Hanacell

旧東独の悲しみ

取材のため、旧東独のテューリンゲン州に行った。ミュンヘンから車で5時間。統一から約22年を経て、インフラの整備は進んだ。3車線の真新しい高速道路は交通量が少なく、走りやすい。社会主義の時代には、国道の路面の状態が悪くデコボコの場所が多かったが、今ではきれいに修繕されており、西側に比べても遜色がない。

我々ドイツの納税者は、22年前から「連帯税」を払い続けている。ドイツは国内総生産(GDP)のほぼ5%を毎年旧東独に注入しているが、少なくとも物質的な面では生活水準は向上したように見える。

しかし、よく目を凝らすと、旧東独の悲しい雰囲気が伝わってくる。アイゼナハ(写真)は、バッハが生まれ、ルターが学校に通った古都だ。社会主義時代には由緒ある建築物を修復する資金がなく、19世紀以来の建物が廃屋として朽ちるままになっていた。しかし今では、これらの建物は見違えるようにリフォームされている。

アイゼナハの中心部にも、19世紀末から20世紀初めに建てられた美しい住宅が数多く残っている。しかし夜になっても、これらの建物には灯りがつかない。建物の多くが空き家になっているのだ。東西ドイツ統一後、建物がせっかく美しく修繕されたのに、借り手がいない。建物はガランとしており、窓に「貸します」「売ります」という紙が貼られている。アイゼナハ市役所付近も、夜になると人通りが少なく、寂しいほどだ。一歩裏道に入ると、修繕されずに朽ち果てた建物が目につく。壁にはポスターがベタベタと貼られ、窓ガラスが割れている。

ゴータは、8世紀の古文書に名前が残る古い町。18世紀から19世紀に栄えた。ドイツ最大の初期バロック建築・フリーデンシュタイン城へと続く坂道には、階段状の噴水が残っており、優雅な雰囲気が漂う。この一角の古建築の大半は美しく修繕されているが、一軒の建物だけが荒廃したままになっており、窓やドア、屋根瓦の絵を描いた大きな布で覆われている。町で最も美しい場所に、廃屋が残っているのは悪い印象を与えるからだろう。

旧東独の最大のアキレス腱は、雇用不足だ。多くの市民が、職を求めて旧西独に移住している。ベルリン人口研究所によると、1989年から2008年までに旧東独から西へ移住した市民の数は、160万人に上る。旧東独の人口は約10%減ったことになる。しかも、西への移住者の60%が30歳未満。つまり旧東独は、高学歴でやる気のある若者たちを失いつつある。旧東独市民の平均年齢は上がる一方だ。

連邦統計局によると、旧東独のすべての州で2010年の人口が、2003年に比べて減少している。テューリンゲン州の人口は、2003年からの7年間で5.8%減った。ゴータ市の人口は、1988年から2011年までに1万1800人減った。実に約21%の減少である。人口の流出は、今なお止まっていない。

旧西独市民の旧東独に対する偏見も根深い。ミュンヘンの知人の中には、アイゼナハがテューリンゲン州にあることを知らない人もいた。ドイツ統一後、旧東独に1度も行ったことがない人も多い。あるバイエルン人は、「私の頭の中には、今も壁がある」と話していた。旧東独が西からの援助を必要とせず、イメージを回復する日はいつのことになるのだろうか。

24 August 2012 Nr. 933

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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