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Oliver Was­ser­mann
Fr. 26. Apr. 2019

グッテンベルク・最大の試練

ドイツで最も人気の高かった政治家、カール=テオドール・ツー・グッテンベルク国防大臣の華々しい経歴に黒い影が落ちた。グッテンベルク氏は2006年に書いた学位論文に他人の文章を多数使いながら、引用の事実を脚注として明記していなかった。彼は2月21日に「重大な過ち」を犯したことを認め、バイロイト大学から授与されたドクターの称号を返却したのである。

彼の論文盗用問題に関するインターネットのフォーラムGuttenPlag Wikiは、「393ページの内270ページに、出典が明記されていない文章がある」と主張している。これまでいくつかの試練を難なく乗り越えてきたグッテンベルク大臣だが、今回は自らの責任を認めざるを得なかった。

なぜ無断引用がこれほど大きな問題になったのか。それは、グッテンベルク氏がキリスト教社会同盟(CSU)のゼーホーファー党首はおろか、メルケル首相をもしのぐ人気を持つ政界のスターだったからである。貴族の血筋、39歳の若さ、裕福な家庭、ハンサムで細身のスタイル、とんとん拍子の出世、オペル救済問題で示した地位に固執しない潔さ。庶民の心をくすぐる資質と、ドイツには珍しいカリスマ性を持った政治家だ。普段、政治には全く興味を示さない若いドイツ人たちも、「グッテンベルク」の名前を聞くと強い関心を示し「ぜひ、首相になってほしい」などと言っていた。

私は昨年、バイエルン州のトゥッツィングでグッテンベルク氏の演説を聞いたが、彼がビール祭の会場に到着すると、テント内の聴衆は総立ちで拍手を送った。まるでマイケル・ジャクソンがやって来たかのような熱狂ぶりである。この人物は、いつの日にか連邦政府の首相になるのではないかと思った。CSUのある政治家は、「演説の内容自体は、ほかの政治家と大して変わりないのだが、グッテンベルク氏が話すと聴衆にうけるのだ」と語っていた。

数年前アフガニスタンでドイツ人将校が命じた空爆によって、民間人に多数の死傷者が出た。国防省はそのことを知っていたのに、初めの内「死亡したのはテロリストだけ」と発表していた。この事実をマスコミがすっぱ抜いた時に、国防大臣になったばかりのグッテンベルク氏は「連邦軍の総監が全ての事実を私に伝えていなかった」として総監を解任。議会で野党から一時追及されたが、この問題はいつの間にか世間から注目されなくなった。またグッテンベルク氏はアフガニスタンに駐留しているドイツ軍の兵士を訪問した際に、妻だけでなくテレビ番組の司会者も連れて行き、連邦軍の基地でトークショーの収録をさせたことがある。この時にも野党は「不謹慎だ」と批判したが、その声は立ち消えになった。経歴に傷が付かなかったのは、グッテンベルク氏に対する圧倒的な人気のためである。

だが今回のスキャンダルは、彼の名声と信用性に深い傷を付けた。彼に対する支持率が下がることは避けられないだろう。CSUのゼーホーファー党首は、ライバルが世間の袋叩きになっていることで、秘かに喜んでいるに違いない。

しかしドイツの庶民は、グッテンベルク氏を愛している。ある大衆紙は「ドクターの称号なんてどうでも良い。我々の好きな政治家をいじめるな」という見出しを使っていた。彼は当分の間、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の暮らしを送らなくてはならないが、39歳と言う年齢を考えると、彼がいつの日か政治家としての人気を回復する可能性は、全くゼロとは言えない。

4 März 2011 Nr. 857

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題を中心に取材、執筆を続けている。著書に「ドイツの憂鬱」、「新生ドイツの挑戦」(丸善ライブラリー)、「ドイツ病に学べ」、「住まなきゃわからないドイツ」、「びっくり先進国ドイツ」(新潮社)など。
http://www.tkumagai.de
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