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ドイツのクリスマスを彩るザイフェンの木工おもちゃに会いに行く

ドイツのクリスマスの風物詩の一つに、くるみ割り人形やクリスマスピラミッドなどの木工おもちゃがある。実はこれらのほとんどが、ザクセン州エルツ山地のザイフェンという村で作られている。本特集では、ザイフェンが「おもちゃの村」になった歴史をはじめ、クリスマスおもちゃの種類やザイフェンの観光情報などをご紹介。今年のクリスマスシーズンは、ザイフェンのおもちゃと夢のような時間を過ごしてみては?(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

ザイフェンの木工おもちゃに会いに行く

ザイフェンってどんなところ?

ザイフェンってどんなところ?

ザイフェン(Seiffen)は、ドイツ東部ザクセン州エルツ地方(Erzgebirge)にある山間の村で、チェコ共和国との国境にも近い。くるみ割り人形をはじめとする木工おもちゃ産業で世界的に有名で、人口約2500人のうち半分以上がおもちゃに関わる仕事をしている。村には140ほどのおもちゃ工房があり、特にクリスマスシーズンは各地からの観光客でにぎわう。

「おもちゃの村」ザイフェンの歴史

参考:Erzgebirgisches Spielzeugmuseum Seiffen「Museumsfühler」、Die Gemeinde Seiffen「Das Historische erzgebirgische Spielzeugland」、Spielzeugdorf Kurort Seiffen

1. 炭鉱夫から木工職人へ

エルツ地方の「エルツ」(Erz)がドイツ語で「鉱石」を意味するように、この地方は、かつて錫すず、銀、鉄、鉛などの地下資源が豊かで、炭鉱業で栄えた。ザイフェンでも15世紀中ごろから錫鉱業が行われ、1324年の文献ではこの村を「Cynsifen」(採掘された錫鉱石を分別するという意味)と呼んでおり、ザイフェンの名前はこれに由来する。

しかし鉱山の全盛期においても、炭鉱夫は十分な収入を得られず、副業や兼業で生活費を補わなけらばならなかった。その一つがボタンや皿などの木工製品を作る仕事で、ザイフェンでは早くも1644年に最初の木工職人がいたとされる。エルツ山地には豊かな森があり、鉱石を砕くために使っていた水車は、木工ろくろの動力に利用されたのだ。やがて17世紀ごろから鉱山資源が減り、また海外から安い鉱石を輸入するようになったため鉱山が衰退。炭鉱夫から木工職人へと仕事を変える人が増え、1849年に鉱山は閉鎖された。

ザイフェンで初めて木のおもちゃが作られたのは1750年ごろで、18世紀後半ごろにかけて大きく発展。ドイツでは時を同じくしてブルジョア啓蒙主義の思想が広がり、子どもの遊びやおもちゃの教育的価値が社会的に認知されるようになっていたのだった。

ザイフェンの伝統的な暮らしを描いたキャンドルアーチ。ザイフェンの伝統的な暮らしを描いたキャンドルアーチ。中央には制服姿の炭鉱夫、アウグストス強王の紋章(クロスした刀)、鉱山業のシンボルである石ノミとハンマー、右におもちゃ職人と天使、左にレース細工をする女性と燭台シャンデリアのモチーフがある

2. 「おもちゃの村」の繁栄とその影

ザイフェンのおもちゃは、おもちゃ市場の中心地ニュルンベルクや、ライプツィヒの見本市、さらにはドレスデンなどで一躍人気となった。音の出るおもちゃや動くおもちゃなど、その種類は数千にも及んだ。1850年ごろに作られた、舟の形の入れ物にミニチュアのペアの動物が詰まった「ノアの箱舟」セットは国外でも大ヒット。くるみ割り人形や煙出し人形など、クリスマスシーズンのおもちゃ制作にも注力するようになった。

輸出商品の大ヒットとなった「ノアの方舟」セット輸出商品の大ヒットとなった「ノアの方舟」セット

ザイフェンのおもちゃが世界的に知られる一方で、職人たちの収入は少なく、苦しい生活を強いられたままだった。おもちゃ問屋や小売店は、ザイフェンのおもちゃを職人たちから安い値段で仕入れ、それらを見本市などで高く販売していたのだ。そのため特に冬の間、ザイフェンの工房では一家総出でおもちゃ作りに取り組んでいた。照明や設備が不十分なせまい居間で、熟練の旋盤工がろくろを回し、別の人が動物の形を彫り、また別の家族が絵付けや小箱作りをしたりと忙しく働いた。多い時は1日の労働時間が13〜15時間にも及び、1903年に家業での児童労働を制限する法律ができるまでは、子どもたちも1日に12時間以上働かされることもあったという。

家族総出でおもちゃ作りを行う様子家族総出でおもちゃ作りを行う様子

1870年ごろ、くるみ割り人形を初めて制作したヴィルヘルム・フュヒトナー1870年ごろ、くるみ割り人形を初めて制作したヴィルヘルム・フュヒトナー

3. ミニチュアおもちゃの世界

主に家族単位の小さな工房で作られていたザイフェンのおもちゃだったが、1852年にはザクセン王国のおもちゃ専門学校(Königliche Special –Gewerbeschule zu Seiffen)が開校。当時、貿易の自由が導入されて未熟な職人でも商売をすることができるようになり、おもちゃの品質が著しく低下していたことから、専門教育機関を設けて優れた職人を養成するようになったのだ。ここは現在も、ドイツ唯一のおもちゃ職人養成専門学校として存続している。

寒空の下でおもちゃを売る子どもたちの姿は、ザイフェンの歴史を物語るワンシーン寒空の下でおもちゃを売る子どもたちの姿は、ザイフェンの歴史を物語るワンシーン

さらに1880年ごろからは、木材の価格高騰に加えて税関の規制が変更されることに。米国やフランスなどの主要な輸出先が、商品の価値に応じた関税ではなく、重量に応じた関税を導入。そのため、大きくてかさばるおもちゃを輸出することが難しくなった。

ドイツトウヒの薄い板で作った曲木の箱は、ミニチュアおもちゃの持ち運びや保存に便利なおもちゃの入れ物として重宝されたドイツトウヒの薄い板で作った曲木の箱は、ミニチュアおもちゃの持ち運びや保存に便利なおもちゃの入れ物として重宝された

そこで始まったのが、おもちゃのミニチュア化だった。ザイフェンでは、1905年に取次業者のH.E. ランガーがマッチ箱に入ったおもちゃシリーズを考案。マッチ箱の中には背景の風景画や、超ミニチュアの人形や家具など、物語の世界がまるごと納められた。代表的なモチーフは100を超え、ランガー社だけでも年間約50万個を販売。暮らしを再現した豊富なモチーフ、ミニチュアの旋盤加工や絵付けの技術、細部まで見事にデザインする能力は、ザイフェンの新たな強みとなった。

マッチ箱の中に広がるミニチュアの世界マッチ箱の中に広がるミニチュアの世界

4. 二度の世界大戦と旧東ドイツ時代

第一次世界大戦、そして1929〜1932年の世界恐慌はザイフェンをも大きく揺るがした。クリスマスシーズンであってもわずかな注文しか入らず、最大で人口の3分の2が無収入に。さらに第二次世界大戦中、おもちゃ工場の一部は戦争産業に組み込まれたという。

1971年ごろのザイフェンのおもちゃ工房1971年ごろのザイフェンのおもちゃ工房

第二次世界大戦後、ザイフェンは東ドイツ(DDR)に組み込まれ、おもちゃのための資材調達や商品の販売も、厳密な指示のもとに行われるようになった。従業員数が10人を超える企業は強制的に国営化。小規模な工房は民間経営を許されたものの、国から指定されたものだけを製造し、店舗での直販売は禁止された。ザイフェンのおもちゃはブランド力があり、DDR政府にとって外貨を得るための重要な輸出品の一つだった。そのため西側諸国にばかり輸出され、DDR市民の手には入りにくかったという。一方で高価なザイフェンのおもちゃは生産者たちにとって、実は物々交換の品にもなった。ある人は車の修理代として、ある人はバルト海の別荘代として、おもちゃで対価交換をすることもあったとか……。

ザイフェンでは、米国など西側諸国の需要に応じたおもちゃ作りも盛んに行っていたザイフェンでは、米国など西側諸国の需要に応じたおもちゃ作りも盛んに行っていた

5. ベルリンの壁崩壊後「おもちゃの村」の再出発

東西ドイツ再統一以降、ザイフェンの人々は自由を手に入れた一方で、厳しい競争環境の中で自活していかなければならなくなった。資本主義経済や市場の仕組みなど、西側のルールを新たに学ぶ必要があったのだ。また旧西ドイツの規定では、おもちゃは手工業種から外されており、マイスター育成のための国からの補助金の対象外となっていた。これを変えるためにおもちゃ職人たちが働きかけ、1996年には正式に手工業の職人として認められた。

さらにザイフェンの人々は、自分たちで見本市や海外市場に出向いて新たな顧客を見つけたり、流行や需要に沿った新しいデザインを自分たちで生み出したりするように。クリスマスを祝う習慣があるドイツ系米国人をはじめ、工芸品や匠の技術への親和性が高い日本でもザイフェンのおもちゃは愛されるようになった。

クリスマスのザイフェンの様子を表したミニチュアクリスマスのザイフェンの様子を表したミニチュア

モダンなデザインも生み出される一方で、ザイフェンの工房では今なお、村の歴史や、地元の豊かなクリスマス文化、エルツ地方の素朴な日常詩などをモチーフにしたおもちゃが多く作られている。そのことは、伝統的な技術だけでなく、故郷に対する人々の深い愛情もまた、おもちゃ作りを通して脈々と受け継がれてきたことの表れでもあるだろう。ザイフェンのおもちゃに流れる静かで独特の時間を、ぜひクリスマスシーズンに味わってみてほしい。

ザイフェンのクリスマスマーケット期間中に開催される炭鉱夫たちのパレードザイフェンのクリスマスマーケット期間中に開催される炭鉱夫たちのパレード

ザイフェンのおもちゃ職人の技

ザイフェンのおもちゃ作りの原点ライフェンドレーン

ザイフェンがおもちゃの村として発展した理由の一つに、1800年ごろから伝統的に使われている木工技法「ライフェンドレーン」(Reifendrehen)がある。これは、輪切りにした太い木を木工ろくろに固定して回転させ、そこに刃物を当てて断面が動物の形になるようリング状に加工する技術。完成した輪を切り割ると、金太郎あめのように40〜60体くらいのフィギュアの原型を取り出せる。

ライフェンドレーン

その後、手で彫って形を整え、色を付ければ出来上がり。完成したリングを割って初めてその形状を確認できるため、高度な旋盤技術とデザイン力、形を把握する熟練の技が必要。現在、数十人ほどしかこの技術を使える人はいないという。

ライフェンドレーン

ザイフェンで復活した伝統技法シュパンバウム

ミニチュア細工の木を作るエルツ山地特有の伝統技法で、1920年代にザイフェンのおもちゃ専門学校が主導してこの技法を復活させた。湿気を含んだ円錐形の木材を固定し、木の表面をノミで削って、削り節を小さな巻毛状にする。20世紀初頭には、シュパンバウムの技術を応用してミニチュアの削り花( Blümel)を作る技術も誕生。

シュパンバウムシュパンバウム

今年のプレゼントにいかが?ザイフェンの代表的なクリスマスおもちゃ

ザイフェンの名を一躍世に知らしめたのが、クリスマスの風物詩ともいえるオーナメントやクリスマスおもちゃの存在だ。そんなザイフェンで伝統的に作られている、クリスマスおもちゃの種類をご紹介。今年のクリスマスプレゼントの参考にしてみて。

Engel und Bergmann天使と鉱夫

天使と鉱夫

エルツ山地ではクリスマスシーズンになると、ろうそくを手にした天使と鉱夫のモチーフが窓際に置かれるという。暗く危険な炭鉱で働くエルツ地方の鉱夫たちにとって、古くから「光」はクリスマスを祝う重要なシンボルだった。その後、夫の安全を願い、愛とぬくもりを与える妻を天使に見立てたモチーフが加わり、ペアで飾られるようになった。

Nussknackerくるみ割り人形

くるみ割り人形

もとは王様や宮廷の人、衛兵など、「権力者の口をクルミでふさいでしまおう」という庶民のアイデアから生まれたくるみ割り人形。ザイフェンでは、1870年ごろにおもちゃ職人のヴィルヘルム・フュヒトナーが、『くるみ割り王とあわれなラインホルト』という絵本にインスピレーションを受けてデザインしたのが最初といわれる。

Schwibbogenシュヴィップボーゲン

シュヴィップボーゲン

アーチ型のキャンドルスタンドで、この形は鉱山の入り口を象徴している。鉱夫たちは、早朝に仕事に出かけて夜遅くに帰ってくるため、特に冬場は日の光を何週間も見ることができなかった。そのため各家の窓辺に置いてあるシュヴィップボーゲンの明かりは、鉱夫たちが家族のもとへ安全に帰るための道しるべでもあったといわれている。

Räuchermann煙出し人形

煙出し人形

クリスマスシーズンに飾られる人形で、1830年ごろに初めて作られた。人形は上下に外れて足の部分にお香をセットできるようになっており、口から煙をもくもくと出す。炭鉱夫をはじめ牧師やパン屋、おもちゃ屋さんなど、エルツ地方に暮らす村人たちの生活を表現したさまざまな種類があり、ユーモアに溢れたデザインが面白い。

Weihnachtspyramideクリスマスピラミッド

クリスマスピラミッド

数階建てのクリスマスピラミッドは、ザイフェンのおもちゃ作りの技術が集結した芸術品。ろうそくの熱によって羽根車が静かに回転し、ピラミッドの中ではキリスト降誕のシーンや炭鉱夫のパレード、エルツ地方の風景などが再現されている。ドイツ各地のクリスマスマーケットでは、高さ数メートルの巨大ピラミッドが登場。

インタビュー

ミュラー社4代目 リンゴ・ミュラーさんザイフェンの伝統を更新し続けるおもちゃ工房

ベルリンの壁崩壊後、自由主義経済の波がザイフェンにもやって来た。そんななか世界中を飛び回り、時には最先端技術を導入しながら、ザイフェンのおもちゃを世に広めてきた工房がある。ザイフェンの伝統を守りつつも、現代のライフスタイルにもなじむおもちゃ作りを果敢に行う、ミュラー社4代目のリンゴ・ミュラーさんに話を聞いた。

4代目のリンゴ・ミュラーさん(左)と、娘のソフィーさん(右)

4代目のリンゴ・ミュラーさん(左)と、娘のソフィーさん(右)
www.mueller.com

Q.リンゴさんがおもちゃ職人になった理由は?

子どもの頃から工房で育った私にとって、曽祖父が1899年に創業した家業を継ぐことは自然なことでした。高校を卒業してすぐに実家でおもちゃ職人の修行を始め、1996年にはおもちゃに電気配線を組み込んだ電動イルミネーションのクリスマスピラミッドやシュヴィップボーゲンを発表、この技術でマイスターの称号を取得しました。

2000年から、会社の経営を父から受け継いで今に至ります。木から創造的なおもちゃを作ることは、とても多才で特別な仕事だと思っています。何より自分たちが作ったおもちゃが、お客さんたちの生活を彩ることができるという大きな充実感を得られます。

Q.工房ではどんな人が働いていますか?

現在は、おもちゃ職人や木工旋盤職人など、熟練した35名の職人のほか、木工おもちゃ職人の実習生を2名が修行しています。また実はミュラー社にとって、日本は東西ドイツ再統一後に積極的に取り組んだ最初の海外市場の一つであり、長きに渡って友好関係が続いてきました。それもあって、日本からの短期研修生も定期的にうちの工房で受け入れ、ザイフェンのおもちゃ作りやドイツでの暮らしを体験してもらっています。

Q.東西ドイツ再統一の前後で、仕事や生活にどのような変化がありましたか?

DDR政府による企業の国有化は、まずDDR建国後の1950年代前半、そして1972年に急速に進みました。ミュラー社は幸運にも、創業から今日まで家族経営が途切れることなく続いています。もちろんDDR時代には資材調達や生産が思うようにいかなかったり、また国営企業と民間企業では賃金に大きな差があったりと、先行きには常に不安がありました。

東西ドイツが再統一されて、全てが変わりました。DDR時代は何をどのくらい生産するか、いくらで販売するかなどを国が決めていましたが、再統一後、私たちは突然全てを自分の責任で行わなければならなくなったのです。当時18歳だった私は、運良くこの大きな変化に適応することができました。一方で、例えば私の祖父母は戦前には自営業、DDR時代には国の管理下で働き、そして壁崩壊後にまた自営業に戻るという、二度も大きな変化を経験しました。彼らが新しい時代に適応することの困難は、計り知れなかったと思います。

Q.ザイフェンが世界的な「おもちゃの村」であり続ける理由は?

ザイフェンのおもちゃは、新しいアイデアや多様な技術・素材を用いることで、これまで幾度の荒波を乗り越えてきました。私も先人たちにならい、スキー選手とコラボレーションした作品や、音楽家の方と一緒にオルゴールを作るなど、ザイフェンのおもちゃを発展させるべく、さまざまな試行錯誤を行っています。その過程で形や色が変わることはありますが、原点は何も変わらない。こうした職人たちの努力によって、ザイフェンの思い出は生き続けているのだと思います。

特別に工房をのぞき見!ミュラー社の工房見学ツアー

ミュラー社

ザイフェンで一番大きいといわれるミュラー社の工房。東西ドイツ再統一後、ミュラー社は東西格差是正のための補助金でこの工房を建てたといい、最先端の機械なども導入している。そんなミュラー社のおもちゃ作りの現場に潜入してみよう。(Foto: Asuka Okajima)

木工の作業場

おもちゃの原材料となる多種多様な木材が並ぶおもちゃの原材料となる多種多様な木材が並ぶ

木工の作業場

サンプルと照らし合わせながらパーツを作る職人さんサンプルと照らし合わせながらパーツを作る職人さん

木工の作業場

おもちゃの原材料となる多種多様な木材が並ぶおもちゃの原材料となる多種多様な木材が並ぶ

塗装のための工房

パーツごとに塗装中パーツごとに塗装中

煙出し人形の組み立て作業

煙出し人形のミュンヘン・オクトーバーフェストのデザインを組み立て中。両手にはビール、白ソーセージとブレッツェルのプレートが載せられる煙出し人形のミュンヘン・オクトーバーフェストのデザインを組み立て中。両手にはビール、白ソーセージとブレッツェルのプレートが載せられる

煙出し人形の組み立て作業

煙出し人形の組み立て作業

完成!完成!

電気式シュヴィップボーゲンの配線

ミュラー社の電気式シュヴィップボーゲンを組み立てる様子ミュラー社の電気式シュヴィップボーゲンを組み立てる様子

電気式シュヴィップボーゲンの配線

ミュラー社のシュヴィップボーゲンは、アーチが雲の形になっているのが特徴ミュラー社のシュヴィップボーゲンは、アーチが雲の形になっているのが特徴

おもちゃの村で特別な時間をクリスマスのザイフェン観光案内

ザイフェンが一年で最も美しい季節といえば、やっぱりクリスマスシーズン! エルツ地方やおもちゃの歴史を知れる博物館はもちろん、数世代にわたって続く伝統的なおもちゃ工房を訪ねたり、イベントに参加したりするも良し。クリスマスの特別な時間を、ぜひザイフェンで楽しんで。

クリスマスマーケット30. Seiffener Weihnacht

クリスマスマーケット

今年で30周年を迎えるザイフェンのクリスマスマーケット「30. SeiffenerWeihnacht」。華やかに飾られた街の中心部や、50を超える屋台が、クリスマスならではの雰囲気を醸し出している。期間中の毎週土〜日曜日には、エルツ地方伝統の鉱夫のパレードや、聖歌隊によるコーラス、音楽の夕べなどのイベントも開催。

11月25日(金)〜12月18日(日)
月曜〜金曜11:00-17:00、土曜10:00-20:00、日曜:11:00-18:00
https://seiffen.de/weihnachten

山の教会Bergkirche Seiffen

山の教会

村の中心部からもほど近くにある、正八角形で淡い黄色のかわいらしい教会。1776〜1179年にかけて大工の巨匠クリスチャン・ゴットヘルフ・ロイターの設計で古い教会跡地に建てられ、ザイフェンのおもちゃのモチーフとしてもしばしば登場する。教会のガイドツアーはもちろん、クリスマスの雰囲気を味わえる礼拝やオルガン音楽の時間に訪れるのも◎。

Deutschneudorfer Str. 4, 09548
https://bergkirche-seiffen.de

おもちゃ博物館Erzgebirgisches Spielzeugmuseum

おもちゃ博物館

1953年にオープンした博物館で、ザイフェンやエルツ地方の伝統的なおもちゃが三つのフロアにわたって紹介されている。もともと1936年におもちゃの総合広告展用に建てられ、1943年に戦争で閉鎖されるまで数十万人の観客を集めていた。

おもちゃ博物館

博物館では、かつての仕事場や生活の様子を再現した部屋や、クリスマス飾りの歴史やおもちゃ職人たちの紹介、そして高さ6.3メートルのクリスマスピラミッドなどを見ることができる。

Hauptstraße 73, 09548

野外博物館Erzgebirgisches Freilichtmuseum

野外博物館

1973年にオープン。自然豊かな丘の上に19〜20世紀初頭の古い民家が点在しており、その中が展示室になっている。大きな水車小屋や職人の工房、家族でおもちゃ作りをしていた居間、小さなベッドルームなど、ガラス越しに当時の生活の様子をうかがい知ることができる。

野外博物館

目玉はなんといっても、「ライフェンドレーン」の実演を間近で見られること。職人の熟練の技と、木が削り出される香り、そして出来上がった動物のミニチュアの手触りなど、五感でザイフェンの歴史を体験しよう。

Hauptstraße 203, 09548

サンタさんへの手紙ボックスErzgebirgisches Freilichtmuseum

サンタさんへの手紙ボックス

毎年10月になるとザイフェンの村役場前の広場に、サンタさんへの手紙ボックスが設置される。子どもたちは、ここで「願い事リスト」に記入して投函することができる。手紙ボックスに集まったリストは、第四アドベント前にサンタさんに渡され、その後、この広場でプレゼントの贈呈が行われる。ちなみにサンタさんいわく、「(プレゼントの)願いが大きすぎない方が、かなう可能性が高い」らしい。

ザイフェン観光のためのお役立ち情報

現地までの交通アクセス

ドレスデン中央駅からバスを乗り継いで約2時間半、ケムニッツ中央駅から約2時間。バスの本数も少ないので下調べは必須。日帰りもしくは複数都市を周遊する場合、ザクセン州、ザクセン=アンハルト州、テューリンゲン州域内が当日限り乗り放題になる「ザクセンチケット」(Sachsen-Ticket)が便利。1〜5人までが25〜57ユーロで、かつ15歳未満の子ども3人までが無料で同乗できる。(※2022年10月現在の情報)

宿泊の場合は早めの予約がマスト

クリスマスシーズンは、各地からの観光客やスキー客などでにぎわうため、宿泊を希望の場合は早めに宿を予約しよう。ホテルをはじめ、ペンションや貸別荘(Ferienwohnung)など、滞在期間や目的によって選ぶと良い。一般的な宿泊予約ポータルサイトに載っていない宿泊施設も多いため、ザイフェン観光局のウェブサイトからも要チェック。
https://seiffen.de/tourismus/uebernachten

おもちゃ工房探訪でディープな旅を

ザイフェンには大小含めて約140のおもちゃ工房があり、直売をしている所も少なくない。一見普通の住宅のように見える工房でも、「Direktverkauf bitteklingeln」(直販を希望の場合はお呼びください)のような張り紙が玄関にしてあれば、インターホンを押すと中に入れてもらえる。実際に作っているところを見られたり、製作者から直接話を聞いたりすることもで

 
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