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ドイツはクルド人に武器を供与すべきか?

ドイツ政府は、8月20日に安全保障政策を大きく変える歴史的な決定を行った。メルケル政権は、イラク北部でテロ組織「イスラム国(IS)」と戦うクルド人の戦闘部隊ペシュメルガに対して、武器を供与する方針を発表したのだ。ドイツはこれまで、「紛争地域には武器を供与・輸出しない」という原則を守ってきた。今回の決定は、戦後史の転換点を意味するものだ。

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8月にパリで行われた、ISによって虐殺されるクルド人とカトリック教徒の支援を訴えるデモ

戦火拡大の危険

シュタインマイヤー外相(社会民主党=SPD)とフォン・デア・ライエン国防相(キリスト教民主同盟=CDU)は、この決定の理由をこう説明した。「もしクルド人の防衛線がISによって突破されれば、中東地域全体に戦火が広がる危険性がある。その場合、ドイツの国益が直接脅かされる。したがって、ドイツがイラクに対して行う援助には武器供与も含まれる」。連邦議会は、この問題に関する特別審議を行う方針だ。

武器供与そのものの是非について、政治家たちの間では意見が分かれている。CDUの副党首ラシェット氏は「イラクの危機的な状況を考えると、武器を送るだけでは不十分だ」と述べ、国連主導の包括的な解決策を要求している。これに対してSPDのシュテグナー副党首は、「ISと戦うクルド人を支援する目的で供与した武器が、将来別の用途に使われて、罪のない人々が殺される危険性がある」として、ペシュメルガへの武器供与について慎重な姿勢を示した。また、メルケル首相(CDU)は「トルコからの独立を希望しているクルド人のテロ組織・クルド労働党(PKK)には武器を供与しない。ISと戦うために連邦軍をイラクに派遣する方針もない」と説明している。

ISの脅威

メルケル政権が武器供与に踏み切る背景には、欧米諸国の政府間でISに対する懸念が強まっていることにある。スンニ派のテロ組織ISは今年の春以来、破竹の進撃を続けており、すでにシリア領土のほぼ半分とイラクの約3分の1を制圧している。

イラクではISから逃れるために、数十万人の市民が難民化している。8月上旬には、イラク北部でクルド系の少数民族(ヤジディ教徒)2万人がISに包囲されたが、米軍の支援を受けたペシュメルガの反撃によってISの魔手を逃れた。

「アルカイダ以上に危険なテロ組織」とされるISの特徴は、資金が豊富なことである。ISは過去に、サウジアラビアや湾岸諸国の資産家から資金援助を受けていた。さらに、油田や製油所を占領して闇ルートで原油販売を行ったり、銀行などの金融機関を襲い、現金を強奪することによって潤沢な資金を確保している。

イラク軍部隊の一部は、ISの猛攻の前にクモの子を散らすように逃走したため、ISは戦車や自走榴弾砲、装甲車、地対地ミサイルなど多数の兵器を持っている。米軍が空爆によってクルド人の支援に踏み切らざるを得なかったのは、ISの装備や士気がペシュメルガやイラク政府軍を上回っているからだ。

残虐性と狂信主義

さらに、ISのテロリストたちは極めて残虐である。ISは8月19日、捕虜にしていた米国人ジャーナリストを斬首によって処刑する映像をインターネット上で公開した。彼らは「米国が空爆を止めなければ、ほかの捕虜も処刑する」と脅している。ISは、イスラム法に基づく神権国家「カリフ」を打ち立てることを目指しており、そこでは女性や異教徒の人権は抑圧される。

ISがイラクやシリアを完全に占領した場合、タリバン政権下のアフガニスタンのような無法国家が復活し、欧米にテロ攻撃を仕掛けるための「出撃拠点」となる危険がある。その狂信主義は、2001年に同時多発テロを行ったグループを連想させる。

ISはネット上で宣伝ビデオを公開し、欧州からイスラム教徒の「義勇兵」をリクルートしている。捜査当局は、欧州からシリアやイラクへ渡り、ISの戦列に加わった市民の数が2000人を超えるとみている。今年5月にブリュッセルのユダヤ博物館でイスラエル人を含む4人を射殺したフランス人は、ISのメンバーだった。

中東の国家崩壊現象

シリア、イラク、エジプト、リビア・・・・・・。中東地域で今進んでいるのは「国家崩壊」だ。国境を無視して拡大するISは、その象徴である。今年1月には、オバマ米大統領はISを取るに足りない存在として軽視していたが、今や米国政府は「ISはこれまでになかった重大な脅威だ」と警鐘を鳴らしている。イラクとアフガニスタンでの戦争で疲弊し、財政赤字に苦しむ米国は、中東への再介入に消極的。シリアではアサド政権が毒ガスを使ったにもかかわらず、オバマ大統領は軍事介入しなかった。こうした煮え切らない姿勢が、スンニ派過激勢力の軽視につながった。

また、米国のイラク撤退が早過ぎたことも、ISの急拡大につながった。イラクは独自に自国を防衛する力を持っていない。米国は今後、イラクだけでなくシリアでもISと戦わざるを得ない。戦況がさらに悪化した場合、米国は地上部隊の投入を迫られるかもしれない。欧米は「アラブの春」を喜んだが、その落し子が国家崩壊だった。21世紀の世界にとって最大の脅威の1つは、中東動乱の加速化である。

ドイツ政府と米国政府の急激な方針転換は、欧米諸国が中東情勢の先行きについて、いかに懸念を募らせているかを浮き彫りにしている。

5 September 2014 Nr.985

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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