Hanacell
シュテファン・ニーゼ
ミシュラン1つ星シェフ、アナ・スグロイに
譲ってもらったキタッラを手に
(キタッラとはギターの意。伸ばしたパスタ生地
を弦の上にのせ、押さえてカットする道具)

料理人は好奇心いっぱいの旅人

料理人は常に何か新しい
ものを発見したいと願う、
好奇心のかたまりなんだ

今回の仕事人
Stephan Niese
ハンブルクのレストラン「シャウアーマン」のシェフ兼共同経営者。13歳で料理を始める。総合学校時代からレストラン実習を積み、ハンブルクの複数のレストラン、スペインと中国で料理人を勤めたほか、ミシュラン1つ星シェフ、アナ・スグロイと仕事をした経験を持つ。「シャウアーマン」で10年にわたりシェフを務める。

インフォメーション
Restaurant Schauermann
St.Pauli Hafenstraße 136-138
20359 Hamburg
Tel: 040 - 317 946 60
www.restaurant-schauermann.de

13歳で台所に立ちはじめた

シュテファン・ニーゼ(50)はハンブルク生まれ。幼い頃から、祖母が料理をする姿を眺めるのが好きだった。12歳になると祖母を訪ねるたび、じゃがいもの皮をむくなどの手伝いをするようになった。13歳のとき、 タリーマン(船積貨物の検数業)だった父親が亡くなった。シュテファンは介護職に従事する多忙な母親に代わって、2人の妹のために料理を作り始めた。初めて作ったのはスパゲッティ・ボロネーゼ。祖母や母の手順を見ながら自然に作り方を覚えたという。

総合学校(Gesamtschule)9年生のとき、3週間の職業実習を行った。実習先は総合病院の大食堂。早起きはつらかったが、職場の雰囲気が良く、コックの仕事に興味が湧き始める。10年生のときにも職業実習を行い、ホテルのレストランで働いた。ノルディック風の魚料理が主体で、あらゆる魚介類の扱いを覚えた。「病院の大食堂では、大量の料理を一挙に作ることを、ホテルのレストランでは細やかな料理作りを学んだ。このレストランでの実習中に、コックになろうと決心したんだ」そうシュテファンは振り返る。料理長が「君には料理人の才能がある」と褒めてくれたことも、後押しとなった。

実習経験を積んだことで、自宅で作る料理にも磨きがかかり、ロールキャベツなど凝った料理も作れるようになった。妹たちが「お兄ちゃんの料理のほうが、お母さんの料理よりおいしい」と度々言ってくれたことを、懐かしく思い出すという。

兵役中も料理人

総合学校を卒業し、あちこちのレストランに履歴書を送ったが、なかなか仕事が見つからなかった。シュテファンの世代はベビーブームで就職難だった上、未経験者を受け入れるレストランも非常に少なかった。そこで彼は、職業基礎学習年(Berufsgrundbildungsjahr)と呼ばれる制度を利用し、調理師養成コースに通った。週に2回の調理実習では、ドイツの伝統料理の調理法について詳しく学んだ。

翌年やっと就職先が見つかった。ハンブルクの中心街にあるドイツ料理のレストランで、日本人ビジネスマンが会合でよく利用する店だったという。しかし、その店で働き始めて3年が経った頃、オーナーシェフが一時的に店を閉めることになった。そこでシュテファンは、この機会に兵役を終えてしまおうと考えた。本当は兵役を拒否したかったが、1980年代は裁判を避けられず、弁護士を立てる必要があり、手続きが長期にわたる。そこで徴兵検査時に、調理師の経験を軍隊活動において活かしたいと申し出、野外調理師(Feldkoch)および衛生兵の訓練を受け、義務を全うすることができた。調理専用車内で数百人分の料理を一挙に作る野外調理師の仕事は、有意義な経験だった。兵役を終えると、再オープンしていたドイツ料理のレストランをしばらく手伝い、ハンブルクの小劇場(Kammerspiele)のレストランに新たな就職先を見つけた。

洗練された料理に挑む

「僕が本当の意味で料理を学んだのは、この劇場のレストランだったんだ。ここではパスタもパンも手作りだった」そうシュテファンは言う。新鮮な旬の素材を扱うビストロ風の料理で、世界各地の料理に造詣が深いシェフから多くを学んだ。その後、スペインのマヨルカ島で魚介料理を中心とするレストランを1年余り共同経営した。

ハンブルクに戻るとエッペンドルフ地区の「ブリュッケ」の厨房に職を得た。1980年代半ばにオープンしたビストロ・レストランは文化人のたまり場だった。ここで3年勤めた後、ミシュラン1つ星のレストラン「アナ・エ・セバスチアーノ」に移り、シチリア出身の女性シェフ、アナ・スグロイのもとで働く。「アナの店ではパーフェクトな焼き加減など、より厳密な料理法を学んだ。彼女からは本場のラビオリの作り方も教わったよ。彼女が作るものは、僕がそれまで作っていたものとは別物だったんだ」。シュテファンは、アナの料理が優れているのは、彼女が厳密でありながら極度に厳密になりすぎず、「腹で」つまりフィーリングで料理しているところにあると言う。その料理哲学は現在の彼に引き継がれている。

アナの店で3年の月日が経った頃、「ブリュッケ」のオーナー、ブランコ・ゴリッキから、シェフとして戻ってきてほしいと請われ、2003年までの6年間、彼は再び「ブリュッケ」で腕をふるった。

シャウアーマン・スタイルを確立

2004年の秋、「ブリュッケ」時代に知り合った仲間と一緒に「シャウアーマン」を開業した。シュテファンはシェフと共同経営者を兼ねる。開業以来、彼は得意の手打ちパスタ料理と素材を生かしたオーセンティックでシンプルな魚介料理や肉料理を提供している。いずれも地中海風のアレンジが彼のスタイルだ。メニューは彼と2人のアシスタントシェフが、毎月相談して決め、旬の素材と地元の素材を活かしている。開業時、宣伝は全くしなかったが、「アナ・エ・セバスチアーノ」時代、そして「ブリュッケ」時代の顧客がこちらの店にも来てくれ、口コミで評判が広まった。

共同経営者のラース・メンゲとともに
共同経営者のラース・メンゲとともに

「シャウアーマン」で6年間シェフを務めた後、シュテファンは仕事を代理のコックに任せ、揚子江のクルーズ船の厨房で働いていたことがある。主に米国人観光客が利用する船で、乗客300人、コック20人という環境だった。全く異なる世界での2年間が過ぎると、彼は再び「シャウアーマン」に戻ってきた。

「料理人というのは永遠に旅人で、いろいろな場所を転々とするものなんだ。料理人は常に何か新しいものを発見したいと願う、好奇心のかたまりだからね」そうシュテファンは言う。次にまたどこへ旅立つかはわからない。それまでは「シャウアーマン」で、日々パスタを打ち、料理する。休日には、二十代からやっているというキックボクシングで気分転換をはかっている。

 

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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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