Hanacell

レポーターが見た、ドレスデンの12年間

他都市への引っ越しのため、今号をもって2007年夏から続けてきましたレポーターを交代することになりました。その総集編としてレポーターが見てきたドレスデンの街について書き留めたいと思います。

初めてドレスデンを訪れたのは2001年の暮れでした。いまやショッピングの中心地として大にぎわいの「アルトマルクト・ギャラリー」はその当時は工事中で、聖母教会は再建中。また、聖母教会が建つノイマルクト広場周辺の建物は何一つ再建されておらず、考古学調査のためにあちこちで掘り返されている状況でした。聖母教会が再建した直後の2005年春からドレスデンで暮らし始めましたが、この街が古文書に「Dresdene」という名で初めて登場した1206年から800年が経過した2006年をきっかけに街中の整備が加速していったように感じます。交通の要となるトラムの停留所が整備され、東独時代から経年変化でくたびれきった巨大な建物が取り壊されて世界中の大都市でみられるようなモダンな建物が建てられていきました。中心地に残る唯一の廃墟「クアレンダー・パレス(Kurländer Palais)」が第二次世界大戦で爆撃を受けたままの無残な姿をさらしていましたが、2008 年には修復されました。現在も一部修復工事が進んでいるレジデンツ城のプラーガー通り側はドレスデン出身の建築家、ペーター・クルカによる中庭のクーポラ(ドーム)を中心として再編成された複合美術館に生まれ変わりました。中でも「緑の丸天井」の修復完了は特に皆が待ちに待っていたもので、完成後にはメルケル首相がロシアのプーチン大統領、そして米国のオバマ前大統領を案内したことも話題になりました。

「君主の行列」と聖母教会
誰もいない早朝の「君主の行列」と聖母教会

また、東独時代にはカフェ文化が衰退していたため、どこかでお茶したいと思っても素敵なカフェが見当たらなかったのですが、近年はカフェのみならず小洒落たレストランのオープンが目白押し。クレジットカードがほぼ使えなかった10年前と比較して飛躍的に使用可能な店が増えたことも特筆すべきことでしょう。

ここ4、5年目立つのは、ホテル及び集合住宅の建設ラッシュです。これはエルベ川に建設された橋を理由に2009年にユネスコ登録を取り消されてもなお、この街が多くの人を魅了している証拠。そして出生率が国内1位のドレスデンは、こぢんまりとした規模に文化や歴史、生活のしやすさが詰まった街で、多くの家族が生活する場として選んでいるといえます。ソフトとハードの両面で大きな飛躍と充実があった12年、ドレスデンにはさらなる成長を期待したいです。

このレポートを通して多くの出会いがあり、また人々をつなぐお役目を果たすことができました。ネタ探しに四苦八苦することは常でしたが、10年間継続できたのも、ひとえに読者の皆様及び編集部の方のお陰と感謝しております。後任の方にバトンタッチしますので、新たな視点と感性からのレポートをお楽しみに。

ツヴィンガー宮殿
ライラックが咲き誇る「ツヴィンガー宮殿」

福田陽子さん福田陽子
横浜出身。2005年からドレスデン在住。ドイツ人建築家の夫と娘と4人暮らしの建築ジャーナリスト。好奇心が向くままブログ「monster studio」公開中。
http://yoyodiary.blog.shinobi.jp/
 
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