終戦80周年記念特集
「誰かの記憶」から「私たちの記憶」へ
戦後ドイツを考えるための6つの問い
終戦から80年がたち、当時を知る生存者は少なくなり、ウクライナや中東など、世界では今も戦争や分断が続いている。ドイツ社会でも、歴史の記憶や語り方をめぐる議論が、あらためて活発になりつつある。そうしたなかで、戦後ドイツが築いてきた歴史教育や記憶文化に、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。戦争の記憶と現在の社会状況をつなぐ6つの問いから、ドイツの「戦後」を見つめ直す。
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)
Q1「ナチス裁判」はいつまで続く?
第二次世界大戦後、ドイツではナチス政権や親衛隊構成員に対する犯罪追及がすぐに始まった。1958年には検察機関「ナチス犯罪追及センター」が設立され、1979年にはナチス政権による殺人に関して時効の適用除外が決定されるなど、法的には「いつでも戦犯追及が可能」という体制が維持されている。
1961年に行われた、ナチスのユダヤ人虐殺の責任者アドルフ・アイヒマンの裁判の様子。ドイツ出身のユダヤ人哲学者のハンナ・アーレントは、アイヒマンはただ命令に従っていただけの「普通の平凡な人間」であり、悪の本質は「人間の思考停止」にあると分析した
とはいえ長らくは、強制収容所勤務など「殺人を目的とした施設」に所属していただけでは、殺害との因果関係が証明しにくく、訴追が困難とされていた。ところが2011年に行われた強制収容所の看守に対する裁判で、ミュンヘン地裁が「強制収容所での勤務そのものが殺人ほう助に当たる可能性がある」と認める判決を下し、立証なしでも訴追可能とする法解釈が生まれた。これをきっかけに、超高齢の元ナチス関係者も法廷に立たされる事例が増えている。
2024年8月には、かつてシュトゥットホーフ強制収容所で速記タイピストを務めていたイルムガルト・フルヒナー被告(99)に対し、1万505人の殺人と5人の殺人未遂のほう助を行ったとして、執行猶予付き2年の少年刑(禁錮刑)が下された。彼女が収容所で働いていたのは18〜19歳のときで、およそ80年の時を経ての有罪判決だった。裁判では一貫して黙秘を貫いていたフルヒナー被告だが、有罪判決確定後に「起こった全てのことを申し訳なく思うし、あのときまさにシュトゥットホーフにいたことを後悔している」と述べたという。フルヒナー被告は今年1月14日にこの世を去った。
この裁判は、事務員に対する訴訟としては初のケースであり、被告の高齢化もあっていわゆる「最後のナチス裁判」としてドイツ国内外で大きな注目を集めた。しかし実際には、現在も複数の事件が起訴前の手続き中であり、今後も新たな「最後のナチス裁判」が行われる可能性は残されている。
2022年12月20日、ドイツのイツェホーで開かれた裁判の評決のために出廷したフルヒナー被告
Q2ホロコースト否定論の背景には何がある?
「ホロコースト否定」(Holocaustleugnung)とは、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺が存在しなかった、あるいは誇張されていると主張する言説を指す。例えば、「600万人のユダヤ人殺害はなかった」「アウシュビッツに毒ガス室は存在しなかった」といった主張が典型例だ。
ドイツでは、このような主張は憲法が保障する「表現の自由」の範囲外とされ、刑法によって明確に禁止されている。ホロコースト否定は、ナチスの犯罪を正当化し、差別的な思想や暴力を助長する危険性があるとみなされているためだ。同様の法律は、フランス、オーストリア、イスラエル、カナダなど多くの国でも導入されている。
しかし近年、ドイツ国内では陰謀論や極右思想の台頭とともに、否定的な言説が再び目立つようになっている。その背景には、移民問題や経済格差への不満が、極端なナショナリズムと結び付いていることがある。極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が支持を伸ばす一方で、SNSの普及により「ホロコーストは誇張だ」といった偽情報が拡散されやすくなり、ホロコースト記念碑への落書きや侮辱行為などのヘイトクライムも増加傾向にある。
ドイツ政府は教育機関での歴史教育の強化や、ネット上の違法投稿への監視体制を拡充しているが、米メタ(旧フェイスブック)が今年1月に外部機関によるファクトチェック機能の廃止を発表するなど、対策には大きな障壁もある。当時を知る生存者が年々少なくなる一方、ホロコーストを知らない世代によって否定論がSNS上で広がっていく。「歴史をいかに語り継ぐか」という問いは、今もなお社会全体に突き付けられている。
Q3ドイツには、なぜこんなに「負の歴史」のモニュメントが多いの?
ドイツの街を歩けば、ナチス時代の「負の歴史」を刻んだ数多くのモニュメントが目に留まる。その背景には、「記憶文化」(Erinnerungskultur)という考え方がある。ナチスによる犯罪の記憶を次世代に伝えるための取り組みであり、当時を知る生存者が減るなかで、証言に代わる形として、記録や追悼施設の整備が加速してきた。
2005年にベルリンに設置された、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑
象徴的な例が、ベルリンのブランデンブルク門近くにある「虐殺されたヨーロッパ・ユダヤ人のための記念碑」だ。ホロコーストの犠牲となったユダヤ人を悼むために設けられたこの場所には、約2700基の石碑が並ぶ。また市内各地には、ナチスに迫害された人々の名前を記した小さな真ちゅうプレート「つまずきの石」(Stolpersteine)がかつて住んでいた場所に埋められていたり、ナチス犯罪の現場、抵抗運動が行われた場所などが「記憶の場所」(Erinnerungsort)として保存されていたり、負の歴史に目を背けない姿勢が社会の中に根付いている。
こうした追悼施設は、単なる歴史の記録ではなく、民主主義や人権の価値を守るための教訓としても機能している。ドイツ各地に点在する記念碑の数々は、過去から学び続けようとする強い意志の現れなのだ。
1992年にドイツ人芸術家のグンター・デムニヒによって始められた「つまづきの石」プロジェクト。現在では欧州29カ国に10万個以上のつまづきの石が設置されており、そのうち9万個以上がドイツにある
Q4戦後長らく語られてこなかった声とは?
1945年の敗戦から80年が経過した今、ドイツ社会があらためて向き合うべき「語られなかった声」がある。終戦末期から直後にかけて、多くのドイツ人女性が性暴力の被害に遭ったという事実だ。ドイツ全土でソ連軍からの被害を受けた女性は200万人に上るとされ、米英仏軍の兵士による加害も報告されている。しかし、こうした行為はドイツに対する復ふくしゅう讐や占領下での規律崩壊のなかで黙認されがちで、加害の責任は曖昧にされた。
終戦間際のベルリンにて、列車で届いたじゃがいもを袋に詰める女性たち。ベルリンでは、8~80歳までの女性が最大200万人、性暴力の被害にあったとも推定されている
戦後のドイツでは、ナチスによる加害責任が社会的議論の中心となる一方、連合国軍による被害は可視化されず、さらに性暴力というタブー性もあって、女性たちは長く沈黙を強いられた。望まぬ妊娠や深刻な心身の後遺症に苦しむ人も多く、「解放」の裏でもたらされた暴力は、長らく歴史の語りから排除されてきた。
一方、ナチス政権はユダヤ人だけでなく、同性愛者や障害者、シンティ・ロマといった人々も抹殺の対象とした。精神障害者や重度の身体障害者は「生きるに値しない命」とされ、断種や殺害が行われた。戦後、この政策は終結したものの、障害者に対する差別や貧困、乏しい支援体制は長く続き、その実態は社会の関心から遠ざけられてきた。ようやく2025年1月29日、連邦議会はナチス時代の強制不妊手術や「安楽死」政策の犠牲者を正式に迫害被害者として認める動議を可決し、80年越しにその苦しみに公的な光が当てられることとなった。
2008年にベルリンに建てられた、ナチズムにより迫害された同性愛者の追悼碑
Q5ホロコーストの記憶は、「移民大国ドイツ」でどう受け継がれている?
戦後ドイツの記憶文化は、長らくナチス政権下の加害責任を前提とした「ドイツ人によるドイツのための語り」として築かれてきた。そのなかには、1960年代以降に増加したトルコ系やイタリア系などの労働移民や、後に定住した移民の姿はほとんど含まれていなかった。
しかし1990年代以降、移民の子どもや孫の世代がドイツで生まれ育ち、社会に根を下ろすなかで、「なぜ自分たちが、加害の記憶を背負う必要があるのか」という問いが浮上する。また、ある教育現場では、「加害者vs被害者」の構図が「ドイツ人vs外国人」の対立として現れるなど、社会の変化に応じて記憶継承の在り方を見直す必要に迫られた。そのため今日では、「責任」に加えて「相互理解」や「対話」が、ホロコーストの記憶を受け継ぐ上で重要なキーワードとなっている。ホロコーストに対する考えを共有し合うことで、お互いの考え方やアイデンティティーを理解し、またドイツ社会そのものについて知るきっかけとなるのだ。
さらに、アラブ系、アジア系、アフリカ系ドイツ人など、さまざまな背景を持つ市民の声は、これまで周縁化されてきた視点から、記憶文化の在り方そのものに問いを投げかけている。例えば2000年からの7年間に、ドイツ各地で移民を狙った連続殺人事件が起きた。当初、警察は「組織犯罪」として捜査したが、2011年にこれが極右組織「国家社会主義地下組織」(NSU)の犯行と判明。ナチズムの記憶を語る国家が、現代の排外主義には鈍感だったという矛盾が露呈した。記憶に包摂されることと、そこから排除されること。このねじれをどう越えるかが、今のドイツ社会に問われている。
2015年の難民危機では、ドイツは約100万人のシリア難民たちにドイツで亡命申請することを許可。その背景にはナチスによるユダヤ人迫害への反省もあったが、一方で、反移民を掲げる極右政党の支持拡大の要因にもなった
Q6「過去の克服」は、これからの社会にどう生かせる?
戦後のドイツでは一環して、ナチス政権下の加害の歴史と向き合い、それを社会として引き受けようとする「過去の克服」(Vergangenheitsbewältigung)の姿勢を貫いてきた。ホロコーストや戦争犯罪を教育や記念文化のなかで語り継ぐ取り組みは、ドイツの政治的・道徳的な基盤ともされてきた。だが今日、この「過去の克服」が、遠い歴史として語られるだけでなく、現代社会の葛藤とどう関わり得るのかがあらためて問われている。
2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降、ドイツでは兵器支援や防衛費増額をめぐって議論が活発化。これを受けて、安全保障政策の見直しが進むなか、徴兵制の在り方も再び注目を集めている。ドイツでは2011年に徴兵制が停止され、以降は志願制に移行したが、連邦政府は2024年11月、自主的な兵役参加を促す新制度を2025年5月から導入することを閣議決定。さらにCDU・CSUは、従来の徴兵制そのものを復活させる案を提起しており、連立パートナーであるSPDとの間で議論が続いている。一方で、「良心的兵役拒否」(Kriegsdienstverweigerung)は、戦後ドイツが積み上げてきた重要な人権の一つだ。宗教的・倫理的理由で武器を持つことを拒む人々の権利は、現在でも保障されている。
また、イスラエル・パレスチナ情勢の緊張が高まるなか、ドイツ国内でも「加害の記憶」と「国際政治」をどう結び付けるかが複雑な課題になっている。ホロコーストの加害責任によるイスラエルへの連帯と、パレスチナの人権へのまなざしが衝突し、公共の場での表現や抗議が制限される事例も出ている。記憶をどう継承するかは一つの答えに収まらない。過去に立ち戻り、考え続けることが、分断の時代において記憶を生かす足がかりになるかもしれない。
参考:本誌1120号「第二次世界大戦の終結から75年 ドイツ人は『過去』から何を学ぶのか?」、本誌902号「独断時評 極右テロ・ドイツ社会の鈍い反応」、本誌953号「独断時評 混乱! NSU裁判と記者席」、JIJI.COM「ナチス犯罪、80年後の有罪なぜ? 1万505人殺害『支えた』当時18歳の女【地球コラム】」、Deutsche Welle「"Zu wenig Aufarbeitung sexueller Gewalt"」、UNESCO「History under attack: Holocaust denial and distortion on social media」、profil「Prozesse gegen NS-Täter: Das Ende der Nazi-Jäger」、Deutschlandfunk Kultur「Auschwitz ohne Ende」、Bundeszentrale für politische Bildung「Verschwörungstheorien」、BR24「Wehrdienst-Debatte: Ein Kriegsdienstverweigerer erinnert sich」