独断時評


NRW選挙とギリシャ危機

5月9日に行われるノルトライン=ヴェストファーレン(NRW)州議会選挙は、今年ドイツで最も注目されている政治イベントである。NRW州はドイツ最大の人口を有しているため、州議会選挙は連邦レベルの政局を占う上でも重要なのだ。さらに、政界関係者やジャーナリストの間では、ギリシャの債務危機が今回のNRW州議会選挙に対し、どのような影響を及ぼすかについて急速に関心が高まっている。

4月23日、多額の債務に苦しむギリシャ政府は、欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)に対して、緊急融資を要請した。

ギリシャ政府は、2009年度の財政赤字が国内総生産(GDP)に占める比率を12.7%から13.6%に上方修正した。このため格付け機関は同国の信用格付けを引き下げ、ギリシャ国債の利回りはリスクプレミアムのために13%という驚異的な水準に達した。ギリシャは2360億ユーロ(約28兆3200億円)もの債務を抱えている。しかし、国際金融市場で国債を売って資金を調達するのはもはや不可能と考えて、EUとIMFに泣きついたのだ。

EUとIMFは総額1100億ユーロを融資する。その内EUの負担額は800億ユーロ。ドイツはEUの融資のおよそ28%、つまり224億ユーロ(約2兆6000億円)を負担させられるが、これはEU加盟国の中で最も多い。このことについて、ドイツ国民の間では不満の声が高まりつつある。「ギリシャは自国の債務に関するデータを改ざんして低く見せることによって、欧州通貨同盟に入った。外国政府のずさんな政策のつけを、なぜドイツの納税者が払わされるのか」ということだ。ギリシャに貸す1兆円の金を、ドイツ国内の減税に回してほしいという声が出て来てもおかしくない。

このためメルケル政権は日に日に苦しい立場に追い込まれている。ショイブレ財務大臣は、「ギリシャへの融資は他国の債務の肩代わりを禁じたマーストリヒト条約違反ではないのか」という質問に対して、「それぞれの国が二国間ベースで自発的にギリシャに融資することは、条約違反にはならない」と答えていたが、これは批判を交わすための言い逃れにすぎず、説得力に欠ける。

政界関係者の間では、ギリシャ救済をめぐるメルケル政権への有権者の不満のために、NRW州選挙でキリスト教民主同盟(CDU)と自由民主党(FDP)が敗れるのではないかという予想が出ている。

自営業者や企業経営者を支持基盤とするFDPからは、すでに大衆迎合主義(ポピュリズム)的な意見が聞かれる。「ギリシャはエーゲ海の島のいくつかを売って、財政再建の足しにするべきだ」というあるFDP議員の発言は、その例である。

もしもギリシャの債務危機が原因となって、多くの有権者が伝統的な政党に失望し、EUに対して批判的な極右政党に票が流れるとしたら、大きな問題である。メルケル政権内では、ドイツの大衆紙が、ギリシャの債務危機をめぐって外国やEUへの反感を煽るような見出しを付けていることを懸念する声が出ている。

ギリシャが支払不能に陥った場合、ユーロの信用性が揺らぐ。このためEUそしてドイツは、通貨の安定性を守るために支援せざるを得ない。だが、ギリシャ以外にも、イタリア、スペイン、ポルトガル、アイルランドなどが債務に苦しんでいる。これらの国々すべてをEUが救済することは不可能だ。このジレンマをめぐり、NRW州の有権者がどのような判断を示すか、選挙結果が大いに注目される。

7 Mai 2010 Nr. 815

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:36
 

ドイツ人の戦争

2010年4月は、ドイツ連邦軍にとって創立以来最も血塗られた月となった。2日には、アフガニスタンのクンドゥズ近郊でパトロールをしていた空挺部隊の兵士がタリバンの待ち伏せ攻撃に遭って、3人が戦死、8人が重軽傷を負い、15日にはバグランという町の近くで軍医らの乗った装甲車がタリバンのロケット砲に撃たれ、4人が死亡、5人が重軽傷を負った。ドイツが2002年にアフガン駐留を始めて以来、戦死したドイツ兵の数はこれで43人になった。

メルケル首相は4月9日にニーダーザクセン州で行われた3人の兵士の葬儀に参列し、「ドイツ全体が皆さんに感謝し、敬意を表します」と述べ、彼らの棺の前で頭を下げた。国家の最高指導者にとっては、政府の命令で戦場におもむき、若い命を落とした兵士たちの弔いの場に姿を見せることは最も辛い瞬間だろう。しかし首相にとって、若い犠牲者たちの葬儀への参列がこれで最後になるという保証はない。

いや、これからも死者は増えるだろう。タリバン・ゲリラは、以前より巧妙な戦法を駆使してドイツ軍部隊をおびき寄せている。前線の兵士たちからは「路側爆弾の破片から兵士を守るだけ強固な、装甲板で補強された車両が少ない」とか、「兵士たちは装甲車の運転の仕方について、ドイツで十分な訓練を受けないまま前線に送られている」という批判の声が上がっている。政府はアフガンでの犠牲者を減らすために、早急に対策を取る必要があるだろう。

グッテンベルク国防相がクンドゥズで3人が戦死した後に発表した談話の中で認めたように、ドイツ軍は第2次世界大戦後初めて、本格的な戦争に加わっているのだ。今後アフガンでの戦いはますますエスカレートしていくだろう。たとえば国防省は、前線の兵士たちの間で待ち望まれていた自走榴(りゅう)弾砲2両を、装甲板で補強された車両とともにアフガンに投入することを決めた。だがそれだけで、戦局を変えられるかどうかは未知数だ。なぜなら、タリバン・ゲリラはわざと民間人が多く住む地域に隠れて、ドイツ軍の車列を攻撃しているのだ。タリバンは、民間人が巻き添えになる危険が高い地域には、ドイツ軍や米軍が砲爆撃を行わないことを知っている。これでは自走榴弾砲も大して効果を発揮できない。

昨年9月4日に、タリバンが盗んだ2台のタンクローリーに対して米軍の戦闘機が爆弾を投下し、タリバン・ゲリラや市民ら、少なくとも50人が死亡するという事件があったが、この爆撃命令を出したのはドイツ軍のクライン大佐だった。今年4月19日、連邦検察庁は「クライン大佐は、現場に民間人がいることを知らなかったので、爆撃命令は国際法に違反しない」として、大佐を刑事訴追しないことを決めた。

この背景には、政治的な配慮もあるだろう。夏には気温が50度にも達する厳しい環境で兵士たちが汗と血を流している中、将校を訴追すれば前線の兵士たちから強い不満の声が上がることは目に見えている。しかしドイツ人が下した爆撃命令によって、罪のない多数の市民が死んだことは間違いない。戦後半世紀にわたって軍事介入に消極的な態度を保ち、血で手を汚すことがなかったドイツは、今や「Unschuld(罪のなさ、純真さ)」を捨てて、米国や英国と同じく「戦う国家」に変身したのだ。ドイツがここまで変わるとは、つい20年前には誰にも想像できなかった。2001年の同時多発テロは、平和国家ドイツを変貌させ、「対テロ戦争」の大義名分の下に行き先の見えない茨の道を選択させたのである。

30 April 2010 Nr. 814

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 14:26
 

BNDとナチスの過去

今日のドイツでは、ナチス時代の過去と批判的に対決するという姿勢が社会の常識になっており、大半の市民によって支持されている。こうした努力が、通常秘密のベールに覆われている部分にまで及び始めた。今年3月にドイツの対外諜報機関である連邦情報局(BND)が、初めてナチスの過去に関する秘密を公表したのは、その例である。

BNDが公表した資料によると、1960年にこのスパイ機関で働いていた2450人の職員の内、約200人が第2次世界大戦中に親衛隊(SS)に属し、帝国保安主務局(RSHA)やゲシュタポ(国家秘密警察)などでの勤務を通じて、直接、あるいは間接的にユダヤ人の大量虐殺や反体制派の追及に関わっていた。

BNDは1960年代に「グループ85」という組織を設けて、職員のナチス時代の経歴を調査。虐殺などに直接関わっていた71人については、密かに解雇もしくは退職金を払って辞職させたが、その事実は当時全く公表されなかった。

BNDの初代長官は、戦争中にドイツ国防軍でソ連に対する諜報・謀略活動を行っていたラインハルト・ゲーレン。彼は終戦後、ソ連と米国の対立が深刻化することを予見し、自分がソ連に持つスパイ網を米国に提供することを申し出た。彼が1946年にミュンヘン郊外のプラッハに創設したゲーレン機関は、戦後直ちに米国のために諜報活動を開始する。ゲーレンはこの功績をかわれて、BNDの初代長官に就任したのである。

当時多くの元親衛隊員らは戦争中の経歴を偽って、ゲーレン機関に加わりBNDに採用された。米ソ対立の暗雲が急速にヨーロッパに広がっていたため、BNDもスタッフを増強することを優先し、戦争中の過去について厳しくチェックしなかったのである。

しかし1961年にフェルフェという職員がソ連の二重スパイであることがわかったため逮捕したところ、この人物が戦争中にユダヤ人虐殺を担当したRSHAで働いていたことが判明した。ナチスの過去を隠している職員は、そのことを理由にソ連や東ドイツから脅されてスパイ活動を強要される危険がある。このため、BNDは「グループ85」による内部調査を行ったのである。その調査結果は、機密資料のスタンプを押されて40年以上にわたり、BNDの文書庫に隠されていた。

だが21世紀になって、連邦刑事局(BKA)が元ナチス関係者だった職員についてデータを公表するなど、BNDに対してもナチスの過去を明らかにするよう世論の圧力が高まった。このためエルンスト・ウーラウ長官は情報の公開に踏み切ったのである。

今回発表された記録によると、1960年にはBND職員の8%が元親衛隊員だったことになる。ちなみにゲーレンは、71年に出版した自伝の中で「BNDスタッフの中で親衛隊にいた者の占める率は、1%に満たない。ゲーレン機関のSS出身者はわずか7人だった」と書いているが、今回の発表でゲーレンの記述が真っ赤な嘘であることがわかった。

諜報機関という最も秘密を重視する組織までが自らの恥部を公にすることは、ドイツで過去との対決に関する世論の圧力がいかに高いかを示している。だが同時に、ソ連という新たな敵と戦うためには、SSのような犯罪組織の出身者もためらわずに利用した米国と初代西ドイツ政府の非道徳的な姿勢に、戦慄せざるを得ない。

23 April 2010 Nr. 813

最終更新 Freitag, 19 Dezember 2014 13:11
 

銀行救済基金は機能するか

メルケル政権は3月31日の閣議で、銀行が経営難に陥った際に支援する救済基金について、ショイブレ連邦財務大臣の提案を了承した。すべての銀行が毎年この基金に拠出金を払い込み、今後破たんしそうになった銀行に対する資金注入は、この基金から行われることになる。

政府がこの基金を設置するのは、2008年秋のリーマン・ブラザース破たんが引き金となった銀行危機の教訓である。ドイツは、戦後最悪の金融危機によって世界で最も深刻な影響を受けた国の1つである。

多くの有名銀行がサブプライム・ローン関連融資の混入した危険な金融商品に投資していたため、破たんの瀬戸際まで追い詰められた。経営難に陥ったのは、ドイツ産業銀行(IKB)、バイエルン州立銀行、ザクセン州立銀行、ヒポ・リアル・エステート(HRE)銀行など、それまで堅実な経営を行っていたと思われていた銀行ばかりである。

一時、国民の間で銀行に対する不安が高まったため、メルケル首相が「個人の預金は政府が全額保証する」と直接約束したほどである。これほど危機的な事態は、戦後のドイツで1度もなかった。これらの銀行は公的資金の注入などによって、かろうじて倒産を免れた。大手銀行が倒産した場合、世界中の金融市場に連鎖反応が起こる恐れがあるため、国民がずさんな経営のつけを血税によって払わされたのである。

ドイツ政府が銀行を救うために注ぎ込んだ資金の総額は、約7000億ユーロ(94兆5000億円)。米国、英国に次いで世界で3番目に多い。国内総生産の実に28%が銀行破たんを食い止めるために使われたことになる。「これだけの金を託児所や学校、病院や介護施設などの建設費に充てていたら・・・・・・」と思うと、納税者としては大いに不満が残る。

しかも銀行から解雇された取締役や投資銀行のディーラーの中には、雇用契約の中で保証されていた多額のボーナスの支払いを求めて銀行を訴える者すらいた。正に噴飯物である。

救済基金の設置の最大の目的は、経営ミスを犯した銀行を国民の血税によって救うような事態の再発を防ぐことだ。

だが、救済基金が銀行危機に適切に対処できるかどうかに疑問を呈する声もある。この基金に毎年銀行が払い込む額は、総額10億~12億ユーロ(1200億~1440億円)程度。金融危機では1つの銀行だけで100億ユーロ(1兆2000億円)を超える公的資金の投入が必要となったケースもあったため、拠出金の額が不十分ではないかという意見もある。

さらに銀行ビジネス、特に投資銀行部門はグローバル化が進んでいるので、1つの国が救済基金を作ったり監視を強化したりするだけでは危機に対応しきれないという指摘もある。実際HRE銀行を破たん寸前に追い込んだのは、ドイツ本社ではなく、アイルランドの子会社だった。こう考えると、金融危機に備えるには国際的な協調が不可欠である。その意味ではEUがより強い主導権を握る必要があるかもしれない。

金融危機のピークは過ぎたが、欧州の一部の銀行の損失は今も増えており、余波は完全には収まっていない。さらにドイツの銀行が債務危機に揺れるギリシャ、スペイン、ポルトガルなどの国々に行っている融資の総額は、3850億ユーロ(46兆2000億円)に上る。この融資が不良債権になった場合、欧州の金融界は再び激震に襲われる。1日も早く、金融危機に対する安全メカニズムを整備することが重要であろう。

16 April 2010 Nr. 812

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 10:37
 

イスラム寺院を巡る激論

3月28日、ノルトライン=ヴェストファーレン州のデュイスブルクに数千人の警官隊が出動し、町は緊張した雰囲気に包まれた。この町にはドイツ最大のモスク(イスラム教寺院)があるが、モスク建設に反対する極右団体や右派政党「プロNRW」の関係者ら約350人がデモを行った。これに対し、極右のデモに抗議する市民ら5000人も、デモを行ったのである。「ナチスは出て行け」という怒号が日曜日の町に響き渡った。

近年ドイツではイスラム教徒の増加を反映して、伝統的な建築様式のモスクが増えている。特にトルコ系住民が多いベルリンには、少なくとも46カ所のイスラム教寺院がある。ケルンやミュンヘンでも新しい寺院の建設が予定されている。

だが、一部のドイツ人や右派勢力は新しい寺院の建設に反対している。たとえばプロNRWは、「高い尖塔(ミナレット)を持つイスラム教寺院は、外国人がドイツ社会に溶け込むことを促進しない。むしろ周辺からドイツ人が減り、トルコ人ばかりのコミュニティーができてしまう」として、ドイツだけでなくEU(欧州連合)全体で、ミナレットの建設を禁止するべきだと主張している。

昨年末には、スイスで行われた国民投票で住民の58%が新しいミナレットの建設禁止に賛成し、欧州諸国の政府や市民を驚かせた。この投票以来、ドイツでもイスラム教寺院をめぐる論争が激しくなっている。この国には全国規模の国民投票はない。だが地域ごとに市民が署名を集めて請願を行うことは可能である。さらにプロNRWは、「リスボン条約に基づき、加盟国の3分の1に相当する国で、人口の0.2%を超える署名が集まれば、EU規模の市民請願が可能だ」と主張している。

ドイツではスイスに比べると、ミナレットに寛容な声が強い。最近行われた世論調査によると、回答者の48%が「ミナレットの建設を禁止するべきではない」と答え、禁止に賛成した市民は38%にとどまった。

しかし、ドイツ連邦銀行の役員ティロ・ザラツィン氏の発言にも現われているように、ドイツ人のトルコ人やイスラム教徒に対する批判や不満は、水面下で高まっている。この国の人口の約9%は外国人。市民の5人に1人が外国人という都市もある。つまりドイツは事実上の移民国家なのだが、政府が30年以上にわたってトルコ人労働者を社会に溶け込ませる努力を怠ってきたため、ドイツ人とトルコ人のコミュニティーが混じり合わずに並存する、「パラレル・ワールド」が生まれつつある。

ドイツ人、特に年配の市民の中には、教会の塔の近くにミナレットが立っているのを見て、この国の伝統が侵されていると感じる人もいるのだ。ドイツ語で言う「Überfremdung(自分の国にいるのに、まるで外国にいるかのような疎外感を感じること)」である。

戦後の西ドイツ、特に1980年代には多文化主義(マルチカルチャー)がもてはやされたが、統一後のドイツでは「外国人は社会に溶け込もうとしない」という不満の声が頻繁に聞かれるようになった。イスラム教寺院をめぐる論争が、外国人差別や極右勢力の拡大につながることだけは、防がなくてはならない。その意味でミナレット論争の行方は、我々ドイツに住む日本人にとっても、大きな関心事である。

9 April 2010 Nr. 811

最終更新 Mittwoch, 19 April 2017 16:09
 

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