Fujitsu 202601

生誕270周年記念 モーツァルトと欧州の旅

子どものおもちゃや学校の授業、CMや電話の保留音に至るまで、クラシックファンでなくてもモーツァルトの音楽を耳にする機会は多いだろう。そんな身近で偉大な作曲家モーツァルトが生まれてから、今年で270周年になる。オーストリアの作曲家として知られるが、実はその人生の多くを旅に費やしたモーツァルト。東はプラハ、西はロンドンまで欧州中を旅したモーツァルトの軌跡をたどりながら、彼の人生や作品の魅力に迫る。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

Dチケット

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
Wolfgang Amadeus Mozart
(1756-1791)

モーツァルトってどんな人?

参考:planet wissen「Persönlichkeiten: Wolfgang Amadeus Mozart」「Wolfgang Amadeus Mozart: Wurde Mozart ermordet?」

1. 「神童」として人々を魅了

1756年1月27日、ザルツブルクに生まれたモーツァルト。宮廷ヴァイオリニストだった父レオポルトの影響で、生まれたときから音楽に囲まれて育ち、4歳でピアノを弾き始め、5歳で初めて作曲したといわれている。そんなモーツァルトの才能を見抜いたレオポルトは、6歳のモーツァルトと11歳の娘ナンネルを連れて演奏旅行へと旅立つ。ピアノとヴァイオリンの並外れた演奏技術だけでなく、親しみやすい性格でも人々を魅了し、まさに「神童」としてもてはやされたのだった。

2. 嫉妬されるほどの天才作曲家

11歳になると、初のオペラを作曲。しかし、モーツァルトはほかの作曲家たちからは脅威とみなされ、作曲家として地位を築くのに苦労する。なかには、モーツァルトの作品をわざと下手に演奏して評価を下げた演奏家もいたという。そんなモーツァルトが広く認められるようになったのは、1781年にミュンヘンで初演されたオペラ「イドメネオ」の成功だった。モーツァルトの作品は複雑ながらも、キャッチーなメロディーが巧みに取り入れられ、今日もなお唯一無二の天才作曲家として知られている。

3. フリーランス音楽家のパイオニア

モーツァルトが生きた時代は、宮廷音楽家になることは地位と収入を安定させると同時に、芸術的な自由が制限されることを意味していた。ザルツブルク大司教の宮廷音楽家だったモーツァルトもその限界を感じていたようだ。1781年に宮廷音楽家を辞職してウィーンへ移り、演奏活動や作曲、ピアノの指導を行い、当時としては珍しいフリーランス音楽家となった。権威に固執しなかった彼は、自身の成功については滅多に語らなかったが、音楽愛好家のための仕事となると非常に情熱的だったと伝えられている。

4. 毒殺説も? 35年の短い生涯

1791年12月5日午前1時、ウィーンの自宅で家族と主治医に見守られながら、モーツァルトは35年の生涯に幕を閉じた。今日の研究では死因はリウマチ熱だと推定されているが、死の直後に毒殺の噂も広まっていた。実際に作曲家サリエリが晩年にモーツァルトを毒殺したと告白しており(医学的には否定されている)、このエピソードは映画「アマデウス」にも描かれている。モーツァルトが生涯で作曲した作品はおよそ1060曲だといわれているが、その一部は現在も見つかっていないという。

ゆかりのスポットをめぐるモーツァルトが旅した欧州の都市

モーツァルトはその生涯で計17回の旅に出ており、人生のおよそ3分の1(10年2カ月2日間)を馬車の中で過ごしたといわれる。200以上の都市を訪れたというモーツァルトだが、なかでも彼の人生にとって重要な場所や転機を迎えた場所など、八つの都市をゆかりのスポットと共にご紹介する。

参考:Europäische Mozart Wege、Internationale Stiftung Mozarteum、各都市の公式ホームページ

旅行をしなければ(少なくとも芸術や科学の分野では)、
人は惨めな生き物である。

Ohne Reisen (weni gstens L eute von K ünsten und Wissenschaften)
ist man wohl ein armseli ges Geschöpf!
― モーツァルトの手紙より

モーツアルトの旅

1 モーツァルトの生まれ故郷 ザルツブルク Salzburg

ザルツブルク

旧市街がユネスコ世界遺産に登録されているオーストリアのザルツブルクは、モーツァルトの生誕地。彼が幼少期に初めて作曲をしたのも、11歳でラテン語劇「アポロとヒュアキントス」を制作したのもこの街だった。演奏旅行で不在期間が長かったものの、生涯で作曲した作品の約半分がこの地で生まれたといわれる。青年期からは宮廷音楽家としてザルツブルク大司教に仕えていたが、大司教との確執により25歳の時にこの街を去り、ウィーンに移った。1880年にはザルツブルク市民によって「モーツァルテウム財団」が設立され、モーツァルトの研究やモーツァルト・ウィークを開催するなど、現在も活動を続けている。

ゆかりのスポット

モーツァルトの生家
Mozarts Geburtshaus

ザルツブルク

モーツァルトが生まれてから17年間を過ごした生家は、世界中からのファンが訪れる博物館となっている。18世紀の生活を再現した館内では、手紙や思い出の品、肖像画のほか、モーツァルトが幼少期に愛用していたヴァイオリンやクラヴィコードを見ることができる。

Getreidegasse 9, A-5020 Salzburg
https://mozarteum.at

2 グランドツアーへ出発 ミュンヘン München

ミュンヘン

ミュンヘンはモーツァルトが人生初の旅行で訪れた都市であり、姉のナンネルと共にバイエルン選帝侯マクシミリアン・ヨーゼフ3世のために演奏した。その後、モーツァルト一家は3年半にわたる演奏旅行「グランドツアー」で欧州各地を訪れているが、行きと帰りにミュンヘンを訪れている。モーツァルトは数回にわたってこの地に滞在したが、音楽家のポストを得ることは叶わず、片思いで終わったようだ。ミュンヘンを象徴する作品として、バイエルン選帝侯カール・テオドールのために1781年に作曲したオペラ「イドメネオ」がある。この作品を皮切りに、モーツァルトは瞬く間に売れっ子作曲家となったのだった。

ゆかりのスポット

キュビリエ劇場
Cuvilliés-Theater

キュビリエ劇場

王家の宮殿レジデンツ内にあるロココ様式の劇場。フランスの建築家フランソワ・ド・キュビリエによる設計で、1751~55年にかけて建てられた。モーツァルトのオペラ「イドメネオ」の初演をはじめ、数々のバロック・オペラがこの劇場で上演されてきた。

Residenzstr. 1, 80333 München
www.residenz-muenchen.de

3 モーツァルト一家のルーツ アウクスブルク Augsburg

アウクスブルク

アウクスブルクはモーツァルトの父レオポルトの生まれ故郷。モーツァルト一家はれんが職人や製本職人などを生業として、何世代にもわたってこの地に住んでいた。モーツァルトもこの都市を5回訪れており、アウクスブルクのバールフューサー教会とウルリッヒ教会のオルガンを演奏したという。また、父方のいとこで「ベーズレ」の愛称で知られるマリア・アンナ・テークラ・モーツァルトと出会ったのもこの街だ。いわゆる「ベーズレ書簡」といわれる彼女宛の手紙の数々には、下品な内容も含まれており、モーツァルトの死後長らく公開されなかったこともでも知られる。

ゆかりのスポット

レオポルト・モーツァルト・ハウス
Leopold-Mozart-Haus

レオポルト・モーツァルト・ハウス

レオポルトの生家は現在博物館として公開されており、音楽家や音楽教師であるだけでなく、子どもたちのマネージャーも務めたレオポルトについて深く知ることができる。またモーツァルトが旅先での練習に使用していた旅行用ピアノのレプリカの展示も。

Frauentorstr. 30, 86152 Augsburg
https://kunstsammlungen-museen.augsburg.de/mozarthaus

4 最初の交響曲を作曲 ロンドン London

ロンドン

1764年、モーツァルトが8歳の時に一家はロンドンを訪れ、およそ15カ月滞在している。到着からわずか4日後には、姉ナンネルと共にドイツ出身の英国王ジョージ3世の前で演奏を披露し、その後もさまざまな場で演奏会を開いた。姉ナンネルの日記によると、ロンドンでは父レオポルトが病気の間、モーツァルトは暇つぶしのために交響曲の作曲を開始。わずか8歳にして「交響曲第1番」を完成させている。さらにロンドン滞在中には、大バッハの末子で「ロンドンのバッハ」と呼ばれたヨハン・クリスティアン・バッハとも出会い、モーツァルトの作曲スタイルにも大きな影響を与えた。

ゆかりのスポット

若きモーツァルト像
The Young Mozart

若きモーツァルト像

モーツァルトが交響曲第1番を作曲した際に一家が滞在していたエバリー・ストリートからほど近い、オレンジ・スクエアに設置されている像。没後200周年を機に彫刻家フィリップ・ジャクソンが制作し、1994年にマーガレット王女によって除幕された。

Orange Square London SW1

5 イタリア音楽の影響を受けて ミラノ Milano

ミラノ

モーツァルトは生涯で3回イタリアを旅行している。特に1769~1771年にかけて父レオポルトに連れられて行った最初の旅行では、モーツァルトは新たな音楽知識を身に付け、イタリア音楽からインスピレーションを受けるなど、音楽家としての経験を積んでいった。とりわけミラノでは、委嘱作品として三つのオペラを制作。1770年に作曲された1作目のオペラ「ポントの王ミトリダーテ」の最初の3公演では、モーツァルト自身がピアノで弾き振りをして観客を喜ばせた。レージョ・ドゥカーレ劇場(スカラ座の前身)が数カ月にわたって満席になるほどの人気ぶりだったという。

ゆかりのスポット

サン・マルコ教会
Chiesa di San Marco

サン・マルコ教会

芸術地区として知られるブレラ地区に佇むサン・マルコ教会は、モーツァルトが14歳のときに3カ月間滞在した場所で、教会内にあるオルガンを演奏したという。また、ヴェルディの「レクイエム」が初演されたのも同教会である。

Piazza S. Marco, 2, 20121 Milano

6 母アンナ・マリアの死に直面 パリ Paris

パリ

1763~1766年にかけて2度パリを訪れたモーツァルトは、ルイ15世への謁見も果たしている。1778年、22歳となったモーツァルトは仕事を求めて、母アンナ・マリアと共に再びパリを訪問。パリの貴族たちから人気を集めることに苦戦していたが、オペラ座のバレエマスターだったノヴェールの依頼で「パリ交響曲」として知られる「交響曲第31番」を作曲した。初演で成功を収めたのもつかの間、熱病に侵されていたアンナ・マリアが急死する。モーツァルトは仕事でほとんど留守にしていたため、アンナ・マリアは孤独の中、次第に衰弱していったという。その数週間後、モーツァルトは悲しみのうちにパリを去った。

ゆかりのスポット

メゾン・モーツァルト
Maison Mozart

メゾン・モーツァルト

モーツァルトが母アンナ・マリアと滞在していた建物はすでに取り壊されているが、同じ住所にはメゾン・モーツァルトが立っている。プレートには「W.A.モーツァルトとその母マリアは1778年にここに滞在した。彼の母はここで7月3日に亡くなった」と記されている。

8 Rue du Sentier, 75002 Paris

7 モーツァルトが愛し愛された都市 プラハ Praha

プラハ

モーツァルトが初めてプラハを訪れたのは、1787年にオペラ「フィガロの結婚」を自身の指揮で公演したときだった。熱狂したプラハの人々は、街中で作中のメロディを歌っていたといわれるほどで、モーツァルトは「プラハの人々は私を理解してくれる」と感じていたという。さらに、しばらくして「プラハ交響曲」として知られる「交響曲第38番」をこの地で作曲。それらの成功から、同年にはオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の初演を行っている。1791年にはボヘミア国王レオポルト2世の戴冠式のために「皇帝ティートの慈悲」を作曲しているが、初演されたのはモーツァルトが亡くなる3カ月前だった。

ゆかりのスポット

エステート劇場
Stavovské divadlo

エステート劇場

「ドン・ジョヴァンニ」の初演が行われたノスティック劇場は、現在はエステート劇場と呼ばれている。モーツァルト作品も定期的に上演。モーツァルトの生涯を描いた映画「アマデウス」のシーンの多くはプラハで撮影されているが、本劇場もロケ地の一つとなった。

Železná, 110 00 Staré Město
www.narodni-divadlo.cz

8 人生の絶頂から死へ ウィーン Wien

ウィーン

モーツァルトが初めてウィーンを訪れたのは1762年。6歳だったモーツァルトは、シェーンブルン宮殿の鏡の間で大公妃マリア・テレジアの前で演奏し、その後皇妃の娘であるマリー・アントワネットにプロポーズしたという逸話が知られている。1781年に再びウィーンに移ると、フリーランスの音楽家として活動を開始。翌年には、父の反対を押し切ってコンスタンツェ・ウェーバーとこの地で結婚した。1790年頃にはモーツァルトは音楽家人生の絶頂期を迎えていたのとは裏腹に、パーティー好きで浪費家だったことから借金にも悩まされていたという。1791年9月30日にはウィーンでオペラ「魔笛」の初演が行われたが、制作中だった「レクイエム」が未完のまま、同年12月5日に自宅で息を引き取った。

ゆかりのスポット

聖シュテファン大聖堂
Stephansdom

聖シュテファン大聖堂

ゴシック建築の聖シュテファン大聖堂はモーツァルトの結婚式と葬儀が行われた場所。死後は聖マルクス墓地にほかの死者と共に埋葬された。お墓の正確な位置は現在も不明で、ウィーン共同墓地に記念碑がある。

Stephansplatz 3, 1010 Wien
www.stephanskirche.at

モーツァルトの姉・ナンネルの光と影

マリア・アンナ・モーツァルト(1751-1829)、通称「ナンネル」は、ヴォルフガングの5歳年上の姉だ。チェンバロとピアノを弾き、グランドツアーでは弟と共に「神童」としてもてはやされた。どんな難曲でも正確かつ情熱的な演奏で人々を魅了し、レオポルトはある手紙の中で「娘は12歳にもかかわらず、欧州で最も熟練した演奏家の一人である」と記している。しかしナンネルが18歳になると、レオポルトは娘を自宅に残し、息子だけを演奏旅行に連れて行くようになる。ナンネルはピアノ教師などの音楽の仕事をしていたものの、華やかな世界から姿を消したのであった。

聖シュテファン大聖堂父レオポルトと一緒に演奏する幼少期のヴォルフガングとナンネル

ヴォルフガングが完成したばかりの作品をザルツブルクに送り、ナンネル以外に演奏させないように指示したという逸話がある。ヴォルフガングが演奏家としての姉の才能に信頼を置いていたことを物語っている。一方で旅行先のヴォルフガングがナンネルに宛てたある手紙には「親愛なる姉よ! あなたがこんな作曲ができるとは、深く感銘を受けました」と記されており、作曲もしていたと考えられている。しかし、彼女の作曲した作品は一つも残されていない。一説によると、ヴォルフガングのヴァイオリン協奏曲全5曲のうち、3曲はナンネルが書いた可能性もあるという。

一部の研究者からはヴォルフガングよりも才能があったのではないかといわれるナンネル。女性の権利が制限されていた時代に生まれ、その人生には多くの葛藤があったに違いない。そんな彼女にフォーカスしたドラマシリーズ「Mozart/Mozart」が、2025年12月にドイツ公共放送ARDにて放映された。1780年代のモーツァルト姉弟を描きつつ、当時の女性の視点を取り入れた新たなモーツァルトのエピソードを楽しむことができる。

「Mozart/Mozart」ドラマ「Mozart/Mozart」は全6話、ARDメディアテークで視聴可能(ドイツ国内のみ)

パリに愛されなかったモーツァルト

1791年にモーツァルトが亡くなった後もなお、フランスではモーツァルト作品は注目されず、18世紀末までコンサートホールや劇場で演奏されることはほとんどなかったという。1793年に「フィガロの結婚」のフランス語版がパリ・オペラ座のレパートリーに加わったものの、フランス革命のさなかだったこともあり、ほぼ無名のモーツァルトの作品が成功するチャンスはなかった。

転機が訪れたのは、1801年のこと。パリ・オペラ座が「魔笛」のフランス語版として制作された「イシスの神秘」を上演して成功する。また、同年にモーツァルトの伝記が2冊出版された。さらに、ドイツの劇団がオリジナル版の「後宮からの誘拐」をパリで上演し、主人公の恋人コンスタンツェ役をモーツァルトの義姉アロイジア・ヴェーバーが務めた。こうして死後10年経って、フランスでモーツァルトの名が知られるようになったのである。

「魔笛」1863年のパリ・オペラ座で上演された「魔笛」の舞台デザインイメージ(作者不明)

パリ・オペラ座は「イシスの神秘」の成功から、「ドン・ファン」の上演を決定。しかし、台本は書き換えられ、フランスの聴衆が好みそうな音楽に編曲されている。それでも1805年の初演では、多くのマスコミが「野蛮なモーツァルトの音楽がパリ・オペラ座を侵略した」と激しく非難。モーツァルトを批判する者と擁護する者との間で論争が起こった。

その後、パリのイタリア座では著名な歌手によってモーツァルトのイタリア語オペラが上演され、器楽曲にも次第に注目が集まっていく。1830年頃には、モーツァルトは「古典派」の作曲家として地位を確立。19世紀初頭はモーツァルトはオペラ歌手の才能を開花させる作曲家の一人にすぎなかったが、歌手が作曲家を際立たせる役割を担う時代になったのである。1866年には「ドン・ファン」がパリの三つの主要劇場で同時上演されるまでになり、モーツァルトの作品はパリの人々に愛される存在となったのである。

参考:Opéra national de Paris「I. Mozart’ s three stays in France」「II. Mozar tadapted to French taste (1793-1830)」「III. Acclamation on opera-house stages」

ザルツブルクで生誕270周年をお祝い!

■ モーツァルト・ウィーク
Mozartwoche 2026: Lux Aeterna

会期:2026年1月22日(木)~2月1日(日) https://mozarteum.at/mozartwoche

Mozartwoche 2026: Lux Aeterna

生誕200周年を迎えた1956年から毎年故郷のザルツブルクで開催されてきた音楽祭で、1月27日の誕生日前後に開かれる。著名な指揮者、オーケストラ、ソリストが集い、コンサート、オペラ、室内楽などを通して、モーツァルトの作品を再発見する機会となっている。モーツァルト生誕270周年、音楽祭70周年に当たる今年は、若くして亡くなったモーツァルトを不滅の存在として讃える「Lux Aeterna」(永遠の光)をテーマに掲げる。およそ70のプログラムのハイライトは、芸術監督ローランド・ビリャソンの演出による新作の「魔笛」だ。その注目度の高さから追加公演が決まったものの、残念ながら全て満席となっている。

■ 特別展「宇宙の魔笛」
Sonderausstellung: Kosmos Zauberflöte

期間:2026年1月16日(金)~4月7日(火)
https://mozarteum.at/mozart-museen/mozart-wohnhaus

特別展「宇宙の魔笛」

モーツァルトの家(Mozart-Wohnhaus)では、モーツァルト・ウィークの新作「魔笛」の上演に合わせて、特別展を開催する。「モーツァルトの魔笛」と「モーツァルト時代のフリーメイソン」に焦点を当て、貴重なコレクションの数々を展示。その中には「魔笛」の初演で掲示されたポスターも。また同施設では、モーツァルトが「魔笛」を制作時に滞在していた「魔笛の家」(Zauberflöten-Häuschen)も見学できる。

特別展「宇宙の魔笛」

 
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