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104番バス、運行最終日に

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ベルリンの東西を横断し、走行距離が長いことで知られる104番バスは、私にとって生活になじみのある乗り物の一つだ。このバスが、12月のベルリン交通局(BVG)の路線変更で廃止になるという。「なくなる前に最初から最後まで乗ってみたい」という6歳の息子にせがまれ(もちろん私自身の興味もあり)、運行最終日に乗りに出かけることにした。

ブリックス広場で発車を待つ運航最終日の104番バスブリックス広場で発車を待つ運航最終日の104番バス

始発となるシャルロッテンブルク地区ノイ・ヴェステンドのブリックス広場は、写真を撮るファンがいるなど、いくらか惜別のムードに包まれていた。2階建てバスの最前列をなんとか確保すると、12時少し前にバスは発車した。

この近くに住む長年の知人Mさんによれば、かつては4番と呼ばれていたこの路線が走り始めたのは1955年。「物心ついてからは、このバスに乗ってクーダムの方に一人で出かけていたわね。確か60年代半ばまでは、バスに車掌さんが乗っていた。今では考えられないけれど、当時2階は喫煙可だったの。あの頃のバスの方が良かったことといえば、椅子が今よりもずっとふかふかだったことね」。

そんなMさんの回想を思い出していると、「パパ、あそこに昔のバスがいるよ!」と息子。見ると、「4番」を掲げたオールドタイマーのバスがこちらに走ってくるではないか。ベルリンのバス愛好家のグループが企画した惜別イベントに違いないが、過去と現在のバス同士の絶妙な遭遇だった。

テオドア・ホイス広場で遭遇した往年の4番バステオドア・ホイス広場で遭遇した往年の4番バス

時々、「3G ルールを守っていない方は最低50ユーロの罰金が課されることがあります」という車内アナウンスが流れる。車窓から見えた見本市ホールの大規模接種会場は、長い行列ができていた。「前はこのバス停で降りて(日本語)補習校に行っていたんだよ」と話す息子の声がやや切ない。オンライン授業が当たり前となる以前の日々が、もうすっかり遠い過去に感じられる。

それでも、シェーネベルク市庁舎前ののみの市は2G ルールにのっとって、それなりのにぎわいを見せていたし、ハウプト通りの買い物街も土曜の活気が感じられた。バスは長い1本道をひた走り、やがてかつてのテンペルホーフ空港の前に着いた。

ノイケルン地区の川を渡り、「ハルツ通り」の停留所に停車した時、ハッとした。Mさんから西ベルリン時代はここが終点だったと聞いていたからだ。案の定、バスは路上に刻まれた壁の跡の上を通った。今はごく普通の住宅街だが、東西冷戦の最前線だった時代があったのだ。感慨に浸っていると、「ねえ、いつになったら終点に着くの?」と隣の相棒が口を出すようになった。ブリックス広場から約1時間15分、ようやく終点のシュトラーラウに到着した。

ここはシュプレー川に面した小さな半島になっている。春から秋にかけては散歩するのにすてきな場所なのだが、あいにく雪が積もっており、私たちはすぐに帰りのバスで帰路についた。翌日から104番バスは二つの路線に分割されたが、伝統の「4」の数字は人々の生活の足に受け継がれている。

インフォメーション

M43と143バス
M43 und Bus 143

昨年12月から104番バスに代わって登場した新しいバス路線。M43はベルリナー・シュトラーセ駅からシュトラーラウまでを結ぶ(オストクロイツ駅経由で所要時間は約45分)。日中は10分間隔で、深夜も運行する。また、ブリックス広場を始発とする143番バスはベルリナー・シュトラーセから南下し、シェーネベルク地区のプラネタリウムまで走っている。

URL:www.bvg.de

218番バス
Bus 218

Messe Nord/ICCから西の郊外の孔雀(くじゃく)島まで直行するバス路線。平日は1時間ごと、週末は30分ごとに出ており、さらに2時間に1本、今回紹介したようなベルリンのオールドバス愛好会が所有する1970~80年代の2階建バスが走っている。いずれも通常のAB チケットで乗車可能。所要時間は約50分。

 
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中村さん中村真人(なかむらまさと) 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。現在はフリーのライター。著書に『ベルリンガイドブック』(学研プラス)など。
ブログ「ベルリン中央駅」 http://berlinhbf.com
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