Hanacell

「丑年」の「丑」は、幸せの芽

©Sae Esashi長く海外で生活していると、日本に戻ったとき、思わぬところであせるはめになる。

たとえば元号だ。

なにかの書類に日付をサインするとき、元号で書くようにいわれて、えっと今年は平成何年だっけ?と、一瞬、頭の中が真っ白になったりする。で、ペンが止まり、思い出そうとみけんにシワをよせていると、相手はけげんそうな顔でこちらを見る。へたをすると怪しまれることもある。こういうのは、でも、あまりにも常識過ぎて聞きづらいものだ。

僕の場合は、ドイツは童話や小説の原稿を書く仕事場で、出版は日本でするというスタイルなので、日本の祭日などを意識しなきゃならない。昔は、日にちで決まっていたけれど、最近は、振り替え休日が増えて混乱することも多い。それでこのところはシステム手帳の日本のリファイルを使っていて、元号もしっかり出ているので、いざとなればカンニングをするわけだが、このまえはその手帳を持ってなくて、とうとう聞いてしまった。

「えっと……すみません、今年は平成何年ですかぁ!」

なに、このボケと思われてるんだろうなと感じるとよけい、しどろもどろになって……。

この元号と同じぐらいふだん意識していないのが干支である。僕は「亥」年生まれで、少し前に年男となり、同窓会もあったりしたので、それに続く「子」と今年の「丑」ぐらいまでなら、脳にすりこまれている。でも、これが「卯」や「巳」とかいわれても、はぁ?と聞き返してしまうだろう。

干支にちなんだ年賀状をドイツまで送ってくれる人がいて、もらったときは、そうかと思うけれど、数分後にはすっかり忘れている。

ただ子どものときに、「子丑寅卯辰巳……」と覚えたので、戸惑ったときは呪文のように唱えながら指をおるのだ。

ところで先日、娘たちに、「猫がどうして干支に入っていないか」について書かれた絵本を読んでやったときのことだ。

ねずみにだまされ、1日遅れでやってきたので間に合わず、怒って、それ以来、猫はねずみを見るとおいかけまわすようになった……というあの話である。

で、解説まで読んだあと、「このねずみは子どもだったんだね」と上の娘が言った。

「はあっ?」と聞き返すと、小さな指で「ほらっ」。絵本の中の漢字を示されて、なるほどと思った。たしかに、ねずみは干支では「子」と書く。それで娘は、そう思い込んだようだが、これはあながち見当はずれではないらしい。もともと干支は文字があり、それをわかりやすく教えるために後に、動物をあてはめたのだから。そして「子」は、おそらく子孫繁栄の意味もあり、子沢山の動物が選ばれたのだろう。これはあくまで僕の想像だけど、そんなにはずれてないんじゃないかと思う。

いずれにしても、まったくの当て字である。干支以外のケースでは、子をねずみとは読まない。

今年の「丑」もそうである。音はどう考えても「ちゅう」としか読めまい。意味もよくわからない。いったいなんだろう。そういえば、糸偏をつければ「ひも」である。

ひも……ねえ。

古代から伝わるということでは、干支は、おそらく自然や気などと結びつくはずなので、ひもから連想するのは、これは「根っこかな」と。でも、その説をこのまま唱えると、「またパパは、適当なことをいう」と家中で非難されそうなので、一応、語源辞典みたい なもので確かめてみた。

それによると漢書に「丑は、地中に埋まっていてまだ捻じ曲がっている状態の芽のようなものの意」とあった。僕の連想は、正解とはいえず、まあ、かすったといったところか。

ともかく、この「丑」は、すかっとさわやかとは言いがたい意味の言葉なのは、まちがいない。「草木も眠る丑三つ時……」とか「丑の刻参り」の「丑」である。怨みをはらさんと、わら人形に五寸釘を…… というようなおっかないイメージもある。この「丑の刻」とは午前2時から4時をさすというから、まさに未明、あたりが真っ暗な時間である。

でも、この「丑」がどうして牛になったのか?そこでこれも調べてみたけれど、古代では、牛は神聖な動物だったというほかは、よくわからなかった。「地面の下にある発芽する前の芽=生命の始まり」と「牛」 とは、どうも結びつかない。

僕の親しくしているドイツ人画家M・ゾーヴァ氏のポストカードに「ホリディ・オン・アイス」というのがある。太った牛が重たげにフィギュアスケートをし、それを閑散とした客席から、別の牛たちが、ぼーと眺めている場面を描いたものだ。軽快さとほど遠いところが面白い絵だが、やはり「牛」からイメージできることといえば、のったりもったりとした鈍重さや、のんびり感だろうか。

ただスローというのは、じつはそんなに悪くないのではと思っている。スローフードやスロートラベルなどの言葉も、近頃よく聞くようになったけれど、忙しい日常から少しばかり離れて、自分の時間をすごそう、あるいは自分をみつめてみようというのは大事なことだ。

時代も同じ。世界的な不況で、日本でもドイツでも、なんだかみんなが沈みがちなこのごろ。でも、こんなときはあせらず、ちょっと立ち止まってみよう。

もしかしたら、知らないところで未来への明るい幸せの芽が、じつは生まれようとしているかもしれない。ゆっくりと、でも牛の歩みのように着実に。そう思うと、ちょっぴり救われる気もするのだ。

牛「丑」年──。

今年が良い年でありますように。

那須田 淳(なすだ じゅん)
作家。日本ペンクラブ会員。1995年からベルリン在住。『一億百万光年先に住むウサギ』(理論社)、『ペーターという名のオオカミ』(小峰書店・産経児童出版文化賞、坪田譲治文学賞)などの小説や童話が多数ある。『ちいさなちいさな王様』(ハッケ著、ゾーヴァ絵・木本栄共訳、講談社)などの翻訳も多い。

 
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