Hanacell

クルナツ事件の謎

ドイツ連邦政府のシュタインマイヤー外務大臣が、就任以来最大の苦境に追い込まれている。

問題の発端は、ブレーメン生まれのトルコ人、ムラート・クルナツ氏が2001年の同時多発テロの直後に、ドイツからパキスタンへ旅行したことだ。当時19歳だった彼は「コーランを現地の学校で学びたかった」と言っているが、過激なイスラム思想を持ち、原理主義者とコンタクトがあったことからパキスタンの捜査当局に逮捕され、米軍に引き渡された。彼は4年半にわたって米軍の悪名高きグアンタナモ収容所に拘留された。

米軍はテロ組織のメンバーやタリバン政権の兵士とにらんだ人物を、「非合法な敵の戦闘員」と定義し、起訴もせず、弁護士や赤十字の接見も認めないまま無期限にこの収容所に拘留している。ブッシュ政権は当初、戦争捕虜に適用されるジュネーブ協定すら、グアンタナモの収容者には適用しなかった。クルナツ氏は、「拘留中に米軍によって拷問を受けた」と証言している。

米中央情報局(CIA)の活動について調査している欧州議会の特別委員会は、「02年末に米国がクルナツ氏を条件付きで釈放したいという意向をドイツ政府に伝えたが、ドイツの関係省庁が、この申し出を拒否した」と指摘し、政府関係者や国民に強い衝撃を与えた。

つまり、米国もクルナツ氏がテロリストである証拠を見つけることができなかったにも関わらず、連邦情報局や内務当局はクルナツ氏のドイツでの滞在は望ましくないと判断して、彼が再入国の許可を取れないようにしたというのだ。これが事実ならばドイツ政府はクルナツ氏のグアンタナモでの不当な拘留を長引かせたことになる。

シュタインマイヤー外相は、当時連邦首相府の長官として連邦情報局を監督する立場にあった。大臣は、「米国からそのような申し出はなかった」と述べ、疑惑を全面的に否定している。だがこの指摘がもし事実ならば、連邦政府は通常の法律が届かない収容所でクルナツ氏が味わった精神的、肉体的な苦しみを間接的に引き伸ばしたことになる。シュタインマイヤー氏が当時この問題について連絡を受け、クルナツ氏の帰国を阻む工作に関与していたことを示す証拠が見つかったら、彼は外相を辞任することを迫られるかもしれない。

メルケル首相はシュタインマイヤー外相を後押しする発言をしているが、連立政権を構成するキリスト教民主同盟(CDU)の議員らの間では、外相に距離を置く姿勢が見られ始めた。ドイツ政府は米国政府に対して、「グアンタナモ収容所は人道主義と法治国家の原則に反するので、ただちに閉鎖するべきだ」と訴えてきた。もしもドイツの政府関係者が、クルナツ氏を「厄介払い」するために再入国の道を閉ざしていたとしたら、自己矛盾も甚だしい。

この種の事件には各国の諜報機関がからんでいるので、機密資料がなかなか公表されず、白黒がつけにくいという問題点がある。シュタインマイヤー外相を失脚させようという政治的な思惑も背景にあるだろう。だがドイツ政府が重視している人権に関わる問題だけに、連邦議会は具体的な証拠をできる限り明るみに出し、疑惑の解明に全力を挙げて欲しい。

2 Februar 2007 Nr. 648

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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