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ウクライナ危機・ メルケル首相の苦悩

 「ロシアによるクリミア半島の併合は、ウクライナの憲法と国際法に違反する行為であり、断じて受け入れられない。欧州の時計の針を19・20世紀に後戻りさせてはならない」。メルケル首相は、3月14日に連邦議会で行った演説で、ロシアのプーチン大統領(以下略称)を厳しく批判した。

第2の東西冷戦?

現在、欧米とロシアの関係はベルリンの壁崩壊後最悪の状態にある。プーチンは3月初めにクリミア半島に戦闘部隊を送ってからわずか1カ月の間に、クリミア半島をロシアに編入した。クリミア半島に駐屯していたウクライナ軍の将兵約1万8000人の大半はロシア軍に寝返り、プーチンは本格的な戦闘も行わずに、ウクライナの領土の一部を手に入れた。

このため欧州連合(EU)と米国は、ロシアの議会関係者や軍人らが欧米に持つ銀行口座を凍結したり、入国を禁止したりするなどの制裁措置を発動。さらに主要経済国の意見交換の場であるG8からロシアを締め出し、6月にソチで予定されていた首脳会議もボイコットした。

今、メルケル首相の肩にはウクライナ危機の解決の糸口を見付けるという大きな責任がのしかかっている。ドイツは、2009年末に表面化したユーロ危機との戦いで、EUの事実上のリーダーとなった。メルケル首相は欧州委員会との緊密な連携の下で各国の利害を調整し、合意に導いた。この結果、ユーロ危機は現在のところ沈静化している。

リーダー役を期待されるドイツ

EU諸国や米国では、ウクライナをめぐる外交紛争においても、ドイツが主導権を握ることを期待する声が高まっている。その最大の理由は、ドイツとロシアには歴史的・経済的に深い関係があるからだ。東西冷戦の時代、旧東独には30万人を超えるソ連軍が駐留していた。1989年のベルリンの壁崩壊以降、当時首相だったヘルムート・コール氏はソビエト連邦共産党のゴルバチョフ書記長と交渉して、東西統一への同意を勝ち取った。さらには、旧東独からのソ連軍の撤退も了承させた。

ドイツは合意と引き換えに、旧東独から撤退するソ連軍将兵が祖国で暮らす住宅の建設費用を負担するなど、様々な経済支援を行ってきた。ドイツは、旧ソ連諸国が政治的・経済的な混乱に陥った場合、難民の流入などによって最も大きな影響を受ける。このため、ドイツはロシアやウクライナとの関係を積極的に維持してきたのである。「ロシアを西側の運命共同体に取り込むことが、欧州全体の安定性を高める」というのが、歴代のドイツ政府の外交政策の基本であった。ドイツの提案により、1990年代にロシアをG7に迎え入れたのも、この哲学の表れである。

深い経済関係

経済関係も密接だ。ドイツは、単独の国としてはロシアとの貿易額が最大で、約6300社のドイツ企業がロシアに生産や営業活動の拠点を置いている。フォルクスワーゲンやシーメンスなどの大手企業だけでなく、中規模企業(ミッテルシュタント)もロシアに拠点を持っており、その投資額の合計は約200億ユーロ(2兆8000億円、1ユーロ=140円換算)に達する。さらに、天然ガス輸入量の35%をロシアに依存している。

また、ドイツはユーロ危機に端を発した不況によって大きな悪影響を受けていないため、ウクライナ問題に専念する余裕がある。これに対し、フランスやイタリアはロシアに地理的に遠い上、今なお不況の影響で苦しんでおり、自国の経済状態と財政を立て直すことで手一杯だ。また英国は、ロシアの富豪たちが欧州で最も多く投資を行う国であるため、ロシアに対する制裁については消極的だ。英国は将来、国民投票によってEUに残留するかどうかを決定する方針を発表しており、EUに対して距離を置く姿勢を強めている。

焦点はウクライナ東部

現在、メルケル首相やEUが最も憂慮しているのは、クリミア危機がウクライナのほかの地域に飛び火することだ。ウクライナ東部のドンバス地域では、ロシア系住民の比率が高く、一部の住民がロシアに帰属したいという意向を表明している。さらにプーチンは、ウクライナ東部国境に軍を集結させている。このため、欧米はウクライナ東部でも住民投票が行われ、ロシアがこの地域を併合することに強い危機感を募らせている。

欧米は、ロシアがウクライナ東部も併合した場合、ロシアからの天然ガスや、石油の輸入削減や禁輸も含めた本格的な経済制裁に踏み切る方針だ。メルケル首相はそのような事態を防ぐために、プーチンと頻繁に電話で協議する一方、シュタインマイヤー外相をウクライナ東部などに派遣して、事態の沈静化を図っている。3月末には、欧州安全保障協力機構(OSCE)が文民監視団をウクライナに派遣し、情報収集を開始したが、これもドイツの提案に基づいている。

メルケル首相は、前任者のシュレーダー氏ほどプーチンと密接な関係を築いていなかった。むしろ旧ソ連支配下にあった東独で育ったこともあり、秘密警察出身のプーチンに対しては、元々批判的で冷淡だった。

過去20年間で最も重大な安全保障上の試練を、メルケル首相はどう乗り切るのだろうか。

4 April 2014 Nr.975


 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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