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ロンドンのゲストハウス
Do. 21. Nov. 2019

ヴァイオリニスト 塩貝 みつる

ヴァイオリニスト 塩貝 みつる

本物の音楽を求める世界中の音楽家たちが恋焦がれる国ドイツで、「まさか来るとは思っていなかった」(本人談)日本人ヴァイオリニストが活躍している。ひょんなきっかけで、ハンブルクのオーケストラに入団した塩貝みつるさん。彼女は今、東日本大震災の被災地支援団体の運営にも精を出している。偶然の導きとは言え、異国の地で演奏家として地に足を付け、さらに定期的なチャリティー活動もこなすそのパワーは、どこから来ているのだろうか。昨年の暮れ、大掛かりなチャリティーコンサートを終えたばかりの彼女に話をうかがった。(編集部:林 康子)

Mitsuru Shiogai
東京に生まれ、3歳よりヴァイオリンを始める。桐朋学園大学でソリスト・ディプロマを修了。1996年ヴィニアフスキー国際ヴァイオリン・コンクール(ポーランド)、97年パガニーニ国際コンクール(イタリア)、2000年カール・ニールセン国際音楽コンクール(デンマーク)など、数々の国際コンクールでディプロマ賞を受賞したり、ファイナリストに選出される。NHK のFM番組への出演、ソロや室内楽コンサートの ほか、ゲストコンサートミストレス、講師としての日本国内での活動を経て、2004年よりハンブルク・フィルハーモニカー並びにハンブルク国立歌劇場の第1ヴァイオリン・フォアシュピーラリン。

ヴァイオリンを始めたのは3歳のとき。世の著名な音楽家たちが初めて弓を持つのは幼少期と聞くから、きっと音楽一家に生まれ、自然な成り行きで音楽の世界に入ったのだろうと思いきや、自身が塩貝家初の音楽家だという。

母が子どもの頃、学校のオーケストラでヴァイオリンのパートを担当したことがあり、"はまった"らしいんですね。その時の楽しかった記憶から、ずっと子どもにヴァイオリンを習わせたいと思っていたようです。幼少期から始めないとヴァイオリンを弾くための筋肉が発達しないということで、3歳から習い始めましたが、当時の記憶はさすがにないです。ただ小さい頃は、厳しい練習が嫌で嫌で、ストライキしたこともありました。ご褒美のお菓子に釣られて弾いていたくらいです。  

それが、中学校に入ってからかな、自分の中で弾きたいイメージを持ち始めた頃から、音を作り出すことが楽しくなって。通っていた音楽教室で同学年の子たちが上手に弾いているのを見て、「私も!」と思うようにもなりました。音楽一家に育っていたら、弾きたいという意識が芽生える時期も早いのでしょうが、 私は一般家庭に育ったので、ほかの子たちと同じようにテレビドラマも観たし、音楽一筋という極端な方向には行かなかったですね。

音楽以外のことも自然に楽しむバランス感覚を身に付けつつ、大学でソリストの課程を修了し、ヴァイオリニストの道を着実に切り開いていった。ドイツ、スイス、フランス、デンマーク、チェコ、オーストリア、イタリア……と、コンクールで欧州中を巡ったが、それはひたすらキャリアのためというわけではなかったようだ。

私は留学経験がなかったので、コンクールの結果を意識していたというよりも、行く先々の国の文化や風習を体験するのが楽しかったのです。ホームステイをして美味しいものを食べ たり、日本とは全然違う街並みを見たり……。旅行気分だったというわけではありませんが、作曲家が実際に住んでいた場所を見て知ることも、コンクールへの気持ちや雰囲気を作るのに良い刺激になるんですよ。  

特に印象深いコンクールはなく、今振り返ると、空港で荷物が届かず焦ったり、飛行機の遅れで真夜中に到着して途方にくれたりといったことの方が強く思い出に残っています。ただ、コンクールを受けて良かったと思うのは、度胸がついたこと。コンクールって弾く曲の数が多いので、準備がすごく大変なんですよ。さらに人前で弾くということ、しかも競争相手の音がたくさん耳に入ってくる中で自分を制して演奏するというのは、相当な精神力が必要なことなのです。

KIZUNA弦楽カルテット(KIZUNA Streichquartett)
KIZUNA弦楽カルテット(KIZUNA Streichquartett)


日本のオーケストラを受けるつもりだったのに……

プロとして、日本を拠点に忙しく演奏活動に邁進していた日々。ドイツに来るなんて思いもよらなかった。運命の仕業か、師事していたNHK交響楽団のコンサートマスター、堀正文氏の勧めでこの国のオーケストラのオーディションを受けることになったのだ。

日本のオーケストラのオーディションを受けようと考えて堀さんに相談した際、彼に「これまでに多くのコンクールを受けて外国を知っているわけだし、1年だけドイツのオーケストラのオーディションを受けてみないか」と言われ、それならと思って履歴書を送ってみることにしました。ドイツのオーケストラのオーディションは、開催3週間前に招待状が届くシステムで、その段階まで日程が不明なのです。だから招待状を受け取っても予定が合わずに受けられないという状態が続き、ようやくハンブルクのオーケストラのオーディションを受けられることになりました。  

オーディションは「1年限りだから」と、わりと楽な気持ちで受け、できなかったドイツ語もできる振りをしました。演奏中に「もう少しゆっくり、小さく」という指示を受けて「Ja」と答えたものの、きっと「速く」と言っているんだなと勝手に解釈して、すごく速く弾いたことを覚えています。審査員は「この子、ドイツ語できないんだな」と思ったでしょうね。でも、私はコンクールで精神的に鍛えられていましたから(笑)。

見事合格し、晴れてハンブルク・フィル / 国立歌劇場オーケストラのメンバーに。1年後、試用期間が明けて正式採用が決まり、当初の予定から外れて、現在に至るまで所属している。長期的に海外で活動するなど、日本にいた頃には想像もしなかった展開。しかし今は、日本に留まっていたら得られなかったであろう経験ややりがい、手応えを掴んでいる。

やはりドイツは音楽の本場。オーケストラの音の響きはとても勉強になります。また、組織面でも日本は縦社会なので、各団員はコンマスが言うことに素直に従って業務を遂行するという感じですが、ドイツではどのポジションにいる人も納得が行かないことについては、はっきりと異議を唱えます。日本と最も異なる点は、ドイツでは1人ひとりが意見を持っているところだと思います。私も意見を言いますし、ほかのメンバーからも思っていることを素直に言われる方が楽です。それでも、演奏するときは不思議とまとまるんですよね。この間も久しぶり にオーケストラの演奏を聴いてみたら、皆、内輪ではあれほど色々と意見を言い合っているのに、ちゃんとまとまった音が出るものだなと思いました。

オーケストラ内でのポジションはフォアシュピーラリン。コンサートマスターの隣に位置し、日本語では「首席奏者」や「アシスタント・コンサートマスター」などと呼ばれる立場だ。忙しくも充実した日々を送れるようになるまでには、心身を酷使した時期もあった。

コンサートがある日は、午前中にオーケストラで全体練習、夜に本番というパターンで、さらにそのための準備として家で練習したり、それ以外のコンサートや室内楽のための練習をすることもあるので、1日のうちかなりの時間、ヴァイオリンを持っていることになります。来独当初は、オフシーズンには日本へ帰国し、そこでも働いていたことが響いて、腱鞘炎に罹ってしまいました。そのとき、医師にクールダウンする時間が必要と言われ、そこでようやく休むことの大切さ実感しましたね。  

欧州の人たちって、結構まとまった休みを取りますよね。休暇に入ると、楽器屋さんに団員が預けた大量の楽器が置かれるんですよ。分刻みで動いているだろうと思われる偉大な演奏家でも、休暇中は楽器から離れて、しっかり休養していると聞きます。楽器のことを一旦すべて忘れてリセットする時間を作らないと、ハードなシーズンを乗り切れませんから。そのことを、ドイツの人々から学びました。だから休みの日は私も、ただぼーっとしています。

チャリティーコンサート
2012年12月9日に開催されたチャリティーコンサート


写真を撮るときのように、ピントが合った瞬間に弾くのがベスト

音楽家という職業は、俳優に似ていると言う。作曲家が作品に込めたメッセージを読み取り、その想いを自分が表現する。どんな曲にもカメレオン的な精神で挑む中に、好き嫌いの感情は持ち込まない。そこには、徹底したプロ意識が流れている。

1つの曲に取り組む際、学生の頃に学んだ音楽理論に沿ったり、作曲家の生まれ育った背景やほかの作品から着想を得たりしながら曲を読み解いていきます。弾いているうちに徐々に"掴める"ようになるのです。あとは勘ですね。自分がその曲に対して感じたことや抱いた印象にも頼っています。  

ただ、作品との相性が合わなかったり、どうしても作曲家が言いたいことが分からなかったりすることもあります。私は不器用なので、1つ分からないことがあるとすべて分からなくなってしまうんです。そうなると、弾けるようになるまでに結構時間が掛かります。そんなときは、寝かすのみ。もちろん、仕事で演奏する曲は無理にでも弾きますが、自分で選曲できるコンサートの場合は、一旦休ませる。そうしてしばらくするとふっと閃いたり、ほかの曲を弾いている間に「ああ、あの曲はこういう感じなのかもしれない」と思えることがあるのです。写真を撮るとき、ふとピントが合う瞬間ってありますよね。あの感覚です。ピントが合う瞬間を待ち、合った瞬間に弾くのがベストだと思います。根を詰めて弾いているときよりも、肩の力を抜いたときの方が曲を掴めることが多いんですよ。  

また、ドイツに来て良かったと思うのは、ドイツ語や文法を知り、この国の作曲家の作品への理解が深まったことです。文章でも、筆者の言いたい部分が強調されるように、曲の作り方もドイツ語の構造に沿っているような気がするんです。日本にいた頃はぼんやりとしか分からなかった曲のイメージが、ドイツに来て明確になったというか。曲の構成にちゃんと理屈があるんだと理解してから、音の出し方も変わりました。こちらでは皆、太い肉食系の音を出すんですよ!そのことへの理解が 少し深まったような気がします。

オーケストラの一員としての活動に加え、3年前に1回限りのコンサートのため、同僚と共に結成したドイツ人2人、日本人2人のメンバーによる弦楽カルテットが好評を博し、「KIZUNA弦楽カルテット」として現在まで演奏を続けている。折りしも結成3カ月後に東日本大震災が発生し、以降はチャリティーコンサートも頻繁に舞い込むようになった。

弦楽カルテットって、続けるのが難しいんですよ。非常に綿密な音作りが必要で、自由裁量で弾ける範囲が必然的に狭められるので、内輪もめなどで関係がこじれてしまうこともありますからね。だからカルテットだけで音楽活動をするのは、相当大変だろうなと思います。その点、幸いKIZUNA弦楽カルテットのメンバーは全員気の知れたオーケストラの仲間なので、お互いのスケジュールも分かっているし、わりと気楽に弾いていますね。ストレスを抱えず、自分たちが楽しんでいるからこそ、長く続いているのだと思います。ありがたいことに評判が良くて、今は月に1回ないし数回のペースでコンサートを開催させていただいています。

塩貝さんのチャリティー活動はそれだけに留まらず、さらなる広がりを見せている。震災後は、なんとか被災者を支援したいという周囲の人々の声を受け、被災地の子どもたちに楽器を提供する「こども楽器プロジェクト」を立ち上げた。設立に至る過程も、偶然の連続だった。

震災直後、ドイツの友人や知人が「ぜひ寄付をしたい」「チャリティーコンサートを開いてほしい」と日本人である私に申し出てくれて、集めた寄付金を被災地に直接届けてくれないかとお願いされるようになりました。でも、さすがに私はプレーヤーで、そういった活動経験は全くなかったため、どうしたら良いものかと思いつつ、その年の夏休み、「とにかく100%被災地に届けてほしい」と手渡された寄付金を持って、日本に一時帰国しました。そのときにたまたま会った知り合いから、宮城県亘理郡にあった彼の実家が津波に流されて避難生活を強いられているという話を聞き、私が寄付金を預かっているが、どのような団体に渡せば確実に被災地に届くのか分からないと相談を持ち掛けたところ、「じゃあここは1つ、プロジェクトを作ろうか」という話になったのです。  

このプロジェクトでは、ドイツでのチャリティーコンサートを通して集まった寄付金を、亘理郡や石巻市の小中学校に送っています。楽器は、被災地の経済復興を支援するという意味でも、ドイツから送るのではなく、現地の学校が契約している楽器屋さんで購入しています。

チャリティーコンサート
チャリティーコンサート終了後、ハンブルク国立歌劇場総支配人・音楽総監督で
ハンブルク・フィルの音楽監督であるシモーネ・ヤング氏(手前左)、
司会のロジャー・ウィレムセン氏(奥中央)、
ハンブルク独日協会の橋丸榮子氏(手前右)ほか、国立歌劇場の関係者らと


チャリティーで大切なのは、寄付の額よりも心の交流

このプロジェクトの枠内で行ったチャリティーコンサートはこれまでに20回以上。昨年12月には、オーケストラを巻き込んでの大掛かりなコンサートも開いた。オーガナイズに際しては、多くの人に背中を押されている。

これもまた、まさか自分が主体となって動くとは思っていませんでした。ドイツでは、チャリティーコンサートを開く場合、経費はすべて関係者の自己負担となります。楽器を借りる費用から会場の設営、寄付金の送金手数料まで、すべて主催者 の手持ちで、出演者ももちろん無報酬。州立のオーケストラがこれほど大きなコンサートを無償で開くのは、通常ならあり得ません。皆の協力があってこそ実現したイベントです。例えば12月のコンサートでも、ハンブルク・フィルのシモーネ・ヤング音楽監督が協力したいと、色々なアイデアを出してくれましたし、宣伝活動にしても私が積極的に動くというよりも、皆に背中を押されてなるようになったという感じです。本当に不思議なのですが、いい人たちが自然に集まり、皆が繋げていってくれました。とてもありがたいことです。  

今後のプロジェクトの活動として、福島に楽器図書館のようなシステムを作ろうという計画も持ち上がっています。これは、楽器を集めて福島県いわき市へ持って行き、そこで子どもたちに楽器を貸し出すというものです。日本はドイツと異なり、音楽教育を受けるには大金が必要となりますので、それをカバーする形ですね。楽器の維持費を負担したり、内外から演奏家を呼んでレッスンを受けられるようにしたり。原発事故の影響が続く福島では、先が見えない不安で子どもたちが希望を失いかけていますから、そういう子たちに音楽を通して1つ目的を与えられればと思います。

手探り状態で始めたチャリティー活動も軌道に乗り、プロジェクトの今後の展望を語るその声からは、貫禄すら感じ取れる。ドイツの支援者と日本の被災地の間の橋渡し的存在として両国を動き回りながら、音楽家として今、何を感じているのだろうか。

12月のコンサートの中で、楽器を送った学校の子どもたちの声とその楽器を使っての演奏を収録したビデオレターを上映したのですが、そのとき子どもたちがコンサートに参加しているような気持ちになったんです。そこで初めて、被災地との繋がりを実感できました。チャリティー活動で大切なのは、寄付金の額よりも、楽器を届けるためにコンサートを開催したり、送られた楽器で子どもたちが一生懸命練習して音楽を奏でること、人と人との繋がりだと分かりました。2月には、今回のコンサートの様子やハンブルクの風景を写した写真を持って日本へ行き、現地の学校で見せて、またその様子をドイツに持ち帰ろうと思っていますが、そうった繋がりは、支援というより心の交流という感じですね。  

最近、チャリティー活動をしながら考えていたのですが、音楽は人間が作り上げた最も平和的な文化なのではないかと思います。大げさな言い方ですが、言葉よりもずっと平和的に聴く人の心に響くというか。例えば12月のコンサートで上映したビデオレターも、言葉で表現するより、子どもたちが一生懸命音楽を奏でることによって、より一層彼らの想いが伝わってきました。また、被災地で演奏すると、子どもたちの音楽を聴く姿勢に驚かされます。普通子どもって、聴いている途中で飽きてしまうものなのですが、被災地の子は皆、涙を流しながらじっと聴いている。それほど彼らは音楽を欲しているんだと感じます。音楽を通してメッセージを伝えられるってすごいことですよね。私も1人の音楽家として、少しでもそんな最高の文化の一端を担うことができればと思っています。

一般家庭に育った、ごく普通の考え方を持つヴァイオリニストが、思いもかけずドイツに拠点を移し、思いもかけずチャリティー活動に携わることになった。びっくり箱を1個ずつ開けていくかのような人生に、筋書きという言葉はふさわしくないのだろうか。人生、何が起こるか分からないからこそ面白い。将来についての質問に言葉を濁されたのは、予想外の展開に驚きつつもそれを楽しんでいる証拠なのかもしれない。ただ1つ確かなのは、ドイツでの演奏経験、チャリティー活動を通して、塩貝みつるという音楽家の裾野が大きく広がったいうこと。さて、この先、どう進んでいくのか。


ハンブルク・フィルハーモニカー
Philharmoniker Hamburg
www.philharmoniker-hamburg.de

ハンブルク国立歌劇場
Hamburgische Staatsoper
www.hamburgische-staatsoper.de

こども楽器プロジェクト
塩貝さんが所属するハンブルク・フィルハーモニカー / ハンブルク国立歌劇団のほか、ハンブルク・バレエ団も協力し、今後も年1回、同プロジェクトのためのチャリティーコンサートを開く予定。
www.instrumente-japan.de
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KIZUNA弦楽カルテット 公演情報
2013年5月5日(日)11:00  

8~18ユーロ
チケット: 040-35766666
Laeiszhalle Hamburg / Kleiner Saal J
ohannes-Brahms-Platz, 20355 Hamburg
www.elbphilharmonie.de

 
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