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フィルハーモニーの響きを感じて

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小雨のなか、フィルハーモニー大ホールの入口に到着したのは開演10分前だった。取得したばかりのワクチンパスを提示したものの、必要なアプリをダウンロードしていなかったので、紙に住所などを記載しなければならない。家族分となると余計時間がかかる。ようやくホールに入ると、やや気持ちは焦りながらも、久々のコンサートを前に高揚した。

通年より早く幕開けを迎えたベルリン・フィルハーモニー通年より早く幕開けを迎えたベルリン・フィルハーモニー

今年前半のロックダウンの最中、夢中になって読んだ本がある。『響きをみがく』(石合力著/朝日新聞出版)。世界的に著名な音響設計家、豊田泰久の仕事を長期にわたって取材した、音楽好きにはたまらない1冊だ。2017年3月、彼が音響設計を手がけたベルリンのピエール・ブーレーズ・ザールがオープンを迎えた時期、豊田さん、そして著者の石合さんと何度かコンサート等でご一緒したことがあり、そのときの記憶もよみがえってきた。

豊田さんによれば、「いい響き」とは「豊かであると同時に、クリアな響きを持っていること」だという。この「一見矛盾する二つの要素」がホールの音響設計でどう両立されるのか。例えば、ベルリン・フィルハーモニーのようにステージを客席が囲むヴィンヤード(ぶどう畑)型のホールでは、客席をグループに分けてたくさんの壁をつくることで直接音と初期反射音が混ざり合い、豊かな残響が生まれるという。とりわけ興味深かったのは「視覚と音響との関係」についても語られていることだ。「ホールがクリアに鳴っているかどうかは、一人ひとりの奏者の顔が見えるか、という視覚と結びついています。奏者の顔が見えなければ、音もごちゃごちゃになって、直接来るべき音が届かないものなのです」。

「ウェルカム・バック・ウィーク」と新シーズンのプログラム「ウェルカム・バック・ウィーク」と新シーズンのプログラム

この日聴いたのは、新シーズン開幕を祝う「ウェルカム・バック・ウィーク」の一環として行われた室内楽公演。第1コンサートマスターの樫本大進さんをはじめとするベルリン・フィルのメンバーがシューベルトの八重奏曲を演奏した。私が座った左サイドの席からは、体を揺さぶってヴァイオリンを奏でる樫本さんの姿やクラリネット奏者の表情がよく見えた。視覚と音響とを同時に体感することで、わずか8人の音楽家の奏でる音が、彼らの並外れた力量と相まってフルオーケストラを聴いているような迫力となる。もう一つ見逃せないのは、ステージの反対側に座るお客さんの表情もよく見えること。それによって、豊田さんが語る「感動の瞬間を共有するというインティマシー(一体感)」が生まれる。

数年前、ベルリン・フィルの公演の休憩中に豊田さんがポツリと話していたことを思い出す。「(このホールが造られた60年代は)今のようにコンピューターのシミュレーションはできなかったし、それほどいい材料を使っているわけでもない。なのに、なぜこれほどいい音がするのでしょうね……」。

今の私たちは、感染者数や指標の数値に一喜一憂している。フィルハーモニーが再び閉鎖されないとも限らない。だが、決して数値や技術だけで説明のつかない、この愛すべき空間はやはり必要なのだ。

インフォメーション

ベルリン・フィルハーモニー
Berliner Philharmonie

ハンス・シャロウンの設計による、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地のホール。1963年、カラヤン指揮ベルリン・フィルによってこけら落としを迎えたこのホールは、舞台を囲むように客席が並ぶ画期的な構造を持つ。後に豊田さんが音響を手がけた東京のサントリーホールをはじめ、世界の名だたるコンサートホールに影響を与えた。

住所:Herbert-von-Karajan-Str. 1, 10785 Berlin
電話番号:030-254880
URL:www.berliner-philharmoniker.de

『響きをみがく-音響設計家 豊田泰久の仕事』

ロサンゼルスのウォルト・ディズニー・コンサートホール、ハンブルクのエルプ・フィルハーモニー、ミューザ川崎シンフォニーホールなど、数々の名ホールの音響設計を手掛けてきた豊田泰久の仕事に丹念に迫ったルポ。指揮者のゲルギエフ、建築家のゲーリーら巨匠たちとの間の「契約書を超えた人間関係」をめぐるエピソードも興味深い。

著者:石合力
発行元:朝日新聞出版
2021年3月 刊行
ISBN:9784022517500

 
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中村さん中村真人(なかむらまさと) 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。現在はフリーのライター。著書に『ベルリンガイドブック』(学研プラス)など。
ブログ「ベルリン中央駅」 http://berlinhbf.com
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