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米英のネット盗聴とドイツ

「米国と英国の諜報機関が、テロ捜査の一環として、インターネット上の市民の会話やメールのやりとり、携帯電話による会話を傍受し、膨大なデータを蓄積している」。米国人エドワード・スノーデンがマスメディアに対して暴露した情報は、全世界に衝撃を与えた。

元CIA職員の告白

個人情報
ドイツでは個人情報や通信内容を守ろうとする傾向が強い

彼は米国の諜報機関である中央情報局(CIA)と国家安全保障局(NSA)で勤務した経験を持つ。さらに、NSAの下請けである民間企業で働いたこともある。

彼は「テロリストであるという疑いがなくても、市民は政府によって監視され、通信の秘密などの基本的な人権を侵害されている」と主張して、機密を暴露した。元CIA・NSAの職員が、諜報機関の監視システムという機微に触れるテーマについてここまで率直に語ったのは、珍しいことだ。米国政府は、スノーデンを国家反逆罪などで起訴。香港に滞在していたスノーデンはエクアドルに亡命を申請したが、本稿を執筆している6月末の時点ではモスクワ空港のトランジット・エリアで足止めを食っている。

米国政府は、国家に対する反逆者に厳しい制裁を加える。冷戦時代に東ドイツの諜報機関に情報を流していたNSAの職員ジェームズ・ホールは1988年に米国の捜査当局に逮捕され、禁固40年の刑を受けている。スノーデンも米国に送還された場合、重い刑を受けることは確実だ。

ドイツ政府の批判

ドイツでは、米英がネット上の情報を監視、蓄積していたことについて激しい怒りの声が上がっている。その反応は、日本や英国などに比べてはるかに激しい。例えば英国の諜報機関「政府通信本部(GCHQ)」が、米国と欧州を結ぶ光ケーブル回線の盗聴を行っていたというニュースが流れると、ドイツ連邦司法省のロイトホイサー=シュナレンベルガー大臣は「ハリウッド映画が現実になったような悪夢だ。もしも報道の内容が事実だとすれば、大変なことだ。欧州連合(EU)は直ちに調査を始めるべきだ」と述べた。また、メルケル政権の報道官も「ドイツ政府は報道の内容を重く見ている。調査した上でコメントする」と述べている。メルケル首相は6月中旬にベルリンを訪れたオバマ米大統領との会談でもこの問題を取り上げた模様だ。

自由民主党(FDP)の連邦議会議員団で、内政問題を担当するピルツ議員は「市民の通信内容の分析は、法治国家の原則を侵害する。EUでは、政府機関が技術的に可能な手段をすべて駆使して監視を行わないというのが、政府と市民の間の暗黙の了解となっていたはずだ」と述べ、米英の態度を厳しく批判した。

ナチスとシュタージの影

なぜドイツでは、この問題に対する関心が高いのか。それは、ナチスドイツが秘密国家警察(ゲシュタポ)や保安局(SD)などによって国内外に監視網を張り巡らせて、市民の一挙手一投足を見張っていたという歴史と関係がある。外国のラジオ放送を聴いたり、ヒトラーを批判したりした者は密告されて罰せられた。

この伝統は、東ドイツ政府によって引き継がれた。社会主義政権は、国家保安省(シュタージ)に強大な権力を与える。シュタージは市民の間にスパイ(非公然協力者=IM)を送り込んで、四六時中人々の言動や行動に監視の目を光らせていた。反体制派とみなされた人物については、電話や自宅での会話の盗聴、手紙の開封は日常茶飯事。盗聴によって集められたデータに基づき、社会にとって有害な人物と烙印を押された者は、投獄されたり、国外へ追放されたりした。

ドイツ人は、過去2度にわたり独裁政権が強大な監視網によって人権を踏みにじっていたことを反省し、個人情報の保護や通信内容の厳守を極めて重視しているのだ。私は23年間ドイツで働いて、この国では個人データを守ろうとする傾向が、日本や米国よりもはるかに強いことを学んだ。

テロ捜査と市民権の制限

米国政府は、NSAの監視プログラム「プリズム」が監視していたのは米国民ではなく外国人だったことを明らかにしている。オバマ米大統領は、「監視は裁判所の許可の下に行われた」とした上で、プリズムによって複数のテロ計画を事前にキャッチし、犯行を防ぐことができたと釈明している。その中には、ドイツで計画されていたテロ攻撃も含まれていたという。

スノーデンの告白によると、NSAが監視、蓄積していたデータの中で、ドイツに関する情報は特に多かった。これは、2001年に米国で同時多発テロを実行したモハメド・アタらがドイツに拠点を持っていたことなどから、米国の諜報機関がドイツに住むイスラム過激派に対する監視を強めていることを示唆している。

テロ組織に最も頻繁に狙われている米国や英国では、「テロを防ぐために政府が監視の目を光らせるのはやむを得ない」として、ドイツに比べると政府による情報収集を容認する傾向が強い。さらに一部の米国人は、「重大なテロ行為を防ぐためには、容疑者の拷問や令状なしの拘留も正当化される」と考えている。ドイツでは想像もできないことだ。ドイツと米英の間には、「テロ捜査のための市民権の制限」について考え方のギャップがあるのだ。

9・11を境に米国は、それ以前と異なる国になった。今後もドイツと米英の間ではテロ捜査をめぐって様々な意見の違いが表面化するだろう。

5 Juli 2013 Nr.957

 

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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