Hanacell

ホームメード・テロリストの時代

今年3月3日、ドイツの治安当局が恐れていた事件がついに発生した。フランクフルト空港前の駐車スペースで、コソボ出身の20歳のイスラム教徒が米軍兵士の乗ったバスに近付きピストルを乱射。2人を射殺し、ほかの2人に重傷を負わせたのである。兵士たちはラムシュタイン空軍基地へ向かう途中だったが、犯人は彼らに声を掛けて米軍の兵士であることをわざわざ確認していた。死亡した兵士たちは、数日後にアフガニスタンに向けて出撃する予定だった。

犯人のアリド・Uは1990年に旧ユーゴスラビアのコソボ自治州で生まれたが、ドイツに移住して国籍を取得していた。コソボのイスラム教徒の中にはセルビア軍による迫害と戦争を逃れてドイツへ亡命した者が少なくない。アリドも両親と共にドイツに逃れてフランクフルトで育った。だが、彼はイスラム系過激派が情報交換に使っているウェブサイト「ダワ」にメッセージを発表していた。さらに、フランクフルト近郊のモスクでイスラム教徒の若者たちに過激思想を吹き込んでいた、モロッコ系の宗教指導者シーク・アブデラティフとも接触があった。アリドはドイツで青春時代を過ごしながら、ドイツ人社会からは孤立し、欧米を敵視するイスラム過激派の思想に染まって行ったのである。米軍兵士を狙ったのは、アフガニスタンでタリバンと戦う米軍に報復するためであろう。

この事件は、アリドの単独犯行と見られているが、イスラム過激派がドイツで死傷者を出した初めてのテロ攻撃である。治安当局がこの事件を重大視しているのは、アリドが「危険人物」として警察や憲法擁護庁に全くマークされていなかったことである。警察は彼に過激思想を吹き込んでいたアブデラティフを事件が起きる前の週に逮捕していたが、アリドは捜査の網の目からすっぽりと抜け落ちていた。

欧州の治安当局は、アリドのように移民の子として育つ過程で過激思想に染まり、テロに走るいわゆる「ホームメード・テロリスト」を極めて危険視している。彼らはテロを実行するために国外から潜入するわけではなく、多民族社会である欧州で市民として生活しているので目立たない。だが家ではインターネットを通じて欧米を敵視す思想を吹き込まれる。アラブ革命を可能にしたインターネットは、若者を洗脳する道具としても使われるのだ。

2005年にロンドンで地下鉄とバスを狙った自爆テロが発生し、通勤客ら56人が殺害され、約700人が重軽傷を負ったが、この事件を起こしたのも、英国で移民の子どもとして育った「ホームメード・テロリスト」たちだった。今この瞬間にも、欧州のあちらこちらでイスラム教徒の若者たちの一部が社会に疎外感を抱き、扇動家の過激思想に誘惑されつつある。

欧州各国の政府は、警察的な手法や諜報機関による監視だけでは「ホームメード・テロリスト」の根を絶つことはできない。社会に溶け込むことができない移民の鬱屈、イスラム教徒に対する社会の偏見、拡大する所得格差、都市の一部地域に貧しい移民たちが集中する「ゲットー化現象」、移民とそれ以外の市民が交流せずにそれぞれの社会に閉じこもる「パラレル・ワールド現象」などの社会問題に本格的に取り組まない限り、第二・第三のアリドが生まれることは、ほぼ間違いない。21世紀の欧州社会を悩ませる、深刻な問題である。

17 Juni 2011 Nr. 872

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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