Hanacell

メルケル首相の謝罪

ドイツ連邦政府は、2月23日にベルリンで極右テロの犠牲者のために追悼式典を催した。舞台の上には、ネオナチに射殺された10人の犠牲者を表わす蝋燭の火が灯されていた。

この事件は、旧東ドイツのネオナチ・グループ「NSU(国家社会主義地下組織)」が、2000年からの11年間に、ミュンヘンやハンブルクなど10都市でトルコ人など外国人を中心に10人を射殺したもの。

テューリンゲン州出身の3人の犯人は、銀行強盗やトルコ人らを狙った爆弾テロも繰り返した。警察は昨年11月に犯人の内2人が自殺するまで、一連の犯行が同じ極右グループによるものであることを突き止められなかった。

メルケル首相の演説は、怒りと絶望に満ちていた。「なぜ我々は、一連の犯行がネオナチによるものだと、もっと早く気が付かなかったのでしょうか?」

「私たちの憲法は、ナチスがドイツを支配した12年間に対する反省から、“人間の尊厳は侵してはならない。人間の尊厳を守ることは国家権力の義務だ”という言葉で始まっています。この言葉はドイツ社会社会の基本的な理念を傷付けることです。したがって、今回の一連のテロはドイツ社会に対する攻撃であり、我が国の恥です」。

捜査当局は、当初これらの事件を、トルコの犯罪組織内の抗争や、家族の内輪もめと考えていた。メルケル首相は、警察が一部の被害者の家族を容疑者と見ていたことを、特に強く批判した。

「被害者の家族の中には、何年もの間、警察から容疑者扱いされた人もいます。彼らは家族が殺されたことで悲しみのどん底にいただけではなく、警察から誤った嫌疑をかけられたのです。この10年間は、彼らにとって悪夢だったに違いありません。警察が誤った嫌疑をかけたことについて、私は謝罪いたします」。

式典では、ネオナチに家族を殺されたトルコ人たちも、聴衆に心情を吐露した。「父親が殺されてから、私たちの生活は一変してしまいました。私たちは長年の間、“被害者”として見てもらうことすらできなかったのです」。

今回のテロ事件の捜査は、完全な「不合格」であり、戦後ドイツの警察の歴史に最大の汚点を残した。そして、この国の一部の外国人が、警察と社会によっていかに強い偏見と先入観にさらされているかが浮き彫りになった。3人のネオナチが10年間も潜伏生活を続けられたのは、支援者がいたからである。メルケル首相は、演説の中でドイツ社会の極右テロに対する無関心に警鐘を鳴らした。

「我々は日常の忙しさや、“どうせ何もできない”という無力感のために、極右による暴力をすぐに忘れがちです。しかしある思想家が言ったように、善人たちが何も行動を起こさなければ、それだけで悪は勝つのです」。

今回の事件では、1990年代の初めに起きた極右によるテロに比べて、ドイツ社会とメディアの反応が鈍かった。事件に対する反応は地域によっても異なる。式典が行なわれた2月23日の正午に、ベルリンとハンブルクの市民は1分間黙とうし、公共交通機関も止まった。だが私が住んでいるミュンヘンでは、人々は普段と変わりなく暮らしていた。

ドイツ社会の一部には、外国人に対する偏見が残っている。ごく少数だが、外国人を憎む者もいる。政府がそうした勢力と戦おうとしていることは、高く評価したい。

9 März 2012 Nr. 909

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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