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メルケル首相と欧州憲法

独断時評アンゲラ・メルケル首相の肩には、いま3つの重荷がのしかかっている。ドイツ大連立政権の首相であるだけではなく、ドイツは欧州連合(EU)の議長国、そしてG8(主要経済国)サミットのホスト国でもあるのだ。この三面六臂の活躍の中で、特にメルケル首相が輝きを見せているのがEU議長国としての役割である。

その典型的な例が3月25日にベルリンで開かれた、ローマ条約調印50周年記念式典である。この条約は西欧諸国が第2次大戦の惨禍に対する反省に基づき、今日のEUの基盤を築いた。メルケル首相はEU加盟国の首脳を説得して、ヨーロッパ人にとってEUがいかに重要であるかを確認する「ベルリン宣言」の採択にこぎつけた。

この成功の陰には、EUの政治的な統合に懐疑的なチェコやポーランドをメルケル首相が慎重な根回しによって説得したという事実がある。そこには同首相のトレードマークである、説得術の巧みさ、粘り強い仲介努力、そして相手の懸念に真摯(しんし)に耳を傾ける姿勢が感じられる。

メルケル首相の長期的な目標は、暗礁に乗り上げている「欧州憲法」制定プロジェクトを復活させることだ。この憲法条約の批准案はフランスとオランダでの国民投票で否決されたために凍結された形になっている。しかしこの憲法はヨーロッパ人のアイデンティティーを強めるだけでなく、多数の加盟国を持つEUが理事会で意思決定をすばやく行うことができるようにするためにも不可欠である。コミュニケーション不足が原因で、一部の市民の間は欧州憲法について「産業の空洞化な どをもたらすグローバル化の象徴」という偏見を持っている。

このため、メルケル首相はベルリン宣言の中で、「欧州憲法」という言葉をあえて使わなかった。だがEUは2009年までに新しい基盤となる枠組みを持つ、という一節を付け加えることに成功した。 この「新しい基盤」が欧州憲法をさすことは言うまでもない。

ベルリン宣言には、ドイツの基本法にも使われている「人間の尊厳は不可侵である」という言葉や、「人種差別や外国人排斥を防がなければならない」という文章がある。こうした言葉には、半世紀以上前に、ナチスドイツがヨーロッパ全体にもたらした悲劇に対する、ドイツ人の深い反省がこめられている。

メルケル氏はベルリン宣言によって、欧州の政治統合の深化をめざしてきたアデナウアーやコールの路線を忠実に継承していることを示した。ドイツではフィッシャー元外相のように、EUは長期的には欧州大統領や外相を決め、1つの欧州軍を持つ、「事実上の連邦」を作るべきだという意見を持つ人すらいる。同時に欧州では、各国の多様性を重視し、「ブリュッセルによる支配」に反発する勢力も根強い。メルケル首相は、この相反する力をどのように調和させて、21世紀のEUの進む道を示すのだろうか。かつて狂った民族主義に踊らされて、欧州をめちゃめちゃにしたドイツが、今は逆にナショナリズムを減らして、欧州統合の最大の原動力になっているのは、興味深い事実である。

6 April 2007 Nr. 657

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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