子どもがつくる「遊びの都市」 ミニ・ミュンヘンに魅せられて
2年に一度、3週間だけミュンヘンに現れる子どもの街「ミニ・ミュンヘン」。子どもたちは労働や納税をしながら、自由な発想と遊びでこの街を営む。基本的に大人は入れないが、実は舞台裏を支える大人スタッフの多くは、かつてのミニ・ミュンヘン市民だ。ミニ・ミュンヘンが子どもたち、そしてこの街を巣立った大人たちをも魅了し続ける理由とは。本イベントのプレス担当者であるイネス・バイヤーさんに聞いた。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

「ミニ・ミュンヘン」とは?
7〜15歳までの子どもがつくる「遊びの都市」(Spielstadt)で、2年に一度、8月の夏休み期間に3週間だけ存在する。初開催は1979年。この取り組みは今ではドイツだけでなく世界各地に広がっており、日本でも横浜市の「ミニ・ヨコハマシティ」などがある。
第23回となる今年は、8月3日(月)〜21日(金)に開催予定で、ミュンヘン市北部の「ショーパラスト」とその周辺施設を含む約3ヘクタールが会場となる。期間中は毎週月曜〜金曜の10〜17時に開かれており、1日約1700人、期間を通して合計約2万5000人以上の子どもたちが訪れる。詳細は公式ウェブサイト(www.mini-muenchen.info)をチェック!
「次の停車駅は、ミニ・ミュンヘン!」
8月のミュンヘン、地下鉄U6線に乗っていると、いつもとは違うアナウンスが流れてくる。「次の停車駅は、ミニ・ミュンヘン!」。フリュットマニング駅で数百人の子どもたちが下車し、会場の「ショーパラスト」へと駆けていく。7〜15歳までの子どもたちが市民となり、独自通貨「ミミュ」(MiMü)を稼ぎ、選挙で市長を選び、時にはデモを起こす……。そんな小さな都市が、2年に一度、3週間だけこの場所に出現する。大人はシティーツアーに参加するか、16時30分以降の子どものお迎えでしか入ることができない。
「最終日、帰りの地下鉄の中で泣いている子どもたちを見かけたことがあります。『あぁ、ミニ・ミュンヘンが終わってしまった。あと2年待たなきゃいけないなんて』と。それを聞いて、私もうれしくて泣きそうになりましたよ」。そう語るのは、ミニ・ミュンヘンのプレス担当者、イネス・バイヤーさんだ。これほどまでに子どもたちを惹きつける都市は、いかにして生まれたのだろうか。
会場のショーパラスト前には、開場前から子どもたちの長蛇の列ができる
ミニ・ミュンヘンの歴史は1969年、ミュンヘンとニュルンベルクのアーティストと教育者からなるグループ「KEKS」が立ち上がったことにさかのぼる。一見するとドイツ語で「クッキー」を意味するこの名前には、Kは「Kunst」(芸術)、Eは「Erziehung」(教育)、Kは「Kybernetik」(サイバネティクス)、Sは「Soziologie」(社会学)という意味が込められている。「KEKSのメンバーは、子どもたちには自分の世界を自立的に探求する力があると信じていました。そして公共空間を子どもたちのための実験の場にすべきだと考え、公園や博物館などでプロジェクトを始めます」とイネスさんは説明する。その活動が広がり、「Kultur & Spielraum e.V.」(文化と遊び空間協会)が誕生し、1979年に初のミニ・ミュンヘンが開催された。以来45年以上、ミュンヘン市のバックアップを受けながら2年に一度の開催が続いている。
1979年に行われた第1回目のミニ・ミュンヘンの様子
子どもを「専門家」として見る
45年以上の歴史を持ちながら、ミニ・ミュンヘンの基本的なコンセプトは初回からほとんど変わっていない。「まるで本物の都市であるかのように行動する」、それだけがシンプルな大前提だ。市民権を得るには一定の労働と大学で講義を受けることが必要で、働けば時給5ミミュが支払われ、そのうち1ミミュを税金として納める。60以上の仕事があり、新聞記者、建築家、花屋、タクシー運転手、料理人、アーティスト、公務員……果ては市長になることも、銀行強盗になることもできる。ただし銀行強盗は裁判にかけられることも。そして、こうしたルールは全て補足・変更することができるが、そのためには子どもたち自身が市民集会を開き、多数決で決める必要があるという。
いくつかのルールこそ存在するものの、それらは子どもたちの行動を制限するようなものではない。その背景には、ミニ・ミュンヘン独自の「子ども像」がある。イネスさんは、過去の出版物から一節を読み上げてくれた。「『私たちにとって、ミニ・ミュンヘンにおける子どもは、自分自身の事柄、自分の願望、自分の関心に関する専門家です。私たちは、彼らを会話や交渉のパートナーとして真剣に受け止めます。そして彼らは時に、最後の言葉を言う権利も持つべきです』。つまり、単に『子どもたちに少しやらせてみよう』というのではなく、彼らには本当に決断を下す権利があるのです。そしてそれが時にひどい結果を生んだとしても、私たちは彼らを守ります」。
そうした変わらない軸がある一方で、ミニ・ミュンヘンは現実社会や政治の動きに敏感に反応する。例えば、数年前には気候保護センターが設立され、そこで働く子どもたちは気候危機に関する研究を行いながら、ミニ・ミュンヘン内の気温や水質を計測し、ゴミの分別を管理することで、街をより持続可能な都市へと変えようとしている。2024年の前回開催では「材料倉庫」が新設され、それまで大人がやっていた資材の提供を、子どもたち自身が担うようになった。子どもたちはオンラインカタログの作成から注文の梱包・配達、クレーム対応まで手がけたほか、プライム料金やブラックフライデーの導入なども行ったという。今年はさらに大規模なリサイクルの循環が導入される予定で、廃棄物処理局が回収した資材を材料倉庫で再販・再利用するという。
本物の道具が本物の信頼を生む
ミニ・ミュンヘンの中では、子どもたちはノコギリや工具で木製の家具を作り、コンロと油を使って調理をする。そうした多少危険を伴う作業であっても、子どもたちは自分で行うことができる。「もし子どもたちにプラスチックのノコギリやゴムハンマーを渡したとしたら、何も良いことがありません。本物でないとき、つまり自分たちが真剣に受け止められていないとき、子どもたちはすぐに気づきます。だから大前提として、私たちは子どもたちを信頼しています。『大人から信頼されている』と感じられるとき、子どもたちは自分の創造性をより強く発揮して、多くの学びと喜び、自信を持てるようになると思います」。
とはいえ、リスクヘッジは徹底している。ミニ・ミュンヘンを支えるスタッフは、教育者、アーティスト、職人、および各分野の専門家など、その道のエキスパートたちだ。木工エリアには本物の大工職人、レストランには本物の料理人というように、各エリアに熟練のスタッフが配置され、道具の使い方や安全な扱い方を丁寧に教えながらも、子どもたちの自由を最大限に保つ。ここでの大人の役割は明確だ。「大人は、子どもたちの作り手や担当者ではなく、アシスタントです。物事がどのように機能するかを見せますが、やるのも決めるのも子どもたちなのです」。
この哲学の真価が、思わぬ形で証明されたことがある。2020年、新型コロナウイルスの感染拡大により、数千人の子どもを一会場に集めることは不可能になった。そこでミニ・ミュンヘンは、市内を4地区に分けた40拠点でのサテライト開催に踏み切った。
「とはいえ実際に始まるまで、このサテライト開催がちゃんと機能するのかとても不安でした。でも、子どもたちは初日から、一部の大人よりもずっと早く、この仕組みがどのように機能するかを理解したのです。子どもたちの信じられない賢さ、柔軟性、勇気に、あらためて感動しました」と、イネスさんは振り返る。街中に散らばった拠点と拠点をつなぐため、子どもたちはコールセンターやフードデリバリーサービスを開設。さらに、サテライト開催による影響で中央からの物資の供給が遅れると、業を煮やした子どもたちが独立運動を起こすなど、コロナ禍ならではのドラマも生まれた(ちなみに独立宣言は翌週には覆された)。
2020年のコロナ禍でのミニ・ミニミュンヘンは、マスク着用、ソーシャルディスタンスを守りながら行われた
自由の中で出会う仲間たち
イネスさんによれば、ミニ・ミュンヘンに初めて来る子どもたちの多くにとって、ここでの体験は全く新しいものだという。「ミニ・ミュンヘンの外では、子どもたちはよく『これしてもいい?』と尋ねます。彼らは、大人に許可を求めることに慣れているのです。『トイレに行ってもいい?』『いつそこに行ける?』『ここで遊んでもいい?』といった具合です。一方、ミニ・ミュンヘンでは、彼らは非常に自主的に行動しています」。
ミニ・ミュンヘンの入口で子どもたちが最初に知ることは、「自分はここに入ることができる。でも、お父さんもお母さんも入れない」ということだ。中に入ると、そこにいるのはほとんどが子どもで、大人はスタッフとしてそこにいるだけ。その体験を通して、自分の行動には結果が伴うこと、自分が発言していいこと、自分が要求していいことを、子どもたちは自然に学んでいく。全く知らない子ども同士が出会い、チームになり、その友情がときに何年も続くのだ。
そしてミニ・ミュンヘンは、全ての子どもたちに開かれた街であることを常に意識してきた。第2・第3言語を話す子どもたちは翻訳者や多言語観光案内人として活躍でき、日本やトルコ、スペインなど世界各地の姉妹プロジェクトからのゲストも毎年訪れる。聴覚障害者協会と連携した手話コースも提供されており、特別なサポートが必要な場合は同伴者の帯同も可能だ。
子どもだったあの日から大人になった今も
ここで一つの事実に目を向けると、ミニ・ミュンヘンという場所の本質が見えてくる。毎回200人程度のスタッフがこのプロジェクトに関わるが、その多くはかつて子どもとしてミニ・ミュンヘンを体験した元市民たちだ。さらに16歳になった元市民はボランティアとして参加できるようになる。彼らはミニ・ミュンヘンのことを身をもって理解しており、子どもたちがどのように自由であるべきか、どのように子どもたちを守るか、どんなコミュニケーションを取るべきかを知っている。そうした人の循環と経験の蓄積が、45年以上もの間ミニ・ミュンヘンを支えてきた。
そして驚くことに、一部のスタッフは普段は会社員をしており、年次有給休暇を3週間取ってこのイベントに参加するという。大人になった元ミニ・ミュンヘン市民たちは、何を求めてこの場所にまた戻ってくるのだろうか。「ミニ・ミュンヘンはある種のコミュニティーなんです。例えば、ある人が偶然レストランで出会った人と会話をする。『ミニ・ミュンヘンって知ってる?』『うん、昔参加していたよ』『私も! 』『本当に! ?』と、その会話だけで、彼らは即座にチームになれるのです。参加者同士の間には、信じられないほど強い絆があると思います」とイネスさんは語る。
2024年の最終日のパレードの様子
子どもとして参加し、ボランティアになり、スタッフになる。あるいは今度は自分の子どもがミニ・ミュンヘン市民になる。ミニ・ミュンヘンの中では、実は子どもと大人はシームレスにつながっているのだ。そして大人たちは、子どもたちからたくさんの贈り物をもらう。イネスさん自身、前回のミニ・ミュンヘンでは本業のジャーナリストとして新聞編集局で子どもたちをサポートしたが、そのときのことをこう振り返る。
「例えば、私が子どもたちに『今日はこの記事を書きましょう』と言うことはありません。子どもたちはアイデアを持っていて、その発想はとにかく自由なんです。3週間が終わると、私たち大人の頭の中もまるで一新されたようになります。『ルールを守らなければ』『あれをしなければ』といったものが取り除かれて、子どものころに持っていたような創造性が戻ってくるような感覚がある。大人たちは再び遊びの喜びを見つけ、子どもたちを新たな目で見ることができます。信じられないほど面白く、力強く、熱狂的で、創造的な存在として。そしてこの情熱が私たちにも乗り移って、大人もまた自由になれるのです」。
ミニ・ミュンヘンの施設・職業を覗いてみよう!

ミニ・ミュンヘンの職業安定所。1日の始まりには仕事の配分が各エリアで分散して行われるが、後で来た場合や仕事を変えたい場合はここに行く

嗅覚研究室は、銀行や新聞編集局の匂いなど、ミニ・ミュンヘンのさまざまな香りを研究する施設。独自の香水の開発も行っている

ミニ・ミュンヘンには全てのエリアに停車するバス路線がある。運行間隔はそのときによる。最大8人まで同時乗車が可能

ガーデニングセンターでは、各施設の緑化のための花やハーブなどを販売している

テレビ局「MüTiVi」は毎日、ミニ・ミュンヘンのその日の出来事を振り返るライブ番組を制作。ほかにも推理ドラマやホームドラマなども制作され、映画館で上映される

建設局は、新しく建てられる全ての建設プロジェクトを実行する。中央の看板には「KEINE ELTERN!!!」(親禁止!!!)と書かれている



インベスト・イン・ババリア
スケッチブック




