Hanacell

輝け、原石たち
日本を飛び出し、ドイツで切磋琢磨する "若き血潮" を紹介します。


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1981年 東京都生まれ
2000年 東海大学政治経済学部 中退
2001年 アジアを旅する
2002年 スタジオアシスタントとして東京で活動
2007年 渡独。フリーのアシスタントとしてAndre Rival氏らの撮影をアシスト
2008年〜 フリーのフォトグラファーとして活動。ベルリン在住
バックパッカーとして回ったアジア旅行で写真を撮る面白さに目覚め、この道を歩みだした。左のポートレートは、Andre Rival氏のアシスタントをしていた際に試し撮りで撮られた1枚。 http://web.mac.com/shinjiminegishi/

人生の、または歴史の一瞬を切り取る写真。誰もがカメラを手に思い出を映し出す現代において、入り口は限りなく広く、同時に底なしの奥深さを秘めているフォトグラファーの道。この厳しい道を歩み始めた峯岸進治さんに出会った。場所は、数多のフォトグラファーが凌ぎを削るベルリンの地。

1990年代後半、ドイツのフォトグラファーが世界を席巻していたという。アンドレアス・グルスキー氏やトーマス・ルフ氏ら、ベッヒャー派(Bernd & Hilla Becher夫妻の教え子)の写真がアートシーンに大きな影響を与えた。彼らの作品に刺激を受け、憧れを抱いていた峯岸さんが、初めてドイツを訪れたのは2005年。

「ベルリンがそのとき、1番未完成な場所だった。あちこちが工事現場、中央駅もまだ工事中で、これからどんどん何かが変わる。何かが起こりそうな予感に溢れていた」と、ヨーロッパのほかの街にはないエネルギーを感じたという。

2007年からベルリンに移り住み、フリーのアシスタントから始めた峯岸さんにとって、1番の師匠はアンドレ・リヴァル氏。ベルリンのスターフォトグラファーだ。「日本にいるときから彼のファンだった」と言う峯岸さんは、フリーのフォトグラファーとなった今でもリヴァル氏の撮影に同行することがある。元F1レーサー、ミヒャエル・シューマッハーやFDP党首ギド・ヴェスターヴェレなど、面白そうな撮影現場に行くときはリヴァル氏から誘いが掛かると、ちょっと誇らしげに教えてくれた。真剣に写真と向き合い、大真面目に楽しむ峯岸さんの姿勢をリヴァル氏が認めていることは、話を聞く中で十分に伝わってきた。

峯岸さんの作品にベルリンのテレビ塔の連作がある。目で見たまま美しいもの、面白いものを撮りたいという彼のスタイルをよく表現している。街の中で一際目立つテレビ塔を、いろんな場所から撮り続ける。彼なりのユーモアとアイロニーのスパイスを効かせて。さて、明日はどんな写真を撮るのだろう?

(編集部:高橋 萌)


ベルリンのテレビ塔と街の風



撮影中の峯岸さん



Per Carlsson氏のポートレート



愛用のカメラ“Linhof Technika”

 
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