Hanacell
シュテファン・ニーゼ
パーキーパー歴30余年のウヴェ。
TVドラマにバーテンダー役で出演することも

ドイツ・カクテル界の仕掛人



今回の仕事人
Uwe Christiansen
ミクソロジスト。ドイツ・カクテル界の第一人者。22歳で南アフリカに移住し、同地でバーキーパー修業を積む。帰国後は6年にわたり国際航路客船のバー・マネジャーとして働く。1991年にハンブルクのカクテルバー「アンジーズ・ナイトクラブ」を企画し大成功させる。97年にカクテルバー「クリスチアンゼンズ」を開業。コンサルタントとしても活躍中。

インフォメーション
Christiansen‘s Fine Drinks & Cocktails
Pinnasberg 60
20359 Hamburg
Tel: 040-3172863
www.christiansens.de

地下室のハウスバー

ウヴェ・クリスチアンゼン(56)はシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の小さな村で育った。両親は村で唯一のセルフサービスのスーパーマーケット「スパー(SPAR)」を営業。6歳になると名札つきの上っ張りをプレゼントされ、商品陳列のお手伝いをしていた。「店を手伝うことが誇らしかったんだ」そう彼は振り返る。

18歳のとき、迷うことなく食品小売商を志望。イッツェホー市の「スパー」で実習した。その頃、自宅の地下室をバーに改造、入門書を買ってきてカクテルを作り始めた。「なぜカクテルを作り始めたのか覚えていないんだ。子供の頃、休暇でカナリア諸島に行ったとき、現地のバーでバーキーパーを見たり、お客が珍しいカクテルを飲むのを見たことが印象に残っていたせいかもしれない」と言う。両親は店で扱っていないスピリッツ類も取り寄せるなど協力的だった。「バーキーパーになりたい」と思い始めたのはこの頃だ。

南アフリカでバーキーパー修業

商工会議所の食品小売業者養成コースを終了したら、外国に行こうと決めていた。父に相談すると「スパーは世界各地に業務展開しているから、そこで働けばいい」と応援してくれた。当時、英国、アイルランド、 メキシコ、 南アフリカ、そして日本の「スパー」のマネジャーのポストが空いていた。英語が通じる遠い国を、と南アフリカを選んだ。ウヴェの仕事は、ダーバン市の「スパー」のマネージメントと現地社員の教育。ドイツと全く異なる生活習慣と直面し、文化の違いを思い知らされた。

南アで過ごして3年目、現地の一流ホテルで、あるバーキーパーの姿を見てくぎ付けになった。ウヴェは、彼がカクテルを作る姿を見たくて、バーに通い、一番安いビールを注文して彼の仕草を追った。ある日彼と言葉を交わしたら、ハルツ出身のほぼ同年齢のドイツ人だった。その彼とは生涯の友人となる。

彼はちょうどケープタウンへの引っ越しを計画中で、ウヴェも一緒に引っ越すことにした。間もなく彼は、ドイツ人が経営するナイトクラブ「チャーリー・パーカー」のバーキーパーの職を見つけ、ウヴェは、同じ店のレストラン部門で働いた。その後ウヴェはバーの見習いに配属され、友人からカクテルの全てを学んだ。

クルーズ船でキャリアを積む

やがて2人は、もっと世界を見聞したいと思い始める。その頃、偶然にもハンブルクの船会社が、所有していた客船アストア号の採算が取れず、ケープタウンの会社に売却することになり、友人はこの船のバーキーパーの職を得た。ウヴェは経験不足でバーでは採用されなかったが、スチュワードとして雇ってもらえた。南アフリカなどで話されているアフリカーンス語を話せたので重宝され、6週間後には客船内の全てのレストランのマネージメントを任された。バーキーパーとして働きたかったが、上司はウヴェのマネジャーとしての才能を買って、バーに配属してくれない。悩んだ末、ウヴェは船を降りることにした。

ケープタウンに戻ったウヴェは、 かつてDJの仕事をした経験を活かし、ファッションショーなどの音響担当の仕事に就いた。そんなある日、友人も船上での仕事を辞め、ケープタウンに戻って来た。2人はしばらく一緒に、カクテルを提供するナイトクラブを共同経営したが、世界を見聞したいという夢は捨てられず、ともにケープタウンでの生活に終止符を打ち、一旦ドイツに戻って仕事を探すことにした。その後2人は、それぞれに客船でのバーキーパーの職を見つけ、別の船で働いた。ウヴェはハンブルク・英国間を航行していたハンブルク号、英国の遠洋航海客船クイーン・エリザベス号などでバーチーフを務めた。船上で働いた6年の間、ウヴェは世界各地のカクテルレシピを収集した。

ライブとカクテルの融合で一斉を風靡

1991年に帰国すると、加盟していたドイツ・バーキーパー連盟から、新装オープンするハンブルクの「シュミッツ・チボリ」劇場が、同じ建物内にオープンする「アンジーズ・ナイトクラブ」のチーフ・バーキーパーを探しているという情報を得た。ウヴェは早速、ハンブルクまで面接に出かけた。「僕は当時スモーカーで、面接を待つ間、Westというブランドのたばこを吸っていたんだ。そこにオーナーのコルニー・リットマンがやってきて、『君はWestを吸うのかい? じゃ、採用は決まりだ。Westはうちのスポンサーなんだ』と言って採用してくれたんだ」ウヴェは楽しそうに語る。

ウヴェはナイトクラブのコンセプトを一緒に練ることになり、当時のハンブルクにはなかった、ライブ音楽が楽しめるカクテルバーを提案。メニューには約100種類のカクテルを網羅した。 店は大成功、「アンジー」にいた6年間、ウヴェの仕事はメディアの注目を浴び、カクテルのコンサルタント業務やイベント業務がいくつも舞い込むようになった。

理想の店をハンブルクに

ウヴェは1997年に念願だった自分の店「クリスチアンゼンズ」を開業した。ある日、知り合いのバーのオーナーが店舗を売りたい、とウヴェのところに相談にきた。その物件が、静かで落ち着いた店を持ちたいと思っていた彼の理想にぴったりで、自ら購入することにした。

メニューには、彼が暮らしたり旅したことのある全ての国のカクテルを取り入れている。「レモンドーリ」などウヴェのオリジナルレシピも多い。常備しているスピリッツは850種類、カクテルメニューは通常の店の倍の200種類ある。オリジナルカクテルの注文があれば、お客のカルテを作り、そのお客が訪れたときに誰もが提供できるようにしている。

ウヴェは現在、コンサルタント業務を数多く手がけるほか、テレビ番組の企画準備に奔走中。また、シリアから避難してきたバーテンダー経験者を、近々実習生として受け入れる予定だという。

ウヴェはスピリッツ類の商品化にも取り組んでいる。これはプロデュースしているリキュールの一例
ウヴェはスピリッツ類の商品化にも取り組んでいる。
これはプロデュースしているリキュールの一例

 
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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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