(Text : Yasuko Hayashi)

医師になった経緯を教えてください。
僕は昔から文学が好きで、大学も文学系の学部に進みたいと思っていました。しかし、肺疾患系の医師である親父を始め、親族の7人が医師という家庭環境で育ったため、当然、僕も医学の道を進むと考えていた家族は猛反対。それで大学に入る気がなくなり、東京へ出て1年間遊んだのです。その間、詩を書いたりしながら過ごしましたが、文学部に入って本当に生きていけるのかという疑問がわいたのと、東京が嫌になったのとで、結局、京都大学の医学部を受験しました。
当時は学生運動の真っただ中で、僕も毎週末電車で京都から東京へ行き、最前線で機動隊と闘っていました。だから卒業時に「あいつは危険だ」というレッテルを貼られ、就職活動には難儀しましたね。なんとか決まった就職先は、神戸にある病院の胸部心臓外科。小さな頃から親父が毎日レントゲンと向き合っているのを見て、「いったい何が楽しいんだろう?」と思っていたので、一番なりたくなかったのが心臓外科医なんですけどね。
渡独のきっかけはどのようなものでしたか?
神戸で2年間働いた後、医師としてもう少し医学を学びたいと思い、京大の胸部疾患研究所の胸部外科に入りました。そこの教授から、シュヴァルツヴァルトの呼吸器センターが手術のできる日本人医師を探しているから、ドイツに行くようにと言われたのです。当時は米国に行きたいと思っていたので、気が進まなかったのですが、その教授がしつこくて。結局、断りきれずに行くことにしたのです。
1972年に初めて訪れたときのドイツの印象はいかがでしたか?
僕はドイツに来るまで、まともにドイツ語を習ったことがありませんでした。だから当初は、患者とのコミュニケーションが非常に難しかったですね。でも、のんびりとした雰囲気の良い病院で、周りの同僚たちが皆、優しくしてくれました。
カルチャーショックというのも特にありませんでしたが、あえて言うなら、僕はお酒が好きなので、「こんなに美味しいビールやワインが、こんなに安く飲めるんだ!」と思ったことですかね。

幼少時代、画家だった叔父さんと

1991年、グロースハンスドルフの病院にて
僕が病院を移ると、
患者の流れもそれに合わせて移動するようです
1977年に日本に帰国されています。再びドイツに戻られたのはなぜですか?
ドイツでの勤務が4年程たった頃、京大から戻って来いと言われて帰国しました。それまでに勤務先で知り合った妻と結婚し、長男も生まれていましたので、あまりドイツに戻りたいという気持ちはなかったのですが。ただ、日本で次男、三男が生まれ、子どもたちを教育する上で言語が問題になってきました。そこで、この状況は将来的に子どもたちにとって良くないだろうと考え、ドイツに戻ることにしたのです。
その後、現在に至るまでドイツで医師を続けてこられたわけですね。
ドイツに戻り、複数の病院に勤めた後、グロースハンスドルフの病院で20年間胸部外科を率い、2008年5月に定年退職しました。しかし、僕が辞めたらそこを仕切る人がいなくなって手術症例数が減り、病院の評判がどんどん落ちていったのです。そこで院長に再建を頼まれ、職場復帰。その後、ハンブルクの病院から胸部外科の再建を依頼され、今度は別の病院から同外科の新設を任され、現在はその準備に携わっています。
僕が病院を移ると、患者の流れもそれに合わせて移動するようです。ドイツの病院の評価は日本と違い、そこに勤める医師次第というところがありますからね。
もう医師の仕事は十分、とは思いませんか?
思いますよ。だからこの間、退職届を出したのです。でも、つい最近まで毎日2~3例の手術をしてきました。今までにこなした手術症例数は約7000例。1年間に200例をこなすとして、35年間毎日休まず手術してきたようなものです。今でも土日に急患が入ると、病院に駆け付けて手術をしていますから、「67歳、いまだ現役」ならぬ「67歳、今でも第一線の外科医」です。
日本で65歳の医師ならば、上から手術をのぞくような立場なのでしょうが、ドイツでは、上に立つ人間は常に第一線にいるものなのです。

自身の経歴を振り返り、祖父も父親もその他多くの親戚も
医師という医学一家に育ったということを、
2008年に病院で行われた定年退職祝いにて、イラストを使って説明した

中島さんの絵画。感情が高ぶっているときは原色を使って大胆に、
落ち着いているときは細かいモチーフを丁寧に描くという
絵を描くことで
医師業とのバランスが取れている
退職後はどうされるご予定ですか?
本来は2008年に定年退職したら、NGO団体の「国境なき医師団」でボランティア活動をしたいと考えていました。しかし、アフリカに派遣されるケースが多く、英語が必須で日常会話程度のフランス語も求められるということ、そして政情不安定な地域へ赴くことに妻が反対したことから、断念しました。ただ、ほかにも似たようなボランティアの組織があるようなので、今情報を集めているところです。
あるいは、アーレンスブルク内に「無料医療相談所」のようなものを作ろうかな、とも考えています。お年寄りの多くは、相談相手を求めているんですよね。開業医に通院しても、面談時間はせいぜい2、3分ですから。いずれにせよ、ボランティアのような形で医師を続けていきたいとは思っていますが、まもなく68歳になりますので、どの程度働けるかが問題ですね。
医師業の傍らで、個展を開くほど本格的に絵を描かれていますね。
絵画は10歳の頃から画家である叔父に習い、大学生の頃には個展やグループ展をよく開いていました。ポスターや雑誌の表紙のイラストを描いて小遣い稼ぎもしていました。ポスター1枚で1万円くらい。当時、1カ月1万5000円で生活していましたから、相当な額ですよね。絵で得た収入で好きなお酒を飲んでいました。
今も旅行の時は必ずスケッチブックを持って行きますし、仕事が終わって家に帰ると部屋にこもって描いています。僕は描きたいテーマがあって描き始めるというよりは、気分に応じてモチーフを考えながら描いていくスタイルです。
中島さんにとって、絵画はどのような存在ですか?
自分の内面を表に出すために必要な存在です。絵画は医学とは全く違います。医学はあくまで技術、知識が大前提ですが、絵画では感性、感覚が求められますから。絵を描くことで医師業とのバランスが取れているのかもしれません。
人に対して謙虚であることが大切
日本に帰りたいと思ったことはありませんでしたか?
20年程前、このままドイツで暮らそうかどうか悩んだことはありました。でも、僕にとっては家族が一番大きな存在ですし、今さら日本に帰っても……と思い、国籍をドイツに切り替えました。僕自身はどこでも暮らせるような気がしているし、故郷というのは家族がいる所だと思うのです。だから、日本の国籍を捨てるだとか、あまり大げさには考えずにね。実際、ドイツ国籍を持っていれば、身分証明書1つでヨーロッパ内を自由に移動できるなど、何かと便利ですし。
ドイツが気に入っているのですね。
ドイツは住みやすいと思います。街はきれいだし、古いものを大切にする文化があります。ごみごみとした日本の街には、もう住めませんね。ただ逆に言えば、ドイツでは家を1軒建てるにも、好き勝手にはいかず、非常に細かい規則があります。だからこそ街がきれいなのですが、何にしても規則・法律がものをいう、融通が利かない社会だとは思います。
それから、医師というのはドイツではある程度、社会的地位の高い職業なので楽ですね。馬鹿みたいだけど、ドイツ人ってそういうところを大切にするんですよ。
逆に、ドイツに住んでいて見えてくる日本の良い面、悪い面は?
日本では、言葉で言わなくても伝わるところが良いですね。花を見て「ああ」と言えば、日本人ならそれが「ああ、きれい」と言いたいのだとすぐ分かりますが、ドイツでは「ああ?何?」という反応が返ってきますから。
それから食べ物。神戸牛のしゃぶしゃぶやふぐ刺しが懐かしいです!とても繊細な、ドイツにはない味ですよね。食べ物と言えば、日本は食器も美しく、京料理なども目で楽しむものですが、ドイツにそういう感覚はないでしょう。
悪い面は、政治家の質の低さ。もう、毎日インターネットで日本の情報を読んで、腹を立てていますよ!
健康法を教えて下さい。
こればかりは医者の不養生で、自分の健康にはあまり構わないというか。でも、週末は近所の森を1時間程掛けて散歩していますし、年に2、3回旅行に出掛けています。これが一番の気分転換です。
ただ、老化は感じますね。仕事でも、昔なら手際良く進んでいた繊細な手術も、今はできなくなっている。視力が衰えたことが大きな原因です。肉体的な老化は精神的な老化と違って止められません。それをわきまえておかないと、外科医として高慢になってしまうと思います。
日本を出てドイツで生活する日本人に、メッセージをお願いします。
どんなに長くドイツにいても、鏡を見れば日本人です。人に対して常に謙虚であることが大切だと思います。
僕は定年後もいくつかの病院から声が掛かって、結局まだ働いていますが、辞める際には「なぜ残らないのか?」と言われます。これは、医師としてのレベルが認められている証拠なのだと思います。そのためには、医師としての勉強も怠りません。僕は、普通の医師よりはるかに多く勉強してきた自信があります。それが評価されてきたのだから、幸運ですね。
僕たちは日本人です。人に厳しくするなら、自分にも厳しくする謙虚さが必要だと思います。とはいえ、周りから「あいつは威張ってる、厳しい」と言われる僕も高慢ですけどね。



インベスト・イン・ババリア
スケッチブック
















首都ベルリンでは毎年、ブランデンブルク門から戦勝記念塔までの2キロメートルの範囲すべてが一大野外パーティー会場に変貌する。世界中からDJが集まって音楽をかき鳴らし、100万人もの観客が参加するこのイベントの規模はケタ違い。2011年の到来を祝う特大花火も必見だ。夜はマイナスまで気温が下がる可能性が高いので、しっかり防寒して街に繰り出そう。
世界各地の巨大アリーナで行われるオランダ発祥のダンスイベント「Sensation」がデュッセルドルフにやってくる。巨大なセットと大掛かりな演出が幻想的な空間を作り出し、ドレスコードは白一色に統一されている。また、デュッセルドルフでの年越しなら、108つの鐘の音が日本的な気分を味あわせてくれるEKO-Hausの「除夜の鐘」(21:30~)も魅力的。
ドレスデンの旧市街のハイライト、エルベ川沿いにあるゼンパーオーパーとツヴィンガー宮殿が取り囲むテアーター広場がカウントダウン・パーティー会場として完全包囲される。17:00からの子ども用イベント、19:00からはゼンパーオーパーで伝統あるZDFのジルヴェスターコンサートが行われ、午前0時には花火が盛大に打ち上げられる。
1年間酷使した体と心を開放して、すっきりと新年を迎えよう。ビーレフェルトの南およそ40キロ、バート・リップシュプリンゲにあるウェルネスホテルの4泊5日のスペシャルプランで快適な年越しを。
バルト海に浮かぶリューゲン島には昔、上流階級の海水浴場があったことから洗練された宿泊施設も多く、セレブが好む島として有名。美しい大自然と極上のパーティーを満喫する贅沢なひと時が過ごせそう。
アルゴイ地方は、オーベルストドルフやケンプテンといった素朴で美しい街を抱えるドイツ屈指のスキーリゾート。どこまでも続く白銀の世界に目を向けると、南にはアルプスの絶景を臨むことができ、スキーヤーならずとも一度は訪れてみたい場所。
バイエルンの中でも、チェコとの国境を接する南東部には自然がいっぱい。全長約300キロメートルにわたる山岳地帯やドイツ初の国立公園に指定された広大な森林保護地区にはクロスカントリーやスノーボードに適した地形が多く、愛好者を惹き付ける。
ザウアーラント地方は、ヴィンターベルクなどの保養地を有するのどかな山岳地帯。ノルトライン=ヴェストファーレン州でありながら、スキーなどのウィンターレジャーを楽しめるとあって、デュッセルドルフなどの主要都市から週末を利用して訪れる人も多い。
NHKの「紅白歌合戦」→「ゆく年くる年」が日本の年越しの王道であるように、ドイツにも毎年恒例の番組がある。12月31日に放送される「Dinner for one(1人でディナーを)」だ。40年以上も続いているというこのコメディー番組は、老夫人ソフィーの90歳の誕生日パーティーを描いた英国の寸劇。例年通り、4人の友人を招待したソフィーだが、実は皆もう先立っていて誰も来ない。しかし、忠実な執事のジェームスが4人のゲストになりきって、ソフィーと一緒に乾杯する。シェリー、白ワイン、シャンペンと、杯を重ねるうちにすっかり酔っ払って足元はふらふら、様々な粗相をしでかす……。最近では、「Dinner for Ah!」というパロディまで登場し、こちらも大晦日に放送される。そして、元旦には世界約50カ国で中継されるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ニューイヤーコンサート(Neujahrskonzert)」を見なければ年が明けないというクラシック音楽ファンも多いはず。チケット予約が1年前からスタートするというこの大人気コンサートを放映するのは、公共放送ZDF。
古くから悪霊を追い払うために打ち上げられていたという花火。ドイツでは新年を祝う道具として欠かせない。新年のカウントダウンと共に、街中で立派な花火が打ち上がる様子を見て驚いたが、法律により、普段は個人で打ち上げることを禁止されている「クラス2」のサイズの花火が年末年始にだけ解禁となるらしい。ここぞとばかりに花火や火薬を買い込んで、豪快に打ち上げるのがドイツ流。ただし、花火を取り扱う際には、けがや事故が起きないよう、安全には十分に留意しましょう。
大晦日のパーティーの出し物として、鉛を使ったドイツの伝統的な占い「ブライギーセン」に家族で挑戦してみよう。占いに必要な鉛とスプーンのセットが年末が近づくにつれ、スーパーマーケットや雑貨屋さんに出回り始める。溶かした鉛(Blei)を水に注ぐ(gießen)からブライギーセンと呼ばれる。占い方は、スプーンの上に鉛の塊を乗せ、下からロウソクの火であぶって溶かし、それを水を張った器に注いで、固まった鉛の形で新年の運勢を占う。鉛がコップのような形だったら、幸運(Glück)だとか。
2011年1月1日(土)16:00
2011年1月9日(日)15:00
ドイツでは、午前0時に新年を迎えた瞬間がハイライト!花火を打ち上げ、「Frohes Neues Jahr!」と挨拶したら、2次会とばかりに夜更けまでパーティーが続く。ドイツでは、朝早起きして「元旦は一年の計」なんて考える人なんてめったにいない。二日酔いでぼーっとする頭を抱えながら、家族と顔を合わせるのはブランチの時間。ということで、ホテルやレストランでは、新春ブランチのメニューが用意されている。二日酔いの人(Kater)のためのメニューまであるところも。
寒い日に湖や海に入る寒中水泳を愛好している人が、ここドイツには少なからず存在する。そんな彼らがバルト海や北海沿岸の街で行うのが、新春寒中水泳大会。コートを着て立っているだけでも凍えるこの季節、雪が積もる砂浜を水着姿の老若男女が歩き、氷の浮かぶ海に体を浸けている様子は気が狂っているとしか思えない。しかし、参加者たちはコスプレをしたり、思い思いの小道具を持ってきたりと、皆さんとっても楽しそう。怖いもの知らずの勇気ある人は、自己責任で参加してみても良いかも。






















6年前から、ファッション・ブランドを中心に手掛けるPR会社(


























