Hanacell

コーラン配布とイスラム原理主義

ドイツでは、イスラム教の中で最も保守的な「サラフィズム」運動についての論争が激しくなっている。そのきっかけは、今年4月初めから、「サラフィズム」を信奉するイスラム教徒(サラフィス)たちが、ノルトライン=ヴェストファーレン州、ヘッセン州、ベルリンなどの35カ所の町で、約30万部のコーランを路上で通行人に配ったことである。

このキャンペーンは4月中旬にバーデン=ヴュルテンベルク州でも行われたが、市民の関心は高く、多くの町では準備されたコーランが1時間でなくなってしまったという。

ドイツの治安当局はコーラン配布キャンペーンに神経を尖らせている。ヘッセン州のボリス・ライン内相は、「全国のサラフィストたちがライン・マイン地区での活動を強めている」として、地方自治体に対し、このキャンペーンに注意するよう呼び掛けている。配布されたコーランは、サラフィズム組織「真の宗教」が、ウルムにある印刷会社に刷らせたものだが、この印刷会社はコーランの印刷を中止することを明らかにした。なぜ治安当局は、サラフィズムを警戒するのだろうか。

サラフィズムは、イスラム教の中でも特に信者に戒律を厳しく守るよう求める保守的な流れ。ただし現代社会でサラフィズムは、個人的な信仰生活だけではなく、政治的な原理主義運動にも重なる部分がある。

つまり、過激思想を持つ一部のサラフィストは、西欧の価値観に挑戦する「聖戦(ジハード)」を行おうと考えているからだ。たとえばイスラム系テロ組織アルカイダの指導者だったオサマ・ビン・ラディンや、2001年に米国で同時多発テロを起こした実行犯たちは、サラフィズムを信奉していた。

ドイツには約5000人のサラフィストがいると推定されているが、憲法擁護庁は「一部のサラフィストの思想は、自由を重んじる民主主義社会とは相容れない」と見ている。ライン内相は昨年6月の全国内相会議で、「サラフィズムはイスラム系テロの温床だ」と断言した。

実際、何者かがコーラン配布キャンペーンについて批判的な記事を書いた新聞記者の名前と顔写真を公表し、「我々はこの悪人たちについて細かい情報を掴んでいる」という威嚇的な内容を含んだビデオを一時インターネット上で公開していた。

イスラム教は、元々平和を愛する宗教である。このため、私はすべてのイスラム教徒を危険視したり差別したりすることには反対である。しかし一部のイスラム教徒が、西欧社会に対して憎悪を抱いていることも事実である。

ドイツではイスラム教徒に改宗する市民が徐々に増えているが、中には原理主義の思想に感化されてテロリストへの道を歩む者もいる。今日ではインターネットの世界にサラフィズム組織の宣伝が氾濫している。イスラム教指導者のドイツ語の説教のビデオを簡単に見ることもできる。私は、今後もイスラム教徒に改宗するドイツ人は増えると思っている。

その理由は、「欧米社会の市民は、企業のために働いて消費し娯楽に興じるだけの、物質文明の奴隷であり、人生の本当の意味を考えようとはしていない」というサラフィズム組織のメッセージに、ハートをつかまれる若者が後を絶たないからだ。現代社会に失望感や空しさを抱いている市民は少なくない。欧米社会がこの批判に対して説得力のある解答を出さない限り、サラフィズムに誘惑されるドイツ人は増えていくだろう。

21世紀のドイツ、そしてヨーロッパの市民社会にとって、イスラム原理主義への対応は最も重要な課題の1つである。

27 April 2012 Nr. 916

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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