指揮者・山田和樹さんのベルリン・フィルデビューに合わせて、母が久々にベルリンを訪れた。かれこれ約8年ぶりである。ベルリンにはすでに何度も来ているが、今回は初訪問の友人も一緒ということで、週末に私が案内することになった。
6月14日(土)、100番バスでライヒスターク(連邦議会議事堂)前のバス停で降り、ブランデンブルク門に向かって歩く。汗をかきながら並木道を抜け、門が見えてくると、その近くでイスラエル国旗をかかげた人たちが小さな集会を行っている。戦勝記念塔のほうでは、パレスチナの旗をかかげた人たちが集結していた。折しも、2日前にイスラエルがイランへの攻撃を開始したばかり。デモは平穏に行われていたが、それでもいくらか用心しながら、ブランデンブルク門の正面に向かった。ほかの観光客とおなじく、門を背景にお決まりの記念撮影をした。
ライヒスタークの梱包アートの30周年を記念した光のインスタレーション
せっかくお客さんを連れてきているのに、これだけでは物足りないと思っていたら、奥にStille(沈黙、静寂)という文字が目に入った。そうだ、ここに行ってみよう。門の北側のトアハウスと呼ばれる建物の中に、「沈黙の間」という空間があることは前から知っていたが、一度も中に入ったことはなかった。ベルリンにもう四半世紀も住んでいるのに。
受付に座る年配の女性に挨拶して、奥へと進む。「沈黙の間」は白を基調にしたシンプルな内装で、椅子がいくつか置かれている。防音扉で隔てられているわけではないのに、直前まで雑踏の中にいたのが信じられないほど静かだ。この場所の歴史が気になって、受付の方と話していると、日本語のパンフレットを出してくれた。それによると、「沈黙の間」が設けられたのは1994年10月。ベルリンの壁崩壊直後から、人種、性、宗教、政治的立場を超えて、すべての人に沈黙の時を享受できる場を作ろうという市民運動から生まれたそうだ。短い時間だったけれど、静寂のなかで心を落ち着かせるというのは、特に今の時代とても大事なことだと思った。
ブランデンブルク門に面した「沈黙の間」
その晩、山田和樹さん指揮によるベルリン・フィルのコンサートをフィルハーモニーで聴いて、興奮冷めやらぬなか、私たちは再びブランデンブルク門に向かった。21時半近くになってもまだ明るく、この時期特有の抜けるようなブルーの空が美しい。ライヒスターク前に着くと、光のインスタレーションの真っ最中だった。
「沈黙の間」誕生と同時期の1995年6月、クリストとジャンヌ=クロード夫妻によって実現した、ライヒスタークを銀色の布で丸ごと包むという有名なインスタレーションから30周年を記念したイベントだった。議事堂のファサードがプロジェクターで照らされ、まるでラッピングされた布が揺れ動いているかのよう。「シンボルやメッセージ性ではなく、芸術作品を創造するのです」とクリストは後に語っている。かたちは異なれど、冷戦終結からまもない時期、ベルリンで生まれた控えめな空間とアート作品は私たちに何かを問いかけていた。
沈黙の間
Raum der Stille
ニューヨーク国連本部の中に設置された瞑想の間(1957年)を手本に生まれた。東西の分断の象徴だったブランデンブルク門に作られた「すべての人が静寂と平和の内にひと時を過ごすための場」の意義について、パンフレットにはこう記されている。「人種間、宗教間、文化間の寛容と人類愛への絶えざる要請であり、暴力と人種差別への絶えざる警告です」。
オープン:月~日11:00~18:00
住所:Pariser Platz 8, 10117 Berlin
URL:www.raum-der-stille-im-brandenburger-tor.de
ライヒスタークの梱包アート
Reichstagsverhüllung
クリスト&ジャンヌ=クロード夫妻による1995年のインスタレーション作品。ナチス時代の放火や第二次世界大戦で廃墟になったのを経て、統一ドイツの議事堂になる予定だったライヒスタークを銀色のポリピレプロン布で完全に覆った。1971年に始まったこのプロジェクトは、ようやく1991年末、リタ・ジュスムート連邦議会議長が協力の意思を示したことで実現へと至った。
住所: Platz der Republik 1, 11011 Berlin
URL:www.bundestag.de