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生誕200周年 ショパンとドレスデン

ポーランドの作曲家フレデリック・ショパンが、最初の大恋愛とその失恋を経験したのはドレスデンでした。2010年3月1日に生誕200周年を迎えたショパンは、ドレスデンに計4回滞在しています。19歳にしてすでにスター・ピアニストだったショパンは1829年8月26日~9月2日にかけて初めてザクセン王国を訪れ、ホテル・シュタット・ベルリン(Hotel Stadt Berlin)に滞在しました。このホテルは聖母教会(Frauenkirche)のすぐ脇にあり、1945年のドレスデン爆撃によって破壊されましたが、その後再建され、QFホテルというモダンなホテルに生まれ変わりました。

ホテル・シュタット・ゴータが建っていた場所のプレート
ホテル・シュタット・ゴータが建っていた場所のプレート

2度目の滞在は1830年、ロシアのポーランド占領によってパリへの亡命を決意し、ドレスデンを経由した際です。11月12日にドレスデンに到着したショパンは、地元市民から大いに歓迎されました。しかし、引きも切らない演奏の依頼に対して「犬のように捉われている」と手紙に書いているように、演奏依頼に対しては辟易気味でした。とはいえ、演奏会ではザクセン王国の王女達に出会う機会を得ました。特に歌手ポトッカ夫人とは終生の友人となり、後にピアノ協奏曲第2番を捧げています。

35年9月19日に3度目の訪問をし、10月3日までホテル・シュタット・ゴータ(Hotel Stadt Gotha)に滞在しました。このホテルはレジテンツ城の後方に位置し、現在この場所にはホテルが建っていたことを示すプレートがあります。この滞在中、25歳のショパンは懇意にしていたヴォジンスキー家の16歳の娘マリアに恋をしました。2人は博物館を訪れたり、エルベ川を散策したり、ピアノを演奏したりして過ごし、ショパンはパリに発つ前に、「別れのワルツ(Op.69-1)」をマリアに献呈しました。

最後の訪問は、36年8月29日~9月11日で、再びホテル・シュタット・ベルリンに滞在しました。この時にマリアの手をとって求婚するも、その後ヴォジンスキー家から婚約を破棄されました。この失恋は後を引き、ショパンの死後に見付かった「我が悲しみ」と書かれた包みの中には、マリアからの手紙などが入っていました。

その後、ショパンは作家ジョルジュ・サンドと世にも有名な大恋愛をします。実は彼女はアウグスト強王の庶子で、フランスの陸軍元帥にもなったモーリス・ド・サックスの曾孫でした。4度目の訪問以降、2度とドレスデンに足を踏み入れることのなかったショパンですが、最後までこの街とは縁があったようです。現在ドレスデンには、ショパンを記念してショパン通り(Chopin Strasse)と命名された通りがあります。

ホテル・シュタット・ベルリン
丸くカーブしている緑のホテルが
かつてのホテル・シュタット・ベルリン

福田陽子さん福田陽子
横浜出身。2005年からドレスデン在住。ドイツ人建築家の夫と娘と4人暮らしの建築ジャーナリスト。好奇心が向くままブログ「monster studio」公開中。
http://yoyodiary.blog.shinobi.jp/
 
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