特集


布袋寅泰 インタビュー EURO TOUR 2017

一人の心を掴むため、旅を続ける 布袋寅泰

音楽活動35周年を昨年祝ったばかり、映画『Kill Bill』に提供したテーマ曲『Battle Without Honor or Humanity』や、音楽監督、俳優としても高く評価された映画『SF サムライ・フィクション』によって、ドイツで最も有名な日本人の一人である布袋寅泰。彼にこの春ドイツ4都市を含む8都市をめぐる欧州ツアーにかける意気込み、ドイツとの関係について語っていただいた。日本のスーパースターは、欧州の地で「無名の新人アーティスト」として新しい挑戦の中にいる。

── 音楽活動35周年という記念すべき年を迎えた昨年、ドイツ・ベルリンを訪問されたそうですね。デヴィッド・ボウイとBOØWYのルーツを追った旅を経て、ベルリンという場所にどのような印象を抱かれましたか?

僕が初めてBOØWYというバンドでベルリンの伝説のハンザトン・スタジオにレコーディグのため訪れたのは1985年です。まだ壁が東西を分断し、街は暗く重苦しい印象でした。時間限定付きの観光ビザでチェックポイントチャーリーから訪れた東ベルリンはまるでモノクロームの映画の世界で、時間が止まっているかのようでした。89年に壁が崩壊したというニュースを日本で見て、僕はいてもたってもいられず、翌日にはベルリンに飛んでいました。壁のない自由の街、ベルリンをこの目で見たかったのです。その後、バンドが解散してソロになってからも何度かレコーディングでベルリンを訪れました。

長い時が経ち、2016年にアーティスト活動35周年を迎えた僕は、僕の原点とも呼ぶべきベルリンでライブをし、思い出の地を巡りました。壁はなくなり、街は近代化され活気にあふれ、ドイツが未来に向け力強く歩み続けている力を感じました。と同時に、僕は時間に置き去りにされたようなノスタルジックな感傷にかられました。それは昨年、僕の永遠の憧れであり、僕に「ベルリン」という街の存在を教えてくれたDavid Bowieが亡くなったからかもしれません。BOØWYもBowieも消えたベルリンで、僕は一人の『BOY』に戻り、自分の辿ってきた濃厚な時間を振り返りました。ベルリンは僕の人生の分岐点とも呼べる、特別な場所なのです。

2016年欧州ツアーの布袋寅泰2016年欧州ツアーで演奏する布袋寅泰

── 映画『SFサムライ・フィクション』が頻繁にテレビで放映(多い年で年に3回)されているドイツでは、布袋さんの演じたサムライが視聴者の記憶に深く刻まれていて、日本人が想像する以上に、「HOTEI」はドイツ人にとって身近な日本人のアイコンです。昨年のベルリンでのライブで、観客の反応について印象に残っていることはありますか?

『サムライ・フィクション』をドイツの皆さんがご存知なんて驚きです! 嬉しいような恥ずかしいような(笑)。あの映画は僕の役者、音楽監督としてのデビュー作品です。その撮影に入る前に僕はステージのセットから落下して右肩の鎖骨を骨折してしまい、殺陣のシーンは全て左手に切り替えねばならず大変でした。あの映画は韓国で、同時期に公開されたレオナルド・ディカプリオの『タイタニック』を超えるヒットとなり、プロモーションでソウルを訪れた際には、ホテルの大浴場で見知らぬ人に、素っ裸なのにも関わらず「ホテイトモヤスー! サムライ・フィクションー!」と大声をあげられてしまい、たくさんの人に囲まれ顔を真っ赤にしたのを覚えています(笑)。

昨年のベルリンのカシオペアでのライブは最高でした。初めは大人しく様子を伺っていたオーディエンスが中盤から盛り上がり始め、終盤のステージと観客の一体感、そして皆さんの笑顔が忘れられません。映画『Kill Bill』のテーマ曲(Battle Without Honor or Humanity)はもちろん、世界発売の『ストレンジャーズ』というアルバムの曲を中心に、インストルメンタルと歌が半々の内容でした。

今年はBOØWYの懐かしいナンバーやソロのヒット曲など、BEST OF HOTEIと呼ぶにふさわしい内容で挑みます。今年は元デヴィッド・ボウイ・バンドのドラマー、ザッカリー・アルフォード、90年代にAPOLLO 440というバンドで大ヒットを放ったベーシストのNOKO、そしてキーボードは布袋バンドの奥野真哉という、日米英の先鋭ミュージシャンがバックを固め、カラフルでダイナミックなサウンドを皆さんにお届けします。僕の音楽を知らない人にも必ず楽しんでもらえる自信があります。ご友人と一緒に是非お出かけください。

布袋寅泰 カシオペア・ベルリンベルリンのライブハウス、カシオペア(Cassiopeia)

── 昨年のベルリンに続き、今年はドイツ4都市をめぐるツアー。今後、布袋さんの演奏をドイツで聞ける機会が増えるのではないかと期待しています。2012年から英国ロンドンを拠点にされていますが、布袋さんのグローバルな活動の、今後の目標や計画について教えてください。

こうして少しずつ世界に活動の場を広げていけることをとても嬉しく思います。とは言え、日本以外では僕はまだまだ無名の新人アーティスト。自分の存在を知ってもらうためには、地道な努力が必要です。時には挫折しそうになることもあるけど、誰かではなく、自分で選んだ道です。諦めず一歩ずつ積み重ねていきたいと思います。35年前、無名だったBOØWYというバンドも小さなライブハウスからスタートしました。20人しかいない客を前に「今、目の前にいる一人の心を掴めば、いつか必ず100人に、そして1万人に伝わるはずだ」と信じてライブ活動を続けた結果、BOØWYは日本一のバンドとなり、ミリオンセールスを記録し、東京ドームのラスト・ギグスの10万枚のチケットを10分で売り切りました。

僕の目標は世界でのセールスや名声ではありません。僕の音楽を楽しみに待っていてくれる世界の仲間に会いにいくこと。いつか必ずワールドツアーを実現したい。ライブハウスでもかまわない。一人の心を掴むため、ずっと旅を続けていきたい。

世界にはたくさんの日本人の方々がそれぞれの目標に向かい頑張っている。僕も同士として、音楽で皆さんにエールを送れたらいいなと思います。皆さんとライブ会場でお会いするのを、とても楽しみにしています!

HOTEI EURO TOUR 2017

HOTEI EURO TOUR

4月11日(火)フランクフルト(Zoom)
4月12日(水)ケルン(Clubbahnhof Ehrenfeld)
4月17日(月)ハンブルク(Indra)
4月18日(火)ベルリン(Musik & Frieden)

※ツアーの詳細、チケットの購入は
下記のウェブサイトをご参照ください。
https://wizpro.com
www.myticket.de
TEL: 01806-777111

最終更新 Montag, 20 März 2017 14:34
 

ロボット学者 石黒浩

ロボット学者 石黒浩

いよいよ3月20日に開幕する世界最大規模のIT関連見本市CeBIT 2017。日本がパートナー国として参加する今回のセビットに、世界が注目するスピーカーとして日本から招待されたのがロボット学者の石黒浩教授。ドイツ発の「第4次産業革命(Industrie 4.0)」という言葉に注目が集まり、技術が人間の生活を劇的に変えるという予感が確信に変わってきた今、ロボットと人間の共生について、石黒教授はどのような未来を見ているのだろうか。(編集部:高橋 萌)

HIROSHI ISHIGURO
1963年滋賀県生まれ。大阪大学基礎工学研究科博士課程修了。工学博士。京都大学情報学研究科助教授、大阪大学工学研究科教授を経て、2009年より大阪大学基礎工学研究科教授。ATR石黒浩特別研究所客員所長(ATRフェロー)。人と関わるヒューマノイドやアンドロイド、自身のコピーロボットであるジェミノイドなど多数のロボットを開発。2011年、大阪文化賞を受賞。2015年、文部科学大臣表彰受賞およびシェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム知識賞を受賞。主な著書に「ロボットとは何か」(講談社現代新書)、「どうすれば「人」を創れるか」(新潮社)、「アンドロイドは人間になれるか」(文春新書)など多数。

一家に一台、家庭用ロボット……『ドラえもん』やSF映画のような世界が、すぐそこまで来ている。いや、お掃除ロボットやスマートフォンなど人工知能(AI)を搭載した機械をロボットとするならば、すでに実現している。

技術革新が生活を豊かにし、世界規模の課題を解決すると期待される一方、急激な変化に市民の不安も膨れ上がっている。これと呼応するように、欧州連合(EU)議会では人工知能(AI)が人類の生存を脅かさないよう法的整備を進めるべき、との議論が高まり、「キルスイッチ(kill switch)」の導入や「電子人間(electronic persons)」 などの法的地位に関する検討がスタート。また、今年1月に開催された世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)では、世界のビジネスリーダーらが、ロボットが雇用を奪うとの懸念を表明した。

ロボットやAIをめぐる法整備や倫理の問題、つまりロボットと人間の関係性についての疑問に対し、2007年に「世界の100人の生きている天才のランキング」(英 Synectics社)で26位に選ばれた世界的ロボット学者の石黒浩教授の答えは?

コドモロイド® オトナロイド®日本科学未来館で会える「コドモロイド®」と「オトナロイド®」(右)

人間の歴史を知れば
技術を怖がる必要はないと分かる

── 石黒教授は、自律的に活動するロボットに対して今後、法的地位や「人権」が必要だと考えますか?

人権というのは社会が与えるものなので、現時点でその議論は、無意味だと思います。コンピューターに人権を与えるかどうかというのは社会の問題で、人間がロボットを社会のパートナーだと受け入れて、人権を与えたいと思ったら、与えるわけです。奴隷解放の歴史と同じです。

── 2029年頃にAIが人間の能力を超え、2045年に世界が劇的に変化するターニングポイント「シンギュラリティ(技術的特異点)」を迎えると、AI研究の権威レイ・カーツワイルがシナリオを描くように、技術の問題はクリアされ始め、社会問題にシフトしているという側面があるのでは?

違います。「ロボットに仕事を取られるんじゃないか」という恐怖感には、どこかに「はけ口」が必要です。実際、歴史を振り返れば、機械は人間の仕事をすべて奪ってきている。ところで、技術がどんどん進歩して、昔に比べてロボットがたくさん使われている今の状態は、良いですか? 悪いですか?

人間の寿命は延び、生活は豊かになっています。だから、技術は発展した方が絶対に良いんです。でも、新しい技術が出てくると、それを勉強した人だけがちゃんと仕事ができるようになり、豊かになる。そこのハードルが高いわけです。でも、そのハードルを越えるのが「しんどいなぁ」と思ったら負けなんですよ! 「私の能力は技術以下です」と、負けを認めるのと一緒。すると人は、ロボットを神格化したり、人間と同等のレベルのものとみなさなければいけなくなる。それが、理由なんです。ありもしないロボットの人権問題を、今、議論したいという衝動の根底にあるのは、仕事を奪われるという危機感。それが、すべての答えです。

── AI / ロボットが暴走したり、人間の不利益になる事故を起こした場合の責任問題や、法整備の必要性についてはどのようにお考えですか?

ロボットが事故を起こしたときと、オートマチックの自動車が暴走して事故を起こしたとき、基本的には一緒の考え方です。同じレベルの責任問題が発生します。責任の所在が社会にあろうと、個人にあろうと、実際にはそれほど差はありません。最終的に、保険会社がどう対応するか。事故が起こったときに経済的な問題の解決をどうつけるのか、という話です。保険さえ支払われるなら、何でもできるというのが、一つの答えですね。

── EUのように、枠組みや法整備について活発に議論されている状況は、ロボットの今後の発展を阻害しますか?

法整備について議論をしておくことは、いわば安心材料になる。何も議論をしないと、ロボットの能力が人のそれを超えるんじゃないかと不安でしょうがない。しかし、こういった問題が発生するかもしれない、そういった問題もあるかもしれない、と議論すること、その行為そのものが、一種のセラピー効果を持っています。

技術を否定してもだめです。歴史を学べばわかりますよ。新たな技術が生まれたルネッサンスの頃も、(第1次産業革命のときの)英国でも、機械を破壊する運動(1811-17年ラッダイト運動)をやったんです。でも、技術は発展し続けた。人間は、歴史的にそういうことをずっと繰り返しているんです。

遠隔操作型アンドロイド「テレノイド®」遠隔操作型アンドロイド「テレノイド®」

人間は、遺伝子でも進化するし
技術でも進化する動物

── ロボットが、人間に似ているから恐れるのかもしれません。人間は不完全で、欠点や欠陥がたくさんあります。一方でロボットは、より有能で疲れ知らずで、文句も言わない、いわば「完璧な人間」。私たちの社会にとって、人間よりロボットの方が優位な存在になるんじゃないかという、漠然とした不安が残ります。

人間が不完全で、ロボットが完全な人間……ちょっと待ってください。今のは、論理的に矛盾がある。「人間は不完全」だって言いましたよね、では、「完全な人間」が一番「人間らしい」ですか? 違いますね。質問されたいことが何かは、よく分かります。けれど、「人間が何か」を定義せずにロボットとは何かを議論しようとしている。これでは、感情論ですね。

完全な人間のようなロボットは、人間として不完全。要するに「完全な人間」とは、「人間ではない」んです。

ロボットを創れる人間と、ロボットに使われる人間に分けてみたらどうでしょう? 工場で働いている労働者は、ロボットの指示で動いています。今、自分の意思で仕事をしている人ってどれだけいるでしょうか。今後、9割はロボットに使われる側になるでしょうね。

── ロボットに使われる側になること、ロボットに能力的に劣る存在になることが、人間にとって「不幸」であるという出発点に立っていました。しかし考えてみれば、必ずしもそうではありませんね。自動車よりも早く走れないからといって、私はまったく引け目を感じていませんし、暗算が苦手なので喜んで電卓を叩きます。

そうですよね。人間の幸せ……そもそも人間の定義は?人間は道具を使うサル。技術を使う動物です。人間が、もっとも人間らしいのは、脳を使い、技術を生み出すときですよ。その技術の極端なものがロボットです。だから人間は、ロボットなしには人間にならないんですよ。

人間とロボットは、すでに共存しているんです。人間は遺伝子でも進化するし、技術でも進化する動物です。人間とロボット、人間と技術は、分離できないんです。もし分離したら、人間は猿ですよ。技術を使っているから、人間は「人間」なんです。使うか、使われるか、それはどちらでもいいんです。

対話型アンドロイド対話型アンドロイド「ERICA(エリカ)」

人間の仕事はなくなります
そして生活はより豊かになります

人間の仕事はなくなります。なぜか分かりますか? 歴史を振り返りましょう。昔は、ろくに勉強せずとも仕事ができましたが、人生のほぼすべての時間を仕事に費やしていました。今は、英語を習得するとか、パソコンを勉強するとか、人生の半分が勉強なんです。技術がもっと進むと、もっともっと勉強しないと技術を使いこなせませんよね。でも、いっぱい勉強したら、技術を駆使して、ものすごく効率良く仕事ができます。これが技術の意味なんです。人間の人生、8割くらい勉強に充てることになりますよ。教育期間が延びて、働く時間が短くなってくる。これが、「人間の仕事がなくなるかどうか」に対する答えです。

人間の働く時間が減っても、生産性は落ちません。なぜなら、技術がすごいから。それから、全員が働かなくてもいいですよ。パソコンとかロボットなど技術を使って、めちゃくちゃ効率良く働ける人が働けばいいんです。

── 「仕事を奪われる」という思考のベクトルも、的を射ていないということですね?

仕事を、奪ってはいないんです。道具や技術を使わなかったら、いまや仕事にならないですからね。なんでロボットのことだけ不安視するんですか? 昔は、手で荷物を運んでいた。でも今は、大型トラックで運べば1000人分くらいの仕事ができますよね。人間は、それで怒りましたか?

── 喜びました! 人間は喜ぶべきなんですね。自分たちが生み出した技術を使えることを。

そうですよ。そちらの方が効率良いし、より豊かな生活になるじゃないですか。

携帯型の遠隔操作アンドロイド携帯型の遠隔操作アンドロイド「エルフォイド®」

── このまま技術が進化すると、技術や知識を持つものと、持たざるものの間で、もっと社会の格差が広がるのではないか、という不安もあります。

階級社会の構築とか、武力とか、技術が悪いことに使われると、どうなるかは分からない。でも一方で、インターネットに国境はありません。技術というのは、個々の人間の能力を、簡単に、そして飛躍的に拡張するんですよね。現在、インターネットや携帯電話を使えば、誰とでも話せるでしょう。そうすると、国境の意味がなくなってくるんですよ。だから、お金とか武力だけで踏ん反り返っていた人たちの力は相対的に弱まるでしょうね。

── 変化を実感する時代、誰もが近未来に対してどのように備えるべきか、迷いながら、生きる道を模索しています。

答えはないです。勉強する以外に。頑張ってください。

── 「人間とは何か」の答えを求めて、ロボットを創る石黒教授は、ロボットを通して「人間」を見ている。最後に、石黒教授の著書『どうすれば「人」を創れるか: アンドロイドになった私』の言葉を引用したい。

技術の進歩とともに、人間と機械の境界は曖昧になっていく。

技術の進歩とともに、人間はより難しい自分探しをしなければならなくなってきているとも言えよう。

ただ、それこそが技術進化を遂げる人間の宿命であるとともに、本当の意味で人間として生きるということなのだと思う。

石黒浩教授がハノーファーにやって来る!

石黒浩教授

CeBIT 2017
グローバル・カンファレンス

Androids, Robots, and Our Future Life
ーアンドロイド、ロボットと私たちの未来ー
3月21日(火)9:45~10:45
ホール8 /Sakura Stage

※講演は英語で行われ、ドイツ語に同時通訳される
www.cebit.de/veranstaltung/androidsrobots-and-our-future-life/KEY/74893

最終更新 Donnerstag, 16 März 2017 10:50
 

マリア・テレジアとは?マリーアントワネットの母で女帝

マリア・テレジア生誕300周年 ハプスブルク家が生み出した女帝の足跡を追う

マリア・テレジア

300 Jahre
Maria Theresia

マリア・テレジアは、どのような人物だったのだろうか? 面白いことに、ドイツ人に彼女のイメージを聞いてみると「ああ、フリードリヒ大王の遊び仲間(Spielkameradin)ね!」と即答。ドイツ人からすれば、「マリア・テレジアとの戦争は大王のお遊びよ」、つまり「楽勝」ということらしい。女帝と呼ばれたマリア・テレジアの生誕300周年を迎える今年、彼女の足跡をたどる旅に出てみよう。(本文:シュミット麻依)

「私は最期の日に至るまで、
誰よりも慈悲深い女王であり、
必ず正義を守る国母でありたい」

650年もの栄華を誇った名門ハプスブルク家には、どの時代にも個性的で有能な当主がいた。その数ある名君の中でもひときわ有名なのがマリア・テレジアである。史上唯一の女帝の誕生、それはオーストリア存亡の危機をまねくほどの苦難の道のりだった。

ヨーロッパで覇権争いが激しかった18世紀。スペイン・ハプスブルク家の世継ぎが絶え、1701~13年にはヨーロッパの大国間でスペインの王位継承をめぐる戦争が発生していた。時を同じくして、オーストリア・ハプスブルク家でもマリア・テレジアの父であるカール六世に男子の跡継ぎがいなかった。そこでカール六世は「国事詔書」を発布。諸国にハプスブルク家の跡継ぎは娘のマリア・テレジアだと強引に認めさせる。ところがカール六世がこの世を去ると周辺諸国はすぐさま手のひらを返すように攻め込み、オーストリア継承戦争(1740〜48年)に発展。孤立したオーストリアを救ったのが、赤子を連れた24歳のマリア・テレジアであった。ハンガリーへの必死の応援要請が奏功し、プロイセンにシュレジェンを割譲することにはなったが、それ以外の土地と王位を守った。

その後も、彼女の政治力、賢明な行動のおかげでオーストリアは弱肉強食の時代を乗り越える。税制、行政の改革、義務教育制度を確立するなど近代化を進め、軍事力の強化、知識・知性の豊かな国民の増加など、国を内側から鍛えた。女帝と呼ばれることが多いが、正式にはオーストリア女大公、ハンガリー女王、ボヘミア女王であり、女皇帝であったことはない。当時、神聖ローマ帝国の皇帝の座はハプスブルク家の世襲のようになっていたが、さすがに皇帝の位まで受け継ぐことはできず、帝位は彼女の夫が受け継いだ。

マリア・テレジアは1736年に結婚し、子どもを16人授かった。

マリア・テレジアの家族

マリア・テレジアの家族

女帝が愛したのは、意外と頼りになった温厚で天才肌の夫
フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲン

夫は、政治も戦争も妻に任せて趣味に走っていたダメ男、というイメージがあるが、実際にはそうでもない。財政管理に長けており、マリア・テレジアがお金に苦労せずヨーロッパ列強を相手にハプスブルク家の領土を守り抜けたのも、夫のお蔭である。神聖ローマ帝国の皇帝として、彼も最初のうちは政治や戦争に真面目に取り組んでいた。ただし、不向きであったことも事実のようで、次第に関与しなくなった。代わりに植物や動物の観察に勤しむようになる。これは趣味というより研究に近く、ウィーン郊外のシェーンブルン宮殿の庭に植物園や動物園まで造っている。  

マリア・テレジアは政略結婚のため、後に宿敵となるプロイセンのフリードリヒ二世(大王)との結婚も考えられていた。しかしハプスブルク家とつながりの深いロレーヌ公国との絆を深めるため、ロレーヌ公の嫡子レオポール・クレマンとの結婚が有力となった。ところがそのクレマンが病死したため、弟のフランツ・シュテファンが候補となる。彼はウィーンに留学していたことがあり、マリア・テレジアは子どものころからフランツ・シュテファンに憧れていた。父カール六世も彼を気に入っていたので話は進み、二人は結婚することになった。この当時としては異例の恋愛結婚だった。

「戦は他国にさせておけ、幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ」
16人の子どもたち

ハプスブルク家の結婚政策を踏襲し、5人の男子、11人の女子の子宝に恵まれる。成人したのはそのうち10人で、四番目に生まれたのが待望の長男、ヨーゼフ二世。モーツアルトを宮廷で雇っていたことでも知られ、父フランツ・シュテファンが死去してからは神聖ローマ皇帝となり、マリア・テレジアと共同で国を統治した。

4女クリスティーナは健康で、マリア・テレジアはことのほかかわいがった。その後に生まれた娘たちが政略結婚を強いられたのに対し、クリスティーナだけは恋愛結婚が認められた。相手はザクセン選帝侯アウグスト三世の息子アルベルト・カシミール公子。6男で財産もなく、政治的には何も業績を残さなかったが、芸術に対する造詣は深く、アルベルティーナ美術館は彼の美術コレクションが元になっている。

そして最も有名なのは末娘、マリア・アントニア(マリー・アントワネット)。実は、ルイ16世の花嫁候補は、彼女より3歳年上の姉でおとなしいマリア・カロリーナだった。ところがナポリ王に嫁ぐことになっていた姉マリア・ヨゼファが病死したため、急きょカロリーナがナポリ王のもとに輿入れし、アントニアがルイ16世へと嫁ぐことになったのだ。

マリア・テレジア ゆかりの地

華麗なウィーン風ロココ様式
シェーンブルン宮殿

シェーンブルン宮殿

マリア・テレジアゆかりの城というならウィーン郊外のシェーンブルン宮殿であろう。歴代ハプスブルク家当主の夏の離宮。シェーンブルン Schönbrunnとは「美しい泉」という意味で、17世紀初頭にハプスブルク家のマティアス大公が狩りに来て美しい泉を発見したことに因んでいる。17世紀後半のレオポルト一世の時代、ここに大規模な宮殿を建設する計画が持ち上がり、それは次のヨーゼフ一世、カール六世を経てマリア・テレジア統治時代の18世紀半ばに完成した。広大な敷地にはフランス庭園、生垣の散歩道、馬車の並木道、ミニ迷路、動物園、植物園、温室、宮殿劇場、帝国馬車博物館などがある。

マリア・テレジアはこの城を大いに気に入り、ウィーンにいる時は子どもたちとシェーンブルン宮殿で過ごした。日当たりの良い部屋で彼女は子どもたちと絵を描いたり刺繍をしたり、母親ぶりを存分に発揮した。宮殿を最後に使っていたのはフランツ・ヨーゼフ皇帝夫妻である。そのため内部にはフランツ・ヨーゼフ皇帝の執務室や寝室、エリーザベト皇妃の化粧室などがそのまま保存されているが、マリア・テレジアとその子どもたちに関する部屋や肖像画も多く見ることができる。

ベルサイユ宮殿の鏡の間を思わせる「大ギャラリー」はマリア・テレジアをはじめ、歴代の大公や皇帝たちが多くの客を迎えた宴会の間である。大きなシャンデリアは今では電気だが、当時は70本のロウソクが使われていた。マリア・テレジアは宴会を早く終わらせたいときには短いロウソクを使ったという。

宮殿の庭、正面の丘の上にギリシャ風の建物が見える。グロリエッテと呼ばれている回廊風の建物で、マリア・テレジアはここで朝食をとるのが好きだった。現在はカフェになっており、ここからはシェーンブルン宮殿全体はもちろんのこと、晴れていればウィーンの旧市街まで望むことができる。

2017年特別企画:マリア・テレジア・ツアー
Maria Theresia Tour im Schloß Schönbrun

3月15日(水)〜11月29日(水)
土日:10:30(英語)、14:30(ドイツ語)15.80ユーロ
要予約: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
Schloss Schönbrunn
Schönbrunner Schlossstraße, 1130 Wien
www.schoenbrunn.at

複雑につなぎ合わされた城
ホーフブルク(王宮)

ホーフブルク

旧市街の内側にあるホーフブルクは最初の城が建てられてから何度も改築や増築が繰り返され、複雑につなぎ合わされた巨大な建物である。そこには教会、礼拝堂、図書館、スペイン乗馬学校、皇帝の居室、宝物館、博物館などがあり、一部を除いて公開されている。カイザーアパートメントの1階にある銀器コレクション「Silberkammer」には、歴代ハプスブルク家の当主たちが使っていた銀食器、陶磁器、テーブル飾り、銀のカトラリー、磁器コレクションなど見事な品々が展示されている。花が描かれたグリーンの磁器セットはフランスのルイ十五世からマリア・テレジアに贈られたもの。フランスとオーストリアの友好関係の始まりを物語っている。礼拝堂のある建物には宝物館「Schatzkammer」があり、ここを訪れるとオーストリア皇帝の冠や神聖ローマ皇帝の冠など、非常に価値の高い、まさに宝物をたくさん見ることができる。

Hofburg 
Michaelerkuppel, 1010 Wien 
www.hofburg-wien.at

ハプスブルク家が誇る女君主をたたえる
マリア・テレジア広場

マリア・テレジア広場

それまでハプスブルク家の大臣たちは名門出身者に限られていたが、マリア・テレジアは身分に関係なく有能な人物を側近に置いて彼らの意見を参考にした。また彼女は、ときに下手に出ることも心得ていた。1740年から始まったオーストリア継承戦争で戦力不足に苦しんだマリア・テレジアは、ハンガリーのポジョニ(現ブラチスラバ)に赴く。彼女は、まだ赤ん坊だったヨーゼフ二世を抱いて国会に現れ、ハンガリー貴族たちに頭を下げて支援を求めた。心動かされたハンガリー貴族たちは「我らが血と命を捧げん!」と叫んでマリア・テレジアへの協力を約束する。非常に優れた騎馬軍団を持っていたハンガリーはハプスブルク家のために戦って勝利をおさめ、マリア・テレジアは窮地を逃れた。ウィーン美術史美術館とウィーン自然史博物館の間にあるマリア・テレジア広場には、巨大なマリア・テレジアの銅像があり、台座には女大公を支えた重臣のハウクヴィッツやカウニッツたちの騎馬像がある。

Maria-Theresien-Platz, 1010 Wien

夫婦むつまじく眠る
カプツィーナ納骨堂

カプツィーナ納骨堂

マリア・テレジアよりも9歳年上だったフランツ・シュテファンは1765年、57歳のときに旅先のインスブルックで突然、息を引き取った。温厚な性格で誰からも好かれていたフランツ・シュテファンの急な死を、国民は皆悲しんだが、夫を愛していたマリア・テレジアの悲しみは誰よりも深く、生涯喪服を脱ぐことはなかった。神聖ローマ皇帝の位は長男のヨーゼフ二世が受け継ぎ、マリア・テレジアとの二重統治が始まる。15年間の親子統治が続いた後、マリア・テレジアは1780年11月に高熱を出し、63歳でこの世を去った。マリア・テレジアは生前、自分の遺体はフランツ・シュテファンと同じ棺に入れて欲しいと頼でいた。その遺言通り、歴代ハプスブルク家の墓所であるカプツィーナ納骨堂で今日、二人は仲良く大きな棺の中で眠っている。もちろん、このようなダブルベッドならぬダブル棺は、この一基だけである。

10:00 - 18:00(木9:00~)
5.50ユーロ
Kapuzinergruft
Tegetthoffstraße 2, 1010 Wien
www.kaisergruft.at

マリア・テレジア生誕300周年!
オーストリア各地の記念イベント

マリア・テレジア生誕300周年!オーストリア各地の記念イベント

戦略家-母親-改革者 
Strategin – Mutter – Reformerin

ウィーンとニーダーエスターライヒ州の4つの展覧会場にて開催される生誕300周年のメイン・エキシビジョン。ハプスブルク王朝で最も著名な当主の一人として、神話化するほどの人気を誇るマリア・テレジアを、生活、家族、政治活動、彼女の死後の世界など多方面から見ていく。

2017年3月15日(水)~11月29日(水)まで
4展覧会場共通チケット(Maria Theresia Kombiticket)29ユーロ
www.mariatheresia2017.at

4つのメイン・エキシビジョン

家族と遺産
Familie und Vermächtnis

Familie und Vermächtnis

現在約6500点におよぶユニークなコレクションが展示されている宮廷家具博物館では、マリア・テレジアに関する文学や音楽、彫刻を含む多くの重要な文化財が多く展示される。マリア・テレジアが「オーストリアのアイデンティティー」に重要な役割を果たしていることが分かる。ハンガリー演説(1741年)やボヘミアン戴冠式(1743年)など、マリア・テレジアが駆使した「イメージ政治」も、展覧会の重要なテーマである。

10:00〜18:00
9.50ユーロ
Hofmobiliendepot • Möbel Museum Wien
Andreasgasse 7, 1070 Wien
www.hofmobiliendepot.at

女性の力&生きる喜び
Frauenpower und Lebensfreude

Frauenpower und Lebensfreude

宮廷馬車博物館では、政治や戦争ではなく、マリア・テレジアの活気に満ちていた生活をたどる。マリア・テレジアは休むことなく働き、男性権力者と並ぶほどのパワーを持っていたが、ときに女性らしさを武器にすることもあった。子どもを産むという生物学的な女性の役割だけでなく、ダンスを愛し、美しく若い女性を称賛するような豊かな感性を発揮。パレード車、貴重なバスローブなどは必見。

9:00〜17:00
9.50ユーロ
Kaiserliche Wagenburg Wien
Schönbrunner Schlossstraße, 1130 Wien
www.kaiserliche-wagenburg.at

同盟者と敵対者
Bündnisse und Feindschaften

ニーダーエスターライヒ州にあるホーフ宮殿では「同盟者と敵対者」がテーマ。マリア・テレジアの統治期間には、良い改革と近代化が進んだだけでなく、戦争があり、苦しみや不寛容さがあったことを知る展示になっている。特にオーストリア継承戦争と七年戦争は密接にマリア・テレジアがかかわった戦争として詳細な資料がある。「素晴らしさ」と「悲惨さ」の印象は、当代一の君主の相反するイメージを映し出す。

10:00〜18:00
13ユーロ
Schlosshof
Schloss Hof 1, 2294 Schloßhof
www.schlosshof.at

近代化と改革
Modernisierung und Reformen

Modernisierung und Reformen

マリア・テレジアによる帝国の改革と近代化政策を取り上る。展示会の冒頭ではマリア・テレジアの改革がいかに重大な影響を与えたかを知るために、社会的不平等と封建制度という当時の時代背景が説明されている。マリア・テレジアはまず、政府や税制、行政の改革、また学校の近代化を進めた。会場となっている宮殿は狩猟の館として作られ、宮廷建築家ニコラウス・パカッシが改築したもの。

10:00〜18:00、9.50ユーロ
Schloss Niederweiden
Niederweiden, 2292 Engelhartstetten
www.schlosshof.at/der-standort/schloss-niederweiden

その他の関連イベント

マリア・テレジア: ハプスブルク家最強の女性
Maria Theresia: Habsburgs mächtigste Frau

マリア・テレジア: ハプスブルク家最強の女性

ハプスブルク帝国の最も強力な支配者、マリア・テレジア。彼女の政策、成功と危機などオーストリアとヨーロッパに果たした役割を見ていく。

2017年6月5日(月)まで
火~日10:00~18:00(木~21:00)
※6月は無休
7ユーロ
Österreichische Nationalbibliothek
Josefsplatz 1, 1010 Wien
www.onb.ac.at

マリア・テレジアとアート
Maria Theresia und die Kunst

マリア・テレジアとアート

ベルヴェデーレ内に宮廷ギャラリーを創設したマリア・テレジア。肖像画や彫刻、風景画などが、当時どのような意味を持っていたのか。マリア・テレジアと美術作品との関係を探っていく。

2017年6月30日(金)〜11月5日(日)
10:00〜18:00(水~21:00)
12ユーロ
Belvedere - Unteres Belvedere & Orangerie
Rennweg 6, 1030 Wien
www.belvedere.at

陛下の手元に:マリア・テレジア・メダル
Zuhanden Ihrer Majestät: Medaillen Maria Theresias

陛下の手元に:マリア・テレジア・メダル

美術史博物館の古銭キャビネットではマリア・テレジアの肖像画などが施された観賞用の記念コインのコレクションが多数展示される。

2017年3月28日(火)~2018年2月18日(日)
10:00~18:00 ※6~8月以外は月曜休館
15ユーロ
Kunsthistorisches Museum
Maria-Theresien-Platz,
1010 Wien
www.khm.at

マリア・テレジア時代の磁器とプライバシー
Höchst persönlich. Porzellan und Privatheit zur Zeit Maria Theresia

マリア・テレジア時代の磁器とプライバシー

マリア・テレジアによって皇室直属の磁器窯となったアウガルテン。当時の貴婦人の部屋を飾った陶器に注目する。

2017年3月20日(月)~10月7日(土)
10:00~18:00 ※日祝休館
7ユーロ
Wiener Porzellanmanufaktur Augarten
Obere Augartenstraße 1, 1020 Wien
www.augarten.at

教会、修道院、女帝 - マリア・テレジアとオーストリアの宗教
Kirche, Kloster, Kaiserin
- Maria Theresia und das sakrale Österreich

教会、修道院、女帝 - マリア・テレジアとオーストリアの宗教

教会とハプスブルク家関係に焦点を当てる。また祭式装飾や司祭の祭服の華やかな刺しゅうなど傑作を展示する。

2017年3月4日(土)〜11月15日(水)
10:00~17:00(5月からは9:00~18:00)
11ユーロ
Klosterneuburg Abbey
Stiftsplatz 1, 3400 Klosterneuburg
www.stift-klosterneuburg.at

最終更新 Mittwoch, 05 Mai 2021 08:27
 

ルターと宗教改革「95か条の提題」とは

「95か条の提題」から500周年 マルティン・ルター
と宗教改革

1517年、神聖ローマ帝国。一人の修道士が教会へぶつけた怒りは人々を動かし、時の技術も味方につけてキリスト教に新しい宗派を生んだ。後に連邦制のドイツほか近代国家の成立にも繋がる、対立と和解の物語。500周年を迎える今年、宗教改革の日(10月31日)はドイツ全州で祝日となる。

マルティン・ルタールーカス・クラナッハ(父)が描いたマルティン・ルター(1529年)

時代背景
どうして起こったの?

カトリック教会が支配する階級社会

500年前の中世ヨーロッパは、パソコンも携帯電話も、スーパーマーケットもなく、一般の人々の生活は、現代の感覚からは想像もつかないほどに質素だった。公衆衛生や医療も整備されておらず、ペストなどの大流行も人々をパニックに陥れた。地獄や魔女の存在もごく身近に感じられるほど、不確かな世界。当時の階級社会は、トップにローマ・カトリックの教皇が君臨し、各地の王や諸侯たちがそれに続き、農民や商人など一般の人は最下部に属していた。農民らは領主を通して教会に仕え、皇帝の戴冠式がローマ教皇によって行われていたことに象徴されるように、カトリック教会が社会を支配していた。

贖宥状(免罪符)の販売、腐敗する権力

人は死ぬと地獄に行き、燃え盛る炎で焼かれてしまうと信じられていた時代。聖職者は神の代理人とあがめられていたが、教会は人々の罪を救うとして「贖宥状(しょくゆうじょう)(免罪符)」を販売しはじめる。不安や恐怖など、人々の心の隙を利用し、生まれ持った罪や犯した罪を救済する方法はこれを買うことのみと宣伝する聖職者も。不満や批判が高まる中、ローマの聖ピエトロ大聖堂などの建設に巨額のお金を必要とした教会は1515年、神聖ローマ帝国(後のドイツ)でも贖宥状を販売。利権を求める王や諸侯らの下心も相まって、教会の権力を支えるこのシステムは次第に肥大化し、腐敗していった。

教会で語られる言葉を人々は理解できなかった!

驚くべきことに、当時はローマの名の下、礼拝や聖歌など教会で使用される言葉は全てラテン語だった。人々は教会の壁に飾られた絵画やステンドグラス、聖人らの彫刻などを眺め、そこに描かれている聖書の内容を理解しようとするも、礼拝中に何が話されているのかは全く分かっていなかった。

ケルン大聖堂のステンドグラス世界最大のゴシック建築、ケルン大聖堂のステンドグラス

宗教改革の主人公
ルターは何をしたの?

死の恐怖から修道士へ

アイスレーベンの農家の家系に生まれたルター。農夫から経営者に転身した父ハンスは息子にも学問の道を選ばせた。ルターは父の期待通り当時の大都市エアフルトで教養学を修める。しかし、法律を学び始めた22歳の夏、帰省旅行の道中で雷雨に遭遇。稲妻とともに投げ倒され、死の恐怖を味わったルターは「聖アンナ! 私は修道士になります、お助けください!」と叫ぶ。当時は聖人を通して神に祈ることが普通だったのだ。激怒する父や止める友人らをよそに、ルターはアウグスティヌス修道院の修道士になり、聖書研究に打ち込みはじめた。

すべての人に聖書を

ラテン語だけでなく、ギリシャ語やヘブライ語にまで遡って聖書を読んだルターは、教会や聖人を通さずとも、人は誰でも聖書を読むことで、神に直接祈り、神の慈悲を受けることができると説いた。そのためには聖書をラテン語から民衆の言葉であるドイツ語に訳す必要性を痛感。後に出版したルター訳の聖書はその後近代ドイツ語の統一に影響を与える。また、聖書の理解には時に歌いながら祈ることも大切と考え、簡単なドイツ語の賛美歌(Choral)を作り、自らリュートを演奏して歌った。日本でも有名な「神はわがやぐら」はよく知られる1曲だが、ナチスの行進曲に利用された暗い歴史もある。

95か条の提題

聖書に書いてあることのみを信仰とするべきだ!と確信したルターは、修道士の立場で当時濫用されていたカトリック教会の贖宥状制度を批判。教会は自ら変わるべきだとした。これが、1517年10月31日、ヴィッテンベルクの教会の門に打ち付けられた、宗教改革の大きなうねりに繋がる「95か条の提題」。一方、カトリック教会はルターに自説を撤回するよう迫る。これを拒否したルターは1521年、ついに教会を破門される。同年ヴォルムス帝国議会で神聖ローマ皇帝カール5世に召喚を受けるが、ここでも自説の撤回を拒否し、帝国追放を宣言される。その帰り道、ルターを支持していた有力諸侯の一人、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世(賢公)に保護され、居城であるヴァルトブルク城にて新約聖書のドイツ語訳を完成させた。

仲間とともに

腐敗する権力に立ち向かったルターの怒りは人々の共感を呼び、宗教改革の勢いは各地に広がった。1517年にヴィッテンベルク大学の教授に就任したフィリップ・メランヒトンは、ルターの思想の体系化に尽力。フリードリヒ3世は皇帝カール5世誕生の立役者であったこともあり、ローマからのルターの引渡しにも応じずルターを匿った。北部ドイツ語を味方に、ハンブルク、リューベック、コペンハーゲンなど北部の各都市を回り、ルターの教えを広めたのはヨハネス・ブーゲンハーゲン。ヴィッテンベルクを拠点に宮廷画家としてフリードリヒ3世に仕えたルネッサンスの画家ルーカス・クラナッハ(父)は、数多くの絵画を通してプロテスタントの宗教精神を伝えている。

忘れてならないのは、危険を顧みず修道院を抜け出し、ルターを追い掛けた修道女、カタリナ・フォン・ボラ。聖書に根拠はないものの、肉体的欲望は罪であるとされ、聖職者の結婚など到底認められなかった時代、二人は結婚し6人の子どもに恵まれた。一躍有名になったヴィッテンベルクには各地から学者が集まった。ルターの自宅にも次々と論者が訪れ、カタリナは女主人として彼らの宿泊や食事などを世話しながら一緒になって日々議論した。

ベストセラーとなったルターの聖書書
どのように広まったの?

グーテンベルクの活版印刷技術

それまで書物は手書きによる書き写しか木版印刷が主流だった。しかしヨハネス・グーテンベルクが1450年頃発明し、実用化が進んでいた最新技術の活版印刷がルターの教えを広めるのに大きな役割を果たした。各地の印刷所は「95か条の提題」を始め、ビラや冊子をどんどん刷り、これらは飛ぶように人の手に渡った。ラテン語で書かれていた「95か条の提題」もすぐにドイツ語に訳され、ほんの2週間でヨーロッパ中に広がった。神聖ローマ帝国で1500万人いた人口の大半が読み書きのできなかった時代に、ルターの聖書は彼の存命中に約10万部印刷され、大ベストセラーに。印刷の技術がなかったらルターの思想はここまで一気に広がることはなく、宗教改革も起こり得なかっただろう。人々が歌った、ルターの賛美歌にも乗ってルターの思想は拡散された。こうしてルターは庶民の共感を得ただけでなく、ハンザ同盟の都市やドイツ国内の有力諸侯からの融資も得た。一方で教会は危機感を募らせ、両者は対立を深めていく。

ルターの聖書の広がり聖書やビラ、賛美歌によってルターの思想は瞬く間に広がった

対立する両者、社会は混乱
カトリック対プロテスタント?

農民戦争の悲劇も

ルターの教えは重い重税に苦しんでいた農民に希望を与えた。農民たちは農奴制の廃止など「12か条の要求」を訴え中南部で立ち上がった(ドイツ農民戦争)。しかし諸侯軍に敗れ、反乱を主導した聖職者のトマス・ミュンツァーは拷問の末処刑、10万人が犠牲となった。当のルターは諸侯に保護されている立場から諸侯軍に味方し、同地での信頼を失うことに。南部ではその後カトリックが優勢となった。

国外からの脅威もあり、宗教問題に決着を付けるため、皇帝カール5世は1530年、アウグスブルク帝国議会を開いた。破門されたルターに代わり、盟友メランヒトンがプロテスタントの最初の信仰告白「アウグスブルク信仰告白」を執筆。ルター派の主張をしつつもカトリック教会への批判を抑えた内容だったが認められなかった。不満を持つ諸侯らはプロテスタントとして結束を深めた(1531年、シュマルカルデン同盟)。その後1555年にようやくアウグスブルク帝国議会でルター派が容認され(アウグスブルクの和議)、都市や領主に宗教の選択権が認められることになった。

超教派による対話へ
宗教改革が後世に与えた影響は?

領邦間の争いは30年戦争へ、国民国家の礎にも

1555年のアウグスブルクの宗教和議でルター派のプロテスタントはカトリックと並ぶ存在に! ルターはその9年前にこの世を去っていたが、権力への怒りから火が付いた、「聖書に書いてあることのみを信仰とする」との信念は実を結んだ。だが、まだ市民一人一人に信仰の自由が与えられていたわけではなく、どちらの信仰を選ぶかは各都市や領主の決定に従わなければならないことに不満も残った。またカトリックの対抗宗教改革の動きや魔女狩り、宗教裁判も激しさを増した。各地でカトリックとプロテスタントの領邦間の争いも始まり、その他の権力紛争も相まってヨーロッパ中を巻き込んだ30年戦争(1618-1648)に発展。1648年のヴェストファーレン(ウエストファリア)条約でやっと最終的な決着を迎えるとともに、この条約は連邦制のドイツ始め、近代の国民国家の礎となった。

コーラルを交響曲にも、300周年を機にメンデルスゾーン

ルターが作った賛美歌「神はわがやぐら」は、1724年、バッハが宗教改革を記念してカンタータ80番に取り入れるなど、後世の教会音楽やクラシック界に大きな影響を与えた。アウグスブルク信仰告白から300年の1830年、メンデルスゾーンはルターの「宗教改革」をタイトルに交響曲第5番を作曲。ドイツの賛美歌「ドレスデン・アーメン」が用いられているほか、フィナーレで「神はわがやぐら」が響く。

神はわがやぐらルター自筆のコーラル「神はわがやぐら」、右下にルターの名前がある

超教派による対話へ、エキュメニカル運動

ホルトハウス牧師
ネアンダール教会の
ディルク・ホルトハウス牧師

現在も宗教間の対立や争いは各地で続いている。一方で、第2次世界大戦後、キリスト教の教派を越えた和解や結束を目指すエキュメニカル運動(Ökumenische Zusammenarbeit)も始まった。デュッセルドルフの旧市街にあるネアンダール教会は1684年に初めてこの地で建設が認められたプロテスタント教会。角を曲がった場所に、ほぼ同時期に建てられたカトリックの聖アンドレアス教会が並んでいる。ネアンダール教会のディルク・ホルトハウス牧師(Pfarrer Dirk Holthaus)は年に2回、クリスマスとイースターの前に、聖アンドレアス教会の神父と交代して、カトリックの人々を前に説教をしている。ホルトハウス牧師は語る。「ルターも後年そうだったが、プロテスタントの教会もユダヤ人を排除し過ちを犯した。そしてこれは戦争にもつながった。近隣教会の協働エキュメニカル運動は両者の壁を取り払うことへの試みだ。過去の過ちを反省し、世界平和を考えるために」

ルター略年表

1483年 11月10日、アイスレーベンで生まれる。翌日の聖マルティンの日に洗礼を受け、マルティンと名付けられる
1501年 18歳、エアフルト大学教養学部に入学
1505年 22歳、父の教えに従い大学法学部進学、落雷を受け、アウグスティヌス修道院に入り修道士に
1512年 29歳、ヴィッテンベルク大学聖書教授となる
1515年 教皇レオ10世、ドイツで贖宥状販売を許可
1517年 34歳、「95か条の提題」をヴィッテンベルクの教会の門に打ち付ける(10月31日)
1518年 35歳、アウグスブルクで異端審問を受ける
1519年 カール5世神聖ローマ皇帝に即位
1520年 37歳、『キリスト教界の改善について』『キリスト者の自由について』など宗教改革的著作を精力的に出版。教皇庁は破門脅迫の大教勅を発する
1521年 38歳、教皇レオ10世から自説の撤回を求められ、拒否。教会を正式に破門される。皇帝カール5世に与えられたヴォルムス帝国議会の場でも撤回を拒否したため、帝国追放を宣言される。帰り道、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世の居城ヴァルトブルク城で保護される
1522年 39歳、新約聖書のドイツ語訳を出版する
1524年 ドイツ農民戦争
1525年 42歳、ルターに共感し追い掛けた元修道女のカタリナ・フォン・ボラと結婚
1530年 アウグスブルク帝国議会でメランヒトンの「アウグスブルク信仰告白」が提出される
メランヒトンの信仰告白 皇帝カール5世(左)を前に読み上げられるメランヒトンの信仰告白
1534年 51歳、旧約聖書のドイツ語訳完成
メランヒトンの信仰告白 フランクフルトのSt. Ger traud 教会に残る、1534年のルターによる聖書
1546年 63歳、アイスレーベンで死去
1555年 アウグスブルク帝国議会でカトリックとルター派プロテスタントの和議、各諸侯らが決める教派をその領邦内の教派とする教派属地権が決まる

宗教改革500周年!ドイツ各地の関連イベント

※時間や内容が変更される場合もございますので、お出かけの際はあらかじめご確認ください。

パノラマ「1517年のルター」
PANORAMA „LUTHER 1517“

PANORAMA „LUTHER 1517

ルターが95か条の提題をヴィッテンベルクの教会の門に打ちつけた1517年当時の風景360℃再現。ドイツ人アーティスト、ヤデガール・アシシの巨大なパノラマアートに足を踏み入れれば、中世の時代に迷い込んだ気分に。

2017年12月31日(日)まで
10:00~18:00
11ユーロ(割引9ユーロ、子供4ユーロ)

WITTENBERG 360
Lutherstr.42
06886 Lutherstadt Wittenberg
www.wittenberg360.de

ポップ・オラトリアム ルター
Pop-Oratorium Luther

Pop-Oratorium Luther

賛美歌をドイツ語で歌う喜びを民衆と分かち合ったルター。今年は、ドイツ各地で参加型の賛美歌プロジェクトが企画されている。ルターの生涯を1000人のコーラスと、ポップなミュージカルで楽しめるコンサート。

3月11日(土)ハレ Gerry-Weber Stadion
3月18日(土)ミュンヘン Olympiahalle
6月25日(日)ジーゲン Siegerlandhalle
8月26日(土)ヴィッテンベルク Schlosskirche
9月23日(土)、24日(日)ヴィッテン Saal bau
10月29日(日)ベルリン Mercedes-Benz Arena

www.luther-oratorium.de

クラナッハ マイスター・マルケ・モデルネ
CRANACH. Meister − Marke − Moderne

CRANACH. Meister − Marke − Moderner

ドイツ・ルネッサンス期の巨匠ルーカス・クラナッハ(父)の作品200点以上が並ぶ展覧会。ルターを保護したザクセン選帝侯に仕えた絵師で、ルターの聖書の挿絵も描いた。彼の絵画が現代美術に与えた影響を見る。

4月8日(土)~7月30日(日)
11:00~18:00、木~21:00、月曜休館
12ユーロ(割引9.50ユーロ)、
土日祝14ユーロ(割引11ユーロ)

Museum Kunstpalast
Ehrenhof 4-5
40479 Düsseldorf
www.smkp.de

ルター効果 世界のプロテスタントの500年
Der Luthereffekt. 500 Jahre Protestantismus in der Welt

CRANACH. Meister − Marke − Moderner

ドイツ歴史博物館が企画した展覧会では、500年前に始まったプロテスタント運動が、現代に与えた影響を追う。欧州や北米、世界各地で文化と宗教の対立が浮き彫りになった。

4月12日(水)~11月5日(日)
10:00~19:00、火曜休館
12ユーロ(割引8ユーロ)、16歳以下無料
3つのナショナル・エキシビジョンの共通券24ユーロ

Martin-Gropius-Bau
Niederkirchnerstr. 7
10963 Berlin
www.3xhammer.de

ルターとドイツ人
Luther und die Deutschent

Luther und die Deutschent

ドイツの国民性のシンボルとして愛されているルターとドイツ人との関係を探る展覧会。会場は、匿われたルターがドイツ語の聖書を完成させたヴァルトブルク城。年間35万人が訪れ、現代ドイツの礎を築いた改革者をしのぶ。

5月4日(木)~11月5日(日)
8:30~17:30 ※城内ツアーは20:00まで
12ユーロ(割引8ユーロ、学生5ユーロ)
3つのナショナル・エキシビジョンの共通券24ユーロ

Wartburg
Auf der Wartburg 1
99817 Eisenach
www.3xhammer.de

ルター! 95個の宝-95人の人間
Luther! 95 Schätze – 95 Menschen

Luther! 95 Schätze – 95 Menschen

ルターが35年間を過ごした町ヴィッテンベルクでは、1200㎡の展示会場に彼ゆかりの品々が並ぶ。第1部では、信念を貫いた改革者の青年期の横顔を、第2部では、16世紀から現代までの95人の改革者たちを紹介する。

5月13日(土)~11月5日(日)
9:00~18:00
12ユーロ(割引8ユーロ、学生5ユーロ)
3つのナショナル・エキシビジョンの共通券24ユーロ

Augusteum
Collegienstr. 54
06886 Lutherstadt Wittenberg
www.3xhammer.de

最終更新 Montag, 15 August 2022 09:58
 

世界最大規模のIT関連見本市 CeBIT 2017

明日の世界を垣間見る 世界最大規模のIT関連見本市 CeBIT 2017 2017年3月20日(月)~24日(金)in Hannover

繋がる情報が、世界を動かす!今世紀のデジタル化の波は、生産ラインの効率アップといったビジネス・ソリューションにとどまらず、社会や経済のモデル、人々のライフスタイルを根本から変えようとしている。私たちの未来はどこへ向かうのか、期待と不安の入り混じる来場者の目に、最先端技術が世界中から集うCeBITが様々な未来予想図を見せてくれる。

Text: Megumi Takahashi、取材協力:日本貿易振興機構(JETRO)
Alle Fotos von „Deutsche Messe AG"

場所:Deutsche Messe AG
住所:Messegelände, 30521 Hannover
時間:9:00~18:00
入場券:5日間通し券61ユーロ(事前購入56ユーロ) 1日券26ユーロ

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CeBIT に行ってみよう!
来場前に知っておくべき 8つのキーワード

1 CeBIT セビット
コンピューターの見本市からデジタル化のショーケースに

オフィスオートメーション、IT、情報通信・センター(Centrum für Büroautomation, Informationstechnologie und Telekommunikation)、略して「CeBIT」! 

世界最大の産業見本市ハノーバーメッセの展示カテゴリーの一つとして1970年に誕生し、1986年に分離、独立したCeBIT。Windows 95が世に出た1995年にはビル・ゲイツも来場、訪問者数75万人を記録した。PCやインターネットが一般市民に普及すると、2000年前後のIT革命の追い風も受けて成長。ソニーがPlaystationを発表するなど、家庭用ゲーム機のプレゼンテーションの場でもある。2015年以降は、デジタル化とエコノミーをつなげた造語「d!conomy」が掲げられ、社会と経済のデジタル化の行方を見定め、IoT(モノのインターネット)の実例を披露する場として注目を集めている。

ベルリンから連邦首相が駆けつけてパートナー国との首脳会談を行うことが通例となっていることもあり、世界各国のメディアが駆けつける注目度ナンバーワンの見本市でもある。昨年は、世界約70の国や地域から、約3300社が出展、100カ国から約20万人が来場した。

2017年のテーマは、「d!conomy – no limits」。「no limits」という言葉には、業界や国の境界を超え、人と機械の関係を見直すデジタル化の領域の広大さと、いよいよ先端技術が実用化され私たちの生活に無限の可能性を与える、という意味が込められている。

2Japan Pavilion ジャパン・パビリオン
初参加にして、最大規模! ホール4・12

今年、CeBITのパートナー国として初めて参加する日本は、7200㎡もの広大なジャパン・パビリオンを形成する。これはCeBIT史上最大の面積で、総勢118もの企業や団体、地方自治体が日本から出展予定。また、約半数が中小企業で、海外市場に初挑戦する企業が含まれていることから、デジタル化においては企業の大小を問わずグローバルな視点が欠かせないことを再認識させられる。

コンセプト

新しい世界へ
Create a New World with Japan!
– Society5.0, Another Perspective-

新しい世界へ

「日本と一緒に新しい世界を作ろう!」と呼びかけるジャパン・パビリオン。世界に先駆けた「超スマート社会を目指す取り組み(Society 5.0)」※の実現を目指す日本ならではの、ユニークな技術と発想力を存分にアピールする場となる。医療・福祉、農業、建設、製造の現場から、音楽、ゲームまで、幅広い領域の技術(センシング技術、生体認証技術、ウェアラブル機器、コミュニケーションロボット、アシストスーツ、パーソナルモビリティー、ドローン、自動運転システムなど)に注目!
※1狩猟社会、2農耕社会、3工業社会、4情報社会に続くような新たな社会

パートナー国
日本を世界にアピールするチャンス!

日本を世界にアピールするチャンス!

パートナー国制度とは、特定の国に焦点を当て、その国の特徴的な技術や製品のみならず、国としての特徴や戦略を世界に向けて発信できる場。会期中は、各所に日本の国旗がはためき、様々な角度から日本が注目を浴びる。

ドイツメッセの理事、オリバー・フレーゼ氏が、「デジタル技術の中心的な展示会として、IoT(モノのインターネット)やデジタル化の先駆的存在である日本をCeBITのパートナー国として迎えられるのは喜ばしいこと」と期待を寄せるように、世界的に見ても日本のデジタル・コンテンツ市場の規模と多様性はトップレベル。

日本がパートナー国に選ばれた経緯は、2016年4月に日独が「IoTおよびインダストリー4.0に関する6項目の覚書」を締結し、翌5月に開催されたベルリンでの日独首脳会談で、アンゲラ・メルケル首相からのパートナー国への招待を受け、安倍晋三首相が快諾。3月19日には、両首相がそろってハノーファー入りし、日独首脳会談が開催される予定だ。安倍首相は、2007年に「ハノーバーメッセ」のパートナー国を務めた際も、同見本市会場を訪れているため、実現すれば二度目となる。また、2017年は、日独間の外交関係が樹立してから155年周年という節目の年でもある。

ジャパン・パビリオンを形成する3つのゾーン

1. Life Office Society
家庭における消費者としての生活、オフィスにおける働き方、街角での購買や食事などの消費体験を、質的に変えていける商品やサービス。また、同分野における事業者向けのシステムやサービスを集めたゾーン。
企業例:自動車会社、IT企業、情報やメディアを扱う企業など
67社・団体/ホール4

2. Infrastructure Factory
エネルギー供給や輸送、伝送などの仕組み、様々な物資を開発し生み出すスマート・ファクトリー、様々な社会的課題の解決を支える活動。イノベーションを促すシステムやサービスを集めたゾーン。
企業例:ドローン、ロボットなどを開発する企業など
35社・団体/ホール12

3. Element
上記2つのゾーンにおける変化を可能にするデバイスや素子、基礎技術などを集めたゾーン。
企業例:半導体、センサ、情報収集・解析に取り組む企業など
16社/ホール4

日本が参加する主なイベント

CeBIT Japan Summit
3月20日(月)11:00~13:00

日独の政府や閣僚、先駆的なIT企業の代表者が参加し、情報技術分野での協力の強化、未来指向の提携可能性について話し合う場。
ホール8 / サクラ・ステージ

CeBIT Global Conferences
3月20日(月)~24日(火)10:00~18:00

連日行われるグローバル・カンファレンスはCeBITのメインイベント。日本からは、遠隔操作型アンドロイドの開発で知られるロボット工学者で大阪大学教授の石黒浩氏、セイコーエプソン代表取締役社長の碓井稔氏、コニカミノルタ株式会社取締役代表執行役社長の山名昌衛氏、日系米国人企業家シマダケイ氏が登壇予定。
ホール8

3Drone ドローン
デジタル化時代の空の産業革命 ホール17

Drone ドローン

「ネットでワンクリック注文すると、30分後には玄関先までドローンが商品を届けてくれる!」そんな時代が、すでに到来している。英国でアマゾンが昨年末に実用化をスタートしたドローン配送サービス「Prime Air」をはじめ、産業用ドローンが世界各地でデビューしているのだ。流通や配送だけでなく、公共サービスや治安維持、建築、農業などの分野で革新的なビジネスモデルを生み出す可能性を秘めている無人航空機「ドローン」は、空から産業革命を起こす。消費者向けラジコンの延長だったレベルから、今年は用途別の産業用ドローンの開発が益々加速するとみられている。昨年のCeBITでは、パートナー国であったスイスがハイブリッドドローンを披露したほか、ドローンをテーマとした新企画「DRONEMAS TERS Summit@CeBIT」を開催。 ドローンの最新動向をキャッチできる見本市として、一躍注目を浴びた。

今年は2400㎡の、「無人システム&ソリューション」の展示ホールに、ドローン用の競技トラックが設けられ、各社自慢のドローンがデモ飛行、展示される。同会場では、ドローンや無人システムの安全性の維持、産業利用の際に各国で考えられる規制の問題など議論されるカンファレンスが、連日開催される。

4Humanoid 人型ロボット
その存在自体が議論の的に ホール8

Humanoid 人型ロボット日本は、「ロボット密度(労働者1万人あたりのロボット数)」において、世界2位の211体(1位は韓国、3位ドイツ)。昨年のCeBITでも活躍したヒューマノイドロボットPepper、長崎県のハウステンボスにあるロボットホテル「変なホテル」をはじめ、製造業、介護や医療の現場で実用化が進むロボット産業で、最先端を走っている。自分にそっくりに作った「ジェミノイド」開発で世界的に著名なロボット工学者、大阪大学教授の石黒浩氏は、3月21日のグローバル・カンファレンスの特別ゲストとして、人間とロボットの未来を語る。

まさにこの点において欧州は、一度立ち止まり、ロボットと人間の境界、ロボットの権利について検討を始めている。1月12日には、欧州議会の法務委員会が、倫理的で安全なロボットを設計するための法的な枠組みについての提案を合意。映画『ターミネーター』のような悲劇を未然に防ぐためのプランを立てている。そこには、ロボットは愛着を感じすぎないよう、機械であることがはっきり分かるようなデザインにすべし、設計者はロボットに緊急時用の「キル・スイッチ」を付けるべし、といったことも盛り込まれている。日本の、親近感を抱かせる人型ロボット開発と、間逆の路線を進む。今回のCeBITでは、ロボットが人間の生活のあらゆる場面で不可欠な存在となることが垣間見られる。

5VR/AR 仮想/拡張現実
ゲームの世界を超え、ビジネス利用へ ホール17

VR/AR 仮想/拡張現実

CeBIT2017にIT業界における最大のトレンドの一つ、仮想/拡張現実(VR/AR)に関する新たな展示エリアが誕生! 昨年、大流行したポケモンGOで活用された拡張現実(オーグメンテッド・リアリティ=AR)。そして、専用ゴーグルを装着して仮想世界を体験する仮想現実(バーチャル・リアリティ=VR)。今年は、旅行プランを疑似体験したり、ホテルの内装をVRで再現したり、旅行や不動産、エンタメ、製造の現場など、幅広い分野での利用が進むと予想されている。

6Chatbots チャットボット
世論を形成するのは誰?情報戦の新時代に ホール5

Chatbots チャットボット

米大統領選で、チャットボットの大半がトランプ氏支持のために言葉を発し続け、有権者に影響を与えたとされるニュースが世界を震撼させた。秋に連邦議会選挙を控えるドイツも、この新時代の情報戦に警戒心を強めている。英語の「チャット」と、ロボットの略語「ボット」を組み合わせたチャットボットは、人工知能(AI)の急速な進化を受けて回答の精度を上げ、今後は、条件の良いフライトの予約、レストラン探し、ショッピングのお供として活用が期待されている。

7Autonomes Fahren 自動運転車
10年後は当たり前に? ホール17

Autonomes Fahren 自動運転車

現在、乗用車を運転するのは人間だが、5~10年後には人間は自動制御機能を利用しながら自動車に乗り、将来的には完全自動運転の世界が待っていると研究者は予言する。事故のリスク、運転手のコンディションや経験に左右されない安全で快適な移動手段となるか。CeBITへ出展するトヨタ自動車や日産自動車はもちろん、世界の自動車産業が自動運転車の実用化に向けて技術開発に注力している。会場では、スイスのSwiss PostAuto社の自動運転バスに試乗できる!

8Cyber Security サイバーセキュリティー
デジタル化時代のプライバシー保護 ホール6

サイバーセキュリティー

どんなに優れた技術も、優秀なAIも、サイバー攻撃からシステムや社会、個人を守るためのセキュリティー対策なしには、百害あって一利なし。デジタル化社会は、データの盗難や詐欺、サイバー・プロパガンダ(宣伝工作)の被害と隣り合わせだということを、ユーザー自身が知っておく必要がある。会場では、約300機関がセキュリティーに特化した展示を行い、講演会では米国政府の監視システムを告発した元CIA局員エドワード・スノーデン氏もビデオ出演する!

最終更新 Freitag, 03 Februar 2017 15:07
 

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