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ロンドンのゲストハウス
So. 17. Nov. 2019

ジミー・ツトム・ミリキタニと「ミリキタニの猫」

「The Cats of Mrikitani(ミリキタニの猫)」という映画をご存知だろうか?ニューヨークの路上に暮らす日系人画家を追ったドキュメンタリーだ。アメリカで生を受けながら日系人という理由で強制収容所に送られ、人生を奪われた男。あまりにも悲しい過去を背負いながら、彼は現在も誇り高く生きている。2006年、トライベッカ映画祭での上映を皮切りに、本作は世界の人たちにほほ笑みと痛み、そして希望を与えている。本作のプロデューサーを務めるマサ・ヨシカワ氏に執筆いただいた。

マサ・ヨシカワ
ニューヨークを拠点に、プロデュース、執筆、コーディネイト、ジャーナリズムなど多岐にわたり、日米の映画・テレビに携わる。

ミリキタニ

第二次世界大戦中にアメリカで日系人が強制収容所に送られた事実はあまり知られていない。日系人が多く住む西海岸を除けば、アメリカの歴史にそんな過去があったことを知るアメリカ人は少ない。でも日本人でも知る人は多くないでしょうね。特に若い人たちは……。

アメリカ生まれのアメリカ国民である日系二世も強制収容された。そのひとりがこの映画の主人公ジミー・ミリキタニ。彼の波乱の人生はそれだけにとどまらない。いや、一個人でこんな多くのテーマを人生に背負った人も珍しい。「ミリキタニの猫」で彼を通して描かれた問題は戦争、原爆、平和、人権・人種差別、社会保障、ホームレス、高齢者、日系人強制収容、9.11、アートによるトラウマの癒し(そして猫!)……。そんなテーマのドキュメンタリーなんていうと、暗い、あるいはシリアスだと思われて敬遠されそうだな。けれどその点、この映画はとてもユニークだ。戦争を始めいくつもの社会問題と向き合いながらも、悲惨なだけの話にならず、「面白く」(?)見られるんだから。アメリカの上映では所々のシーンで笑い声がよく聞こえた。それはミリキタニのエキセントリックなキャラクターに負うところが大きい。そして監督が日系人ではないことからくるいい意味での距離感があったからだろう。偶然の出会いから始まり、いくつもの予期せぬ展開を経た偶然の産物でもある。狙ってこんな話作れるものじゃない。なんとドラマチックな話になったことか。

2001年1月、ニューヨークのソーホーで路上生活をしながら画を描いている当時80歳の老人(ミリキタニ)のもとを、近所に住むこの作品の監督ハッテンドーフが通りかかったのがきっかけだ。猫の画に惹かれて声をかけたところ「写真を撮ってくれ」とミリキタニに言われて撮った映像が、結果的にこの作品の初撮影となる。もちろん9.11が起こるなんて予想できるわけないし、その後もどんどん思いがけない展開を見せていく。実際、ぼくがこの映画に関わるようになったのも監督と偶然同じエレベーターに乗り合わせたことからなんだから……。

映画のラストではよく笑っていたお客さんからすすり泣きが聞こえた。アメリカの観客が日系人のおじいさんに対してこんな反応をするのかと驚いたものだけど、純粋にミリキタニの人生に反応してくれていたんだ。涙することはあっても、暗い気持ちにならずに希望の光を見いだすような、見終わって「元気の出る」映画だったから多くの人の心に強くアピールしたんだろう。

1年余りの撮影期間と、さらに4年の歳月を経て完成した作品は2006年4月のトライベッカ映画祭で初上映され、観客賞を受賞した。日本では2007年秋に封切り。今でも上映されている所がある。また現在は、ドイツ全国で劇場公開中。ドイツ人は一体、どんな反応を見せるんでしょうか。すごく興味深いなあ。

現在ミリキタニは元気に(今は自分のアパートで)毎日画を描いて猫と一緒に暮らしている。

「Mother cat & baby cat © Jimmy Tsutomu Mirikitani
「Mother cat & baby cat」© Jimmy Tsutomu Mirikitani

「ミリキタニの猫」 (米=06 1h14)

2001年、ニューヨーク。ドキュメンタリー作家のリンダは偶然出会った路上画家に心惹かれ、カメラを回す。彼の名はジミー・ミリキタニ。80歳。撮影を始めて数カ月後、9月11日。街が騒然となる中、煙の中たった一人になりながら、いつものように、ジミーは黙々と絵を描いていた。思わずリンダは言う。「うちにいらっしゃい」。監督と被写体という界域を越えた共同生活を送るにつれ、ジミーの過去が明らかになっていく……。世界各国で高い評価を得たリンダ・ハッテンドーフ初監督作品。フランスでは、パリ映画祭(07)、リヨンのオーゼクラン国際映画祭(07)でそれぞれ観客賞を受賞した。

アメリカにおける日系人の歴史と日系人強制収容所

19世紀後半より農業労働のため日本人がアメリカへ渡るが、日本人に職を奪われることを恐れたアメリカ人により、日系人排斥運動が起こる。1907年、日米紳士協定により日本からの労働者移民は途絶える。その後、カリフォルニア州は日本人の土地所有を禁止。1922年、日本人は帰化不能外国人とされ、1924年には移民目的による日本人入国が禁止となる。

第二次世界大戦中の1942年、西海岸地域一帯に住む日本人移民と日本人の血が1/16以上入っている日系アメリカ人(従軍中の者は除く)は全員日系人強制収容所へ送られる。収容所ではアメリカ政府への忠誠心テストが行われ、アメリカ市民権を放棄させられた者も多数いた。戦後、日系人強制収容所が閉鎖された後も市民権はすぐに回復されず、長い年月を要した。

1988年、レーガン大統領は日系アメリカ人に対し公式に謝罪した。

主な上映館
Mirikitanis Katzen / The Cats of Mirikitani
ドレスデン Thalia Kino, Görlitzer Strasse 6, 01099 Dresden
ゲッティンゲン Lumière Kino, Geismarlandstrasse 19, 37083 Göttingen
アルピルスバッハ Subiaco- Kino im Kloster, Klosterplatz 2, 72275 Alpirsbach
フロイデンシュタット Subiaco im Kurhaus Kino, Promenadenplatz 1, 72250 Freudenstadt
ショルンドルフ Kleine Fluchten Kino, Hammerschlag 8, 73614 Schorndorf
シュラムベルク Subiaco Kino, Schiltachstrasse 32, 78713 Schramberg

 
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