ライプツィヒのランドマークといえば、旧市街にある聖トーマス教会や旧市庁舎、バッハ像などの歴史的スポットがまず思い浮かぶかもしれません。しかし、地元の人々に親しまれているシンボルの一つに「Löffelfamilie」(スプーン家族)というユニークなネオンサインがあります。ライプツィヒ南部のカルチャースポット「FEINKOST」の建物に取り付けられており、半円形のテーブルを囲んで座る4人家族が、スプーンを手に食事を続けるような動きを繰り返すという仕掛けで、訪れる人々の目を引いています。
FEINKOSTに掲げられた、Löffelfamilieの看板
FEINKOSTは、1852年にビール醸造所として建てられた歴史ある建物。第一次世界大戦後の経済不況をきっかけにビール生産は停止され、その後はピクルスやジャムなどを製造する缶詰工場として使われるようになりました。敷地内には「ギルデンザール」と呼ばれる大ホールや、社交のための小部屋もあり、ビリヤードや写真クラブ、アマチュア演劇など、当時から多彩な文化活動が行われていたといいます。
訪れた日は、フリーマーケットが開催されていました
しかし1933年2月、ナチスが政権を掌握すると、こうした文化活動は全て中止されました。第二次世界大戦中、この敷地は強制労働者の収容所として利用され、フランス、ベルギー、ウクライナ、ハンガリー、ポーランドなどから最大185人が連行され、ライプツィヒの企業のために働かされたと記録されています。
戦後、この施設は東ドイツ(DDR)政府により国営化され、「VEB ライプツィヒ・ファインコスト」として再出発しました。缶詰やジャム、果物のペーストなどを生産する食品加工工場として機能するなかで、Löffelfamilieのネオンサインも登場します。ある逸話によれば、旧ユーゴスラビアの国家元首が東ドイツの指導者エーリッヒ・ホーネッカーとの会談時、「DDRの街並みはあまりにもくすんでいる」と指摘したそうです。それを受けてホーネッカーが街に彩りを与えるキャンペーンを開始し、その一環としてこのネオンサインも設置されたといわれています。
ドイツ再統一後、この場所はしばらく空き家となり、Löffelfamilieのネオンも荒廃していきました。しかし、市民イニシアティブによる大規模な募金活動で、看板の修復が実現。さらに、若者たちによる不法占拠を経てこの場はパーティーや集会の場所となり、やがて芸術と手工業の協同組合「FeinkosteG」が設立され、公開入札を経て正式にこの敷地の所有者となりました。
FEINKOSTに入居している「Goldstein & Co」では、古い家具を修理して販売。店内ディスプレイがとっても美しいです
現在では、アーティストやデザイナー、家具工房、靴屋、絵本屋、古着屋などが入居し、FEINKOSTはライプツィヒを代表するカルチャースポットとして広く知られた存在です。毎月開催されるフリーマーケットのほか、夏には野外映画館や演劇イベントが行われるなど、多くの人々でにぎわいます。色鮮やかなネオンで光るLöffelfamilieは、今も街の日常に溶け込みながら存在感を放ち続けています。
三重県生まれ。ベルリン、デュッセルドルフを経て、現在はライプツィヒ在住。日本とドイツで芸術学・キュレーションを学び、アートスペースの運営や展覧会・ワークショップの制作などに従事。2019年からドイツニュースダイジェストの編集者。