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ベルリンの壁崩壊の日に訪れた シュタージ博物館「Runde Ecke」

今年はドイツ再統一から35年。私が住むライプツィヒは、ベルリンの壁崩壊につながる「月曜デモ」が行われていた街であり、ドイツ再統一にまつわるさまざまな博物館があります。1989年にベルリンの壁が崩壊した日である11月9日、これまで行ったことのなかったシュタージ博物館「Runde Ecke」(曲がり角)に足を運んでみることにしました。

当時のまま残る執務室当時のまま残る執務室

この博物館があるのは、ライプツィヒ市中心部ディットリヒリング通りの「曲がり角」。かつては東ドイツ国家保安省(シュタージ)のライプツィヒ地方局として使用されていた重厚な石造りの建物です。この建物は約40年間、街の中心で「恐怖の象徴」として市民を威圧し続けたといい、建物の前を通り過ぎる人々は会話を止め、視線を逸らしたといいます。

しかし1989年12月4日、平和革命の高まりのなかで、ライプツィヒ市民がついにこの建物を占拠しました。月曜デモの参加者たちが掲げた「Runde Ecke - Schreckenshaus, wann wird ein Museum draus」(曲がり角 - 恐怖の館、いつ博物館になるのか)というスローガンは、翌1990年8月に現実のものとなりました。

ニコライ教会の「平和の祈り」に参加する人々も監視されていましたニコライ教会の「平和の祈り」に参加する人々も監視されていました

常設展示「シュタージ - 権力と凡庸性」では、盗聴器、偽造された印鑑やパスポート、郵便物を密かに開封するための道具、さらには市民の体臭を保存するための容器など、監視国家の実態を示す数々の遺物が展示されています。特に印象的だったのは、郵便検閲部門や電話盗聴部門で使用されていた精巧な機器類です。東ドイツ市民の日常生活のあらゆる側面が監視対象となっていたことが、これらの展示から生々しく伝わってきました。また、この博物館ではドイツで唯一、国家保安省地方局のオリジナルの執務室が保存されているほか、拘置所の独房を忠実に再現したコーナーはなんだか息が詰まりそうでした。

変装用のカツラ。これはさすがにバレるのでは……?変装用のカツラ。これはさすがにバレるのでは……?

現在、建物の大部分は連邦文書管理局が使用しており、10キロメートルに及ぶシュタージ文書の整理・保管に当たっています。市民はこの機関でシュタージが自分についての記録を持っているかどうかを確認し、必要に応じて閲覧することができます。

ドイツ再統一から35年がたち、この街に住んでいる人たちに東ドイツ時代のことを聞くと、「良い面もあったし、悪い面もあった」と懐かしそうに、ときに複雑そうに語ってくれます。重い歴史に向き合うことは決して楽なことではありませんが、それでもこの場所に人々が足を運び、歴史を語り継いでいくことの大切さをあらためて感じました。

編集部 O
三重県生まれ。ベルリン、デュッセルドルフを経て、現在はライプツィヒ在住。日本とドイツで芸術学・キュレーションを学び、アートスペースの運営や展覧会・ワークショップの制作などに従事。2019年からドイツニュースダイジェストの編集者。
 
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