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消えゆく夜行・長距離列車

「夜行列車」という言葉には、洋の東西を問わず旅心を誘う響きがあります。今年の3月限りで日本のブルートレインは全廃されることになりましたが、残念ながら欧州でも、夜行列車や長距離列車は縮小傾向にあります。昨年12月14日のドイツ鉄道(Deutsche Bahn)のダイヤ改正で、いくつもの歴史ある列車が姿を消しました。

この改正で廃止になったのは、ベルリン発(およびハンブルク、ミュンヘン発)パリ行き、プラハ発ベルリン経由コペンハーゲン行きなど計6本のシティーナイトライン(CNL)。ただし、格安航空や格安長距離バスとの競合により、利用客が減ったとは一概に言えない部分があるようで、例えばベルリンとパリを結ぶCNL「ペルセウス」は乗車率も高く、特に個室寝台は予約が取りにくいほどでした。ところが、車体が古いため利用者のニーズに対応できず、また、フランス鉄道側の線路や駅の使用料が高額といった要因が廃止の決め手になったと言います。私は2003年にパリからこの列車に乗ったことがあります。3段ベッドの簡易寝台はさすがに狭さを感じましたが、心地良い横揺れとともによく眠れましたし、何より朝起きたらベルリンに着いていたのが魅力でした。食堂車横のスタンドバーで、ほかの旅行者と語らいながら飲んだことも、今となっては良い思い出です。

シティーナイトライン
廃止されたパリ東駅行きのシティーナイトライン(ベルリン中央駅にて。2013年6月撮影)

夜行列車以外にも、今回の改正でベルリンとウィーンを結ぶユーロシティーなど、何本かの長距離列車が消えました。象徴的だったのは、ベルリンとポーランドのヴロツワフ(ドイツ語ではブレスラウ)間を走るユーロシティー「ヴァヴェル」の廃止です。ベルリンからかつてドイツ領だったシレジア地方の中心都市ブレスラウまでは、実に1853年以来、直通の特急列車が結んでいました。ポーランドの古都クラクフにあるヴァヴェル城に因んだこの列車は、もともとハンブルクとクラクフ間を12時間半掛けて結んでいましたが、2012年にヴロツラフまでに短縮された後、その翌年に運行を開始した同じドイツ鉄道による高速バスに利用客を奪われたこともあって、今回の廃止が決まりました。昨年12月13日にベルリン中央駅を出た最終列車の客車はわずか2両編成。しかも、暖房設備の故障で発車が20分遅れるという悲しい幕切れとともに、由緒ある列車はポーランドへと旅立って行きました。

欧州の鉄道の旅の魅力は、国境を越えるたびに車掌のアナウンスや乗客の話す言葉が変わったり、朝目が覚めると異国の地に着いていたりといった、多様に交錯する文化や歴史をじかに体感できることにあると思います。そんな旅の道程の楽しさそのものを味わわせてくれる列車が消えつつあるのは残念なことです。

表示板
かつてはハンブルク―クラクフ間を結んでいたユーロシティー「ヴァヴェル」の表示板

 
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中村さん中村真人(なかむらまさと) 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。現在はフリーのライター。著書に『ベルリンガイドブック』(学研プラス)など。
ブログ「ベルリン中央駅」 http://berlinhbf.com
守屋健(もりやたけし)
ドイツの自動車、ビール、そして音楽に魅せられて、2017年に渡独。現在はベルリンに居を構えるライター。健康維持のために始めたノルディックウォーキングは、今ではすっかりメインの趣味に昇格し、日々森を歩き回っている。
守屋 亜衣(もりや あい)
2010年頃からドイツ各地でアーティスト活動を開始し、2017年にベルリンへ移住。ファインアート、グラフィックデザイン、陶磁器の金継ぎなど、領域を横断しながら表現を続けている。古いぬいぐるみが大好き。
www.aimoliya.com
佐藤 駿(さとう しゅん)
ドイツの大学へ進学を夢見て移住した、ベルリン在住のアラサー。サッカーとビールが好きな一児のパパです。地元岩手県奥州市を盛り上げるために活動中。
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