ミュンヘンの歴史を知る 日本語の街歩きツアー

観光地として人気のミュンヘンは、経済的にも豊かな大都市として知られています。ところが今日のように発展したのは、1972年のミュンヘンオリンピック以来。それまでは、インフラの整っていない小都市に過ぎなかったことを、皆さんご存知でしたか?

市庁舎の回廊にて市庁舎の回廊にて

このたび、歴史家のフリードリヒ・レーラー=エルトルさんの「ミュンヘンの歴史を日本の皆さんに紹介したい」との願いを受け、ミュンヘン日本語キリスト教会主催で「ミュンヘン歴史探訪ウォーキングツアー」が企画されました。参加費は無料で、通訳はフリードリヒさんの友人の声楽家、髙木太郎さんにご協力いただくことに。ミュンヘン日本人会に案内を出すと、申込者が殺到し、皆さんの興味の高さがうかがえました。

当日、小雨をものともせず、申込者全員がマリエン広場に集合してツアーがスタート。ドイツの村や街ができるパターンとして、まず中心にキリスト教会が建てられ、その周りに市場が開かれる広場ができ、だんだんと人が増えて街が広がっていくというのが一般的です。ミュンヘンも同様で、そのスタートはマリエン広場の向かいにあるペーター教会でした。当時はフライジングの街が発展しており、その近くに修道士たちが集まるための場所として、何もない静かなミュンヘンが選ばれたのだとか。そのためミュンヘンの語源は、修道士を意味するMönch(メンヒ)なのだそうです。

三位一体教会の前にて。企画者のフリードリヒさん(右)と通訳の髙木さん(左)三位一体教会の前にて。企画者のフリードリヒさん(右)と通訳の髙木さん(左)

その後、アルプスを産地とする塩の流通で、ミュンヘンは少しずつ発展していくことに。ビールも同じルートで流通するようになり、徐々にビールの街としても知られるようになりました。ルターによる宗教改革が起こった際、ミュンヘン住民の70%はプロテスタントを支持したのですが、当時の領主がカトリックを選択したので、ミュンヘンはカトリックにとどまることになりました。これには、プロテスタントを支持する豪族たちの力を抑える狙いがあったとのこと。宗教が政治に利用されるのは、今も昔も変わりませんが、純粋に信仰を持ちたい人にとっては困った話です。

その後、ミュンヘンは「ドイツのローマ」と呼ばれるくらい、カトリック色の強い街になりました。日本にイエス・キリストを伝えたフランシスコ・ザビエルは、イエズス会の英雄としてミュンヘンで人気が高いそう。歩行者天国に面した聖ミヒャエル教会には、ザビエルと長崎の26聖人の殉教の絵があるので、訪れる際には探してみてください。

1時間半のツアーを終えて、参加者は全員大満足。早くも、次回は「ミュンヘンと音楽」「ミュンヘンとビール」などのテーマで企画してほしいという声が挙がっていました。

井野 葉由美(いの はゆみ)
イエス・キリストに出会って、声楽専攻から牧師に転身。2022年よりミュンヘン日本語キリスト教会牧師。今でも少女マンガ、オペラ、ダンスは大好きです。 www.muc-japan-christ.com/

 
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