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ロンドンのゲストハウス
Sa. 24. Aug. 2019

ドイツで実力を認められ、監督にまで「出世」した男
ハンドボール選手
植松伸之介さん インタビュー

仕事を「試合」に、成功を「勝利」に例えるなら、スポーツ選手もまた仕事のプロフェッショナルである。ドイツでの挑戦、目標達成のために、どのようなことを工夫してきたのか。ドイツのハンドボール界で15年の経験を持つ植松伸之介さんにお話を伺った。

植松伸之介

植松伸之介
(うえまつ・しんのすけ)

1975年8月20日生まれ。神奈川県出身のハンドボール選手・監督。ポジションは左サイド。身長181cm。横浜商工高校、順天堂大学を卒業。98年神奈川国体、99年大阪国体に神奈川県代表メンバーとして出場。2000年に渡独し、ブンデスリーガ2部コンコルディア・デーリッチのセカンドチームに入団。後にファーストチームに昇格してプロ契約を結び、04/05シーズンにはチームの1部昇格に貢献。06/07シーズンに2部のEHVアウエに移籍。13年夏にはデーリッチに戻り、14/15シーズンは監督としてオファーを受けてツヴィッカウのZHCグルーベンランペへ移籍。

世界最高峰のリーグに数えられるドイツのハンドボール・ブンデスリーガ。プロリーグのない日本で、保育士として働きながらハンドボールを続けてきた植松さんが、本場の雰囲気を感じながらハンドボールと向き合ってみたいと、単身ドイツに渡ってきたのは2000年のこと。ブンデスリーガ2部のコンコルディア・デーリッチのセカンドチームに入団した当初は無給、無名のハンドボール選手だった日本人がチャンスを掴み、ブンデスリーガ1部で活躍する選手に上り詰めるまでには、何度も言葉と文化の壁を乗り越えてきた。

日本でやってきたことがドイツで武器に

ゼロから始まったドイツ語には苦戦したが、練習以外にも外食や夜遊びに繰り出すチームメイトについて行った。日本人が珍しい地域、行く先々での自分に対する視線に当初は違和感もあったが、チームメイトや町の人との距離も自分から縮める姿勢で、地域に受け入れられていった。ドイツでの成功の理由を「欧州人と比べると小柄な日本人の体格、日本で培ったプレースタイル、日本人選手として自分が持っていたものが、ドイツでは持ち味となり武器になった」と話す。「日本でなかなか活躍できない選手でも、海外で自分の力を発揮できる可能性は高い」と、日本にいる若手ハンドボール選手を勇気付けることも忘れない。

地域を理解し、受け入れる姿勢が大切

ドイツで15年間、何人もの外国人選手の挑戦を見てきて、「仕事にだけ徹していれば、ドイツで成果を出せると言うわけでもない」とも、感じている。スポーツが文化として生活に根ざし、ハンドボールも人気スポーツの1つであるドイツでは、サポーターとの関係も無視できない。そして、ときに温かく、ときに厳しく選手に接するサポーターとの関係を理解し、楽しむことで、声援がより大きな力に変わる。真にチームの構成員として戦力を発揮するには、地域の文化をそのまま受け入れる覚悟と、ある種の「こだわりのなさ」が重要な役割を果たすと実感している。

続く挑戦

今季、40代を目前にした植松さんに舞い込んだのは、「監督」としてのオファー。日本人がドイツで監督を務めるのは、もちろん初めてのこと。5部から4部に昇格したばかりのチームでは、「想像以上に、前提条件の共有ができていなかった。何でも言葉にしないと伝わらない」と、気を配った。降格圏に順位を落としたところで解任されたが、引き続き選手としてチームに残ってほしいという異例の再オファー。植松さんへの信頼は揺るがず、その後は選手としてチームを支え、4部残留に貢献! 来期も引き続き選手として活躍が期待されている。

 
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