Hanacell

ガウク大統領に望む

「Was für ein schöner Sonntag(なんと素晴らしい日曜日だろう)」。第11代大統領に選ばれたヨアヒム・ガウク氏は、最初の演説をこの言葉で始めた。

彼が大統領に選ばれた3月18日は、くしくも22年前に社会主義国、東ドイツで、最初にして最後の民主選挙が行なわれた日である。したがって、彼にとってこの日付は二重の意味で忘れられない日なのだ。彼は演説の中で、初めて東ドイツ人が「市民」として自分の政府を選ぶ作業に加わることができた日の感動を、見事に表現している。彼の言葉には、我々がふだん当然のように思っている「自由」の尊さ、そして民主社会での自由は、政府を選ぶという「責任」でもあるのだという主張が込められている。

ガウク氏は東ドイツの市民運動に身を投じ、統一後は秘密警察シュタージの文書を分析し、市民に公開する管理局の初代局長となった。歴代の大統領と異なり、波乱の人生を歩んできた人物である。これまでの大統領よりも、「市民の代表」という印象を与える。

牧師になる前はジャーナリストを目指していたガウク氏は、以前から演説が巧みであることで知られていた。連邦議会での演説も、聴く者の心に訴えかけるものだった。それは彼が自分自身の言葉で語ったからであろう。

ガウク氏の鼎(かなえ)の軽重が問われるのは、これからだ。多数の演説をこなさなければならない大統領の演説の大半は、連邦大統領庁の官僚が書く(私の知人の若い外交官は、ローマン・ヘルツォーク大統領の演説を書くチームの1人として働いていた)。

役人が書く演説に、ガウク氏は自分の持ち味を付け加えていかなければならない。大統領としての最初の演説で東独時代の経験を語ったことは理解できる。しかし、旧西独も代表する連邦大統領の任務は、東独の経験だけを生かして行なえば良いというものではない。

彼がドイツ統一後に行なった発言は、ネオリベラル的な市場経済主義の信奉者という印象を与える。脱原子力政策についても、「これほど重要な問題を、市民の感情だけで決めるべきではない」と、多くのドイツの市民の考え方とは逆の発言を行なっている。

欧州が陥っている深刻な債務危機、リーマンショックに代表されるグローバル資本主義経済の危うさと市民の不満、所得格差の拡大、不安定さを深める中東とアフリカ。これらの難題に、ガウク大統領はどのようなメッセージを送っていくのだろうか。その意味で、彼が連邦大統領庁の長官にシュタージ文書管理局の広報課長だったダヴィッド・ギル氏という古くからの知人を任命し、「旧東独閥」で固めたことには、いささか首をひねった。グローバルに活動しなくてはならない連邦大統領には、もう少し広い視野が必要なのではないか。

私がガウク氏に最も強く望むことは、ケーラー氏、ヴルフ氏の任期満了前の辞任によって深く傷付けられた市民の信頼を回復して欲しいということだ。少なくとも現在のところ汚職事件の捜査対象であるヴルフ氏は、19カ月しか大統領の職を務めなかったにもかかわらず、約50年前に作られた法律に基づき、今後死ぬまで毎年20万ユーロ(約2000万円)の年金と、公用車、ボディーガード、オフィスを国費で与えられる。このことについて、大半の市民が怒っている。「財政赤字と公的債務を減らさなければいけない今日、これだけ多額のコストを掛けて連邦大統領というポストを維持する必要があるのか」という疑問を抱く人もいるだろう。

ガウク氏には、途中でポストを投げ出さずに任期を全うし、国民の「大統領不信」を少しでも緩和して欲しいものだ。

30 März 2012 Nr. 912

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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