Hanacell

ドイツ人と旗への熱狂

南アフリカで行われたサッカーのワールドカップで、ドイツ・チームは例年とは違った鋭いプレーを見せ、3位になった。中でも私の目を引いたのは、テレビにかじりついて自国の選手を応援するドイツ人たちの、国旗への熱狂ぶりである。

黒・赤・金の国旗の色を顔に塗った若者。この三色に塗り分けられた帽子、花輪、ブブゼラ。大きな国旗をまとった少女。国旗の色のバンダナを首に巻いた飼犬も見た。車などに旗を取り付け、クラクションを鳴らして勝利を祝う人々。車のサイドミラーに国旗の色のカバーをかぶせるドライバー。アパートの窓から国旗を垂らすだけではなく、庭にポールを立てて国旗をはためかせている住民も目立った。

ドイツが英国を破った日、私は12万人が押し寄せて勝利を祝ったレオポルド・シュトラーセの近くに居合わせたのだが、ファンたちは地下鉄の中で踊り出し、ブブゼラを吹き鳴らす始末。熱気でむんむんの車内は、国旗の洪水だった。

サッカーの試合の応援のために、国内にドイツ国旗が溢れかえるようになったのは、2006年にドイツで開催されたワールドカップからである。西ドイツは、ナチスが第2次世界大戦で欧州に大きな被害を与えたことから、戦後半世紀にわたって国旗に対して一種のコンプレックスを抱いてきた。ナチスは、無数のハーケンクロイツの旗を国威発揚の道具として使った。その反動として、戦後の西ドイツでは多数の人々が旗に愛着を示すことをためらっていたのだ。旗がナショナリズムを体現するものと考えられたからであろう。

だが2006年のワールドカップ以降、ドイツ人はこのコンプレックスをきれいさっぱり打ち捨て、ほかの欧州の国民と同じく、ナチスの過去にこだわることなしに国旗を顔や服に付けるようになった。これはドイツ統一がもたらした新しい現象であり、この国が第2次世界大戦の後遺症から脱して「普通の国」へ近付きつつあることを示している。サッカー・ナショナリズムが外国人排撃につながったり、過剰な国粋主義をあおったりしているわけではないので、目くじらを立てるべき現象ではない。2006年のドイツ大会の際に行われた世論調査によると、「ドイツ人であることに誇りを持つ」と答えた人は、ワールドカップの期間中にドイツが勝ち進んでいる時には著しく増えたが、大会が終了すると、急速に通常の水準に戻っている。

だが今回の南アフリカ大会では、奇妙な現象もあった。ドイツの対オーストラリア戦で、クローゼ選手がシュートを決めた後、実況中継をしていた公共放送ZDFの女性キャスターが「これはクローゼにとって、innerer Reichsparteitag(心の中のナチス党大会)であるに違いありません」と語ったのである。ライヒス・パルタイタークとは、ナチスがニュルンベルクなどで開いた全国党大会で、ハーケンクロイツの旗がたなびく中、何十万人もの市民がヒトラーに熱狂的に歓呼の声を送った。その模様は、レニ・リーフェンシュタールの宣伝映画「意志の勝利」に収められている。ナチスは旗の洪水によって、人々の理性を失わせたのである。なぜ女性キャスターがワールドカップをナチス党大会と結びつけたのかは、わからない。市民からこの愚かなコメントについて批判が集中し、ZDFもきちんと謝罪したことは評価したい。

サッカーをきっかけに祖国に誇りを持つ健全なナショナリズムは、一向にかまわない。しかしスポーツの熱狂をナチス時代とからめるような発言は、一時的な脱線であったとしても、ごめんである。

23 Juli 2010 Nr. 826

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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