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生まれ変わるリープフラウエンミルヒ

リープフラウエンミルヒ(Liebfrauenmilch)は、おそらく世界で最も名の知られたドイツワインだろう。リープフラウは聖母マリアのことで、教会名に由来する。ミルヒの語源には「ミルク(ミルヒ)」と「修道僧(メンヒ)」の2つの説がある。リープフラウエンミルヒの生産量はドイツの全ワイン生産量の8%にすぎないが、輸出ワインの35%を占めているため、国外において、より知名度が高い。しかし、リープフラウエンミルヒと聞いて、どれだけの人が美味しいワインを思い浮かべるだろうか?リープフラウエンミルヒは、かつて栄光のワインだったが、その後、急激に名声を失った悲劇のワインでもある。そして21世紀、オリジナルのリープフラウエンミルヒが復活している。その盛衰を追った。(岩本順子)

リープフラウエンミルヒ小史

リープフラウエンミルヒの故郷、ヴォルムスは人口約8万人の小都市。トリアーと並ぶ、ドイツ最古の都市のひとつである。ローマ人の築いた街ゆえ、当時からワインがつくられていた。リープフラウエン教会は市壁の北に位置し、スペインのサンチアゴ・デ・コンポステイラまで続く巡礼道「ヤコブの道」の通過点だった。

14、5世紀ごろ、リープフラウエン教会の傍にあったカプチン会修道院の修道僧が、教会の周囲にぶどうを植え、ワイン造りをはじめた。やがて、その美味しさはヨーロッパ中に知れ渡る。この「リープフラウエン教会の塔の一番長い影が届く範囲内に植えられたぶどうからつくられたワイン」が、本来のリープフラウエンミルヒなのである。修道僧たちは、ワイン目当ての巡礼者たちが増えてくると、樽を一つ一つ封印し、証明書を発行するようになった。すでに当時からコピーが出回っていたのである。

17世紀後半、プファルツ継承戦争でヴォルムスの街は焼け野原と化したが、リープフラウエン教会は戦禍をまぬがれた。フランス軍が撤退し、ヴォルムスが再建されたのは18世紀前半。そして1784年、リープフラウエンミルヒの発展に貢献する人物がヴォルムスに現れた。鉄の取引のためにやってきたオランダ人実業家、ペーター=ヨーゼフ・ファルケンベルクである。彼は、リープフラウエンミルヒに惚れ込み、ヴォルムスの女性を妻に迎え、2年後には大聖堂の側にワイン商社を開業した。

フランス革命後、リープフラウエン教会周辺はフランス領となる。そして19世紀初頭、フランス政府主催の国家財産オークションで、カプチン会修道院とリープフラウエンミルヒのぶどう畑が競売にかけられた。当時ヴォルムス市長だったファルケンベルクは、この時の競売で念願の畑の大部分を手に入れ、自社ワインを造り始めたのである。

その後ファルケンベルク社は、自社のリープフラウエンミルヒを英国各地のレストランやパブに売り込み始めた。当初このビジネスはうまくいかなかったが、19世紀半ばにビクトリア女王が、ラインガウのホッホハイムにぶどう畑を所有するザクセン王子アルベルトと結婚したことが契機となり、英国王室でドイツのラインワイン「ホック」(ホッホハイムのワインの呼称)がもてはやされ、リープフラウエンミルヒも売り上げを伸ばした。20世紀初頭、イギリスのワイン商は、同社のリープフラウエンミルヒをシャトー・マルゴーなどの偉大なボルドーと同価格で販売していたという。

しかし、この時期、ファルケンベルク社の成功を目のあたりにした、他のドイツのワイン業者たちが、一斉にリープフラウエンミルヒのコピーを売り始めた。ファルケンベルク社は、オリジナルのリープフラウエンミルヒの1本1本に、かつてのカプチン会の修道僧のように、生産地と品質を保証する印章を押し、コピー商品の防止につとめた。しかし、リープフラウエンミルヒの需要は増える一方で、ファルケンベルク社も「リープフラウエン教会の塔の一番長い 影が届く範囲」を越え、ぶどう畑を拡張する。

1908年のドイツワイン法改正時に、ファルケンベルク社は、リープフラウエンミルヒという名称を「自らの畑の固有名」としてその使用権利を主張するか、現状に合わせ、「ラインワインの総合名称」として認めるかの選択を迫られ、同社は後者を選んだ。18ヘクタール程度のぶどう畑では、世界の需要を満たすことはできないからだ。当時、ライン川沿いの多くの醸造所が、リープフラウエンミルヒのコピーを生産することで生計をたてていたが、ファルケンベルク社の決断は、これらのワイナリーの経済的破綻を救うことにもなった。オリジナルのリープフラウエンミルヒの畑は、この時「リープフラウエンシュティフ ト(リープフラウエン修道院/Liebfrauenstift)」と改められた。

リープフラウエンシュティフト
シェーブス醸造所のリープフラウエンシュティフト・
キルヒェンシュトゥック(リースリング)

その後、2度の世界大戦を経ても、リープフラウエンミルヒ熱は冷めることを知らなかった。そして1971年に、再度ワイン法が改正され、オリジナルのリープフラウエンミルヒの畑は、今度は「リープフラウエンシュティフト・キルヒェンシュトゥック(リープフラウエン修道院教会区域/Liebfrauenstift Kirchenstück)」と改名され、現在に至っている。

現行のワイン法によると、リープフラウエンミルヒは、ラインガウ、ラインヘッセン、ラインプファルツ、ナーエの4生産地域のぶどうからつくられるワインの種類名である。同じボトルの中には、4地域のうち1地域のワインだけしか入れてはならず、原産地名をラベルに明記しなければならない。一方、ぶどう品種の混合は認められており、ミュラー・トゥルガウ、リースリング、シルヴァーナー、ケルナーの4品種のいずれかが最低75%含まれていればよい。 味は半辛口から甘口。リープフラウエンミルヒは、口当たりがよく、安価な初 心者向けワイン、との定評がある。

21世紀の新生リープフラウエンミルヒ

1990年代の終わりから、ファルケンベルク社のティルマン・クエインス、グッツラー醸造所のゲアハルト・グッツラー、シェーブス醸造所のアルノ・シェーブス、そしてシュポーア醸造所のクリスチャン・シュポーアの4人が、オリジナルのリープフラウエンミルヒの畑「リープフラウエンシュティフト・キル ヒェンシュトゥック」で、偉大なるリープフラウエンミルヒのリバイバルに取 り組んでいる。

ファルケンベルク社は、200年前とほぼ変わることなく、約13ヘクタールを所有、グッツラー醸造所とシェーブス醸造所は、隣り合わせの畑を、それぞれが0,2ヘクタールずつ所有、シュポーア醸造所はファルケンベルク社から1ヘクタールの畑を借りてワインづくりを行っている。「リープフラウエンミルヒは、良くも悪くも、世界で最も有名なワイン。この知名度をプラスに活かしたいと思った」。そうゲアハルト・グッツラーは言う。

2003年、ゲアハルトの醸造した過去5年のヴィンテージが厳しい審査に通り、ドイツ名醸ワイン生産者協会(VDP)は、リープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックの一部をグローセス・ゲヴェックス(特級畑)に認定。以後、VDP会員であるグッツラー醸造所は、この畑のリースリングをグローセス・ゲヴェックスとして市場に出している。彼の凝縮したリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックは、専門家たちの間で定評がある。

リープフラウエン教会とワイン畑
リープフラウエン教会とワイン畑
© Stadtmarketing Nibelungenstadt Worms

アルノ・シェーブスもゲアハルトとともに、1998年からリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックを生産している。友人同士である2人は、共同で畑作業を行っている。2人は土壌の特色を最大限に活かすため、62センチ間隔、1ヘクタールあたり約8000本という密植を試みている。「こうすると、ぶどうの樹はお互いに競い合って、地中深くに根をおろし、土壌の性格をより反映してくれる」。そう2人は言う。畑を購入した時に植わっていた、樹齢30年を越えるリースリングはそのまま活かし、新たに植樹する場合は、そのリースリングの古木の枝を接ぎ木して植えるという徹底ぶりだ。

アルノは毎年最良の状態で収穫したぶどうから、1種類の辛口ワイン「キルヒェンシュトゥックQ.b.A」を生産している。「収穫はすべて手作業、極端なまでのぶどうの選別作業を行っているため、できあがるワインは年間600本だけ」だそうだ。彼のリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックには秘められた、力強い味わいが感じられる。「僕は、リープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックの畑のすぐそばで生まれたので、この畑にとても愛着がある。僕は、繁栄と没落、そして復活、という物語を信じる。僕たちのリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックが、かつての名声を取り戻すことは、きっと可能だと思う」。そうアルノは意気込む。

「マドンナ」ブランドのリープフラウエンミルヒで有名なファルケンベルク社が本格的にこのプロジェクトに取り組み始めたのは、2001年にティルマン・クエインスが醸造責任者に抜擢されてから。13ヘクタールあるため、あらゆるランクのワインが生産されている。生産本数は年間約6万本で、すでに、アメリカ、スカンジナヴィア諸国のほか、シンガポール、香港、台湾にも輸出している。ティルマンのリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックは、いずれもエキゾティックな果実の味と香りに満ちたエレガントな仕上がり。純粋培養酵母を使い、18度で発酵させている。「リープフラウエンシュテイフ ト・キルヒェンシュトゥックは偉大なる歴史をもつ畑。そこに魅了される」そうティルマンは言う。


アルノ・シェーブス、ティルマン・クエインス
、クリスチャン・シュポーア、ゲアハルト・グッツラー(左から順に)

クリスチャン・シュポーアは、2003年からリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックで、リースリングとシャルドネを50%ずつ栽培している。「リープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックは複雑な構成の土壌なので、できあがるワインにも複雑味が出る」と言う。クリスチャンのリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックは、同じ畑ながら、他の3人のそれよりスパイシーな味わいだ。

4人の造り手たちの生み出すオリジナルのリープフラウエンミルヒは、いずれもそれぞれの個性が表現された極上ワイン。伝説のリープフラウエンミルヒはすでに復活している。それは、14、5世紀の巡礼者たちが絶賛し、19、20世紀の英国王室が魅了された味に限りなく近いだろうか。

筆者プロフィール
岩本順子 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書においしいワインが出来た!―名門ケラー醸造所飛び込み奮闘記 (講談社文庫)ドイツワイン 偉大なる造り手たちの肖像 他。
 
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