 Hamburg
Mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
Tel: 040-38650806
www.juliavahjen.de

 
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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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