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欧州中銀、 デフレとの戦い

欧州中央銀行(ECB)のマリオ・ドラギ総裁は、「金融市場の魔術師」の異名を持つ。

ユーロ危機を鎮静化

ドラギ氏は、2012年9月6日にフランクフルトで行った歴史的な記者会見で、「改革を実行する国に対しては国債を無制限に買い取る。どんな手段を使ってもユーロを防衛する」と発言した。彼はこの一言で、南欧諸国の国債の利回りを引き下げ、ユーロ危機を少なくとも一時的に鎮静化させることに成功した。

ドラギ氏はECBの資金を1セントも使わずに、金融市場に対する恫喝(どうかつ)だけでユーロを守った。中央銀行総裁の言葉が持つ威力を、世界中に示したのである。この「偉業」は、世界の金融の歴史の中でも語り草になるだろう。

マリオ・ドラギ欧州中央銀行総裁
マリオ・ドラギ欧州中央銀行総裁(右)

マイナス金利の衝撃

その「スーパー・マリオ」が、またもや金融市場を一驚させる大胆な政策に踏み切った。彼は、今年6月5日にフランクフルトで行った記者会見で、政策金利を0.25%から0.15%に引き下げることを発表し、ユーロ圏に事実上の「ゼロ金利」状態を生んだ。

ECBがこの日、政策金利を引き下げることは予想されていた。市場関係者を驚かせたのは、民間銀行がECBに「預金」する場合、0.1%の「制裁金利」を科すとドラギ氏が発表したことだ。ECBが民間銀行に対してマイナス金利を科すのは初めてのこと。これは、ユーロ圏の不況が本格的に回復せず、デフレーションの傾向が強まっていることについて、ECBがいかに大きな懸念を抱いているかを浮き彫りにしている。

ドイツは今、欧州で独り勝ちの状態にある。ドイツに住んでいるとあまり実感が湧かないが、フランスやスペインなどは今もユーロ危機の後遺症に苦しんでいる。ECBは、病が改善しない患者の容態に対して懸念を強めているのだ。

通貨は経済の血液である。民間銀行の中には、金融市場の不安定化などに備えて、資金を企業や個人に貸し出さずにECBに預ける銀行がある。ECBは絶対に倒産しないので、民間銀行にとっては資金を守る「安全な避難港」なのである。しかし、これでは血液が体内を循環しないので、経済の活性化と景気回復にはつながらない。

ドラギ氏は、民間銀行がECBに資金を避難させるのを防ぎ、企業や個人に対して積極的な貸し出しを行うよう、マイナス金利の導入に踏み切ったのである。

資金放出で金融緩和

さらに総裁は、ECBというダムの水門を開けて市場に大量の資金を流し込んだ。ECBは4000億ユーロ(56兆円、1ユーロ=140円換算)という天文学的な額の資金を、0.25%という低金利で民間銀行に貸し出すことを発表した。市場をお金でジャブジャブに満たすことによって、融資や経済活動を活発化させるためである。

これは、ドラギ総裁が「Dicke Bertha(太っちょベルタ)」と呼ぶ金融緩和政策の第3弾である。ECBはこれまでも2度、巨額の資金を市場に流し込むことによってユーロ圏経済の活性化を図ってきた。しかし、景気回復の効果が表れないため、ECBはさらなる金融緩和に踏み切ったのだ。ちなみにDicke Berthaとは、第1次世界大戦でドイツ軍が使用した、口径の大きい大砲のことである。

金融市場は、ドラギ総裁の決断に大喝采を送った。ドイツの大手企業が構成するDAX(ドイツ株価指数)は、ECBの発表からわずか5分後に、1万ポイントの大台を初めて突破した。市場関係者が、「今後は資金を株式投資に回す企業や市民が増える」と予測したり、「民間銀行がマイナス金利を嫌って融資を増やすために、南欧で景気が回復して、ドイツ企業の輸出がさらに改善する」と期待したことが原因だ。

低金利に泣く預金者

だが、悲鳴を上げているのは銀行や生命保険会社にお金を預けている市民だ。ドイツ農業銀行や信用金庫、ドイツ保険協会(GDV)は、「貯蓄をする市民に犠牲を強いる」として、ECBの金利引き下げを批判した。

GDVは「人々の寿命は長くなる一方だが、公的年金は削られている。したがって、若年層や中堅層にとっては、民間の生命保険などによる備えが極めて重要になっている。そうした中で、ECBの政策金利引き下げと金融緩和政策は、人々の貯蓄への意欲を減退させるものであり、危険だ」と警鐘を鳴らした。さらに、「デフレを克服するには金利引き下げではなく、国際競争力の強化が必要」と指摘した。

ユーロ圏の生命保険会社は、低金利のために四苦八苦している。資金運用が困難になりつつあるため、顧客に約束した保証利率の確保に苦労しているのだ。ドイツ政府は生保業界を支援するために、保証利率の引き下げなどを含む法案を6月4日に閣議決定した。

ユーロ圏の「日本化」?

中央銀行がデフレを克服するために政策金利を引き下げ、預金者が苦しむ。これは、1990年のバブル崩壊後の日本にそっくりだ。事実、欧州では「ユーロ圏は第2の日本になるのか?」という懸念の声が出ている。「スーパー・マリオ」はデフレが深刻化した場合、南欧諸国の国債の大量買い取りという、米国の連邦準備制度理事会並みの金融緩和措置も検討しているといわれる。デフレとの戦いは、まだ当分続きそうだ。

20 Juni 2014 Nr.980

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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