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2011年のドイツを展望する

2011年はドイツにとって、どのような年になるだろうか。昨年ドイツ経済は中国からの需要の増大とユーロ安を追い風として、リーマンショックの悪影響から順調に回復した。特に産業界の屋台骨である自動車産業や化学産業は、収益性を大幅に増大させている。このことは、「物づくりドイツ」の伝統が、今日のグローバル経済でも力を発揮できることを示したと言える。

マーケット対国家

だが2011年は、ドイツ経済にとって試練の年になるかもしれない。2010年にユーロは、誕生以来最大の危機に直面した。通貨当局はギリシャ、アイルランドで深刻化した公的債務問題の火の粉がスペインやポルトガルにも飛ぶのかどうか、固唾を呑んで見守っている。今年は、金融市場(マーケット)の投機筋の怒涛の勢いに対して、欧州委員会や各国政府が対抗できるかどうかを占う、正念場の年となるだろう。

メルケル政権の苦悩

メルケル首相にとっても、2011年は運命の年となるかもしれない。キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)への支持率が低下しているだけではない。連立政権のパートナーである自由民主党(FDP)への支持率は、ヴェスターヴェレ党首への批判の高まりによって、5%という低水準に下がってしまった。逆に緑の党は、20%という結党以来最高の支持率を記録している。このため3月に行なわれるバーデン=ヴュルテンベルク州議会選挙は、極めて注目に値する。この保守王国でCDUが敗北して緑の党と社会民主党(SPD)が政権を奪った場合、中央政界にも強い衝撃波が及ぶことになる。メルケル氏の進退問題に発展するかもしれない。

日独友好150周年

さて今年は、1861年に江戸幕府と当時のプロイセンが修好通商条約に調印してから、150年目にあたる。これにちなんでドイツや日本で、シンポジウムや日本の伝統的な楽器のコンサート、写真展など様々な催し物が行なわれる。

条約が結ばれた当時、ドイツはまだ統一されていなかった。プロイセンの遠征団が江戸に到着したのは、1860年(万延元年)。ビスマルクによるドイツ統一の11年前のことである。だが欧米の列強たちは、すでに東アジアに殺到していた。1853年に米国の黒船が浦賀に来航して以来、英国、ロシア、フランスなどが次々に日本を訪れて通商条約や和親条約を結んでいた。プロイセンも他国に遅れまいとして、はるばる日本までやって来たのである。

その背景に、友好的な意図だけではなく、帝国主義的な目論見もあったことは間違いない。当時、プロイセンやザクセンでは産業革命が始まり、都市や農村に大きな変化が生じていた。都市への人口移動が始まり、農業の効率性の低さのために没落する農家も現われた。ドイツは人口の割に領土が小さかったのである。このため19世紀後半には、南米や北米に移住するドイツ人が増えた。

プロイセンからの遠征団の一員で、後に初代駐日領事となったマックス・フォン・ブラントは、「ドイツ公使の見た明治維新(原題:33 Jahre in Ostasien)」という回想録の中で、当時蝦夷と呼ばれた北海道をプロイセンの領土にする希望を持っていたことを明らかにしている。つまりプロイセンで困窮した農民たちを、北海道に移住させることを考えていたのだ。江戸幕府が貧弱な武器しか持っていなかったことを考えると、プロイセンにとっては北海道を武力で占領することも不可能ではなかったに違いない。当時、中国やフィリピンなどのアジア諸国は、資源や領土を求める欧米列強の介入によって散々な目に遭っていた。攘夷派対開国派の抗争などで混乱していた日本が植民地化されたり、領土を奪われたりしなかったことは、大きな幸いだったと言わざるを得ない。

日独関係は片思い

さて当時のプロイセンは、150年後に日本が世界でも有数の経済大国となり、日独関係が大きく発展するとは夢にも思わなかったに違いない。連邦統計局によると2008年の日本の対独輸出額は231億ユーロ(2兆5410億円・1ユーロ=110円で換算)に上る。ドイツの対日輸出額は128億ユーロ(1兆4080億円)だから、日本側が103億ユーロもの黒字である。

だが日独の経済規模を考えると、この貿易額は小さ過ぎる。ドイツの輸出額の中で対日輸出が占める割合は、わずか1.3%。ドイツの対日輸出額は、2005年からの3年間で4%減った。ドイツの中国への輸出額が同時期に61%も増加したこととは対照的である。

森鴎外がプロイセンに留学したことに象徴されるように、日本はドイツの技術や文化を貪欲に吸収しようとした。しかしその関心は一方通行であり、日独関係はほぼ常に日本側の片思いだった。2008年末の時点でドイツに住んでいる日本人の数は約3万人だが、日本に住むドイツ人の数は6000人にすぎない。

日独交流150周年を祝う行事がきっかけとなって、中国に偏りつつあるドイツの関心が少しでも日本に向くことを期待する。


筆者より読者の皆様へ
新年明けましておめでとうございます。今年も頑張って書きますので、よろしくお願い申し上げます。
 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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