Hanacell

デュイスブルクの悲劇

テクノミュージックの祭典として知られる「ラブパレード」は、惨劇の場に変わった。7月24日の夕刻、デュイスブルクで開かれたラブパレードの会場入り口付近の通路で群衆が将棋倒しとなり、21人が死亡し500人以上の観客が重軽傷を負ったのである。

今回の事故の最大の疑問は、100万人を超える観客が集まるラブパレードの会場に、なぜ1カ所の入り口しか設けなかったのかということである。この入り口には東と西からトンネルを通じて群衆が押し寄せただけではなく、会場を去ろうとした人々も流れ込んできたため、押し合いへし合いとなった。人ごみのせいでほとんど身動きがとれなくなったのに、さらに人々が押し寄せてきた。そしてパニックに陥った若者たちが階段から逃げようと押し寄せたために、この階段の周りで人々が圧死したのである。

ベルリンで開催されたラブパレードの会場では、周囲にティアガルテンという公園があるので、人ごみが膨らんでも群衆は緑地に拡散することができた。だがデュイスブルクでは、トンネルとコンクリートの谷間のようになった通路のために人々は周囲に散ることができず、パニックが発生した。

事故が発生する前の週、デュイスブルク市民の中には「50万人しか入れない場所に、100万人を超える人が集まって大丈夫なのか」「狭いトンネルを会場への入り口にするのは危ない。市当局は、ラブパレードをキャンセルすべきだ」という指摘をインターネット上で発表する者もいた。さらに、「これほどの規模の催しには4000人から5000人の警備員が必要だが、デュイスブルクでは1000人の警備員しかいなかった」という批判も出ている。

検察当局は、安全管理に手落ちがあったものとみて、業務上過失致死傷の疑いで捜査を始めた。主催者であるLopavent社が民事上、刑事上の責任を問われることはほぼ間違いないが、同社の計画に修正を求めなかったデュイスブルク市役所と地元警察にも、批判の矛先が向けられるだろう。

もしも主催者がコストを節約するために、十分な数の警備員を配置せず、会場への入り口を1つに絞ったのだとしたら、「収益を上げるために観客の生命を危険にさらした」と批判されても仕方がない。

私は1980年に3カ月間ドイツの銀行で研修生として働いたことがあり、その時にデュイスブルクに住んだ。人々はとても親切だったが、工場からの煤煙でくすんだ町には、どことなく悲しいムードが漂っていた。デュイスブルクは19世紀の産業革命以来、製鉄業と石炭産業で栄えたが、第2次世界大戦後に重厚長大産業が重要性を失ってからは、斜陽の雰囲気が強くなっていた。このため同市は今年、「ヨーロッパ文化都市」に指定され、積極的な文化事業による再生を図っている。ラブパレードを催したのも、そうした「町おこし」の努力の一環である。

だが今回の事故のために、デュイスブルクのラブパレードは「人命を顧みない無謀なプロジェクト」の代名詞として記憶されてしまうかもしれない。ラブパレードは犠牲者への配慮から、今回が最後になるとみられているが、将来大規模なイベントを企画する企業は、市民の安全を最優先にしてもらいたいものだ。

6 August 2010 Nr. 828

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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