ジャパンダイジェスト

ゾーリンゲンのテロと難民政策をめぐる激論

8月23日にノルトライン=ヴェストファーレン(NRW)州のゾーリンゲンで発生したシリア難民による無差別殺傷事件を巡り、政党間で激しい議論が行われている。

襲撃事件が発生した現場付近に花を捧げている人々襲撃事件が発生した現場付近に花を捧げている人々

テロ組織ISが犯行声明

この日ゾーリンゲンでは、「多様性のためのフェスティバル」と名付けられた650周年記念祭が行われていた。シリアからの亡命申請者イッサ・アル・H(26歳)は、街の広場にいた市民たちをナイフで次々に切りつけ、3人を殺害し、8人に重軽傷を負わせた。Hは翌日警察に自首して逮捕された。テロ組織イスラム国(IS)は、「われわれの戦士が、パレスチナなどのイスラム教徒の仇を討つために、ドイツでキリスト教徒を攻撃した」という犯行声明を発表。このためドイツ連邦検察庁は、ISの指示に基づく無差別テロの疑いがあるとして、Hを追及している。現場にはオーラフ・ショルツ首相やNRW州のヘンドリク・ヴュスト州首相らが訪れ、犠牲者に献花した。同住民だけではなく、全国の市民がこの惨劇に強い衝撃を受けている。

本来Hは、昨年ドイツから追放されているはずだった。そうした難民が国に居残り、市民の命を奪う。この不条理は、欧州連合(EU)の難民政策が機能していない証拠だ。Hはシリアからブルガリアに到着し、2022年12月に不法にドイツに入国した。EUのダブリン協定によると、難民は最初にEUに入域した国で、亡命申請を行わなくてはならない。しかし多くの難民は、社会保障が手厚いドイツで亡命を申請しようとする。入国管理当局はHのドイツでの亡命申請を却下し、ブルガリア政府もHの受け入れに同意。Hは2023年にブルガリアへ追放されるはずだった。しかしHが行方をくらましたため、入国管理当局は彼をブルガリアへ追放することができなかった。本来ならばドイツに違法に入国し、しかも逃亡した難民は、逮捕されて国外に追放されるはずである。

ところが奇妙なことに、入国管理当局はHを逮捕するために、警察を通じてHを全国に指名手配しなかった。さらに不思議なことに、Hは昨年12月に多くのシリア難民が受ける「仮の保護措置」を適用され、ゾーリンゲンの難民滞在施設に滞在することを許されていた。HとISの関連は、解明されていない。彼がドイツでテロを行うために、ブルガリア経由でこの国にやって来たのか、もしくはドイツにいる間にインターネットなどを通じてISの過激思想に感化されたのかどうかも明らかにされていない。

ドイツ政府は昨年、滞在資格がない5万3000人の外国人を国外追放するはずだったが、実際に追放されたのは2万1000人に留まった。外国人を移送する係員、警察官などが不足していることが一因だ。ドイツからの退去を義務付けられている外国人の数は、約24万人に上る。そのうち80%は、健康上の理由や人道的な理由により、強制退去を免れている。さらに、滞在法第60条の規定により、アフガニスタンとシリアからの外国人については、母国で拷問されたり死刑に処させられたり、戦争に巻き込まれたりする可能性がある場合には、送還を禁止されている。

保守政党は難民規定の厳格化を要求

政治家たちの間からは、難民規定を厳しくするよう求める声が相次いでいる。キリスト教民主同盟(CDU)のフリードリヒ・メルツ党首は、8月24日にドイツ第2テレビ(ZDF)のインタビューで、「シリアとアフガニスタンからの難民受け入れを停止するべきだ」と語った。しかし、ドイツは亡命申請権を憲法の中で保障している。シリアやアフガニスタンからの難民の受け入れを拒否することは、憲法違反だ。このためメルツ党首も、後日この発言を撤回した。

これまで難民受け入れについて最も否定的な態度を取ってきたのは、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)だ。AfDのアリス・ヴァイデル共同党首は、「実効性のない対策について議論している余裕はない。ドイツは5年間にわたり、亡命申請者の受け入れを停止するべきだ」と提案した。

AfDテューリンゲン州支部のビェルン・ヘッケ支部長は、ゾーリンゲン事件後に行なった演説の中で、「既成政党の政治家たちの難民政策は、ドイツを、ぬるま湯を浴びせられて溶ける石けんのように、小さくしてきた。AfDは、このぬるま湯を止める。ドイツにおける多文化に関する実験を中止しなくてはならない」と述べた。これに対しショルツ首相は、「ドイツに滞在する資格がない者を、これまでよりも早く退去させられるような態勢を整える」と発言したものの、憲法が定める亡命申請権の変更には反対した。

さらに、一部の政治家は公共の場にナイフを持ち込むことの禁止や、警察官が路上で市民の所持品の検査を行う権限を強化することを提案している。しかしテロ問題の専門家は、「ナイフに関する法律を厳しくしても、テロリストの犯行を完全に防ぐことはできない」とコメントしている。ドイツの論壇では、「ゾーリンゲンの事件は市民の難民政策に対する不満を増幅し、AfDにとって強い追い風になる」という見方が出ている。EUは今年5月に難民審査規定を大きく改訂した。将来は域内で亡命を申請した全ての外国人を周辺部の滞在施設に収容して、審査を行う。亡命資格のない外国人は、直ちに退去処分になる。しかし、この制度が本格的に始動するのは2026年以降だ。難民政策の機能不全は、極右を勢いづける。政府の迅速な対応を望む。

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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