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集団的自衛権問題とドイツの論調

7月1日深夜。私は東京・永田町にある首相府近くで、約1万人の市民が響かせるシュプレヒコールや太鼓の音を聞いていた。人々は、この日安倍政権が集団的自衛権の容認を閣議決定したことに抗議しているのだ。

この週、日本のメディアは集団的自衛権をめぐる報道で埋め尽くされた。祖国での論争に耳を傾けて私が強く感じたことは、安倍政権が中国や北朝鮮による脅威をいかに重大視しているかということだ。

自衛隊の行動の自由を拡大

安倍首相は明らかに急いでいる。彼は時々、何かに追い立てられているかのような印象を与える。首相が、憲法改正ではなく、閣議決定による憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を可能にしたことは、現政権が東アジアの安全保障をめぐる情勢について、「日本への脅威が高まっており、自衛隊に対する足かせを一刻も早く減らす必要がある」と考えていることを示す。

これまで自衛隊が戦うことができたのは、日本が直接攻撃を受けたときだけであった。憲法第9条が歯止めとなっていたからである。しかし今回、安倍政権は日本と密接な関係にある他国(具体的には米国)が攻撃され、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由などが根底から覆される明白な危険」が生じたときには、日本が直接攻撃されていなくても、自衛隊が他国を攻撃できると判断した。

安倍政権は、どのような事態を想定しているのか。例えば朝鮮半島で戦争が勃発し、米軍が日本人を含む非戦闘員を救出して艦船で日本へ輸送する際、この艦船が北朝鮮軍の攻撃を受けた場合に、海上自衛隊の護衛艦は北朝鮮軍への反撃が可能になる。これまでの憲法解釈では、自衛隊の反撃は許されていなかった。

また、北朝鮮がグアムにある米軍基地に向けて弾道ミサイルを発射したとき、これまで日本は上空を通過するミサイルを打ち落とすことを禁じられていた。だが、憲法解釈の変更によって今後は自衛隊がこうしたミサイルを撃墜することが可能になった。

安倍首相は「武力行使はあくまでも例外」と主張するが、自衛隊が米軍とともに共同作戦を取る可能性が増えたことは間違いない。さらに、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由などが根底から覆される明白な危険が生じたとき」という定義は客観的ではなく、将来の政権による幅広い解釈が可能である。

集団安全保障にも踏み込む

私が日本で安倍政権の発表を聞いて驚いたのは、今回の閣議決定が集団的自衛権だけではなく、集団安全保障に基づく武力行使も含んでいることだ。集団安全保障とは、日本や米国が直接攻撃されていなくても、国際連合が安全保障理事会の決議に基づいて、特定の国に対する武力行使を認めるものだ。例えば、1991年にイラクがクウェートに侵攻した際、米国を中心とする多国籍軍が国連決議に基づいてイラク軍を攻撃したのは、集団安全保障に基づく武力行使である。

安倍政権が想定するのは、次のような事態だ。ホルムズ海峡が機雷で封鎖され、日本などのアジア諸国に原油を運ぶタンカーが通過できなくなったとする。この際、海上自衛隊が機雷除去作業を行っている途中で、国連安保理が掃海作戦に関する決議を行ったとする。これまで自衛隊は集団安全保障に基づく軍事行動への参加を許されていなかったので、掃海作業を中断しなくてはならなかったが、今回の憲法解釈の変更によって安保理の決議後も掃海作業の続行が可能になる。

安倍首相は「日本がイラクやアフガニスタンのような戦争に加わることはない」と説明するが、将来別の政権が米国政府の圧力に屈して現在よりも幅広い解釈を行うことは十分あり得る。

地味だったドイツの論調

ドイツのメディアは、今回の閣議決定を大きく扱わなかった。この国の軍隊は、1990年代の旧ユーゴ内戦や、2000年代のアフガニスタン紛争を通じて、集団的自衛権だけでなく集団安全保障に基づく軍事行動に参加しているので、多くの報道機関は安倍政権の決定を目新しいものと思わなかったのだ。

閣議決定を比較的詳しく報じたのは、フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)紙のC・ゲルミス東京特派員である。彼は安倍政権の決定を「自衛隊が米軍と肩を並べて戦うことを初めて可能にする歴史的な政策転換」と位置付けた。さらにゲルミス氏は、「日本のリベラル勢力は、この決定によって日本が戦争に巻き込まれると批判しているが、安倍政権はドイツと同じように、武力行使については国会の事前承認を義務付ける方針」と解説している。

民主主義に関する議論が欠如

だがゲルミス氏の記事は、閣議決定が日本の民主主義について投げ掛けた問題には斬り込んでおらず、不十分だ。日本の防衛に関する戦後最も重大な政策転換が、憲法改正や国民投票ではなく、内閣の決定だけで実施された。ドイツならばそのこと自体を問題視して、直ちに違憲訴訟が提起されるだろう。安倍政権が直ちに、北朝鮮による日本人拉致問題という国民に分かりやすいニュースをメディアに提供したために、集団的自衛権をめぐる論争への関心は急激に低下した。巧みなメディア誘導である。日本はドイツに比べると、「Diskussionskultur(何についても活発に議論する国民性)」が欠けている。集団的自衛権に関する閣議決定は、そのことを浮き彫りにした。

18 Juli 2014 Nr.982

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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