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企画展「Unter Tage fern der Heimat
- 故郷から遠く離れた炭鉱で」
ルール地方の炭鉱にいた日本人たち

2026年5月末から、ルール地方における日本人炭鉱労働者に焦点を当てた企画展がデュッセルドルフで開催されている。しかし第二次世界大戦後、ルール地方の炭鉱でおよそ400人の日本人が働いていたことはあまり知られていないかもしれない。なぜ彼らはドイツの炭鉱にいたのか、その歴史を少し覗いてみたい。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部、協力:Keyworker Oberkasselplus、竹の会)

参考:『Japanische Bergleute im Ruhrgebiet』(Klartext Verlag)、デュッセルドルフ日本商工会議所「160年の経済パートナー 日独経済産業交流の変遷と展望」

ルール地方の炭鉱にいた日本人たち

なぜ日本からドイツの炭鉱へ?

ルール地方は、ドイツ北西部のライン川流域に広がる欧州最大の工業地帯。19世紀以降にルール炭田の開発が進み、工業の中心地となった。しかし第二次世界大戦後、西ドイツは労働力不足に悩まされ、ルール地方の炭鉱労働のような危険を伴う仕事は特にその傾向が強かった。その一つの解決策として、西ドイツはイタリアやトルコと政府間協定を締結し、ガストアルバイター(外国人労働者)を導入。その流れのなかで、1956年に日独政府間でも「ルール炭鉱鉱業における日本人炭鉱労働者の期限付き就労に関する計画」が締結されたのだった。

具体的には、日本の炭鉱で3年以上坑内労働を経験した21~30歳までの500人以内の炭鉱労働者を、3年間ルール地方の炭鉱に派遣することになった。その目的とは、炭鉱における最新技術を習得すること、日独の親交を深めること。そして、1957~1965年の期間に計436人の日本人労働者がドイツの三つの炭鉱に派遣された。

プログラムが開始された当初、ドイツ側はあくまで労働者不足を補うことを目的としていたため、日本人炭鉱労働者たちは期待していたような研修を受けることができなかったという。しかしその後の交渉によって、ドイツ語の授業期間の延長、技術習得のための定期的な異動、資格取得の機会などが認められるようになる。

一方で、当時の日本はエネルギー転換期にあり、石炭から石油や原子力への移行が進められ、石炭業界は衰退へ向かっていた。そのため、派遣目的も当初の「技術習得」から「炭鉱離職者のための雇用措置」へと変更される。引き続き1500人以上の炭鉱労働者が日本から派遣される計画だったが、1962年の第5陣の派遣を最後に予定よりも早くプログラムは終了することになった。

ドイツ人たちに交じって働く日本人炭鉱労働者ドイツ人たちに交じって働く日本人炭鉱労働者

ドイツに残った日本人

プログラム終了後、ほとんどの人は日本へ帰国し、日本では日本人の元炭鉱労働者による「グリュック・アウフ会」が創立された。一方、そのままドイツで就職や進学をして現地に残った日本人はおよそ30人。多くがドイツ人と結婚して家庭を築いた。そのなかの一人が、 執行 しぎょう 龍美さんだ。

20歳だった執行さんは日本の炭鉱で働いた際、ドイツ派遣の募集について知った。身長165㎝以上の健康な若者で、未婚であることも応募条件だった。厳しい選考を通過した執行さんは、1960年にプロペラ機でいくつもの経由地を経てデュッセルドルフに到着し、デュースブルクの炭鉱に配属された。

研修後、地下1500メートルの採掘に従事した執行さん。暗く気温28度という環境のなか、重い防護服を着ての作業は過酷なものだった。また、ドイツ人の同僚が事故死するという悲劇も経験。一方で寮生活は快適で、自由時間には居酒屋やダンスホールで過ごしたという。そこで執行さんは人生の伴侶となるドイツ人女性と出会う。契約終了後に結婚してドイツの炭鉱に残り、53歳まで働いた。

現在もクーレヴェで静かに老後を送る執行さん。「ほかの日本人炭鉱労働者たちと土曜夜に飲みながら、日本の軍歌を歌ったりしましたね」と当時を懐かしむ。3日間休むとクビになるという厳しい労働条件だったと話し、執行さんが見せてくれた当時の明細書にはたった1日だけ有休を取得した記録が。前日に飲み過ぎたため医者に行き、就労不能証明書を発行してもらったのだと執行さんは笑う。

現在も定期的に日本へ一時帰国しているが、長くドイツに住んでいるため、日本語よりもドイツ語で話す方が慣れてしまったという。80代後半になり、一緒にドイツへ来た元炭鉱労働者の仲間たちが一人ひとり旅立っていくなか、執行さんのような歴史の証人はますます貴重な存在になっている。

歴史を語り継ぐために

今回の企画展は、デュッセルドルフの市民団体「Keyworker Oberkasselplus」が主催する。リタイアしたドイツ人が主要メンバーで、これまでも地域に密着した芸術文化や社会問題に関するプロジェクトの数々を実施してきた。しかしなぜ日本人炭鉱労働者を取り上げることになったのだろうか。

きっかけは、中心メンバーの一人アネッテ・クロッツさんが日本人炭鉱労働者についてまとめられた書籍『Japanische Bergleute im Ruhrgebiet』を読んだことだった。その後、2024年にケルン日本文化会館で開催された企画展「ルール炭田の日本人」にも足を運んだ。「驚いたことに、周りの日本人のほとんどがこの歴史について知らなかったんです。私たちがデュッセルドルフの日本人グループ『竹の会』と交流を続けてきたこともあり、日独交流の一環として展示を企画することにしました」とクロッツさんは話す。

企画展は、竹の会が拠点とする福祉施設「ディアコニー」で開催されている。ルール地方の日本人炭鉱労働者の歴史や当事者の証言を日独両言語でパネル展示するほか、事前に開催された版画ワークショップで参加者が日本人炭鉱労働者をテーマに彫った作品も。

執行さんも企画展の協力者の一人だ。「孫に『おじいちゃん、石炭って何?』と聞かれて、驚いたことがありました。今回のように取り上げてもらえることはうれしいです」と執行さん。私たち在独邦人の先駆者でもある彼らの歴史を語り継いでいくため、そしてクロッツさんたちの思いに日本人として応えられるよう、ぜひ企画展へ足を運んでみてほしい。

INFO

企画展「Unter Tage fern der Heimat - 故郷から遠く離れた炭鉱で」

企画展「Unter Tage fern der Heimat
- 故郷から遠く離れた炭鉱で」

2026年5月30日(土)~7月11日(土)
Diakonie, Gemünderstraße 5, 40547 Düsseldorf
※平日12:00~14:30開館
※週末に見学希望の場合は担当者まで要連絡

TEL: 01741920737
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