独断時評


虐殺を記憶する国ドイツ

ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所跡に行かれたことがあるだろうか。私自身は、取材で3回訪れたほか、この煉獄を生き残った被害者たちにインタビューをしたことがある。1トンを超える死者たちの髪の毛の山、被害者たちの義足や義手、カバン、靴の山。親衛隊員が撮影した被害者たちの大量の写真。ナチスが作った殺人工場は、「人間はどこまでほかの人間に対して狼になれるか」という問いを突き付けてくる。

ドイツには、青少年のアウシュヴィッツへの研修旅行を支援するNPO(非政府系組織)がいくつかある。ベルリンのプロテスタント系組織「償いの証」(Aktion Sühnezeichen)は有名だが、デュッセルドルフにも2010年に「心に刻むことを可能にしよう(Erinnern ermöglichen)」という財団が創設された。

これは当時ノルトライン=ヴェストファーレン州の首相だったユルゲン・リュトガース氏と、2人の企業家が作った団体で、同州のすべての生徒たちにアウシュヴィッツへの旅を体験させることを目的としている。この財団は国からの支援は全く受けていないが、アウシュヴィッツへの旅行に参加する青少年1人につき、旅費を200ユーロ補助する。この2年間に、同財団の援助を受けてアウシュヴィッツを訪れたノルトライン=ヴェストファーレン州の生徒数は4000人に達する。

ドイツでも歴史の記憶が風化する兆しが見えている。ホロコーストを生き延びた人の数は、少なくなる一方だ。やがては、ナチス時代について証言できる人がゼロになる時代がやってくる。

アウシュヴィッツ強制収容所跡を訪れるドイツ人も、近年減る傾向にある。フォルザ社が行なった世論調査によると、30歳以上のドイツ人の95%はアウシュヴィッツが何であるかを知っていたが、30歳以下の回答者の内21%は、アウシュヴィッツがナチスの強制収容所の名前であることを知らなかったという。

国家社会主義地下組織(NSU)のテロ事件に表われているように、この国には今も外国人排斥を求める極右勢力が厳然と存在している。

それだけに「心に刻むことを可能にしよう」財団が、子どもたちにナチスの犯罪を伝えようとしていることは、有意義である。今日、ドイツが欧州連合のリーダー格の国として、各国から信頼されている背景には、この国の政府と国民が50年近くにわたってナチスの過去と対決し、歴史的事実を若い世代に語り継いできた努力がある。もしもドイツがこうした努力を怠り、歴史教科書の中でナチス時代を十分に取り上げていなかったら、かつて被害を与えた国々から信頼されることは決してなかっただろう。ドイツの首相や大統領は、イスラエルを訪問するたびに必ずホロコースト犠牲者の慰霊碑を訪れ、謝罪する。

日本とドイツの歴史を単純に比べることはできない。それでも、アジアでいまだに戦争中の虐殺事件をめぐる論争が行なわれていることには、心を痛めざるを得ない。

1989年にボンでインタビューしたヴィリー・ブラント元首相の言葉が、今も心に残っている。「自分の国の歴史を批判的にとらえる国は、周りの国々と友好関係を深めることができる。若者たちは、前の世代が行なった犯罪について、直接の責任はない。しかし若者は、自分の国の歴史から抜け出すことはできないということも、理解しなくてはならない。若者は歴史の良い点だけではなく、暗い面にも目を向けるべきだ」。私は、この言葉がドイツだけではなく、すべての国に当てはまると考えている。

25 Mai 2012 Nr. 920

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:53
 

ギリシャ危機・再燃

5月6日は、ユーロ危機との戦いが暗礁に乗り上げた日として歴史に残るかもしれない。この日、フランスとギリシャでユーロの将来に大きな影響を与える選挙が行なわれたのだ。どちらの国の有権者も、ドイツのメルケル首相が進めてきた財政規律の強化、緊縮策に反対する意志を表わした。

フランスでは、社会党のフランソワ・オランド氏が決選投票で現職のサルコジ大統領を破った。オランド氏は、「ドイツの緊縮策だけでは不況が深刻化するだけで、ユーロ危機が長引く。一時的に借金が増えても景気を刺激する政策によって、過重債務国の経済成長を促すべきだ」として、欧州連合(EU)加盟国の内25カ国が昨年12月に首脳会議で調印した「財政協定」の見直しを求めている。さらにオランド氏は、EU共同債(ユーロ・ボンド)の発行や、欧州中央銀行による加盟国政府への直接融資などを提案している。いずれもドイツ政府が強く反対している政策だ。

サルコジ大統領は、これまでドイツ政府の緊縮路線を支持してきた。つまりメルケル首相は重要な「盟友」を失ったのだ。独仏間では、今後ユーロ救済策をめぐって意見の違いが目立つようになるだろう。

フランスよりも深刻なのは、ギリシャの選挙結果だ。これまで連立政権を形成していた新民主主義党(ND)と全ギリシャ社会主義運動(PASOK)は、EUと国際通貨基金(IMF)が要求した緊縮策を支持していた。これらの党が国民議会選挙で惨敗し、緊縮政策に反対している極左政党が大躍進して第二党の座にのし上がったのだ。

PASOKの得票率は前回の選挙では43.9%だったが、今回は13.1%に急落。NDの得票率も33.5%から18.9%に下がった。両党の議席数を合わせても149議席で、過半数に満たない。NDとPASOK以外の政党は、すべて緊縮政策に反対している。つまり連立与党は、緊縮策に反対する政党を加えなければ、議会で過半数を占めることが不可能な状況にある。

ギリシャ国民はこの選挙を通して、EUなどが求めてきた「痛みを伴う構造改革」にはっきり「オヒ(ギリシャ語でノーのこと)」と言ったのだ。彼らは投票によって、EUとドイツに対する怒りと不満を爆発させたのだ。

その結果、緊縮策を拒否する左派連合(SYRIZA)の得票率は約3倍に増え16.8%となった。同党のアレクセス・チプラス党首は、「ドイツ首相による緊縮政策は、この選挙で大敗した。EUによるギリシャに対する野蛮な支配には終止符が打たれた」と語っている。彼はユーロ圏からの脱退は求めていないが、ほかのユーロ圏加盟国からの融資の返済は拒否する方針。さらに、将来EUやIMFが求める緊縮政策や改革についての文書には、一切署名しないと語っている。

NDのアントニス・サマラス党首は、5月8日に連立政権に関する交渉を断念した。ギリシャでは選挙で最も得票率が高かった3つの党が組閣を試みて、不可能な場合には再び選挙を行なわなくてはならない。左派連合とPASOKが組閣に成功するとは考えにくいので、再選挙の可能性が高まっていると言うべきだろう。

ギリシャ政府は、今年3月にEUとIMFから1300億ユーロの緊急融資を受けること、民間の債権者が1070億ユーロの借金の回収を断念する代わりに公務員の数を3年間で15万人減らすこと、年金支給額の削減などを含む緊縮政策に同意していた。今回の選挙結果によって、ギリシャ政府がこれらの政策を約束通りに実行するかどうかは不透明になった。欧州委員会は、「ギリシャ政府との取り決めを変更することは不可能」として、同国に対して緊縮策の実行を求めている。ユーロ圏諸国の頭上には、再び暗雲が 垂れ込め始めた。

18 Mai 2012 Nr. 919

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:53
 

フランス大統領選とドイツ

4月22日、日曜日のパリ。「強いフランスを」と書いたサルコジ大統領の選挙ポスターと、「今こそ変革を」と大書したオランド氏のポスターが、街の至る所に貼られていた。各所に設けられた投票所に、人々が吸い込まれていく。

この日行われた第1次大統領選挙で、国民はサルコジ大統領に痛撃を与えた。彼の得票率は27.06%で、オランド氏の得票率(28.63%)を下回ったのだ。現職の大統領の得票率が1次選挙で対立候補のそれを下回ったのは、戦後フランスで初めてのことである。また、極右政党フロント・ナショナール(FN)のマリーヌ・ル・ペン候補は、父親の跡を継いだ初出馬にもかかわらず、18.03%の得票率を記録。5年前の選挙で父親が確保した得票率を、ほぼ2倍に増やした。

5月6日の決選投票は、サルコジ大統領とオランド氏の対決。本稿が掲載される頃には、次期大統領が判明しているが、現在の情勢を見るとオランド氏が政権を担当する可能性が強い。

フランス国民は、第1次選挙でサルコジ氏にはっきり「ノン」の意思表示を行った。彼は2007年に大統領としてエリゼー宮で執務を始めて以来、目立った業績を上げることができなかった。公務員、特に教員数の削減や年金支給開始年齢の引き上げについての提案は、多くの国民を怒らせた。

フランス労働省によると、今年3月の失業者数は約312万人。11カ月間連続で増え続けている。2011年のフランスの経済成長率は1.6%で、ドイツ(3%)に大きく水を開けられた。昨年、フランスの貿易赤字は、ユーロ安にもかかわらず、700億ユーロ(7兆3500億円・1ユーロ=105円換算)という、同国の歴史で最悪の水準に達した。隣国ドイツが貿易黒字を2%増やして1581億ユーロ(16兆6000億円)に拡大させたのとは対照的である。

オランド氏が大統領に就任した場合、ドイツの欧州政策にも大きな影響が出る。サルコジ大統領は、「メルコジ」と呼ばれるほどメルケル首相に対して協調的な姿勢を取ってきた。特に2009年末から深刻化しているギリシャやスペインの債務危機をめぐっては2人が共同歩調を取り、EUのリーダーとしての役割を演じてきた。メルケル氏は、ユーロ加盟国が公的債務や財政赤字を削減し、リスボン条約が定める基準を厳格に守るよう要求してきた。ドイツはギリシャなどに対する緊急融資や保証額の中で、最大の負担を強いられているからだ。サルコジ氏はフランスの大統領としては珍しく、ドイツの緊縮政策に強く反対しなかった。それどころか、彼は国民に対して「社会保障を削減して雇用を拡大し、ダイナミックな経済成長を続けるドイツを見習うべきだ」と主張してきた。

しかしオランド氏は、選挙戦の中で「加盟国に財政規律と緊縮策だけを要求するドイツの政策は、十分ではない。もっと加盟国の成長を促すような拡大的な経済政策も必要だ」として、昨年12月にEU首脳会議で基本的に合意された、財政規律に関する条約を見直す姿勢を打ち出した。さらに彼は欧州中央銀行に対しても、過重債務国に対する支援を強化することなどを求めていく方針だ。これも、欧州中銀の政府からの独立を重視するドイツ政府の姿勢とは相容れない。「ユーロ圏脱退」を求めるFNが20%近い得票率を取ったことは、オランド氏も無視できない。仮にサルコジ氏が大統領として続投することになっても、フランスはユーロや欧州統合に関するドイツの政策に対して挑戦的な態度を取るようになるだろう。ドイツ政府は今後、欧州政策をめぐって数々の厳しい状況に直面するに違いない。

11 Mai 2012 Nr. 918

最終更新 Mittwoch, 09 Mai 2012 16:56
 

日独・原子力規制の違い

昨年3月11日に福島第1原発で起きた炉心溶融事故は、1986年のチェルノブイリ事故以来、世界最悪の原子力事故となった。西側の先進工業国で「レベル7」の過酷事故を起こしたのは、日本だけである。

IAEA(国際原子力機関)などの国際機関や外国のメディアは、日本政府の原子力規制がずさんだったことを、事故の間接的な原因の1つとして指摘している。特に原子力を規制し安全を確保するべき原子力安全・保安院が、原子力を推進する経済産業省の傘下にあったことは、大きな問題だ。規制当局が原子力推進の旗振りをする役所の傘下にあったら、批判的な立場から実効力のある規制を行うことは難しい。

英国のエコノミスト誌は、「人体に有害な放射性物質を扱う原発を安全に運営するには、規制当局が常に批判的な質問をすることが必要。さもなければ安全性の文化(Safety Culture)は確保できない。日本にはこの安全性の文化がなかった」と指摘している。

ドイツ政府は、チェルノブイリ事故が起きた1986年に環境省を創設して、原発の規制と安全管理を担当させた。それまでは、環境行政に関する権限が内務省、厚生省、農業省に分散していたため、効率が悪かった(原子力の安全確保は、当初旧原子力省の流れをくむ科学研究省が担当していたが、70年代に管轄が内務省に移されていた)。政府はチェルノブイリ事故がドイツにもたらした放射能汚染を重く見て、原発の規制と安全確保をより効果的に行なうために、新しい省を作ったのである。一方、原子力を含むエネルギー政策全体については、経済技術省が担当していた。つまりドイツは福島事故の25年前から、すでに経済省から独立した原子力規制官庁を持っていたのだ。

またドイツの州政府が原子力行政の中で持っている権限は、日本の都道府県知事に与えられている権限とは比較にならないほど大きい。例えば原子炉の運転許可は、原則として連邦政府ではなく、発電所がある州政府の規制官庁が与える。つまり、州政府は電力会社から原子炉の運転許可を剥奪することもできるのだ。ある電力会社が原発の所長にある人物を任命しようとしたところ、州政府が「適格性に欠ける」として突っぱねたこともある。

連邦環境省が担当しているのは、国全体に関わる原子力規制、さらに各州の原子力規制に関する基準に統一性があるかどうかを監視することである。原発を運営する大手電力会社は、連邦政府と州政府による二重の監視体制の下に置かれているのだ。

福島事故以降、日本政府も原子力規制官庁を経済産業省から外して環境省の外局とし、独立性を高める方針だ。このことは大いに歓迎されるべきだが、福島事故から1年以上が経った今でも原子力規制庁が発足していないのは困ったことである。本来は4月1日にスタートを切るはずだったが、野党が「環境相の傘下に置かれるのでは、原子力規制庁の独立性がまだ十分ではない」として、規制庁を公正取引委員会のような国家行政組織法三条に基づく委員会(三条委員会)にすべきだと主張しているからだ。

政府は一刻も早く対案を示して野党を説得し、原子力規制庁を発足させて欲しい。規制庁がスタートしないので、内閣府原子力安全委員会の班目春樹氏ら、福島事故発生以前からの「原子力規制メンバー」は新年度が始まっても留任している。斑目氏は、当時の菅首相から「原子炉建屋が爆発することはないのか」と尋ねられて「窒素が充填されているから爆発はあり得ません」と答えたものの、直後に爆発が起きたため、首相の前で「あー」と言って頭を抱えるしかなかった人物。

日本の原子力規制が「安全性の文化」を本当に確立できるかどうか、世界中が見守っている。

4 Mai 2012 Nr. 917

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:53
 

コーラン配布とイスラム原理主義

ドイツでは、イスラム教の中で最も保守的な「サラフィズム」運動についての論争が激しくなっている。そのきっかけは、今年4月初めから、「サラフィズム」を信奉するイスラム教徒(サラフィス)たちが、ノルトライン=ヴェストファーレン州、ヘッセン州、ベルリンなどの35カ所の町で、約30万部のコーランを路上で通行人に配ったことである。

このキャンペーンは4月中旬にバーデン=ヴュルテンベルク州でも行われたが、市民の関心は高く、多くの町では準備されたコーランが1時間でなくなってしまったという。

ドイツの治安当局はコーラン配布キャンペーンに神経を尖らせている。ヘッセン州のボリス・ライン内相は、「全国のサラフィストたちがライン・マイン地区での活動を強めている」として、地方自治体に対し、このキャンペーンに注意するよう呼び掛けている。配布されたコーランは、サラフィズム組織「真の宗教」が、ウルムにある印刷会社に刷らせたものだが、この印刷会社はコーランの印刷を中止することを明らかにした。なぜ治安当局は、サラフィズムを警戒するのだろうか。

サラフィズムは、イスラム教の中でも特に信者に戒律を厳しく守るよう求める保守的な流れ。ただし現代社会でサラフィズムは、個人的な信仰生活だけではなく、政治的な原理主義運動にも重なる部分がある。

つまり、過激思想を持つ一部のサラフィストは、西欧の価値観に挑戦する「聖戦(ジハード)」を行おうと考えているからだ。たとえばイスラム系テロ組織アルカイダの指導者だったオサマ・ビン・ラディンや、2001年に米国で同時多発テロを起こした実行犯たちは、サラフィズムを信奉していた。

ドイツには約5000人のサラフィストがいると推定されているが、憲法擁護庁は「一部のサラフィストの思想は、自由を重んじる民主主義社会とは相容れない」と見ている。ライン内相は昨年6月の全国内相会議で、「サラフィズムはイスラム系テロの温床だ」と断言した。

実際、何者かがコーラン配布キャンペーンについて批判的な記事を書いた新聞記者の名前と顔写真を公表し、「我々はこの悪人たちについて細かい情報を掴んでいる」という威嚇的な内容を含んだビデオを一時インターネット上で公開していた。

イスラム教は、元々平和を愛する宗教である。このため、私はすべてのイスラム教徒を危険視したり差別したりすることには反対である。しかし一部のイスラム教徒が、西欧社会に対して憎悪を抱いていることも事実である。

ドイツではイスラム教徒に改宗する市民が徐々に増えているが、中には原理主義の思想に感化されてテロリストへの道を歩む者もいる。今日ではインターネットの世界にサラフィズム組織の宣伝が氾濫している。イスラム教指導者のドイツ語の説教のビデオを簡単に見ることもできる。私は、今後もイスラム教徒に改宗するドイツ人は増えると思っている。

その理由は、「欧米社会の市民は、企業のために働いて消費し娯楽に興じるだけの、物質文明の奴隷であり、人生の本当の意味を考えようとはしていない」というサラフィズム組織のメッセージに、ハートをつかまれる若者が後を絶たないからだ。現代社会に失望感や空しさを抱いている市民は少なくない。欧米社会がこの批判に対して説得力のある解答を出さない限り、サラフィズムに誘惑されるドイツ人は増えていくだろう。

21世紀のドイツ、そしてヨーロッパの市民社会にとって、イスラム原理主義への対応は最も重要な課題の1つである。

27 April 2012 Nr. 916

最終更新 Mittwoch, 09 Mai 2012 16:58
 

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